「自分が何者であるかを明らかにせず、ここで書くことにより何者かになっていくことを期待するページ」として、このブログを始めたのに、友人数人にカミング・アウトと言うか、このブログを書いていると伝えてしまった。もうわたしのブログは誰にも明かしていなかった時のブログではいられないだろう。吉とでるか凶とでるかわからないが、確実に変化してしまうだろう。
今こうして、この文章を書いているのでさえ、もう友人がこれを読む表情さえ想像してしまっている。前は誰ともわからない不特定少数の行きずりの通行人に対して独り言とあまり変わらないことを呟いていたのだ。でも誰が通るかわからないという奇妙な緊張感をもったり、どうせ誰も聞いてくれないんだからと自嘲気味になったりしながら、何の反応もない(コメントがない)インターネット通りで誰かがいるものとみなしてパフォーマンスをしてきたのだ。
でも反応がないのは、知人の誰にも知らせていなかったし、よそのブログを訪ねて自分のURLを残してくることもしてこなかったのだから仕方ないし、大抵そんなものだろうとも思う。不特定多数の他人に受けるような文章を書くなんて、そうそう簡単にできるわけがない。逆に炎上?といった猛烈なアクセスがあっても困るという自主規制の気持ちも働いて、自由奔放に書くことは意外にできにくいものだということが解ってきた。
10代の頃に「アンネの日記」を読んだ。アンネ・フランクは架空の人物を設定して、その人に宛てて手紙を書くというスタイルの日記を書いていた。わたしの今までに書いたこのブログを読み返してみると、誰に書いているのか不明瞭不可解だ。それに一つの文章の中ででも文体が変わることがよくある。書き方はいつまでたっても統一性がなくて、文体が定まらない。口調が変わるのだ。独り遊びは得意だと思っていたのだが、自分は無人島では生きられないタイプなのだろうか?えーいそんなことはどうだっていいのだ。わたしの中に湧き上がった『感動』を書いたらいいのだ。
このごろ、話上手と書き上手のどちらだろうと他人のことを思うことが多い。話し上手の反対は聞き上手となるところだけれど、携帯メールで仕事でもプライベートでも連絡を取り合うことが多くなったからだ。自分のことを言うなら、話し下手の書き下手は間違いない。ただしそれを『話しオシャベリ』と『書きオシャベリ』という造語をしたうえで、どちらかということになると、わたしはもう決定的に『書きオシャベリ』だ。
口での言い訳はからっ下手だけれど、書いたらいくらでも書けそうなのだ。。書きはじめたら、ついついだらだらと冗舌になるのだ。と言っても文字を書くのは苦手なので、これはもうパソコンと携帯電話にインターネット普及のお陰だ。
さて、まただらだらと書いているが、この文章にどうオチをつけよう。ここまで読んでいただいた人がいたら気の毒だ。今日はエイプリルフールだから、「なんちゃって」を最後につけて、全部チャラにして、コケにしてもいいかも知れないのだけれど・・・。
そうだ、今日はエド・はるみのブログを見た。そして彼女のギャグをユーチューブでたくさん観て独りで大笑いしてしまった。じつに面白い。あのひと突き抜けてます。そこそこの美人なのに、「グーグーグーグーグー」と言うときの顔芸と最近の「まぁ、お子ちゃまね~おっぱい呑みたいの?」と言うときの仕草と絶妙な顔がいかしてる。あまり嫌味なく人をコケにする、あの芸当は是非見習いたい。わたしのブログの目標のひとつだ・・なんちゃって。
今こうして、この文章を書いているのでさえ、もう友人がこれを読む表情さえ想像してしまっている。前は誰ともわからない不特定少数の行きずりの通行人に対して独り言とあまり変わらないことを呟いていたのだ。でも誰が通るかわからないという奇妙な緊張感をもったり、どうせ誰も聞いてくれないんだからと自嘲気味になったりしながら、何の反応もない(コメントがない)インターネット通りで誰かがいるものとみなしてパフォーマンスをしてきたのだ。
でも反応がないのは、知人の誰にも知らせていなかったし、よそのブログを訪ねて自分のURLを残してくることもしてこなかったのだから仕方ないし、大抵そんなものだろうとも思う。不特定多数の他人に受けるような文章を書くなんて、そうそう簡単にできるわけがない。逆に炎上?といった猛烈なアクセスがあっても困るという自主規制の気持ちも働いて、自由奔放に書くことは意外にできにくいものだということが解ってきた。
10代の頃に「アンネの日記」を読んだ。アンネ・フランクは架空の人物を設定して、その人に宛てて手紙を書くというスタイルの日記を書いていた。わたしの今までに書いたこのブログを読み返してみると、誰に書いているのか不明瞭不可解だ。それに一つの文章の中ででも文体が変わることがよくある。書き方はいつまでたっても統一性がなくて、文体が定まらない。口調が変わるのだ。独り遊びは得意だと思っていたのだが、自分は無人島では生きられないタイプなのだろうか?えーいそんなことはどうだっていいのだ。わたしの中に湧き上がった『感動』を書いたらいいのだ。
このごろ、話上手と書き上手のどちらだろうと他人のことを思うことが多い。話し上手の反対は聞き上手となるところだけれど、携帯メールで仕事でもプライベートでも連絡を取り合うことが多くなったからだ。自分のことを言うなら、話し下手の書き下手は間違いない。ただしそれを『話しオシャベリ』と『書きオシャベリ』という造語をしたうえで、どちらかということになると、わたしはもう決定的に『書きオシャベリ』だ。
口での言い訳はからっ下手だけれど、書いたらいくらでも書けそうなのだ。。書きはじめたら、ついついだらだらと冗舌になるのだ。と言っても文字を書くのは苦手なので、これはもうパソコンと携帯電話にインターネット普及のお陰だ。
さて、まただらだらと書いているが、この文章にどうオチをつけよう。ここまで読んでいただいた人がいたら気の毒だ。今日はエイプリルフールだから、「なんちゃって」を最後につけて、全部チャラにして、コケにしてもいいかも知れないのだけれど・・・。
そうだ、今日はエド・はるみのブログを見た。そして彼女のギャグをユーチューブでたくさん観て独りで大笑いしてしまった。じつに面白い。あのひと突き抜けてます。そこそこの美人なのに、「グーグーグーグーグー」と言うときの顔芸と最近の「まぁ、お子ちゃまね~おっぱい呑みたいの?」と言うときの仕草と絶妙な顔がいかしてる。あまり嫌味なく人をコケにする、あの芸当は是非見習いたい。わたしのブログの目標のひとつだ・・なんちゃって。