鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

無謬性どころか古典的調書作成手法の破綻(その5)

2010年09月24日 09時17分19秒 | 個人的主張など
逮捕されている特捜検事の取調べは究極の可視化をすべきだ

今回の事件について片山総務相へのインタビュー場面をテレビで観た。『検察が身内のことだからと、身びいきや手をゆるめることがあってはいけない。恥の上塗りになる・・・』と言っていた。恥の上塗りという言葉に違和感を感じた。少しネットで調べても、それに対する賞賛はあっても批判はなかった。検察内で起きた今回の事件は『恥』でしかないのだろうか?  そんな意識でしかないのだろうか?  恥どころか、罪をあばくべき機関が罪を創作したという、とんでもない犯罪ではないか。

今日の新聞では主任検事が改ざんを認めたとあった。『誤って書き換えた』などと当初は報じられていたが、どこでどう変ったのか知りたいところだ。発表する人間が微妙にニュアンスを変えてしまうのもよくあることだ。そもそも検察が容疑者の人権を全く無視した恫喝による強引な調書作成手法が批判されてきた中で発覚した証拠隠滅事件であり、それも無罪の証拠を隠滅するという逆転の発想による事件だ。

究極の可視化が成されるべき取調べではないだろうか? 国会での証人尋問でもよいだろうが、LIVE中継で取調べと調書作成が成されるべきではないか? 今後は一切あってはならない類の事件、偶然性とか見方によって判断が分かれるという類の罪ではないのだから。

村木元局長への無罪判決があった時点で、大阪特捜はなくなるかも知れないという危機的感想をもらした検察当事者がいたという記事を前にみた。検察の調書を作文だと批判した判決はそれほどの威力があったのだ。そこで現実にはできない空想を思い浮かべる。

判事、検事、被告、弁護人の位置関係を反時計回りに15分回した図だ。判事が検察官席に座ったら良い。当然ながら検事は被告になった。不当にも被告となっていた村木氏は無罪を勝ち取った後で『検察を信じたい』と言ってたくらいだから、弁護はできにくいにしても弁護人をやったろ良い。そしてこの件で勝った弁護士が厳しい目で判事をやったら良いだろう。芝居でもなければできないことだろうけれど観てみたい。

コメント (2)
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