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空にいるような軽い気分で・・・

演歌とは、艶歌とは   その2

2016年02月01日 00時32分34秒 | 個人的主張など
演歌の作詞家に女性はいるのだろうか。
いるかもしれないけれど、ほとんどいないと見なして進めていこう。
情緒情感は男が頭の中で創り上げ、女がそれに乗ったフリをして成立する。
ここで例えを出し、誰それの歌詞を取り上げるようなことは、しないでいいだろう。
きっと、当たり前のことだから。
なぜ女が乗ったフリをするのかは、当然のことながら事を荒立てないためであり、理解できないまでも理解の姿勢を見せようと思いやってのことであり、生活のためなのだ。
食べていくための食料確保やら料理法やら得な生活情報収集に忙しいから、男の妄想暴走に付き合ってばかりはいられないのだ。
それでも時々は、男の作り上げる女を演じて男を喜ばせることが嬉しくて、精一杯のシナ(科、品)をつくるのが大人の女だ。
いやいや何の何の・・子どもの時から、甘え上手なのか科なのか、やたら女オンナしたコだっているのだ。
男の世界を歌う演歌ってなものを女の歌手が情感たっぷりに歌う場合があるけれど、それなんかを見ると、男をそこまでコケにしたら楽しいんでしょうねと感心する。
男の作詞家は男を相手になんぞ、決して詞を書いたりはしていない。
全員の女性に向けて、あるいは理想的な幻の女に向けて、こうあって欲しいと願う女性像に向かって歌い上げる。
そうして演歌は果てのない誤解と勘違いとすれ違い。
そりゃそうさと、皆が思っている納得づくの約束なのかもしれないけれど・・。
      つづく
コメント
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