堂ノ川が木幡池に注ぐ地点の護岸に翡翠がいて、10mほどの対岸からカメラを構えても逃げなかった。
人慣れしているのか、警戒心の鈍い個体なのか、川の中には群れた小魚がいっぱいなのに、かなりの間じっとしていた。
しばらくして翡翠は川に飛び込み、獲物は捕まえたかどうか、中池の方に飛び去った。
こういう時には、ズームの効く良いデジカメが欲しいとつくづく思う。
堂ノ川の水源地はウチの近所の住宅地脇にあり、豪雨対策の貯水池(?)というのか、コンクリートの深い溜池で普段は空池。
木幡池も堂ノ川の一部とみなされていて、淀川水系支流だから一級河川となっているようだけれど全長3kmほど。
干拓されて消えた巨椋池の北東の端にあたるらしくて、古巨椋池の一部という記述も見つけた。
木幡というのは、「こはた」と読んだり「こわた」と読んだりする。
漢字になると、木幡のほかに許波多だったり巨幡だったりする。
秀吉の伏見城は木幡山に築城という記述もあるし、木幡ノ関跡も伊予親王巨幡墓(遠山黄金塚2号墳)も今は京都市伏見区内。
木幡駅からの引き込み線跡を辿ると緑道の行き止まりは堂ノ川だった。
旧奈良街道(大和道)をまたぐ築堤は京阪電鉄で切り取られ、低いアンダーパスを抜けると築堤からの延長として広い道があり、それが引き込み線跡。
左に堂ノ川が並行してあり、道は木幡池の中池と北池を分断していた。
戦時中に作られた火薬工場への引き込み線は、田んぼの中に堤を盛り上げ、木幡池を埋め立てて線路を通したのだろう。
散歩しながら疑問に思ったことを、帰ってから検索すると、思わぬ歴史の痕跡が見えてきちゃったりする。
訂正;桃山城としたけれど、秀吉の築いた城は、伏見城なので訂正。伏見指月城ともいう。それで、伏見港近くの宇治川に架かる橋は観月橋か。
・・・と長々と話したそうです。
同じじゃないか。
何も言わずに「ゴメン!」と頭を下げて何も言わないこと。ができなかった。
「過ちて改めざるこれを過ちという」
封建的な男尊女卑世界で育ってきた我々だって、世界の潮流がどうなっているか知っておかないと、ついつい迂闊な発言をしてしまいそうです。
TPOをわきまえないと・・・ね。
わきまえないジジイと言われないように。