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聖書に由来する言葉が書いてあるのかと思って読んでみる。
⒈・・・静粛に・・・
⒈・・・乗り入れおことわり・・・
⒈敷地内で御子達が遊戯中怪我をされても当修道院は責任を負いませんのでご承知ください。
『御子達が遊戯中』と典雅な表現。
{きよしこの夜}の歌詞に『救いのみ子は まぶねの中に』という一節がある。
それを彷彿とさせる。
そうして、怪我をされても責任を負えないと宣言するのである。
そう、御子達がどうなろうと、どういう奇跡を起こそうと、修道院で責任なんぞ負えるものではないのだ。
御子達は皆、神の子で救いのみ子なのだから。
ここの敷地道路は私を誘惑する近道なのだけれど、修道院の敷地に初老のおっさんが入り込んだら、不審者扱いされて即刻警察沙汰のニュースネタになるだろうから、通り抜けはできない。
遠回りして帰る途中のよそ様の生垣に沈丁花が咲き始めていた。
今回は目で見て存在を確認したのですが、接写しての拡大画像を見て初めて蕾がエンボス模様だと分かりました。
宗教法人に当てこすりを言いたいと思いつつ、とんび目線から微視的アリンコ目線になりました。
『哲学への道』
を歩きながら帰路についたのですね。
風景と共に思慮と作文が浮かんでくるのですね・・・(うらやましいです)