演歌の作詞家や作曲家をあてこすって非難しているのではない。
女性を貶(けな)したり蔑(おとし)めたりするつもりもない。
男の妄想だと書いたが、妄想に負のイメージばかりを乗っけるつもりもなく、女のシナ(科、品)にケチをつけるつもりもなく、嫌悪もしていない。
徒花と書いたが、実を結ばなかった花とて開いた花にはそれぞれの役割も価値もあると心得ているつもり。
働きアリだったか働き蜂だったか、その中には働かないでウロウロしてるだけのものも居るという観察のもと、それはそれで組織構成の中で必要な存在なのだというようなことが述べられた文章を読んだことがある。
「イスラム教徒の入国禁止」を提案したりして人気を得ている、アメリカ大統領候補のトランプが始まったばかりの予備選挙で共和党の1位にならなくて本当に良かった。
ナチス・ドイツの優生政策までも思い起こさせる。
多様性を認めて同性婚も一般的になりつつある今の世に、恐怖を煽って人気取りをするアホらしさには唖然とするばかりだ。
どんどん話がずれていってしまっていると思うなかれ。
人間の多様性と演歌の関係を述べているつもりなのだ。
男と女は決定的に違うのだということを言いたいのだ。
違って当たり前だとも言いたいのだ。
同じ言葉でも、男女の理解の仕方は違う。
時間の捉え方すら男女では決定的に違う。
方向も速度も思い入れも意味も内容も違うのだけれど、とりあえず男女が歩み寄った印として演歌的情緒が発生するのかもしれない。
つづく