1月26日に、その①を書いてからだいぶ経った。
じつは『歴史を学ぶ』より『歴史の学び方』と言うタイトルで、あるアイデアを書くつもりだったのだが、①を書いている時に変化してしまった。
当初のアイデアを結論的に書いてしまいたい。
①学校の社会や歴史の授業は、どうして過去から現代に進めることしかしないのだろう。
②温故知新が歴史を学ぶ基本だとすれば、現代から過去に遡る教え方をすべきではないか。
③過去にも同様なことがあったと遡り、そこからまた現代に戻る反復こそが、より良く歴史から学ぶことができ、時代の流れの整合性を理解できるのではないか。
④答が単純化されている数学や理科と同様の発想で歴史(社会科)を決まった枠に入れようとせず、答が限定されない教え方をすべきではないのか。
というようなこと。
私は歴史教育に関わっているわけでもなく、最近の小中学高校の歴史関連の教科書を知っているわけでもない。
自分の半世紀以上前の学校を思い出しての思いつき。
すでにそのように実施しているかもしれないし、多くの教師が悩んだり取り組んだりしているのだと思うけれど、とにかく私の受けた社会の授業は誠にもって今から思えば残念なことだった。
自覚を持って独学したり、本を読み漁ることもしなかった浅学を恥じながら残念無念と思う。
今から勉強をしてブログで発表していったら良いわけだけれど、やりたいことがありすぎて時間が限られているのがイタい。
じつは『歴史を学ぶ』より『歴史の学び方』と言うタイトルで、あるアイデアを書くつもりだったのだが、①を書いている時に変化してしまった。
当初のアイデアを結論的に書いてしまいたい。
①学校の社会や歴史の授業は、どうして過去から現代に進めることしかしないのだろう。
②温故知新が歴史を学ぶ基本だとすれば、現代から過去に遡る教え方をすべきではないか。
③過去にも同様なことがあったと遡り、そこからまた現代に戻る反復こそが、より良く歴史から学ぶことができ、時代の流れの整合性を理解できるのではないか。
④答が単純化されている数学や理科と同様の発想で歴史(社会科)を決まった枠に入れようとせず、答が限定されない教え方をすべきではないのか。
というようなこと。
私は歴史教育に関わっているわけでもなく、最近の小中学高校の歴史関連の教科書を知っているわけでもない。
自分の半世紀以上前の学校を思い出しての思いつき。
すでにそのように実施しているかもしれないし、多くの教師が悩んだり取り組んだりしているのだと思うけれど、とにかく私の受けた社会の授業は誠にもって今から思えば残念なことだった。
自覚を持って独学したり、本を読み漁ることもしなかった浅学を恥じながら残念無念と思う。
今から勉強をしてブログで発表していったら良いわけだけれど、やりたいことがありすぎて時間が限られているのがイタい。