■「ディタッチメント」 対象から意図的に距離をとること、関わらないことなどと説明されるこの言葉は村上春樹の小説を読み解くキーワードのひとつのようだ。先日読んだ『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』新潮文庫にこの言葉が出てくる。
またこの言葉は研究者に必要な態度だとして茂木健一郎の著書にも出てくる。認知的距離、自説をあたかも別の研究者が提示した説であるかのように客観的に捉え評価する態度。
対象を客観的に捉えるというこの場合の視点は、何故か対象を俯瞰する上方に据えられる。そう、所謂「神の視点」。
ところで、いま松本ではサイトウ・キネン・フェスティバルが開催されている。一昨年のフェスティバルで、まつもと市民芸術館で行なわれた「グレの歌」を鑑賞する機会に恵まれた。このホールはオペラ座と同じ形式が採られ、バルコニー席が4層設けられているが、私の席は2階、バルコニー席だった。
そのとき感じたのは臨場感が希薄、ということだった。小澤さんが下方で指揮をしている・・・。
この上方にある視点は「ディタッチメントな視点」なのだ。当事者として関わっているという意識が希薄な位置にある視点。
空間を共有しているという意識、舞台との一体感が生じる条件は、水平方向の視線の正面に舞台があることではないか、今日ある方とサイトウ・キネン・フェスティバルについて雑談をしていてそう思った。