透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「ドーダ」はどーだったか

2007-08-25 | A 読書日記

 ドーダとは、自己愛に源を発するすべての表現行為である。

鹿島茂さんは東海林さだおさんがとり上げた「ドーダ、おれってスゴイだろ」をこのように定義した。さらに陽ドーダ、陰ドーダ、内ドーダ、外ドーダとドーダを細かく規定している。

**西郷隆盛の生涯をドーダの観点から追っていく場合、その最大の謎はやはり、江戸城開城を境にして起きた、「陽ドーダ」から「陰ドーダ」への転換である。この転換はいかにして起こったのか、しばらくはこの謎に迫りたい。** と、こんな調子で書き進んではいるが内容は真面目な論考。水戸学や西郷隆盛、中江兆民などの近代思想をドーダ理論によって解き明かす。

私にはこの本でとり上げられている「近代思想史」なるものに関する知識が全く無い。

陽ドーダ、内ドーダなどドーダ包丁を使い分けて近代思想史という食材を上手くいや美味く料理してもらっても、それが美味いのかどうなのか充分味わうことができなかった。これは料理人の問題では決してない。私のプアーな食生活に起因する問題。

東海林さんはお遊び、というか軽い「のり」でドーダをとり上げたことは『もっとコロッケな日本語を』という意味不明なタイトルの本(文春文庫)を読めば分かる。

   
 『ドーダの近代史』朝日新聞社『もっとコロッケな日本語を』文春文庫
              

ドーダってこのマンガのように自慢する態度、ただそれだけのことだと思うのだが、惚れこんでしまうと過大に評価してしまう傾向がどうしてもあって、鹿島さんはドーダによって近代史を論じてしまった。

*****

この本は西郷ドンのファンや中江兆民がルソーから受けた影響といったことについて基礎知識がある方にはお薦めです。鹿島シェフの高級料理を味わってみて下さい。私は「コロッケ」、庶民の味で充分満足です。


 


道祖神

2007-08-25 | B 石神・石仏

 
  弘化二(1845)年

 
 寛政七(1795)年

 昨晩は酔族会だった。その席で安曇野の魅力は何だろう、ということがちょっと話題になった。

安曇野の魅力・・・、日本の原風景には特別な何かがあるわけではない。北アルプスを背景に広がる田園風景そのものだと思う。点在する屋敷林そして道祖神。そう、安曇野と聞いて路傍の道祖神を思い浮かべる人も多いのではあるまいか。

道祖神は村の守り神、村の入口で悪霊や疫病の侵入を防いだと聞く。村人の願いを聞いてくれる神様。

私の住む村にも道祖神が何体かある。手元の資料によるとその数、31体。写真はそのうちの2体。男女が肩を抱き握手をしている。抱肩握手像。

この辺の道祖神は高遠の石工の手になるものが多いらしい。道祖神巡り、ちょっと年寄り臭いかな。

しばらく前に友人から、「繰り返しの美学はもう書かないの?」と訊かれた。「楽しみにしていたのに・・・」 そう、以前は頻繁に書いたがこのところ全く書いていない。そのうち復活させよう。路上観察も。


 


か・かた・かたち

2007-08-25 | A 読書日記



 学生の「必読書」といわれる本は何冊かあると思う。それは時代と共に変わるのかもしれないが。


私が学生だったころ、この『代謝建築論 か・かた・かたち』彰国社は何冊かある必読書の一冊だった。たとえ読んでいなくても書棚に並べないと落ち着かない本だった。「か・かた・かたち」という意味のよく分からない言葉を口にする機会も当時はときどきあったように思う。

「INAX REPORT」という季刊誌に「著書の解題」というシリーズがある。 このシリーズはある本をとり上げて著者に当時の時代背景とか、その本を書くに至った経緯などを訊くという企画。今回(2007/7)この本がとり上げられていた。

この本の著者は建築家菊竹清訓さん。菊竹さんは1928年生まれ、79歳。まだ現役で仕事をしておられる。

手元にあるこの本を繰ると、ところどころにサイドラインが引いてあったり、書き込みがしてあったりするから、昔確かに読んだのだろう。内容は覚えていないが設計の方法論について書いた本という括りでいいと思う。

「か・かた・かたち」というキーワードの意味は抽象的なイメージが次第に具体化していくプロセスの主要なステップを象徴的に表現したもの、と解釈しているがそれが正しいのかどうか・・・。

ところで伊東豊雄さんは菊竹さんの事務所のOB、菊竹さんの設計方法などについてこの季刊誌に「再読『代謝建築論』」を寄稿している。

**建築を設計することの真の面白さを教えてくれたのは菊竹清訓である。**と伊東さんは文章を始めて**菊竹の日本は研ぎすまされた理性から生ずるのではなく、もっと身体の総体から生じている。意識的というより無意識的であり、視覚的というより嗅覚的、触覚的である。(中略)自然と直結した日本人の生活がつくり出した身体感覚が、そのまま空間に置き換えられたかのように感じられる。(中略)そしてこのように身体全体に訴えかける空間の具体性こそが、モダニズムの先に我々が探し求めるものなのである。**と書いている。

空間の具体性」。建築構成要素を極力少なくして、線の細さや面の薄さを徹底して物質性(つまり物としての具体性)を排除して「空間の抽象性」を求めていた伊東さんの転向。ここにもそれが書かれている。

先日「森高羊低」なアジア人、と書いた。抽象性より具体性を求める、好むアジア人、日本人。だからアジア、日本で建築設計をする場合にはその方が上手くいくのではないか。そう、「白」即ち抽象性より「赤」具体性なのだ。

伊東さんの事務所のOG妹島さんが、抽象性が好まれるヨーロッパで活躍しはじめたということも頷ける。彼女は「白」の建築を志向しているようだから。





『代謝建築論』再読、いまのところその予定はない。