■ ドーダとは、自己愛に源を発するすべての表現行為である。
鹿島茂さんは東海林さだおさんがとり上げた「ドーダ、おれってスゴイだろ」をこのように定義した。さらに陽ドーダ、陰ドーダ、内ドーダ、外ドーダとドーダを細かく規定している。
**西郷隆盛の生涯をドーダの観点から追っていく場合、その最大の謎はやはり、江戸城開城を境にして起きた、「陽ドーダ」から「陰ドーダ」への転換である。この転換はいかにして起こったのか、しばらくはこの謎に迫りたい。** と、こんな調子で書き進んではいるが内容は真面目な論考。水戸学や西郷隆盛、中江兆民などの近代思想をドーダ理論によって解き明かす。
私にはこの本でとり上げられている「近代思想史」なるものに関する知識が全く無い。
陽ドーダ、内ドーダなどドーダ包丁を使い分けて近代思想史という食材を上手くいや美味く料理してもらっても、それが美味いのかどうなのか充分味わうことができなかった。これは料理人の問題では決してない。私のプアーな食生活に起因する問題。
東海林さんはお遊び、というか軽い「のり」でドーダをとり上げたことは『もっとコロッケな日本語を』という意味不明なタイトルの本(文春文庫)を読めば分かる。
『ドーダの近代史』朝日新聞社『もっとコロッケな日本語を』文春文庫
ドーダってこのマンガのように自慢する態度、ただそれだけのことだと思うのだが、惚れこんでしまうと過大に評価してしまう傾向がどうしてもあって、鹿島さんはドーダによって近代史を論じてしまった。
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この本は西郷ドンのファンや中江兆民がルソーから受けた影響といったことについて基礎知識がある方にはお薦めです。鹿島シェフの高級料理を味わってみて下さい。私は「コロッケ」、庶民の味で充分満足です。