■ ようやく読み終えた。『大好きな本 川上弘美書評集』文春文庫。
読売新聞と朝日新聞に書いた書評と文庫本や全集の解説文、全144編。
建築のごく初期のスケッチでは模糊として定まらない形を何回も何回もフリーハンドの線を重ねて描く。輪郭のはっきりしない空間は決定的な実線ではなく、破線で表現する。
川上弘美は、この建築の初期のスケッチのような世界を独特の文体で綴る。あわあわ、ゆるゆる、ふわふわ・・・。川上弘美の描く曖昧な世界はこのように形容される。
書評も同様。断定しない。
**いろっぽいのだ。洗練されたいろっぽさ、と言ってしまってもいいのかもしれないけれど、なんだかそれは違う。いろっぽさは、いつだって野蛮と紙一重だ。**
**人を好きになるって、いったいどういうことなんだろう。人を恋うこと。愛すること。何回も、それらの芯の部分を「つかまえた」と思うのに、しばらくたつと、まるで手品師が客の手に持たせたリンゴをいつの間にか鳩に変えてしまったときのように、それは変化してしまう。
それならば変化すること自体が愛するということなのかもしれない、とも思うのだが、やはりどうにもわからない。**
堀江敏幸の『おぱらばん』の書評はこうだ。**いっけん現実、に見える都市の景の中に、いっけん非現実、である映画や小説や絵画の断片がはめこまれることによって、現実と非現実の境目は、なめらかに糊付けされる。(中略)結果、現実も非現実もないまぜになった奥の深い空間が、目のまえにたちあらわれるのである。**
このまま川上弘美の小説『真鶴』の優れた書評になる。小説を自分の好きな世界に引き込んで読む。誰でもそうなのかもしれない・・・。
路上観察 朝日村役場庁舎
■ 長野県内に、いや全国に戦前に建設された現役の役場庁舎ってどのくらいあるだろう。数は分からないがもうそれ程多くはないだろう。
朝日村の役場庁舎は昭和11(1936)年に建設された。木造2階建て。両側に増築されているが、建設当初のファサード(正面外観)は左右対称だった。玄関ポーチに少し装飾的な要素があるが、実用性に徹した簡素で地味なデザインだ。アースカラーの外壁とそれを上下に分ける幅広の帯。
玄関ポーチは当初、陸(ろく)屋根だったことが奥の縦樋の様子から分かる。外壁に掛けられた木製の館名板は建設当初のものかもしれない。
朝日村役場庁舎、「松本平の近代遺産」。