063 火の見櫓のある風景 清々しい朝 松本市岡田にて
064 火の見櫓のある風景 実りの秋 松本市波田にて
■ 「花」という対象に対する視点、アプローチの方法はさまざまだ。画家と植物学者とでは全く異なる。画家は自身の美的感性によってひたすら花から「美」を抽出しようとする。一方植物学者は知的好奇心に根ざした分析的な視点で、例えば花の構造を把握しようと仔細観察する。
対象を火の見櫓に変えても同じこと。火の見櫓のある空間の雰囲気、風景を捉えようと観察する人や、ぐっと火の見櫓に近づいてその構成要素、パーツを分析的に観ようとする人もいる。遠景に関心を寄せる人も近景に関心を寄せる人もいる、と言い換えてもいい。
言いたいのはどちらが優れているか、ということではない。対象に対する視点やアプローチの方法は人それぞれでいい、ということだ。
ところで、木を見て森を見ないとか、医者は病気を診て人を観ないというようなことが言われる。この批判めいた指摘は複視的に部分だけでなく全体もみるべき、ということだ。
趣味で火の見櫓を観察しているのだから、このような指摘など気にすることはない。前述したように、人それぞれでいい。でも私は火の見櫓を先に挙げたふたつの視点で観察したい。
時には火の見櫓のある風景の郷愁を、時にはものとしての成り立ち、システムを。