秋のフォトアルバム 松本 111106
「とにかく君は、こんな記憶の断片を気紛れに抱え込んでおくべきじゃないと思う」
「記憶の断片?」
その言葉だけを拾い出し、そのまま繰り返した。
「余白の愛」 小川洋子
秋のフォトアルバム 松本 111106
「とにかく君は、こんな記憶の断片を気紛れに抱え込んでおくべきじゃないと思う」
「記憶の断片?」
その言葉だけを拾い出し、そのまま繰り返した。
「余白の愛」 小川洋子
■ 安曇野では道祖神に並べて二十三夜塔を祀ってあることが多いです。二十三夜塔は道祖神より大きな石のことが多く、目立ちます。この道祖神と二十三夜塔は池田町正科のユニークな火の見櫓の近くの路傍に祀られています。
十六、十七、十八、・・・二十一、二十二、二十三、二十六などの月齢に応じた月待塔が建てられたということですが、安曇野では二十三夜塔が最も多いとのことです。資料(*)によると、月は勢至菩薩の化身と信じられていたそうで、二十三夜塔は勢至菩薩を本尊として祀られたことから最も広まったのだそうです。
昭和の初期までは二十三夜講がそれぞれの地区で行われていたそうですが、今は行われていないので、二十三夜塔って何?ということになるんですね。私も資料(*)を読むまではよく知りませんでした。
道祖神のことだけでなく、月を愛で、月を祈りの対象にしてきた昔の人たちが残した二十三夜塔などの文化財のことも載せたいと思います。
*『安曇野 道祖の神と石神様たち』西川久寿男/穂高神社
**菩薩とは菩提薩埵(ぼだいさつた)の略。菩提は悟り、薩埵は衆生(この世のすべての生き物)を示し、菩薩は悟りを求めて修行している仏のことをいう。自ら修行しつつ、人びとを救済する役割を果たす。**と雑誌「一個人 №109」の仏像特集記事に出ています。
212 旧穂高町耳塚の火の見櫓 道路沿いに消防団詰所と仲良く並んで立っている。
見張り台の半鐘は取り外され、替わりにスピーカーが取り付けてある。屋根の上の矢羽根はどこへ向けてあるのだろう・・・。
道路にはみ出さないように円形の踊り場を一部カットしている。これは珍しい。
背の高い火の見櫓だが、脚部が心もとない。