透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

― 消えゆく火の見櫓

2012-06-29 | A 火の見櫓っておもしろい





♪ 悲しくて 悲しくて とてもやりきれない 

ザ・フォーク・クルセダーズのこのヒット曲が浮かぶあなたは結構なお年、ですよね。(^^ゞ  松本市に隣接する山形村では現在、火の見櫓解体撤去大作戦が進行中のようで・・・。(`´)

姿形が東京タワーに似ていて好きだった火の見櫓がなんとも悲しい姿に。聞けば一昨日(27日)に解体・撤去したそうだ。分団詰所の2階とつながっていた踊り場から下の部分は残してあるが(上の写真)、東屋に転用するらしい。まあ、完全に無くなってしまうよりはマシかもしれない。

フラットなスラブの上にとんがり屋根を載せる計画らしいが、さて、どんな姿になるのだろう・・・。


ありし日の火の見櫓


 


安曇野市豊科の道祖神

2012-06-29 | B 石神・石仏



 前々稿で取り上げた安曇野市豊科下鳥羽本郷の火の見櫓のすぐ近くに祀られている双体道祖神。男神が盃を、女神が酒器を持つ、よく見かけるデザイン。石質は安曇野に比較的多いと思われる花崗岩。唐破風様の祠、菊の紋。

正面向かって左側の刻字は不鮮明ではないが、年号が分からない。道祖神の多くは江戸末期の建立だから、これもその頃ではないかと思うが・・・。左側面の刻字は下鳥羽本郷と読める。

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道祖神を見るときは古事記の神話を思い出さなければならない。ここで復習。伊邪那岐神(男神)と伊邪那美神(女神)夫婦の神話。

前段省略。黄泉国から逃げ帰る男神が、追いかけてくる女神を見て、千人がかりでやっと動かすことができるくらい大きな岩で黄泉の国の入り口の坂(黄泉の国と葦原の中つ国との境)を塞いでしまった。

黄泉の坂を塞いだ岩は、悪霊を追い返したということでのちに道返之大神とも、(塞座)黄泉戸大神とも言われる。これが道祖神(塞神)の原型だという説。同じ古事記に出てくる猿田彦(猿田毘古)という道案内の神様に原型を求める説もあるが、道祖神の意味からすれば、前者の方が分かりやすい説だと思う。あの柳田國男は確か、後者を唱えていたと思うが・・・。

今年は古事記編纂から1300年にあたるそうだから、道祖神のルーツは遥か昔にある。