透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

友だちっていいな

2012-06-27 | A あれこれ

 今朝(27日)、車通勤の途中でE君とすれ違った。どちらからともなく手を挙げた。「やあ」「おはよう」「元気?」 こんな挨拶のつもりだった。

E君とは小学校に入学したとき同じクラスになって以来の友だちだ。その後何回かクラス替えがあったが、中学を卒業するまでずっと同じクラスだった。9年間同じクラスだったという同級生は他に2人、計3人いる。

年に数回中学2、3年の時の同級生10人くらいで飲む機会があるが、僕も含め4人とも参加している。他の同級生とは小学校が違っていて中学のときはじめて出会った。

その中の「女子」は僕たち「男子」をいまだに名前にくんをつけて呼ぶ。この歳になってU1くん、と呼ばれると懐かしいというか、うれしいというか、すぐったいような気持ちになる。何年か前に京都へ2回目の修学旅行をしたのもこの同級生たちとだった。気の置けない友だちっていいな(今ではこの言葉を本来の意味と逆に理解している人の方が多いとか)。

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先日、東日本大震災、福島原発の事故で避難している人の孤独死のことをラジオで聞いた。なんとも気の毒だ。こんなニュースを聞くにつけ、上述のような遠い記憶を共有している友だちが近くにいることを嬉しく、幸せに思う。

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今度、E君と車ですれ違ったら、ビールを飲むしぐさをしてみよう。付き合いが長いから意味が通じるかもしれない。とっさにOKサインを返すのは無理かもしれないが・・・。


 


269 転用

2012-06-27 | A 火の見櫓っておもしろい

 
269  安曇野市豊科下鳥羽本郷の火の見櫓

■ のぶさんのブログに載っている写真の妙に長い半鐘が気になって見に行って来た。なるほど確かに長い半鐘が吊り下げられている。

どうやらボンベを転用したようだ。吊り元の様子を見るとホースを接続するためではないかと思われる突起状の箇所がある。



また、下端は切断したとしか考えられない様子だ。元々あった半鐘の代わりだと思う。では一体はじめから吊るされていた半鐘はどうしたのだろう・・・。戦後に造られた火の見櫓だから戦争に供出した、ということはないはずだ。はじめからこの「半鐘」ではないと思うが・・・。

それにこの「半鐘」を叩くとどんな音がするのだろう・・・。





取り付けられている銘板からこの火の見櫓が昭和35(1960)年に建設されたことがわかる。高山造機は住所から現在の高山鉄工所だと思われる。



梯子を櫓の外に設置し、見張り台の手すりを変形させて昇降できるようにしている。当初は櫓の中に梯子が設置してあったのではないかと、3角形の開口を塞いだような見張り台の床の構成を見て思った。

でも、櫓の内部に梯子を設置するには大きさ、スペースが足りないようだ。だから、はじめから今のような状態だったのかもしれない・・・。