塩尻市上西条の庚申塔と道祖神
庚申塔は大正9年(庚申の年)の建立。道祖神は右側面に建立年が彫り込んであったが読みとれなかった。
庚申塔の手前の線香立ては黒御影石を加工したもの。後年設置されたのだろう。三猿を三尸になぞらえている。眼や耳や口をふさいでいるので悪事が見えない、聞こえない、天帝に報告できない。
塩尻市上西条の庚申塔と道祖神
庚申塔は大正9年(庚申の年)の建立。道祖神は右側面に建立年が彫り込んであったが読みとれなかった。
庚申塔の手前の線香立ては黒御影石を加工したもの。後年設置されたのだろう。三猿を三尸になぞらえている。眼や耳や口をふさいでいるので悪事が見えない、聞こえない、天帝に報告できない。
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上西条 松原区公民館の敷地に立っている簡素な火の見櫓です。
見張り台の床にエキスパンドメタルが使われています。手すりは平鋼を付けただけの簡素なもの。
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JRのみどり湖駅のすぐ近くに立っている火の見櫓?
■ よく見かける火の見櫓とは印象が違います。これは別の用途(例えば送電鉄塔とか無線アンテナ用鉄塔とか)の鉄塔を櫓に転用したのではないか、と推察します。いやこれはそもそも火の見櫓ではなくて、防災無線鉄塔なのかもしれません。
半鐘があれば間違いなしですが、半鐘を撤去してスピーカーを替わりに設置した火の見櫓もあるので判断というか区別がつかないのです。でもまあ、同類ということで挙げておきます。
既に書いたように(過去ログ)これは認識論に関わる問題です。
本来、機能によってものが何であるのかを認識すべきところを、外観、つまり見た目によって判断・認識してしまうという問題です。 例えば使わなくなったバスを公園の隅に停めて、そこでカフェを始めたとしましょう。 近くを通りがかった人はカフェではなくバスと認識するでしょう。仮に中でカフェをしていることが分かったあとでも「バスでカフェをしている」という認識になるでしょう。
火の見櫓から半鐘がとり外され、防災無線用スピーカーが設置された時から、火の見櫓ではなく、防災無線塔なのです。にもかかわらず火の見櫓だと認識してしまう・・・。同様に上の写真を見た時、火の見櫓だと認識してもあながち×だとはいえないでしょう。
火の見櫓とは何か 再定義が必要なのかもしれません。
本稿では前稿に挙げた火の見櫓観察ポイントのうち、
3 火の見櫓を構成する各部の様子
30 屋根の飾り(避雷針と飾り、蕨手、その他)に注目してみます。
①
屋根のてっぺんには避雷針が付けられています。その避雷針に飾りが付けられていることが多いです。飾りのデザインは様々です。①はハイテクな印象の飾りで、なかなか凝っています。
②
この屋根飾りはあっさりしていますが、まあこのくらいが普通かもしれません。下り棟の先(立体図形の言葉で言えば、稜の下端)に例の「くるりんちょ」、蕨手(わらびて)が無いのでなんだか落ち着きません。
③
これは①とはデザインが違います。①は平鋼を曲げ加工した飾りですが、こちら③は丸鋼を使っています。蕨手も同材でしょう。このように同じ材料が使われていると屋根の飾りに統一感が出ます。私はこのタイプが好きです。
このデザインの要素を増やさないということに関しては ミース・ファン・デル・ローエという建築家の巨匠が唱えた「Less is More」という美意識に通じるものがあるかもしれません。いや、ミースはこのような装飾には否定的でした。ロバート・ベンチューリがミースの言葉に異を唱えた「Less is Bore」という美意識と解すべきかもしれません。
火の見櫓観察はまだまだ続きます。