「人と人との関わり以外にこの世を生きてゆく術(すべ)はありません」
■ NHKのラジオ深夜便に「明日へのことば」という早朝4時台のコーナーがある。今朝(27日)、このコーナーで北海道在住の作家・小檜山 博さんの「明日へのことば 講演会」を聴いた。深夜便の集いが全国各地で開催されていて、会場に集うリスナーに番組担当のアンカーふたりのトークと講演会がセットで行われているが、その時の様子が放送されたのだった。
講演の中では次のようなことが語られた。
貧しい家庭だったそうで、クラスで映画「ああ無常」を観に行くことになった時、映画代が無くて仮病を使って行かなかったこと。中学の担任が親を3回も説得してくれてようやく高校に進学することができたこと。その後、母親から学校をやめてくれと懇願されたこと。学費など未納で自分だけ卒業式の時、卒業証書をもらえなかったこと。その後、父親が未納金を支払うまで寄宿舎に居残っていた時には自分の食事は用意されていなかったが、後輩たちが自分たちのごはんを分け、鍋の底に残った味噌汁をもらって部屋まで運んでくれたこと。
作家になった後、東京の出版社から長編を書かないかと電話で打診があったが、打合せのために上京する費用がなかった。その時、同級生に10万円借りた。この同級生は任侠心が強く、同級生の喧嘩の助太刀をするなどのトラブルで11回も退学処分を受けそうになったが、その都度、担任が助けてくれたそうだ。「彼を退学させるなら私も教師を辞める」と職員会議で土下座したこともあったという。
東京の出版社から仕事を得て、工面して借りたお金を返そうとその同級生を飲み屋に呼び出したところ、奥さん同伴で来た彼はお金を返してもらうつもりはなかったと言い、その場で奥さんに3万円渡し、自分も3万円受け取り、残り4万円を受け取らなかったそうだ。その時の「困ったときはお互い様」という言葉を小檜山さんは座右の銘にしているそうだ。31歳の時に建設会社を興して成功したという彼は、退職した担任夫婦を海外旅行に招待していたという。
他にも高校の時、遠い親戚先に寄宿していたが、遠慮していて食事を満足に食べなかったことがあり、17キロの道を歩いて実家に食事をしに夜中に帰ったところ、母親にこっぴどく叱られたことなども語っていた。
小檜山さんは以上のような経験をして、冒頭のことを実感したのだろう。要するに世の中、独りでは生きてゆくことができないということなのだが、ラジオでこの講演を聴いていて、確かにそうだなぁと、しみじみ思った。
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