■ 住宅の設計を生業としている人でも、渡辺武信という建築家の名前を聞いてピンとくる人は今や少ないのでは。だが、この建築家の名前を知らないという人でもバーナード・ルドフスキーの『建築家なしの建築』という書名はたぶん知っているだろう。渡辺さんはこの有名な、そう設計者必携の本(と私は思っている)の訳者でもある。
渡辺さんの著書、『住まい方の思想』中公新書の終章の「防御性と壁」に以下のような記述がある。
**ぼくは設計する時に壁の存在を強く意識する。(中略)心理的な意味まで含めて、住む人を外界から守る役割を一番大きく担っている要素は壁であるからだ。だからぼくは、部屋の少なくても一面の壁はひと続きの壁らしい壁にして、そこに心理的な堅固さの根拠を置きたくなる。ところが、家の中心となる居間などでは、他の部屋からのつながりや陽当たり、通風などを考えると、壁が四面とも穴だらけになり、いわゆるホール型の落ち着きのない部屋になりやすい。これはぼくが設計にあたって最も警戒することの一つである。**(213頁 下線は私)
ここで渡辺さんが述べていることは次のような例を挙げると理解しやすいかもしれない。
不幸にして大きな災害に遭って、例えば体育館に避難することになったとき、人はその中央にいきなり場所取りをするだろうか、答えは否であろう。やはり壁際、できれば2面壁の入隅を占めるのではないだろうか。そのような場所が落ち着くことを人は経験的にか本能的にかは分からないが知っている。登山やキャンプでテントの中で過ごしたことのある人なら、あの小さな空間に包まれることの安心感や独特の心地良さを知っているだろう。
小さな子どもたちが狭い空間を好むのは子宮回帰願望のあらわれ、という指摘もある。繭化現象と訳されるコクーニングについて、人は心地良く、寛げる空間を志向することを指している、と私は理解してる。
建築雑誌に紹介される住宅の内部の写真や平面図を見ると、居間の4面の壁に穴が開いているどころか、壁が無くて隣の部屋につながっているものや廊下にまでつながっているもの、そう、渡辺さんが警戒している落ち着きのない居間が圧倒的多いことが分かる。しかも建具で他の部屋や廊下と仕切ることができるようにもなっていない場合も少なくない。居間が吹き抜けになっていて2階の廊下や部屋にまでつながっている計画も多い。変化に富んだ空間は魅力的ではあるけれど、これって居間の望ましいというか好ましい姿なのかな。
このような住宅に暮らすお父さんは、通り抜けの動線があり、吹き抜けの居間で夜中にウィスキーをちびちびやりながら、好きな洋画を寛いでゆったりと楽しむことができるのだろうか、それも部屋全体を一律に明るくするような照明をつけたままで?