繰り返しの美学 特急あずさの車内(100626撮影)
■ 先月末東京した際、車両の後部座席に座った。椅子が「整然」と並んでいる様子は気持ちがいい。カメラを前方に向けた。
繰り返しの美学を鉄道に求めてみるのも楽しいかもしれない。いろいろ見つかりそうだ。1899
繰り返しの美学 特急あずさの車内(100626撮影)
■ 先月末東京した際、車両の後部座席に座った。椅子が「整然」と並んでいる様子は気持ちがいい。カメラを前方に向けた。
繰り返しの美学を鉄道に求めてみるのも楽しいかもしれない。いろいろ見つかりそうだ。1899
091107撮影
■ 三菱一号館と丸の内パークビルディング(タワー棟とアネックス棟)とで囲まれた中庭。ここには四季を通じて楽しめるように何種類もの樹木や草花が植えられている。そして中央にはヘンリー・ムーアのブロンズ像「腰かける女」が据えられている。
ムーアは女性を抽象化した彫刻をいくつも創ったが、それらは、パブリック・アートに相応しいデザインだ。この彫刻も中庭の雰囲気にぴったり。
早朝に訪れたので誰もいなかったが、昼休みや夕方には大勢の人たちがここで寛いでいるに違いない。都心にはこのような緑のポケット・パークが少ないように思うがどうだろう。
もしこのスペースが上のようにパブリックな緑の空間だったとしたら集客効果抜群だっただろうに・・・。敷地いっぱいに建物を建てて外に対して閉じてしまっているのはなんとも残念だ。1897
松本市笹賀今村にて
■ 道祖神の横に「塞の神として、災いが村へ入らぬように祈ったり、縁結びの神としても信仰された」と説明する標柱が立っている。寛政元年(1789年)の建立、古い部類だろう。
■ NHKのラジオ深夜便で黒川紀章の文化講演会「伝統と未来」の後半を聴いた(深夜便アーカイブス:昭和62年3月22日放送から)。たまたま先週前半を聴いたので後半も聴かなくてはと、前日寝不足だったが起きていた。
「侘数寄」から「花数寄」へ。「わび、さび」という日本の伝統的な美意識の再解釈、再定義。
簡素と華麗、無飾と装飾というような両義性にこそ日本の伝統的な美があると黒川さんは唱える。谷崎の「陰翳礼讃」も闇と光の両義的な美の礼讃と理解すべきだという。薄暗い部屋の中でこそ映える蒔絵された漆器の美。
相反するふたつのものを「共生」させるという日本の伝統的な美学。現代建築や都市の計画でこの美学を実践し続けてきたという話の流れ。
黒川さんの講演は論理的で分かりやすく、なかなか興味深かった。
*****
日本の伝統的な住まいにある縁側、縁空間から発想した中間体、中間領域。この内でもあり、外でもあるという両義的な空間の魅力を現代建築(例えば福岡銀行本店のアーバンルーフ)で具現化した。
都市も建築も生物のように新陳代謝すべきというメタボリズムの理念を中銀カプセルタワーという具体的な建築で示した。
私は黒川さんの建築には槇さんや谷口さんの建築程の美を感じない。でも、共生の思想を具現化した建築は説得力をもって迫ってくるし、実に魅力的だ。やはりデザインには理由が、そしてその背景に思想がなければならないのだ。
■ 洋風住宅の屋根。棟の塔屋には白いガラリがついています。小屋裏換気用でしょうか。やはりとんがり屋根のてっぺんの飾りは風見鶏が定番のようです。
033 松本市城西
■ 松本市の消防団には分団が43ある。これは第2分団の詰所(写真に写っている建物)の脇にある消火ホース乾燥塔(本来のものとは違うが便宜的に同類として扱う)。
テレビアンテナが設置され、ホースを干すような仕掛けが設置されている(柱の裏側で見えないが)、それと作業台(?)の床に見えるのはサイレンだろうか。消防サイレンは赤いというイメージからすれば、違うかもしれない。テレビアンテナを設置してあるのを見たのは初めて。
この消火ホース乾燥塔には床のハッチを押し上げて上るのだろう。上るのが怖そうだ。下りるときはもっと怖いはず。ステップが床の上まで付いていれば少しは上り下りしやすくなると思うのだが・・・。
① 群馬県水上町(当時)平出にて 791018撮影
両妻をかぶと造りにした寄棟の民家、「くれぐし」はめずらしい。
民家 昔の記録←過去ログ
② 茅野市内の畑に造られた茶室、高過庵 060804撮影
③
■ 雑誌の表紙に注目。屋根のてっぺんに咲くショウブと柱の先端に設えた茶室。
「建築士」の今年の5月号の表紙は①と同じ「くれぐし」。くれとは土塊のこと、ぐしとは棟のこと。従って、くれぐしとは土を載せた棟という意味。茅葺屋根の棟仕舞で、棟に土を載せ、その土が雨で流されないように芝を植えるので芝棟ともいう。芝の他にユリや③のようにショウブを植える場合もある。植物の根が棟を固める。
この雑誌はこのところ安藤邦廣さん(筑波大教授)撮影の民家の写真を表紙に載せている。民家好きにはたまらない。
「TOTO通信」(TOTOのPR誌)の夏号の表紙は藤森照信さん設計の入川亭。台湾に造られた茶室。ついに藤森建築が海外にできた。5本の太い竹が茶室を支えている。高さ7m。地震、大丈夫かな。雑誌には工事の様子が詳しく紹介されている。
先端のデザインもいろいろだ。
■ 雨の日曜日。こんな日は自室で静かに本を読むのがいい。窓を開けていると涼しい風が入ってくる。スズメが盛んに鳴いている。
『ルリボシカミキリの青』福岡伸一/文藝春秋を読む。なかなか魅力的なタイトルだ。この本は「週刊文春」に連載中のコラムの70回ぶんほどを再構成・再編集し、手を加えたものだと著者がエピローグに書いている。内容は盛りだくさん。
建築家の伊東豊雄や作家の川上弘美、じゃなかった川上未映子も登場する。松本清張の作品も『1Q84』も取り上げられている。
伊東豊雄には**少年の心は、虫とか魚とか恐竜とかそんなウェットなものの方に惹かれるか、あるいは鉄道とかロボットとか銃とか、そんなメカニックなものの方に惹かれるか、かなり早期のうちに分化してしまうような気がするんです。(中略)建築家というのは一見、メカニックなものの方に惹かれた人のように思われていますが、実は最初はウェットなものの方に憧れた人のような気がするんです。**と問いかけ、
**(前略)トンボのヤゴが岸辺に一斉に上がってくるんです。それを一生懸命、捕まえて家に持って帰って、容れ物に放すのです。枝や草を入れて。するとヤゴたちは明け方、それに登り、しっかり掴まったあと、ゆっくり羽化を始めるのです。(中略)今でも思うのです。あんな建築が作れたらどんなにすばらしいだろうと。**という答えを得ている。(注:建築は「作る」より「造る」のほうが相応しいと思うが)
松本清張の『影の地帯』の死体処理の方法、死体をパラフィン漬けにして自動鉋で削るというのは実際には無理だと指摘している。この推理小説を読んだときは、なるほど!と思ったのだが・・・。
さて、このコラム集を読んで一番の収穫はルネ・デュポス(←過去ログ)が30年前に提唱したという、Think globally,act locally. という標語を知ったこと。これは最近建築の世界で唱えられている、近代建築に対する反省にも通じる。
読書の成果を欲張ってはいけない。何かひとつ掴めばいい。
龍馬伝を観たから、寝る。