透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

季刊誌「考える人」 村上春樹ロングインタビュー

2010-07-11 | A 読書日記


 新潮社の季刊誌『考える人』夏号には「村上春樹ロングインタビュー」が掲載されている。80ページにも及ぶまさにロングインタビュー特集。

―― 三日間、ほんとうにありがとうございました。こんなに話していただいて、村上さんの小説家としての姿勢やお考えについて、深いところまでさまざまに腑に落ちた三日間でした。
村上 大変だったね。さすがに疲れたな。
―― ありがとうございました。

雑誌の表紙にはインタビューが行われた箱根の古いホテルの階段を上ってくる村上春樹が、そして特集記事の最後のページにはその階段を下りていく村上春樹の後ろ姿が写っている。インタビューの始まりと終わりのビジュアルな表現。

インタビューは『1Q84』のBOOK4の可能性についても触れている。

『1Q84』のBOOK4なりBOOK0なりがあるかどうかは、いまは僕にも何とも言えない。ただ、いまの段階で言えるのは、あの前にも物語はあるし、あのあとにも物語があるということです。(後略)

村上春樹は答えて、続篇の可能性を否定していない。今年の5月に箱根で3日間にわたって行われたインタビューは興味深い、春樹ファン必読。

他には「生物と無生物のあいだ」の福岡伸一と「日本辺境論」の内田樹(たつる)の対談が収録されている。

普段、雑誌は立ち読みで済ませているが充実の本誌は購入して読んだ(本稿中、敬称略)。

032 どうして?

2010-07-10 | A 火の見櫓っておもしろい


032  松本市梓川 撮影日100710

 円錐形の屋根、頂部に矢羽根の飾り、円い見張り台。特にこれといった特徴の無い火の見櫓だが・・・。

脚元に目をやってびっくり。脚が地中に埋まっている。どうして? 理由が分からない。最初から埋められていたわけではもちろんないだろう。一体この火の見櫓に何があったんだろう・・・。後に埋土をしたわけでもない。他の場所から移設したとしてもこんなことにはならない・・・。



どうして? 理由が分からない。
 


 


030 031 火の見櫓と道祖神

2010-07-10 | A 火の見櫓っておもしろい

 
030 松本市梓川(旧梓川村)

 
031 松本市安曇(旧安曇村)

 火の見櫓も道祖神も集落の辻に立ち、人びとの暮らしを見守ってきた。火の見櫓の直下に道祖神があることも少なくない。いや、道祖神は江戸の後期に盛んにつくられ、火の見櫓は昭和30年代前半につくられたものが多いから、時系列的には逆で、道祖神のあるところに火の見櫓が立っていることも少なくないと書くべきか。

前稿に載せた道祖神が火の見櫓の脚元に写っている(写真上)。下の写真の道祖神は残念ながら摩耗していて顔の表情は全く分からない。この道祖神も御影石に彫られている。抱肩握手像が納められているのは省略された社形か。

集落の歴史や文化、構造を読み解いていけば道祖神や火の見櫓の立つ場所の意味というか、必然性が見えてくるかもしれない。人びとが恣意的に場所を選んだとは到底考えられないから・・・。
 


 



 


路上観察 松本市梓川の道祖神

2010-07-10 | B 石神・石仏


松本市梓川にて

抱肩握手像。お互い相手の肩に手をかけ、男神が女神の手をしっかり握っている。双神、安らいだ表情の顔をぴったりとくっつけている。

梓川では花崗岩に彫られた道祖神を何体か見かけているが、いずれも像が摩滅しているのは石質に因るのか。この像は比較的状態が良い。


路上観察 山形村の道祖神

2010-07-09 | B 石神・石仏

山形村下大池にて 100704

 平成の道祖神。跪座祝言像を線刻していると思われるが細部まで表現されていないので、男神が盃を持っているのか、女神が提子を持っているのかは分からない。やはり馴染みの面的に彫り込んで立体的に表現した道祖神の方が好きだ(下)。


松本市梓川にて 貴族スタイルの跪座祝言像 石の形が良い。

火の見櫓は遠くからでも目につくが、道祖神の所在は遠くからでは分からず、観察する機会は少ない。でも見つけたらこれからも観察を続けたい。

線刻道祖神は珍しいと思うがどうだろう・・・。

風見鶏

2010-07-07 | A あれこれ


長野県朝日村にて 100707

 方形(ほうぎょう、四角錘の形)の屋根の頂部、てっぺんには何か飾りたいという心理がはたらくのでしょう。棟包みで納めてオシマイ、ということにはならないケースも多々あるようで、この建物の屋根には風見鶏と風速計が設置されています。

屋根のてっぺんの風見鶏というと例えば神戸や横浜、函館などの洋館が似合いそうですが、山里の村の建物にはちょっと不似合いのような気がします。では、他に何がある? と問われても答えに窮しますが。

もっともこの建物は農作物の苗を育てるJAの温室の付属施設ですから、単なる飾りではなく風見鶏も風速計も苗の管理上必要なものだと思います。

それにしてもなぜ風見「鶏」なんでしょう・・・。きっと理由があるのでしょうね。

支柱をどのように納めてあるのかこの写真ではよく分かりません。屋根下地に固定してあるのなら、雨仕舞が気になりますが、もう何年も経過しているようですからその点は問題ないのでしょう。

「てっぺん」や「はしっこ」のデザインにはこれからも注目です。


塔の先端

2010-07-07 | A あれこれ





 上は先日取り上げた東京国立近代美術館工芸館の塔、下は松本市内の建築の塔。下の塔は機能上必要なものなのか、設計者がこの建築には塔が必要だと考えただけなのかは分からない。

工芸館の塔は上へ上へ、上方志向のデザイン。一方下の塔はシンボリックなデザインだが、頂部の屋根の勾配が緩やかで上方志向は感じられない。

避雷針が立てられているのは建築基準法第33条に「高さ20mをこえる建築物には、有効に避雷設備を設けなければならない(ただし書き省略)。」という規定があるから。

ふたつの塔の印象は随分違う。塔は建物全体のデザインとの整合が図られていなくてはならない。設計者が恣意的にデザインしてもバランスを欠くことになる。その意味でふたつの塔のデザインは好ましい。

塔に限らない、部分のデザインは常に全体のデザインとの整合性を意識しなくてはならない。


― 先端の飾り

2010-07-04 | A 火の見櫓っておもしろい



 松本市梓川で見かけた火の見櫓の屋根の頂部の飾り。やはり棒状の避雷針だけでは物足りないと思ったのだろう。制作者は焼き鳥かだんごでも食べながらそこに何か飾りたいと思ったのかもしれない。その気持ちがよく分かる。

矢羽根に加えて楕円をふたつ組み合わせた形の飾り、さらにその上に三日月状の飾りを付け、先端を尖らせている。この部分は鳥が急上昇しているようにも見える。

屋根の先端は制作者が火の見櫓のシビアな条件とは関係なく「遊ぶ」ことのできる唯一の部位なのかも知れない。


 


029 これは何だろう・・・

2010-07-04 | A 火の見櫓っておもしろい


安曇野市三郷 撮影日100704

 木の柱に厚い木の板が吊るされている。これは何だろう・・・。隣には消火栓と消火ホースの収納ボックス、そして消火栓の表示板が立っている。状況から、この木板も半鐘と同じでは? と思った。

車を少し走らせて、運良く下の火の見櫓を見つけた。ここにも半鐘の下に木板が吊るされている!  半鐘と木板、共に叩いている(いた)のだろう。どんなときに板を叩いている(いた)のかは不明だが、使いわけのルールがあるのだろう。こんな火の見櫓、初めてみた。

 
029 安曇野市三郷 撮影日100704

やはり上の写真は半鐘代わりに叩いている(いた)木板に違いない。これも火の見櫓と見做していいだろう。

この木板で連想するのが魚板(画像検索で確認を)。禅寺で合図に打ち鳴らす文字通り魚の形をした木の板。これが木魚のルーツだとも聞く。魚は眠る時でも目を開いているという。修行する身ならば、心の目を魚のようにいつでも開いているように、という教えに因むのだとか。

寺の広い境内でも魚板を叩く音が聞こえるのであれば、木板を叩いて小さな集落に火災を知らせることもできたのだろう。

追記:その後この板は板木(ばんぎ)といい、地域の集会の合図として何年か前まで叩かれていたことが分かった。カフェ・バロで常連と思しき方からうかがった。感謝。 


 


路上観察 地棟

2010-07-04 | A あれこれ



 通常は上の例のように蔵の地棟の小口には妻飾りが施される。既に書いたことを繰り返すが、水を吸って腐朽しやすい小口を保護するためだ。次第に鏝絵などで飾られるようになり、意匠的な意味合いが強まった。

下の写真は前稿で取り上げた火の見櫓(?)のすぐ近くで見かけた蔵。太鼓落としをした太い丸太の地棟、その小口がむき出しになっている。妻飾りが施されておらず、このように小口がむき出しのものは珍しいのではないか。これはこれで簡素で美しい。飾りの無い素形の美。


松本市梓川にて(100704)  

壁が白くて明るいので露出を補正しないと地棟の小口がはっきり写らない。





「脳と日本人」

2010-07-04 | A 読書日記



■ 茂木健一郎氏と松岡正剛氏の対談となるとやはりテーマは「脳と日本人」。茂木氏は脳科学者だし、松岡氏は日本の伝統文化に関する知識が豊富な方だから。

よく対話はキャッチボールに喩えられるが、このふたりが相手に投げるボールは魔球、速球、変化球でキャッチしにくい。でもふたりはボールを後ろにそらすことなくキャッチして相手に投げ返している。こちらはその様子を傍で見ているという様だが、魔球は途中で消え、変化球は球筋が見えず、速球は全く見えない。ふたりの会話の内容は難しくてあまり理解できなかった。が、読んでいておもしろい指摘だなと思う箇所もあり興味深かった。

**(前略)枯山水の庭をつくった。岩や石、砂があるだけなのに、そこに水の流れや大きな世界を観じようとした。つまり、一番感じたいものを方法論的にそこから抜いたのですね。(後略)** 
と松岡氏。  メモ)ここでは観と感を使い分けているのだろう。

**水を感じたいがゆえに、あえて水をなくしてしまった。不在をもって、かえって存在を際立たせるというのは認知科学的にも理にかなっている。(P118)**と茂木氏が返す。

**(前略)科学主義はいままでの文脈を全部押さえた上で、新しいものを付け加えることに拘泥しがちです。しかし、生命原理を考えれば繰り返しを恐れてはいけないということですね。**と茂木氏。

この発言に**しかも繰り返しはトートロジー(同義反復)じゃないんだよね。何かが時空的にも、意味的にもずれていく。そしてもうひとつは、たとえ形と時代が違っても、意味の読み替えによって繰り返しと解釈できることがいっぱいあるということです。たとえば、ヨーロッパの美術様式は、普通、ロマネスク→ゴシック→ルネサンス→バロックと発展したと考えられていますが、注意深く見ると、一部は完全な繰り返しなのです。**(P203)と松岡氏が返す。

これをうけての茂木氏の発言も興味深いのだが、引用ばかりになるので省略する。

**(前略)科学者も、島田雅彦や川上弘美になるべきなんですよ。迷ってばかりじゃいけません。(後略)**(P93)松岡氏のこの発言は、少し前の**(前略)ぼくは、文学というのは、そもそも断念から始まるんじゃないかと思っています。作家の保坂和志さん、島田雅彦さん、川上弘美さんと親しいのですが、文学者というのは、学者が言う意味でのウィズダムというものから解き放たれた人がいい文章を書いているように思います。**という茂木氏の発言を受けてのことだろう。

まさかふたりの対談に川上弘美さんが出てくるとは思わなかった。  メモ)松岡氏は「千夜千冊」で川上弘美さんの『センセイの鞄』を取り上げているが、あまり切れ味が良くない。松岡氏でも書評しにくいのかな。

相手がどんなボールを投げても受け取って投げ返す、ふたりの守備範囲の広さに拍手。


1868

2010-07-03 | A あれこれ



 歴史年表を駆け足でトレースするように稿を重ねてきた。

710年 奈良時代の始まり。794年 平安遷都。1192年 いいくにつくると鎌倉幕府。鎌倉時代の始まりを1185年とする説もあるようで、昨年訪ねたある小学校の教室の壁に張ってあった歴史年表は1185年になっていた。 


1603年、江戸時代スタート。そして本稿が1868年、時代は江戸から明治へ。これを機にブログの今後の展開についても考えなくては・・・。

一見全く関係がないと思われる事柄がある視点から見ると同じ領域に属するということを示し、遊びたい。「繰り返しの美学」に加えて「先端のデザイン」という視点によって、ものの観察を始めたのもこの意識による。先端のデザインということに注目すれば、おっぱいと五重塔が同じ領域に入るなんて、おもしろいではないか・・・。

しばらく取り上げていないが、「建築に棲む生き物」探しも続けたい。身近な存在の生き物を人は建築に取り入れデザインしてきた。

この三つのテーマを持って街歩きをすれば、結構忙しい。でも楽しい。

「火の見櫓っておもしろい」 火の見櫓を観察すると気が付かなかったことが次第に分かってくる、「あぶりだし」のように。

建築とは何かとの問いにはいろんな答え方ができるだろう。「建築は空間を秩序づける装置」だと私は答える。ハードな意味での建築だが。この意味では傘も建築ということになる。伊東豊雄はまんまくを興味ある建築として挙げている。

「包む」という行為。「建築は人を包む装置」と答えることもできるだろう。「包む」という日常的な行為を視点にすることで、風呂敷も洋服も餃子もそして建築もみんな同じ土俵に上げることができる。そうすれば何かおもしろいことが書けそうだ(なかなか書けないけど・・・)。餃子と建築か・・・。餃子をつくるように建築をつくることはできないだろうか・・・。「餃子構法による仮設建築」なんておもしろい。


 


未練

2010-07-03 | A あれこれ


東京国立近代美術館工芸館にて 100626  
受付で写真撮影の許可を求めると腕に貼るシールを渡されました。

 女ごころの未練でしょう あなた恋しい 北の宿   都はるみが男(元カレ)への断ちきれぬ想いを切々と歌いました。

さて、この照明器具の吊り棒の先端のデザインに注目。水滴のようにふくらませています。先端を潔くスパッと終わらせることをよしとしないデザイナーの想いを感じます。

ヨーロッパ中世のゴシック教会の塔もそうです。上へ上へと伸びていくかのような尖塔は神のまします天上を目ざすという意識を可視化したデザインです。

ものの先端、ものの存在がそこで終わる。

終わらせたいのか、終わらせたくないのか・・・、デザイナーの意識が先端のデザインに表れます。対象を広げれば音楽も然り、映画も然りです。そして恋愛も。

*****

拙ブログ、本稿で1867稿となりました。1867年と読み替えると、この年は坂本龍馬が京都の近江屋で暗殺された年です。そして次稿、1868稿は明治元年。2000年目指して書き続けます。