透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

1282 岐阜県輪之内町の道路またぎ

2021-05-22 | A 火の見櫓っておもしろい


1282 岐阜県安八郡輪之内町大藪 4無44型 撮影日2021.05.22

 岐阜県の輪之内町にも道路またぎがある、ということを2019年の10月に知った。今日(5月22日)意を決して出かけてきた。朝7時30分に自宅を出発、名神高速を岐阜羽島ICで降りて、この火の見櫓の立つ輪之内町大藪に10時45分に到着した。走行距離は223.5kmだった。

カーナビの案内に素直に従って進むと遠くに火の見櫓が見えた。下地らべをしていたので、「あ、あれだ!」と思わず声が出た。



かなり背の高い火の見櫓が道路沿いに立っていた。



柱スパン約5.3m、梁下端の高さ約4.6m。梯子桟の数とそのピッチにより、見張り台の高さは約13.3m、従って総高約16m。これは背の高い火の見櫓。







かつてこの火の見櫓の後ろに消防車庫が建っていたようだ。道路側についている「輪之内町消防団 第一分団車庫」という切文字がそのことを示している。消防自動車はこの火の見櫓をくぐって出動していたのだ。今から10年以上前に、車庫が移転してこのような状況になったというわけ。道路ではないが敷地内通路と見なしてよいのではないか。停車していた車が櫓の下を抜けていった。



トラスの門型フレームを補強して火の見櫓をガッチリ支えている。後方の外壁が白い建物が現在の消防倉庫。


現在の消防倉庫側から火の見櫓を望む。



扁平した方形(ほうぎょう)の屋根、くるりんちょな蕨手、避雷針に付けられた矢羽形の風向計。





道路(公道、私道、敷地内通路)をまたいで立っている火の見櫓は私の知る限りこの1基を加えて10基(過去ログ)。その全てを見たことになる。他にもあることが分かったら是非見に行きたい(*1)。


*1 ご存知の方、お知らせ願います。

輪之内町からそれ程遠くないところに従妹がいるが、コロナ禍の状況下、会わずに帰ってきた。


「人新生の「資本論」」

2021-05-21 | A 読書日記

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『人新生の「資本論」』斎藤幸平(集英社新書2020年)を読み始める。カバーに「2021新書大賞第1位」とあるから、多くの人がこの本を読んでいるのだろう。この本が簡潔で明解な文章で綴られていて展開される論考が論理的で分かりやすいことがその理由として挙げられるのかもしれない。しばらく前の信濃毎日新聞のコラム「斜面」もこの本から引用していた。

書名の人新生(ひとしんせい)は聞きなれない、地質学的なイメージのことばだが「人類の経済活動の痕跡が地球の表面を覆いつくした年代」という意味だという。プラスチックごみが海面を覆い、道路やビル、農地が地表面を覆っている。更に地球を覆っている大気に二酸化炭素が排出され続けている。地球環境を犠牲にしながら経済活動を続けてきたことによりもたらされた結果だ。著者は大量生産、大量消費という経済システムからの脱却、「脱成長コミュニズム」を説く。

かつては数十年に一度と言われたような災害が、世界各地で毎年発生している。日本でも毎年災害(特に水害が多い)が発生し、甚大な被害を被るようになった。今日(21日)もかなりの降雨量に達して河川の氾濫の恐れのある地域が出ている。地球環境の危機的な状況のあらわれ、であることは間違いないだろう。

だが・・・、**資本主義の歴史を振り返れば、国家や大企業が十分な規模の気候変動対策を打ち出す見込みは薄い。解決策の代わりに資本主義が提供してきたのは、収穫と負荷の外部化・転嫁ばかりなのだ。矛盾をどこか遠い所へと転嫁し、問題解決の先送りを繰り返してきたのである。**(42頁)と著者は厳しい指摘をする。

論考をどのように展開しているのか、先が気になる・・・。


 


「たけくらべ」

2021-05-18 | A 読書日記


以前読んだ新潮文庫の『たけくらべ』

 樋口一葉といえば『たけくらべ』。この短編は日本の文学史年表に必ず載る。この作品をまた読みたいと思い、自室の書棚を探したがなかった。どうやら昨年(2020年)の5月に処分した多くの文庫本の中に含まれていたようだ。それで改めて買い求めた。



岩波文庫のカバー画は鈴木清方の「たけくらべの美登利」という作品とのことだが、僕が小説を読んでイメージしている美登利よりずいぶん大人、という印象だ。

この淡い初恋ものがたり(美登利と真如は今で言えば中学3年生か高校1年生くらい)はラストが好い。擬古文は苦手だが、リズミカルな文章に慣れて読み進めたい。

樋口一葉についてはブログを始めて間もなくこんな記事を書いている(過去ログ)。


 


「楡家の人びと」読了

2021-05-16 | A 読書日記



 北 杜夫の長編小説『楡家の人びと』の再読を終えた。小説では大正初期から昭和、終戦直後までの時代の大きな流れの中で楡家三代に亘る人びとが織りなす物語が描かれている。今回特に印象に残ったのは楡脳病院を創立した楡基一郎の長女と結婚、婿養子となった徹吉(徹吉は北 杜夫の父親、斎藤茂吉がモデル)。徹吉は基一郎亡き後、病院長を引き継ぐも、焼失した病院の再建や診療などの業務に忙殺される。その現実から、そして家族からも逃避するように「精神医学史」の執筆に多くの時間を割く。

こんな件がある。**(前略)徹吉は病院での診療についての自信喪失と同様、自分は家庭人としても根本的に不向きなのではないか、片寄った、偏頗(へんぱ)な、個人としても父親としても不適格な性格なのではあるまいか、という疑念が抗いがたく頭をもたげてくるのを感じた。
そうして、そのような寂寥、もの足りなさ、索漠とした感情を抱いて徹吉が自分の部屋に戻るとき、わずかばかりの焼け残りの書物のある自室の机の前に座るとき、彼ははじめていくらかほっとした、自分自身の時間をとり戻せるような気がした。(中略)自分ひとりの時間、深夜の、ほんの幾何かの、しかしかけがえのない、しんと年甲斐もなく涙の滲むような時間。**(上巻334頁)

物語の終盤。太平洋戦争の末期、戦禍を逃れて生まれ故郷の山形に疎開した徹吉。戦争が終わって間もなく、彼は自分の来し方を回想、総括する。**愚かであった、と徹吉は思った。自分は、――自分の一生は一言でいえば愚かにもむなしいものではなかったか。あれだけあくせくと無駄な勉強をし、そのくせわずかの批判精神もなく、馬車馬のようにこの短からぬ歳月を送ってきたにすぎないのではないか。(後略)**(下巻439頁)

続けて徹吉は次のようにも思う。**とにもかくにも、自分は自分なりに励んできた、働いてきた。それをも愚かなことといって悔いねばならぬのか。たとえ調子のよい養父の基一郎でもいい。ここに出てきて、ひとことこう言ってくれぬものか――「徹吉、お前はよくやった。もう一つ金時計をくれてやろう」**(440頁)

上掲した件を読んでいて涙がでた。我が人生に悔いはない、と総括することができたら、最高に幸せだろうなぁ。

北 杜夫が残したこの小説は白眉。もう一度読まねばならぬ。


**で引用範囲を示す。


塩尻市洗馬の火の見櫓

2021-05-16 | A 火の見櫓っておもしろい


(再 019)塩尻市洗馬 3脚6〇型 撮影日2021.05.16

 火の見櫓巡りを始めた2010年5月にこの火の見櫓も見ている。その時は今ほどの観察眼はもちろん無く、ただ漫然と見ただけだった。その後、再訪して見ているので(過去ログ)今回が3回目。梯子桟の数と間隔により見張り台の高さがおよそ11メートルだと分かった。高い部類に入るだろう。





櫓上部を道路側ではなく、初めて反対側から撮った。6段の構面の内、3段のブレースにアングル材が使われているが、やはりリング付きの丸鋼ブレースとは印象が違い、硬い。踊り場のところの垂直構面に交叉ブレースではなく、ハ型の斜材が用いられているのはなぜだろう。消防団員が櫓より外側に出ることがある、いう想定だろうか。中途半端なところに半鐘を吊り下げてある。ここだと半鐘を叩くたびに柱材に当たってしまうだろう。もう少し梯子の近くにあったものが端にずれてしまったのかも知れない。既に半鐘を叩かなくなっているから位置は関係ないだろうが。



これだけの高さの火の見櫓の脚部が単材というのはやはり気になる。強度的には問題ないのかもしれないが、見た目が。(柱スパン2.1メートル)

部材は全てリベット接合、ブレース端部も柱材相互の接合も。ただし後付けと思われる右の写真の持出し腕木(用途は? 消火ホースに関係するのだろうが、掛ける?引き上げる? 分からない・・・)は既存部材とボルト接合)。

見るたびに新たに気がつくことがある。一度見て終わりというわけにはいかない。





「22 男はつらいよ 噂の寅次郎」

2021-05-16 | E 週末には映画を観よう

14日金曜日、TSUTAYA北松本店でDVDを借りる。 久しぶりの寅さんはシリーズ第22作目の「噂の寅次郎」、1978年の作品。

マドンナは大原麗子。 とらやで働く早苗を演じた彼女は当時32歳。 旅からとらやに帰って来た寅さんは早苗に一目ぼれ。 結婚している彼女だが、別居中で離婚やむなし状態と知った寅さん・・・。 とらやで繰り広げられるお決まりのドタバタ。

柴又に帰る前、寅さんは旅先の信州で妹さくらの夫、博のお父さん(志村 喬 )と偶然出会って木曽で同宿。 飲めや歌えやの大騒ぎ・・・。 その後、お父さんから「今昔物語」に納められている説話を聞かされる・・・。 恋とは儚いものということを伝えたかったのだろうか。 いやもっと人生についての深い話だったのだろう。

柴又に帰ってからとらやの茶の間でこの説話を寅さん流にアレンジして皆に話して聞かせる。 この辺り、寅さんというか渥美清は実にうまい。

さて、寅さんの恋の行方。 早苗が離婚、引っ越しを手伝う寅さんは、早苗の従兄の添田と出会う。 その後、ふたりの心の内を察した寅さんはふたたび旅に出る・・・。 

もう寅さん、渥美清はこの世の人ではない。 大原麗子もとらやのおいちゃんもおばちゃんも、たこ社長も、御前様も。ああ、人生の儚さよ。


 


1280 諏訪市湖南の火の見櫓

2021-05-14 | A 火の見櫓っておもしろい


1280 諏訪市湖南 4脚44型 撮影日2021.05.13

 車のすれ違いができないような狭い道を進む。「あ、火の見櫓!」





屋根・見張り台周りは端正なつくり。見張り台の4隅を突く方杖は直線材。



外付け梯子から踊り場へ入り込むための開口と梯子の取り合いがユニーク。なるほど、確かにこういう方法もありだな、と思う。



脚と取り合う横架材の4隅に火打ちを入れている。櫓が3角形の場合には不要な火打ちだが、4角形の場合には必要と判断してこのように設置するともある。

13日に見た火の見櫓は全て意を決して狭い道路を進んだので出合うことができたもの。


 


1279 諏訪市湖南の火の見櫓

2021-05-14 | A 火の見櫓っておもしろい


1279 諏訪市湖南 4脚44型 撮影日2021.05.13

 中信エリアには櫓が3角形の火の見櫓が多いのに対し、南信エリアには4角形の火の見櫓が多い。同じ鉄工所で製作された火の見櫓でも両エリアで違うから、鉄工所の違いではなく、地域性だと思われる。なぜなのか、その理由は分からない。

この火の見櫓は市街地を俯瞰するような高いところの集落内に立っている(上の写真)。見張り台からは、この火の見櫓がカバーする地域を見渡すことができただろうし(もっとも全域見渡せないと困るのだが)、半鐘の音も遠くまで届いただろう。

形の良い火の見櫓だが、全体的錆びている。屋根も一部欠損していて痛々しい。スピーカーが取り付けられているから、まだ使われているのだろう。できればきちんんとメンテナンスして良好な状態を保持して欲しいものだ。


 


1278 諏訪市湖南の火の見櫓

2021-05-13 | A 火の見櫓っておもしろい


1278 諏訪市湖南 4脚44型 撮影日2021.05.13

■ 実に姿形の良い火の見櫓だ。櫓のプロポーション良し、屋根と見張り台のバランス良し。脚も良し。屋根が一部欠損しているのは残念だが、火の見櫓の造形美とはこういうことかと思わせる1基だ。



見張り台から脚元までなだらかなカーブを描いて末広がる立ち姿は美しい、ただこの一言。


 


1277 諏訪の貫通やぐら

2021-05-13 | A 火の見櫓っておもしろい


1277 諏訪市豊田 4脚(貫通)44型 撮影日2021.05.13



 岡谷、諏訪の2市と下諏訪町が諏訪湖を囲み、境界線が湖上を通っている。ここ諏訪市豊田には諏訪湖に向かうなだらかな斜面に集落が広がっている。坂道の脇に立つ貫通やぐら! 脚が屋根を突き破っている。


スタンダールじゃないが、小屋の「赤と黒」のコントラストが魅力的な小屋を確かに脚(柱とした方が良いかな)とブレースが屋根を貫いている。反対側は・・・。



軒をカットして外付け梯子を納めている。貫通やぐらを見るたびに、「なぜ? なぜ、こんなことしたんだろう」って思う。


所在地訂正 2021.11.07


1275 岡谷市湊の火の見櫓

2021-05-13 | A 火の見櫓っておもしろい


1275  火の見櫓のある風景 岡谷市湊 4脚44型 撮影日2021.05.13

 諏訪湖の西側、岡谷市には火の見櫓が多く、まだ見ていないものが何基もある。今日(13日 *1)の午前中出かけてきた。集落内に入り込んでいって今日初めて出合ったのがこの火の見櫓。




扁平した屋根、小さい蕨手



見張り台の形が特徴的。1面だけバルコニーのように持出して、手すりに消火ホースを掛けるフックを付けてある。バルコニーの両端に方杖(斜材)を大きく突いている。見張り台の手すりにも櫓と同じリング付きブレースを付けてある。このようなデザインも時々見かける。床面は鋼板張り。


ごく簡素な踊り場。櫓のてっぺんの半鐘をここに移したのかもしれない。



脚元。正面しか脚が無い。このようなタイプの扱いに困るが、4脚44型としておく。櫓の中に入り込むのに支障が無いように、正面だけブレースを付けないで脚を設えてある。


 


1274 高森町山吹の火の見櫓

2021-05-10 | A 火の見櫓っておもしろい


1274 下伊那郡高森町山吹 4無44型 撮影日2021.05.10

 伊那街道(県道15号)を走行中にこの火の見櫓と出合った。場所は高森町山吹。



消火ホースを引き上げる滑車の高さからして、見張り台の高さは9メートルくらいだろう。踊り場まで昇り降りするように設置されているのは外付け梯子。既に何回も書いているが、この高さで外付け梯子は消防団員に気の毒だ。かなり恐怖を感じるだろうから。それに梯子が見張り台の床面までしかなく、梯子と見張り台の移動も大変だろう。

方形(ほうぎょう)の屋根にも見張り台の手すりにも装飾はない。実利に徹すればこうなるのだろうが、飾りがないとさみしい(当方の勝手な言い分だが・・・)。櫓は末広がりにはなっておらず、柱は直線。





脚は無く、地面まで櫓。火の見櫓の全形を見て感じるのは脚が無いことの物足りなさ。






フジモリ建築 高部公民館

2021-05-09 | A あれこれ

 建築家・藤森照信さんの出身地、長野県茅野市宮川の高部地区にはデビュー作の神長官守矢史料館はじめ、高過庵、低過庵、空飛ぶ泥舟がある(過去ログ)。フジモリ建築ファンにはたまらないエリアだ。同地区で高部公民館の建て替え工事が進められている。今月(5月)完成予定と聞いていた(*1)ので、もう仮囲いが撤去されて外観を見ることができるだろう、と昨日(8日)の昼過ぎに出かけてきた。



県道16号(岡谷茅野線)と町道に挟まれた狭小な三角形の敷地に以前は木造2階建ての公民館が建っていたが、新しい公民館は平屋建てで敷地形状に合わせた平面形に計画され、以前は残地だった三角形の尖った頂点まで外壁が迫っている。黒い外壁は塗装ではなく、杉板の表面を焼いたもので、フジモリ建築ではよく使われている。地元地域の人たちの手によって焼かれたようだ。

Y形の枝付き柱(ヒノキ材だと思う)が屋根を貫いて立っている。黒い外壁をバックによく目立っている。こんな奇態、藤森さんしか思いつかないだろう。2本の幹に横材を架け、半鐘を吊り下げてある。うれしい!



反対側、三角形の底辺部分の玄関ポーチにも屋根を貫く枝付き柱が立っている。



味わい深い玄関まわりの表情。これはなかなか好い。



県道側の屋根はワークショップでしわくちゃにした銅板一文字葺き。これまたフジモリ建築ではよく使われる手法。焼杉の黒い外壁に、白く縁取りされた四角い窓が並ぶ。緑色のカラーコーンが繰り返しの美学なシーンを演出している。



反対側(市道側)の様子。屋根は立てハゼ葺き。勝手口と思われるドアのある屋根には軒樋が設置されているが、樋端部にもフジモリさんの遊び、いや工夫が。これは楽しい。



工事中に地元の人たちを対象にした見学会が開催されたようだが、フジモリ建築ファンにも公開して欲しい。


*1 昨年(2020年)11月に神長官守矢史料館の受付で聞いた。