透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

辰野町伊那富の道祖神

2021-11-16 | B 石神・石仏







 形の自然石(このような形の石をよく探したものだ)に円い中区、そこに双体道祖神を彫ってある。男神が盃を、女神が銚子(酒を注ぐ道具)を持つ酒器像。顔の表情がとても和やかで印象的。公家装束。


 


辰野町樋口の火の見櫓

2021-11-15 | A 火の見櫓っておもしろい


(再)上伊那郡辰野町樋口 4無444型 撮影日2021.11.14

 県道19号沿いに立つ火の見櫓。上の写真の左端に樋口交差点の信号が写っている。既に数回見ているがこの方向から見るのは初めて。


なだらかなカーブを描いて末広がる姿が美しい。


見張り台周り、スッキリ。


ブロック造の消防倉庫の片流れ屋根の軒先近くをブレースが貫いている。道路側から見るだけではこのことには気がつかない。


 


辰野町樋口の火の見櫓

2021-11-15 | A 火の見櫓っておもしろい


(再)上伊那郡辰野町樋口下田 下田公民館 4脚444型 撮影日021.11.014








単材の短い脚



ガセットプレートと柱材とはリベット接合、横架材とはボルト接合。ブレースの端部はボルト留め。ガセットプレートにはブレースの無いところも孔を開けてある。共通部材として何枚も加工しておいたのかもしれない。


 


辰野町樋口の庚申碑

2021-11-15 | B 石神・石仏


上伊那郡辰野町樋口万次郎 万次郎公民館の横に祀られた庚申碑 撮影日2021.11.14

 庚申と文字書きされた碑が数基、正面金剛像が1基祀られている。前稿の火の見櫓(1315)のすぐ近く。



櫛形碑に青面金剛像、二羽の酉、三猿が彫ってある。碑の高さ(碑丈)約90cm、碑幅約33cm、碑厚約20cm。一見埴輪のような印象を受ける像。六臂。合掌して、他はそれぞれ何か持っている。鑓(槍)は分かる。二本の手で弓を腰の後ろ側に持っているのだろうか。もう一つは分からない。一般的な持物の宝輪か? 違うかな・・・。



碑の左側面に彫ってある文字。延宝八年は西暦1680年。ちなみに延宝8年も昭和55年も干支は庚申(こうしん、かのえさる)。


 


1316 辰野町樋口の貫通やぐら

2021-11-14 | A 火の見櫓っておもしろい


1316 上伊那郡辰野町樋口万五郎 4脚(貫通)444型 撮影日2021.11.14





「貫通やぐら」 コンクリートブロック造の消防倉庫を貫いている。火の見櫓の脚間寸法3.9m 倉庫の間口2.4m。櫓の下に少しでも広い倉庫を建てようとすれば、こうするしかない。貫通やぐらを建てる理由は他に思いつかない。



見張り台の4隅を隅切りするのはなぜ? 積極的にこうしなければならない理由は分からない。



櫓内に納めた踊り場で外付け梯子から櫓内梯子に切り替えている。消防信号板を設置してあるが、半鐘を叩く時に見るなら、見張り台に設置しないと意味がない。消防信号板の設置位置は脚元であったり、この火の見櫓のように踊り場であったりする。見張り台に外向きに設置してあることもある。なぜなのか、理由は分からない。




倉庫の正面右側の脚部の様子


倉庫の正面右側の脚部の様子 シュール!


 


辰野町伊那富の道祖神

2021-11-14 | B 石神・石仏

 今日(14日)の午前中、上伊那郡辰野町の火の見櫓と道祖神巡りをした。前稿の火の見櫓(再1130)の次にこの道祖神と出会った。


上伊那郡辰野町伊那富北大出上垣外 道祖神 酒器像 撮影日2021.11.14



大きな自然石の基壇に形を整えた石に彫った双体道祖神(酒器像)を据えている。碑の高さ約62cm、幅約60cm、厚さ約35cm。円形(直径約40cm)の中区に彫った像は高さ約33cm。



女神が提子、男神が盃(欠損しているようで分かりにくい)を持っている。公家風の衣装をまとう。顔の表情ははっきり分からないが穏やか。


 


辰野町伊那富の火の見櫓

2021-11-14 | A 火の見櫓っておもしろい


(再)上伊那郡辰野町伊那富 4脚444型(踊り場の有無を表記する)撮影日2021.11.14



見張り台と踊り場に半鐘を吊り下げてある。前に見た時も同じ印象だったが、踊り場から上の櫓はもう少し細い方がバランスが良いと思う。ただし踊り場を櫓内に納める場合はこのくらい太くないと、十分な広さが確保できない。



柱の上端にもアーチ状の補強部材を入れて水平方向の変形を防いでいる。



正面のみトラス型式の脚、他の3面はブレース設置。梯子は踊り場で90度向きを変えて設置している。


 


「砂浜海岸」と対をなすのは「何海岸」?

2021-11-14 | A 読書日記

 『知ってるつもり「問題発見力」を高める「知識システム」の作り方』西林克彦(光文社新書2021年)を読んだ。どのようなカテゴリーにおいても知識の全体像を体系的に・システマティックに把握することが必要であることを説いている、と本書の内容を理解した。

第1章「知ってるつもり」をなぜ問題にするのかの第2節は私たちはこんなマズイ知識の中で育っていると刺激的なタイトルだ。この節で著者はある教科書(中学社会科)の文章を引用する。**日本の海岸線は、出入りが多く複雑で小さな岬、湾などが多く見られます。そのため日本は、国土面積に比べて海岸線が長いという特徴があります。三陸海岸や志摩半島、若狭海岸などにはリアス海岸が見られます。いっぽう、出入りの少ない砂浜海岸も多く(九十九里浜の写真)、鳥取砂丘のように砂丘が発達していることろもあります。**(32頁)この教科書の海岸についての話はこれで終わりとのこと。

とりたてて違和感のないこの説明文のどこがマズイというのだろうか・・・。

著者がまず指摘しているのは海岸として「リアス海岸」と「砂浜海岸」を対比的に取り上げているが、すべての海岸はこの2つで尽くされているのか、ということ。全体像を体系的にという観点の取っ掛かりとしてこのような説明文はどうなのか。

ぼくも教科書からこのような知識だけを得ていただけだった。海岸は大きく砂浜海岸と岩石海岸(*1)に分けられ、リアス海岸は岩石海岸に含まれるという関係だから、まず海岸として「岩石海岸」と「砂浜海岸」を対比させなければならない、そうしないと体系的ではないということか・・・。なるほど、確かに。

論考は多様なものを捉える際の「共通性」と「個別特性」について(第2章)、孤立した知識への対応(第3章)へと展開され、孤立した「知ってるつもり」は疑問を生まない(第3章 第2節)ということなどが論じられる。確かに指摘の通りだと思う。だからチコちゃんに叱られっぱなしなのだ。

ただ単に知識を得るだけでなく、知識のシステム化、知識を有機的に繋げるということについて、知識システムと教育(第5章)、知識システム構築に関する留意点(第6章)で論じられる。

知識の体系化、知識システムの構築は長いスパンで自分でやっていくしかない、ということなんだろうな・・・。本書を中高生に読んで欲しい。


*1 岩石海岸ということばは知らなかった(と正直に書く)。


「知ってるつもり」

2021-11-12 | A 読書日記

360

『中央本線、全線開通!』中村建治(交通新聞社新書2019年)を読み終え、次に読む新書『知ってるつもり「問題発見力」を高める「知識システム」の作り方』西林克彦(光文社新書2021年)を買い求めた。

**世の中には「知ってるつもり」があふれている。「知っているつもり」はなぜまずいのか?認知科学・認知心理学の知見によると、われわれは手持ちの知識を使うことでしか対象を見ることができない。システム化されていない断片〝知識〟だけでは、きちんとした疑問や推測が起きないのだ。**カバー折り返しに書かれた本書紹介文の前半に書かれた、この文章の下線部を読んで、買って読もうと思った。同じことを拙書『あ、火の見櫓!』に書いたから。

**火の見櫓巡りをするようになってから、どれも同じようなものだと思っていた火の見櫓が実はみんな違っているということが分かるようになりました。火の見櫓に関する知識を得て火の見櫓が見えるようになったのです。** 

夏目漱石の『虞美人草』(新潮文庫)も読み進めたい。読了期限があるわけではない。じっくり、のんびり。






「中央本線、全線開通!」

2021-11-11 | A 読書日記

360

 『中央本線、全線開通!』中村建治(交通新聞社新書2019年)を読んだ。

新宿~立川間の「甲武鉄道」の開通が1889年(明治22年)。東京~名古屋間、中央本線全線開通はそれから22年後の1991年(明治44年)。本書のサブタイトルに「誘致攻防・難関工事で拓いた、東京~名古屋間」とあるように中央本線が全線開通するまでには様々なドラマがあったということを本書で知った。目次からもその様が伺える。

第1章 中央道敷設は中止して東海道へ ルート未定のままで中央線計画
第2章 中央線の産声は私鉄の甲武鉄道 国有後に延伸し東京駅が起点へ
第3章 起点は八王子と御殿場で競う わが国最長の笹子隧道を掘削
第4章 政治・現金・人脈などを総動員 木曽VS伊那間の誘致闘争に決着
第5章 隧道掘る直通案を迂回線に変更 辰野駅は設置場所や駅名で波乱
第6章 木曽川に日本最長橋梁を架橋 名古屋乗り入れ路線でも波乱
第7章 宮ノ越~木曽福島間で全通 名古屋で盛大に開通祝賀会

「プロジェクトX」でこのドラマを描くとしたら一体何回シリーズになるだろう・・・。

第4章に書かれているような木曽ルートと伊那ルートを巡る両地域の誘致「闘争」のことは全く知らなかったから興味深く読んだ。両地域の人たちが良くも悪くもとにかく一所懸命取り組んだことが分かった。

巻末の参考文献等のリストには中央本線沿線の市町村史誌をはじめ、さまざまな文献が細かな活字で6頁に亘りびっしり並んでいる。それらを丹念に調べて書かれた(*2)ということを考えると、本書は大変な労作だと思う。

巻末には中央本線年表や中央本線の歴史を示す路線図、開業時の時刻表が載っている。飯田町(*1)21:00発、名古屋着17:36着。ほぼ一昼夜の20余時間かけて運行していたことが分かる。

320  

本文の最後に[完]の文字がある。長編小説では見ることがあるが、新書で見るのは初めて。やっと書き終えたという著者の感慨がこの文字に込められているように思う。


*1 飯田町駅:現在の飯田橋駅と水道橋駅の間にあった駅
*2 帯の写真は中央本線全線開業時と同型の機関車を撮ったもので木曽町教育委員会提供とある。このことだけからも綿密な調査ぶりが窺える。


4基の火の見櫓

2021-11-10 | A 火の見櫓っておもしろい



右から②③④

 「あ、火の見櫓!」写真展で展示した68枚のパネルから4枚選び、自室の壁に張った。 

① 上伊那郡辰野町小野の火の見櫓 展示した時の説明文に次のように書いた。**「火の見櫓の美は構造的合理性にある」自然の求めに素直に応じた美しい形です。昭和30年8月の竣工で建設費は15万円でした。(後略)**

② 大町市美麻の木造の火の見櫓で、説明文は次の通り。**私を出口無き火の見櫓の世界に迷い込ませた1基です。大正15年に建てられました。防災のシンボルとして大切にされています。**

③ 諏訪郡原村の火の見櫓 **「貫通やぐら」 シュール! 4本の脚が消防倉庫を貫いています。屋根を貫通し、外壁から外に出ています。**     

④ 茅野市金沢の火の見櫓 **「道路またぎ」 生活道路をまたいで立っています。時々軽トラックが下を通っています。なぜわざわざこんな風に立てたのでしょうか?(後略)

人は対象がどんなものであれ美しいものと珍しいものに惹かれる。美しいものには美的感性を刺激され、珍しいものには知的好奇心を刺激される。姿形の美しい火の見櫓の代表として①を選んだ。珍しい火の見櫓のタイプとして「貫通やぐら」と「道路またぎ」をまず挙げたい。その代表として③と④を選んだ。


 


162枚目

2021-11-09 | C 名刺 今日の1枚



162

 BELL WOOD COFFEE LABのオーナー・鈴木さんはプリンティング・ディレクターというもう一つの仕事をしている。そのせいだろうか、時々カフェをフォトグラファーが訪ねてくるようだ。ちょうど居合わせたフォトグラファー(写真家という呼称とはニュアンスが違うのかもしれないので名刺によった)・疋田千里さんとあいさつをした。その際渡した名刺が162枚目だった。

疋田さんはポートレイトや料理撮影の仕事・クライアントワークスに加え、近年は特に東南アジアで「おはしのある風景」を撮影しているとのこと(*1)。食文化を象徴する道具である箸にフォーカスしたのは慧眼だ。

11月20日に京都のマヤルカ古書店という所で始まる写真展の案内リーフレットをいただいたが、それに中国の福建省にある福建土楼の中庭で撮影されたA4サイズくらいのモノクロ写真が載っている。それは外流しでおばさんが箸を洗っている様子を少し引いたところから撮った写真。また箸で食べ物を赤ちゃんの口に運ぶ母親(たぶん)の写真も載っている。キッチリ人々の暮らしの中に入り込んでかないと撮れない写真だ。なるほど、「おはしのある風景」ってこういう風景のことか・・・。



普段動かない鉄ばかり撮っている者が仕事としてポートレイトを撮影している女性を撮った。緊張した。疋田さんの顔にあたる自然光はいつか鈴木さんに教わった状態に近いと思うけど、違うのかな・・・。


*1 リーフレットに載っているプロフィールによった。


161枚目

2021-11-08 | C 名刺 今日の1枚



161 

豊科のカフェ・BEWLで今月3日に始まった写真展「ARTISAN」を見に出かけた。カフェでは「ISTINTO」というブランドの革製品の展示・受注も同時に行われていて、このブランドのデザイナー・熊藤大地さんをカフェのオーナーから紹介された。で、161枚目は熊藤さんへ。

「ARTISAN」はフランス語で職人(男性)という意味だと聞いた(英語でもスペルは同じ)。「ISTINTO」は本能という意味のイタリア語、とのこと。写真を撮ったのはオーナーで、被写体は熊藤さんと彼の作品。写真という表現媒体の奥深さを改めて感じた。パサつかず、しっとりとした雰囲気の漂う作品はプリンティング・ディレクターでもあるオーナーの超が付くほどのこだわりの結果であろう。

 





「45 男はつらいよ 寅次郎の青春」

2021-11-08 | E 週末には映画を観よう

 久しぶりにTSUTAYA北松本店のDVDコーナーを覗いた。まだ観ていなかった寅さんシリーズの第45作「寅次郎の青春」があったので借りて昨日(7日)観た。

第42作「ぼくの伯父さん」以降の作品の主役は寅さんの甥・満男君で、高校の後輩の泉ちゃんとの恋物語の感があるが、「寅次郎の青春」は寅さんとマドンナの恋、それもマドンナが寅さんを好きになるという恋の行方も気になる展開だった。

寅さんは宮崎の港町・油津の食堂で本作のマドンナ・蝶子さん(風吹ジュン)と出会う。蝶子さんは食堂の近くで理髪店を営んでいる。蝶子さんに勧められて理髪してもらい、店を出ようとするも俄かに降りだした雨で足止め。本降りになり、寅さんは蝶子さんの家にそのまま泊めてもらうことになる。理髪代を払って寅さんの財布が空っぽになったことを蝶子さんは知っていたのだ。この日、貨物線の船乗りの弟・竜介が帰ってきていて、寅さんは竜介と一緒に寝ることに。

泉ちゃんも親友の結婚式に出席するために宮崎へ。寅さん映画によくある偶然、日南の飫肥(おび)城址で寅さんと泉ちゃんが再会する。泉ちゃんが石段を駆けあがって寅さんに抱きつく、とそこへ蝶子さんが通りがかり・・・。ちょっと怒った蝶子さん「寅さん どうぞそのお嬢さんと 私は家に帰っているから」。ふたりのマドンナの鉢合せに焦った寅さん、石段でこけて、足の骨が折れたかもと大袈裟に振る舞う。で、入院。

泉ちゃんから寅さんがけがをして入院したという連絡を受けた満男君も空路宮崎へ。目的は伯父さんの見舞いではなく、泉ちゃんに会うため。

その後の展開は省略して、印象に残るシーンを挙げたい。

寅さんと蝶子さん。ふたりが浜辺に座り、「港が見える丘」をデュエットするシーン。寅さんがマドンナとデュエットするなんて、他の作品にあったかな。リリーとしたのかもしれないが覚えていない。蝶子さんが日傘をさし、その隣で寅さんが古びた椅子に座っている。なんだか寅さん映画じゃないみたい。「寅次郎の青春」というサブタイトルに納得。蝶子さんの爽やかな笑顔がとても魅力的だった。

満男君と泉ちゃん。原宿のレコード店で働いていた泉ちゃんが仕事を辞めて名古屋に帰ることに。心臓を患って入院したお母さんを看護をするためだった。さくらは大学に電話して満男君にこのことを知らせる。満男君は授業をすっぽかしてバスと電車を乗り継いで東京駅へ。ホームでの悲しい別れ。満男君を見つめる泉ちゃんの悲しく寂しそうな表情・・・。そっと満男君にキスして、「さよなら」。新幹線のドアが閉まって、泉ちゃんが何か言うが聞こえない。想像するしかない。ふたりの恋が終わりではない、ということが分かる言葉であって欲しい。新幹線がホームを離れていく。見送る満男君の背中。切ないシーンに涙が出た。

他に、この作品では印象的なロングショットがあった。飫肥城址の石段で寅さんがこけた時の俯瞰的なロングショット。早朝の霧、川岸で蝶子さんと弟の竜介が話をしている場面のロングショット。寅さんがその様子を開けた窓から見ている。「姉ちゃん」「なんね」「いっそ一緒になったらどうね、あの寅さんと。男は顔じゃねえっちゃかいな」

寅さんは窓をそっと閉めて、沈思。満男君たちが東京に帰り、竜介が出発したら・・・。寅さんはかがりさん(いしだあゆみ)の時も逃げちゃったもんな~。

満男君に主役を譲った後の作品の中で好きな1作。


1   2   3   4   5   6   7   8   9   10   11   12   13   14   15   16   17   18   19   20   21   22   23   24   25   26 27   28   29   30   31   32   33   34   35   36   37   38   39   40   41   42   43   44   45   46   47   48   49   50

まだ観てない作品は第4作、9作、24作、49作。TSUTAYA北松本店で欠品なら、他の店で借りて観るかな。


火の見櫓の世界に出口なし

2021-11-07 | A 火の見櫓っておもしろい

 朝日美術館で10月16日から本日、11月7日までの会期で開催した「あ、火の見櫓!」写真展、大勢の方々にお越しいただきました。週末の限られた時間しか在廊できませんでしたが、何人かの方と火の見談義ができて楽しかったです。



この簡素な火の見について、「鐘が叩ければいいんだから、こういうのもありですね」という感想や「半鐘にかかった雪を掃ってからでないと叩けないから屋根があるんですね」というなるほど!な解釈も聞かせていただきました。学芸員のMさんはカーブミラーと並び立つ様、そうツーショットが好い、とのことでした。

直接お目にかかることはできませんでしたが、遠くは長野市の北に位置する村からもお越しいただいたことが名簿から分かりました。また、展示写真の火の見櫓を譲り受け、今は自分の所有だという方にもお越しいただいていました。名簿に書かれたメッセージで分かりました。最終日の今日、一番最後に高校の同級生が奧さんと訪ねてきてくれました。10年ぶりくらいの再会でした。

会場にお越しいただいた皆さん、それから、この写真展に関心を持っていただいた皆さん、ありがとうございました。美術館のスタッフの方々にもお礼を申し上げます。お世話になりました。ありがとうございました。

火の見櫓の世界に出口はありません。