透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

9下諏訪町東山田の火の見櫓

2023-03-14 | A 火の見櫓っておもしろい


1455 下諏訪町東山田 下諏訪町消防団本部第7分団屯所 4柱44型トラス脚 2023.03.12

 次にひのみくんが案内してくれたのは岡谷市の隣り、下諏訪町の火の見櫓だった。私は初見。櫓のなだらかなカーブを描く末広がりのフォルムが美しい。


少し離れたところから屋根を見ると、随分反っていて、和風の雰囲気ではない。屋根は反り具合で随分印象が変わるということがよく分かる。蕨手も見慣れない形だ。


このバルコニーのようなところをカンガルーポケットと呼んでいると、ひのみくんに伝えた。必要であれば彼なりに愛称を付ければ良い。消火ホースを風であおられないように固定するための作業スペースではないか、と思う。


随分大きい円形の踊り場が低い位置にある。半鐘の設置位置を変えれば屯所2階の窓から叩けるんじゃないかな。


脚部 トラス脚のお手本のようだ。

時の立つのは早い。午後4時近かったので、次の火の見櫓を今日の最後とすることにした。


 


8岡谷市長地の火の見櫓

2023-03-14 | A 火の見櫓っておもしろい


1454 岡谷市長地梨久保 岡谷市消防団第10分団屯所横 4柱4〇型トラス脚 2023.03.12

 この火の見櫓も見るのは初めてだった。ひのみくんに説明することも忘れて観察した。岡谷市内で9日の夜、火災が発生したが、この屯所からも出動したのだろう。消火ホースが何本も掛けられていた。

この火の見櫓の踊り場に設置されている「火の用心」の文字が目を引く。櫓の中間の踊り場まで外付け梯子を架けるのは珍しくないが、これほど櫓から離れたところに掛けているのはあまり無いように思う。




岡谷市内の火の見櫓の梯子には登ることができないように踏み桟に板を当ててある。この火の見櫓の梯子もそうしてあるが、板の裏側に消防信号板を取り付けてある。どうしてこんなところに? 半鐘を吊り下げてある踊り場にも見張り台にも取り付けるところがあるのに・・・。

消火ホースの先の軍手は何のためだろう。


 


7岡谷市長地の火の見櫓

2023-03-13 | A 火の見櫓っておもしろい


1453 岡谷市長地 4柱44型ロングアーチ脚 2023.03.12

 キレッキレという言葉に倣えば、これはサビッサビの火の見櫓。ひのみくんが紹介してくれたこの火の見櫓を見るのは初めてだった。櫓中間の踊り場まで外付け梯子が掛けられ、そこから上は櫓内に梯子が掛けられている。見張り台の半鐘は大きい。

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踊り場の半鐘。それにしても櫓がひどい。


ありそうであまりみかけない脚。


 


6岡谷市今井の火の見櫓

2023-03-13 | A 火の見櫓っておもしろい

 昨日(12日)の午後、岡谷のファミレスでひのみくらぶのカフェミーティングをした。集まったのは火の見櫓大好き少年・ひのみくんファミリーとひのみちゃん、私の5人。火の見櫓のことが記事になっている読売KODOMO新聞をひのみくんにプレゼントした。記事で紹介されていた火の見櫓、大阪の古い火の見櫓を除き全て知っていて、びっくり。

あれこれ火の見櫓について話しをした後、みんなで火の見櫓を見に行くことに。まず行ったのは岡谷市今井にある岡谷市消防団第一分団屯所の横に立っている火の見櫓。私は6年半振りの再訪だった(過去ログ)。


(再)岡谷市今井 4柱44型ブレース囲い 2023.03.12

9日の夜に岡谷市内で火災があったそうで、消火ホースが掛けられていた。ひのみくんに、消火ホースの長さから火の見櫓のおよその高さを知る方法を伝授した。長さ20mの消火ホースが見張り台の手すりの位置に掛けてあること、消火ホースの下から地面まで2mくらいはありそうなこと。見張り台の手すりから屋根のところまでは大抵1.5mくらいだということ。屋根の高さを0.5mくらいだとすると(*1)、火の見櫓の高さはおよそ14mだと分かるでしょ(*2)。




ひのみくんは火の見櫓の細部に興味があると聞いていたので、説明か所を写真に撮って示してから、柱のジョイント部分(写真②)のこと、踊り場や見張り台の床を支える方杖(写真③)のことを説明した。方杖には反ったものも、反対にはらんだものも、直線のものもあることも話した。他にリング式ターンバックルのこと、リベット接合のことなども。

めざせ火の見櫓の博士ちゃん。


*1 遠くから見て、屋根が極端に緩勾配だということが分かっていた。
*2 ざっくりとした高さを知るためには、このくらいの計算で十分だ。立ち木の幹回りを測って円周率で割れば直径が求まる。この時、円周率   を3.14などとする必要は必ずしもなく、3でよい。


消火ホース乾燥塔

2023-03-13 | A 火の見櫓っておもしろい


消火ホース乾燥塔 3柱無4型ロング三角脚 諏訪大社上社本宮の近く 2023.03.12

 この塔に半鐘が吊り下げられていれば、迷うことなく火の見櫓だと判断できる。この鉄塔は使用後の消火ホースを乾燥させるためのもの。火の見櫓も消火ホース乾燥塔も消防の活動に欠かせないもので、いとこくらいの関係かな。どちらの用途にもこの形で機能するから、判断に迷うことになる。

3柱(鋼管)1構面梯子型に分類されるが、この梯子を登って作業台まで行くのは大変だと思う。もう少し登り降りしやすいような工夫というか配慮ってできないものだろうか。火の見櫓を見るたびに思う。

先日穂高神社近くの火の見櫓をスケッチしていた時(過去ログ)、通りがかったおばさんに声をかけられた。その時の立ち話で、息子さんが消防団員の時、度胸試しでてっぺんの見張り台まで登らされた、と聞いた。本当は火の見櫓がそんなんじゃいけないんだけどなぁ・・・。


 


4茅野市宮川の火の見櫓

2023-03-13 | A 火の見櫓っておもしろい


(―)茅野市宮川新井 4柱6〇型複合脚(正面ロングアーチ、3面トラス脚)2023.03.12




見張り台の下がやけにごちゃごちゃしている。各構面2分割し交叉ブレースを設置して、4本の柱から2本ずつ方杖を出しているし、他にも何やらあれこれ付いている。


脚部4面ともトラスでも櫓内への出入りには支障ないだろう。だが、正面だけR状の部材を取り付けている。こうした意図は? 正面性の強調を狙ったのだろうか。


 


3諏訪市中洲の火の見櫓

2023-03-13 | A 火の見櫓っておもしろい


(再)諏訪市中洲福島 4柱44型トラス脚 2023.03.12

 この火の見櫓は2016年10月に観ているけれど(過去ログ)、その時は上のような周辺の様子が分かる写真を撮っていなかった。当時なぜ、このような写真を撮らなかったのか。関心が火の見櫓に集中して、周りを見ようとはしなかったのだろう。どのようなところに立っているのか、周辺の様子は基本的な観察ポイントなのに・・・。


屋根の軒のラインが和風。五重塔の屋根が浮かぶ。見張り台の下のスピーカーのなんとにぎやかなことか。


半鐘のすぐ上に消火ホースを掛けるフックがいくつも並んでいる。簡易な手すりが設置され、すのこ状のものは床面か。消火ホースをフックに掛ける作業するときにパタンと倒して作業床にするのかな。そのあたりをきちんと観察しておくべきだった。2016年に見た時には踊り場には注目しなかったようだ。2回目3回目の観察で初めて気がつくこともある。やはり複数回観察しないとだめだな。


消防信号板の上に取り付けられた銘板に昭和31年3月13日竣工と記されていた。この火の見櫓、今日13日が67歳の誕生日。





2諏訪市中洲の火の見櫓

2023-03-13 | A 火の見櫓っておもしろい


1451  諏訪市中洲下金子 4柱44型複合脚正面トラス脚、3面ブレース囲い 2023.03.12


 櫓のプロポーションも屋根と見張り台の大きさのバランスも良い火の見櫓。






脚部 正面のみ開口を確保するためにトラス脚に、残る3面は交叉ブレースにしている。脚部の写真は屋根・見張り台、踊り場の写真とは撮影方向が違う。


 


1諏訪市中洲の火の見櫓

2023-03-13 | A 火の見櫓っておもしろい


1450 諏訪市中洲中金子 4柱44型貫通やぐら2023.03.12

 昨日(12日)は終日ヤグ活(茅野のやぐらくらぶの藤田さんの造語、火の見櫓めぐりをするという意味)をした。午前中は中諏訪方面のやぐら巡り、午後はひのみちゃんも参加して諏訪地域在住のひのみファミリーとひのみくらぶオフ会。火の見トークの後、みんなで岡谷市内の火の見巡りをした。楽しく有意義な一日だった。

朝9時過ぎに家を出てまず向かったのは諏訪市中洲中金子の火の見櫓。先日、藤田さんがSNSに載せていたこの火の見櫓をぜひ現地で見たいと思った。信号「中洲小学校」の交差点から西に向かって生活道路(写真①)を1,2分走行してこの場所に10時前に着いた。


緑が多い生活道路沿いに立つ火の見櫓(逆光写真)。


屯所と一体化した火の見櫓




2階建ての屯所(諏訪市消防団第七分団第三部屯所)の屋根上の踊り場まで外付け梯子で登るようになっている。それにしても気になる火の見櫓と屯所の構造的関係。一体どうなっているんだろう・・・。

下屋の屋根の瓦棒の数を数え、間隔を450mmとして計算して、屯所の間口は2間(約3.6m)とみた。このスパンであれば木造で造ることも可能だろうが、1階が鉄骨造、2階が木造の混構造ではないかと思う。木造の屋根上に荷重が2t以上になるであろう火の見櫓を載せることは構造的にまず無理。


道路側のシャッターの小さな開口(写真③)から倉庫内を覗くと、後ろの壁のところにリング式ターンバックルが付いた交叉ブレースが見えた。想像するに、火の見櫓の脚を屯所の屋根近くまで垂直に立ち上げ、2段の垂直構面を構成しているのではないか。それで中間の横架材(水平部材)の高さを屯所2階の床面に合わせているものと推測する。

予め両者を一体的に建設することを決めてきちんと計画されたのだろう。火の見櫓と屯所の地震時の挙動の違いについてはそれほど気にする必要はない、と判断されたのだろう。屯所の内部を見たい。写真⑥を見ると柱とブレースが屋根を貫通していることが分かる。


スピーカー櫓と化している。写真⑦では判然としないが半鐘も吊り下げられている。屋根のてっぺんに避雷針が付いていない。建設当初は付いていた、と思われる。屋根の4隅にはちゃんと蕨手が付いている。


踊り場にも半鐘を吊り下げてある。消火ホースを掛けるフックも取り付けてある。外付け梯子から踊り場内へ入る開口上部にアーチ形の部材を付けている。これがあると、出入口という感じ、出入口感がでる。平鋼をひねって、梯子と櫓の横架材とを繋いである。


梯子の振れ留めを設置してある。

興味深い火の見櫓がまだまだ何基もありそうだ。火の見櫓の世界に出口なし。


 


火の見櫓のある風景

2023-03-11 | A 火の見櫓のある風景を描く


火の見櫓のある風景 松本市笹賀にて 2023.03.10

 以前と比べて、着色するとき、絵の具をより多くの水で溶くようになり、絵筆に含ませる水も増やすようになった。その分、色の透明度が増して、スケッチが「弱い」という印象になっている。でも、線描がより分かりやすくなった。技術的な課題があれこれあるが、試行しながらクリアしていきたい。言うまでもなく、楽しく描くということが基本。


 


「黒い海」

2023-03-10 | A 読書日記

 
『黒い海』伊澤理江(講談社2022年)

 読後の感想は一言、「不条理」。

平成20年(2008年)6月23日、第58寿和(すわ)丸は犬吠埼東方沖350km付近で荒天をしのぐために午前9時ころからパラ泊(*1 パラシュート・アンカーによる漂泊)を始めていた。乗組員は20人。

午後1時10分ごろ、船体が強い衝撃を続けて2度受ける。直後に右に大きく傾いた船体はその後深海の底へ沈んでいった・・・。生存者3人、犠牲者17人。


事故調査報告書はネット上に公開されている。

事故から3年近く経って運輸安全委員会から出された「船舶事故調査報告書」は生存者3人や僚船の乗組員たちの証言とは大きく食い違う内容で、波による転覆・沈没の可能性を示した結論だった。漁具などの積載方法に問題があり、転覆しやすい状態だったという報告も事実と異なっており、生存者や漁業関係者にとって受け入れがたいものだった。


なぜ乗組員の証言は無視されたのか・・・。流失した油が少量であれば、船底損傷の可能性は想定し得ない。多量であれば船底損傷が疑われる。漁船から油が大量に流出して海が真っ黒になり、泳ぐことが出来ないほどだったという証言を生存者がしているのに、報告書には約15~23ℓと推定され、と記されている。2度の衝撃音。**「あの音、あれは絶対、波なんかじゃない」**(88頁)

偶然、この事故を知った著者は真相を追い始める。

潜水艦が衝突して船底を損傷したのではないか・・・。著者は多くの資料に当たり、多くの関係者や専門家を訪ね歩く。中には証言を拒む関係者も。国に調査資料の開示請求をするも、届くのは不開示通知ばかり。

一体なぜ事実が歪められたのか・・・。

**世界のどこかに真実を知っている人間はいるはずだ。
    事故の事実を残す文書も存在するだろう。
 (中略)
    取材の道のりは長いが、望みは捨てていない**(298頁)

著者・伊澤理江さんはウェストミンスター大学大学院ジャーナリズム学科修士課程を修了し、イギリスの新聞社、PR会社を経てフリーのジャーナリストになった方(巻末のプロフィールによる)。

伊澤理江さんの真相に迫ろうとする気概に拍手。


*1 パラ泊について本文に次のような説明がある。**船首側の海中で落下傘を広げ、水の抵抗を使って船首を風上に向ける。横波を受けにくくなるため船体は安定し、安全性が高くなる。**(9頁)



春霞の安曇野 火の見櫓のある風景

2023-03-08 | A 火の見櫓のある風景を描く


火の見櫓のある風景 安曇野市豊科にて 描画日2023.03.08

 道路を中心に据え、両側の樹木や家屋で遠近感を出す技法 「道路山水」をネット検索するとこのような説明が見つかる。火の見櫓のある風景スケッチの大半が好きな道路山水的構図だが、今日(8日)描いたような中遠景で集落が水平方向に広がる構図も好き。


 


「草枕」

2023-03-07 | A 読書日記

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 『草枕』を一言で評するなら、漱石の教養が書かせた小説だということだ。

『吾輩は猫である』には小説らしいストーリーは無い。『草枕』にも無い。『吾輩は猫である』で漱石は文明論を語り、文明批評をする。『草枕』では芸術論を語る。知らない言葉が頻出する。その都度巻末の注解を参照する。よく分からないところもあるが、それはそれでよいと割り切って、読んだ。

**山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。**(5頁)

『草枕』は読んだことはないけれど、この書き出しは知っている、という人も少なくないのでは。音読するとリズミカルで心地よいことにこの一文で気がつく。

書き出しが有名ということでは『雪国』然り。この小説は川端康成の感性が書かせた、と言ってよいだろう。夏目漱石の教養、川端の感性と対比的に捉えられないこともない。川端康成は『雪国』において美というものきっちり小説化し、夏目漱石は『草枕』で美を評論的にまとめた。温泉地で知り合った女性と主人公との関わりが小説の主軸となっているところは共通している。展開される内容は全く違うが。

**われ等が俗に画と称するものは、只眼前の人事風光を有のままなる姿として、若しくはこれを審美眼に濾過して、絵絹の上に移したものに過ぎぬ。(中略)ある特別の感興を、己(おの)が捕らえたる森羅の裡(うち)に寓するのがこの種の技術家の主意であるから、彼等の見たる物象感が明瞭に筆端に迸(ほとばし)っておらねば、画を製作したとは云わぬ。**(76頁)。『草枕』に出てくるこの件を読んでうれしくなった。私が思っていることを、漱石がキッチリ書いてくれている。

**那美さんは茫然として、行く汽車を見送る。その茫然のうちには不思議にも今までかつて見た事のない「憐れ」が一面に浮いている。
「それだ!それだ!それが出れば画になりますよ」
と余は那美さんの肩を叩きながら小声に云った。余が胸中の画面はこの咄嗟の際に成就したのである。**(169頁)

引用したのはこの小説のラスト。ここを読んで、先に引用した漱石の絵画観を具体的に描いたものと理解した。これが小説仕立てにした芸術論の結論、ということだろう。



こんなことになってしまった。また読むときは買い直さないといけないかな・・・。


2008年のダイアリーに貼ってあるミレイ展のチケット

『草枕』にはミレイの「オフィーリア」(*1)、そうシェイクスピアの「ハムレット」の悲劇のヒロインを描いた絵が出てくる。2008年10月4日にこの絵を渋谷で観た。

**こんな所へ美しい女の浮いている所をかいたら、どうだろうと思いながら(後略)**(122頁) 主人公は鏡が池に来て、このようなことを考える。漱石は「オフィーリア」を時々思い浮かべながらこの小説を書いたのだろう。

*1 漱石はミレー、オフェリアと表記している。「落穂拾い」「晩鐘」「種まく人」のミレーとは別人。


 


火の見櫓のある風景

2023-03-07 | A 火の見櫓のある風景を描く


火の見櫓のある風景 松本市笹賀にて 描画日2023.03.06

 蔵の妻面が画面を大きく占めて、構図がまとめにくい。でも敢えてチャレンジした。屋根面が見えるか見えないか、微妙なアングル。屋根に後方の屋根が重なっているが、省略した方が良かったかもしれない。

眼前の風景を写真のように再現するようなことはしたくない。そんな画力もないが・・・。