史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

高尾 Ⅵ

2020年06月27日 | 東京都

(川村家墓地)

 

裏高尾 川村家墓地

 

 来年(令和三年(2021))の大河ドラマの主役は渋沢栄一だという。新札の肖像に渋沢栄一が登場するというニュースも相俟って書店には渋沢栄一関連本が並ぶようになった。

 渋沢栄一は若い頃、挙兵して高崎城を奪い、横浜で外国人を襲撃するという騒動を画策していた。結局その計画は実行されなかったが、同志に八王子出身の真田範之助がいた。

 また若き渋沢栄一が一橋家の平岡円四郎に見いだされ、一橋家に仕えることになったのは有名な話だが、平岡に渋沢栄一、喜作を引き合わせたのが川村恵十郎(正平)といわれる。八王子出身者が大河ドラマに登場するのか今から楽しみである。

 川村は小仏関で代々関所番をつとめた川村家の出身。関所番は川村家のほか、直亮、直文兄弟を生んだ落合家、佐藤家、小野崎家という四家が担当した。

 川村恵十郎は、天保六年(1835)の生まれ。少年の頃より武技を好み、尚武の気性に富んでいた。竹林坊赤松光映に師事、その推輓で川越藩主松平直克に仕え、文久三年(1863)、京都に赴いたが、ついで一橋慶喜に仕えて過人となった。元治元年(1864)六月、一橋家側用人兼番頭の平岡円四郎が水戸藩士に襲撃され斬殺されたが、その場で二人を斬り伏せた。恵十郎も顔面に敵刃を受け、「傷の正平」の異名をとった。晩年の写真が残っているが、顔面に斜めの大きな傷跡が確認できる。このときの功により慶喜より十人頭に取り立てられ、禄二百石を賜った。慶應二年(1866)十二月、慶喜が将軍となると旗本の士として近侍し、慶応四年(1868)一月、鳥羽伏見に敗れて江戸に帰るときも、さらに駿府に隠退するときも、常に慶喜に従った。のち明治政府に仕えて大蔵省、内務省に出仕し、明治六年(1873)、福岡県下に反乱が起こると、林友幸に従って西下し、これを鎮静した。ついで内務卿大久保利通の知遇を得て、明治七年(1874)、大久保が全権弁理大臣として清国に差遣されると、これに随行した。のち宮内省出仕、内閣記録局に勤め、明治十四年(1881)には天皇の東北巡幸に供奉した。官途を退いて後は、日光東照宮禰宜となった。劇作家川村花菱は実子。明治三十年(1897)、年六十三にて没。

 八王子市裏高尾町392‐5の川村家墓地は代々関所番を務めた川村家の墓地である。有刺鉄線で囲われた墓地にどう頑張っても進入することができず、柵の外からでは恵十郎の墓を特定することはできなかった。法名は「忠諤院殿直節純徳居士」。

 

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