史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

上越 Ⅴ

2022年11月19日 | 新潟県

(小猿屋)

 

笠松宗謙墓

 

史蹟 笠松宗謙住居跡

 

 小猿屋(こざるや)という集落に笠松宗謙の住居跡および墓がある。

 笠松宗謙は、天保九年(1838)の生まれ。諱は宗謙、通称は謙吾、源次郎、賀之吉。倉石侗窩に学び、嘉永六年(1853)、江戸に出て安積艮斎の門に学び、艮斎没後昌平黌に入り、文久元年(1861)、帰郷して塾を開き、勤王の士と交わって庇護した。慶應二年(1866)、まず会津を討つべしとして、下越の同志と語らい奥羽の諸藩に遊説したが、慶応三年(1867)、これが露顕して村松藩の七士が捕らえられると、宗謙も名を変えて仙台に出奔した。慶應四年(1868)の戊辰戦争には帰郷して政府軍を先導して活躍し、明治四年(171)、柏崎県庁に建言して川浦郷学を設け、教授として地方教育に尽くした。明治五年(1872)、年三十五で没。

 

(光明寺)

 光明寺には官軍に属して戊辰戦争で戦死した小浜藩士山田庫之進の墓がある。

 

光明寺

 

山田盛房之墓(山田庫之進の墓)

 

 山田庫之進は、慶応四年(1868)六月、越後出雲崎にて戦死。三十一歳。

 

(黒井)

 

明治天皇聖蹟

 

 黒井交差点近くの空き地の前に明治天皇聖蹟碑が建てられている。明治十一年(1878)九月二十五日、滞在。

 

(行野浜)

 県道129号線沿いの民家の前に明治天皇行野濱御小休所 附御膳水碑が建てられている。明治十一年(1878)九月二十五日の滞在。

 

明治天皇行野濱御小休所 附御膳水

 

明治天皇行野濱御小休所

 

(潟町)

 

明治天皇潟町行在所

 

 潟町郵便局近くに明治天皇潟町行在所碑がある。背後の建物は往時の面影を伝えている。

 

(浄福寺)

 柿崎の浄福寺には御座所跡が保存され、その前に「明治天皇御駐輦所」碑が立つ。寺には下賜されたと伝わる明治天皇の足袋やお茶碗、行在所と墨書された木札などが保存されている。

 

浄福寺

 

明治天皇御駐輦所

明治天皇御座所

 

(頚城酒造株式会社)

 

頚城酒造株式会社

 

 頚城酒造の歴史は、元禄十年(1697)まで遡る。上杉謙信の家臣八木家の分家が大地主となり、五代目八木善六郎によって八木酒造が創業されたのがその起源である。

 明治十一年(1878)の明治天皇の北陸巡幸において、柿崎の浄福寺が行在所に指定された。明治天皇に献上された御膳水には八木家と縁戚関係にあった小松酒造の水が選ばれた。

 昭和十一年(1936)、小松酒造は八木酒造に譲渡され、頚城酒造が誕生した。

 

(二本木)

 

明治天皇二本木御小休所

 

 二本木地区の白山神社の隣に明治天皇二本木御小休所碑が立ち、その背後に天皇が滞在した建物が保存されている。

 

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