史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

柏崎 Ⅳ

2011年09月12日 | 新潟県
(極楽寺)


極楽寺


石井家之墓

石井勇次郎の墓である。石井勇次郎は桑名藩士で、戊辰戦争が起きると、大鳥圭介の旧幕軍に投じて今市、会津を転戦した。仙台から蝦夷へわたり土方歳三が率いる新選組に入隊した。明治三十六年(1903)死去。五十八歳。

(龍泉寺)
鯨波の龍泉寺には、戊辰戦争戦死者で加賀藩夫卒長蔵の墓がある。正面には「釋還阿信士」と法名が刻まれ、右側面に「慶應四戊辰年閏四月二十七日 鯨波戦争之口中大砲玉死 加州人夫越中東水橋 長蔵」と記されている。


龍泉寺


加州藩 夫卒 長蔵

(多聞寺)


多聞寺

多聞寺は、笠島海水浴場を眼下に見下ろす高台にある。海に面した墓地に戦死した加賀藩士の墓がある。


金沢藩士戦死者の墓

(向山)


北越戊辰の役 当処戦没者 供養塔

慶應四年(1868)五月十四日、灰爪で水戸を脱出してきた諸生党と新政府軍が遭遇し、激戦となった。このときの戦闘では結城寅寿の子、結城七之助ら六十余命が戦死したと言われるが、昭和五十二年(1977)に四体の白骨が発見され、鑑定の結果、このときの犠牲者である可能性が高いとされた。遺骨は埋め戻され、この地に供養塔が建てられた。隣には水戸市が寄贈した石像が置かれている。


水戸市寄贈の石像

(椎谷陣屋址)


椎谷陣屋跡

柏崎市椎谷地区には、椎谷(しいや)陣屋跡が所在する。この陣屋は椎谷藩一万石のもので、丘陵の内側に廓状の三千坪の平坦地が確保され、そこに藩邸や砲術稽古場、馬場などが設けられていた。現在は石碑と神社などが点在しているだけである。


砲術稽古場跡

慶応四年(1868)、椎谷陣屋も戊辰戦争の戦場となり、陣屋は戦火により全焼した。椎谷藩は官軍についたが、水戸藩諸政党の急襲を受け一度は陣屋を明け渡した。椎谷藩では薩長軍の加勢を得て再び奪取した。このとき水戸諸政党は陣屋に火を放ち、陣屋と城下は大きな被害を受けた。


椎谷海水浴場

陣屋の下は美しい海水浴場となっている。


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