本書「はじめに」では「日本の近代化のスタート地点とされ、奇跡のような革命と称賛されることが多い「明治維新」など、一歩踏み込めば暗殺および暗殺未遂事件のオンパレード」と解説しているが、そのとおりであろう。ペリー来航から明治改元までの十数年間で「百件を超える暗殺事件」が起こったという。比較的治安が良いといわれる我が国であるが、この時代に限っていえば、血で彩られていたといって過言ではない。
現代においては、たとえ相手が犯罪者であっても暗殺やテロは、非難の的となる。(一昔前のことになるが)オーム真理教の幹部や悪徳商法で社会問題化した豊田商事の会長が刺殺された事件でも、犯人は殺人者として裁かれた。
現代の目で幕末維新時の暗殺やテロを批判することは容易であるが、あまり意味のあることとも思えない。とはいえ、無抵抗のターゲットを斬殺しその首を衆人のもとにさらしたり、外国商船を砲撃して「洋夷与し易し」と浮かれる長州藩士を戒めた中島名左衛門を暗殺した事件など、狂気の沙汰としか思えない。明治政府は、テロ実行犯を靖国に合祀し贈位して顕彰したが、当時の道徳に照らしても褒められるような行為ではなかったのではないか。
思えば当時の武士階級は、殺傷能力の高い日本刀を常時携帯していた。銃社会である現代アメリカにおいて、乱射事件や殺傷事件が絶えないのも、手を伸ばせば身近なところに武器があるからであり、銃を無くせばそのような惨劇は減るのは自明のことである。同様に当時の日本は、武器を手にしていた(しかも切捨御免の特権まで与えられた)人がウロウロしていたわけで、テロや暗殺が横行したのもある程度の必然性があったのかもしれない。
本書は幕末維新期に発生した暗殺、テロ事件を羅列しているだけでなく、一つの興味深い論争を紹介している。明治十一年(1878)、大久保利通が暗殺されると、政府は直ちに官位を追贈し、大久保家を継いだ利和は侯爵に列せられた。
これを知った井伊家旧臣の遠城謙道は、井伊直弼への追贈を明治天皇に訴え出た。井伊直弼も大久保利通と同じように「忠君愛国」に身を捧げたにもかかわらず、いまだ冤罪が晴れていないとし「利通倘シ追賞スベクレバ、直弼モ亦追賞スベシ。直弼決シテ追賞ス可ラザレバ、利通モ亦決シテ追賞ス可ラズ。請フ、陛下其一拓ニテ此ニ処シ玉ンコトヲ」というのである。もちろん太政官はこの建白を受け入れなかった。
明治政府は一貫して井伊は悪役、井伊を暗殺した水戸浪士を「烈士」として顕彰してきた。しかし、世の中が落ち着くにつれ、旧臣の間から井伊直弼を「開国の恩人」として復権させようという動きが起こる。彼らは井伊の顕彰碑や銅像を建立しようとしたが、政府の圧力を受けてなかなか実現しなかった。横浜の戸部に井伊直弼の銅像が建てられたのは、明治四十二年(1909)のことである。
銅像の除幕式は、各国大使を招いて盛大に開かれるはずであった。ところが、当時はまだ維新に活躍した志士たちが健在であった。伊藤博文、井上馨、松方正義の三元老は憤慨し式をボイコット。元老大臣で出席したのは大隈重信だけであった。関係者が存命のうちは、冷静に事件を論じるのは難しい。その端的な例といえる。
今年は桜田門外の変から百六十年。十分な時間が経ったといえるが、大久保を顕彰し、井伊直弼は顕彰しない、あるいは水戸浪士を顕彰し、大久保暗殺犯はそうしないことを論理的に説明するのは難しい。
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