史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

東庄 Ⅱ

2017年07月01日 | 千葉県
(東庄県民の森)


福聚寺

 先日、東庄町諏訪神社の天保水滸伝遺品館で勢力富五郎の墓が町内の金毘羅山にあることを知った。その時は時間の都合で諦めたが、今回ようやく訪ねることができた。
 東庄県民の森は運動施設や芝生広場などを備え、百ヘクタールを越える広大な施設である。この場所で当てもなく勢力(せいりき)富五郎の墓を探すのは無茶というものである。
 駐車場は第二駐車場を利用すると良い。あるいは福聚寺に自動車を停めて、そこから遊歩道を進む。
 福聚寺前から勢力富五郎の墓へは、片道四百メートル程の遊歩道が整備されている。行き当たったところに勢力富五郎の墓碑と歌碑が並べて建てられている。


勢力霊神(勢力富五郎の碑)と歌碑

 笹川繁蔵が飯岡一家の手によって暗殺されたのが、弘化四年(1847)のことである。繁蔵亡きあと、一家の中心は勢力富五郎が担ったが、繁蔵の仇を討とうとして、関八州の手勢に追われ、金毘羅山に逃げ込み、嘉永二年(1849)四月二十八日、この地で自刃した。
 明治七年(1874)、里人によって「勢力霊神」と刻んだ小碑が建てられ、以来金毘羅山は勢力山と呼ばれるようになった。その左手の歌碑は、富五郎の霊を慰めるために繁蔵一家の一族によって建てられたものである。

ほととぎす 金毘羅山の一声は
関八洲に響く勢力

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 蒲原 | トップ | 銚子 Ⅲ »

コメントを投稿

千葉県」カテゴリの最新記事