史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

銚子 Ⅲ

2017年07月01日 | 千葉県
(ヤマサ醤油)


ヤマサ醤油

 門前にはためく「しょうゆソフトクリーム」が気になったが、工場見学には事前予約が必要である。


梧陵濱口君紀徳碑

 この日は梅雨入り前の週末、好天に恵まれ、本来冬の間に計画していた千葉県内の史跡探訪に出かけることにした。早朝五時に起床。銚子から東庄、旭、匝瑳、大多喜、君津、館山と予定していたスポットを全て回ることができた。帰路、海ほたるで渋滞に巻き込まれたが、これも予定とおり夕食までに帰宅することができた。

 銚子ではヤマサ醤油前の濱口梧陵紀徳碑を訪ねた。
 濱口梧陵は、文政三年(1820)紀伊の有田郡廣村(現・広川町)に生まれた。ヤマサ醤油濱口家の第七代当主。儀兵衛を襲名したが、隠居後は梧陵と名乗った。ヤマサ醤油当主としての経済的な活動にとどまらず、明治維新前後、開明家、慈善家、政治家として幅広く活動した。司馬遼太郎は「胡蝶の夢」の中で、「紳商」という言葉を用いて称賛している。
 勝海舟、福沢諭吉ら当時の先覚者と交遊し、蘭医関寛斎への援助、東大医学部の前身である神田お玉ヶ池種痘所のために寄附を行った。特に安政元年(1854)、郷里廣村が津波に襲われたとき、稲むらに火を点けて村民を高台に誘導し、危難を救った。津波のあと、梧陵は私財を投じて海岸に堤防を築いた。この堤防は今も現存しており、津波から町を守っている。
 紀州藩の参政として藩の政治に参画し、廃藩置県とともに明治政府に召されて初代駅逓頭(郵政大臣)、転じて和歌山県の初代県会議長としても声望を集めた。明治十八年(1885)、ニューヨークにて客死。
 この石碑は、生前交友のあった勝海舟の題額。重野安繹の撰文。日下部東作の書。明治三十年(1897)一月に建立されたものである。

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