史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

八幡浜

2014年01月12日 | 愛媛県
(二宮敬作記念公園)
 これまでは数か月に一度四国への出張があったが、七月一日付で関係会社へ出向することになったため、以来四国へ行く機会が無くなっていた。今秋、野球大会が愛媛県新居浜で開かれたので、久しぶりに四国に渡ることができた。試合の方は、初戦屈辱的大敗(何と22対1)を喫したため、一日で日程を終了して、二日目は朝からフリーとなった。ここまでは想定とおりである。予めレンタカーを予約していたので、朝から八幡浜、卯之町さらに徳島市内の史跡を探訪することにした。
 先日、吉村昭の長編「ふぉん・しいほるとの娘」を読み終わった。この本を読んだのは二度目であるが、何回読んでも感動できる本である。そこで今回の南予の旅のテーマを、シーボルトの娘イネを父親代わりとなって養育した二宮敬作に定め、関連史跡を駆け足で巡ることにした。


二宮敬作像

 最初の訪問地は、二宮敬作の生誕地である八幡浜市保内町磯崎である。新居浜からほぼ二時間のドライブで磯崎に行き着く。国道沿いに二宮敬作記念公園が設けられ、そこに二宮敬作の立像がある。

(二宮敬作生家跡)


二宮敬作生家跡

 シーボルトが国外追放となって、多くの弟子もシーボルトと距離を置くようになった。シーボルトが二度目の来日を果たした後、滝やイネとの関係も冷え込んでいく。しかし、敬作のシーボルトへの想いは変わらず、彼は終生シーボルトの忠実な弟子であり続けた。シーボルトが離日した文久二年(1862)三月十二日の朝、シーボルトが二度と来日しないことを見通したかのように息を引き取った。
 現在、二宮敬作の生家跡には石碑と説明書が設置されているだけで建物等は何も残っていない。ここで写真を撮っていると、向かいの理髪店のご主人が出てこられて、二年前に取り壊された旧家の写真を見せてくれた。その際、わずかではあるが、医家に関わる代物や文書が出てきたという。現在、二宮家の末裔の方は保内町に居住されているそうである。


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