本書のテーマは、幕末の社会である。本書では「在地社会」という用語が頻繁に登場するが、一読した限り、「在地社会」に関する定義は記述されていない。私なりに理解したところでは、朝廷とか幕府といった政治の中心地や、江戸や京都といった政治の舞台となった都市とは、真逆の存在を「在地社会」と呼んでいるようである。
本書のもう一つの特徴は、幕末をペリーの来航した嘉永六年(1853)からではなく、十九世紀前半(学術的には「近代移行期」とも呼ばれている)からを幕末ととらえて取り上げていることである。本書では天保期の解説にほぼ三分の一を充てている。
遡れば徳川幕府は武力で成立した政権であったが、幕藩体制は「仁政」と「武威」という二つの大きな政治理念で支えられたものであった。「仁政と武威」という政治理念が揺らぎ始めたのが、天保期であった。水戸藩主徳川斉昭は天保という時代を「内憂外患」と表現した。アヘン戦争の衝撃が我が国に伝わると同時に、水野忠邦が主導した天保の改革が失敗に帰し、甲州騒動、三河・加茂一揆、大塩平八郎の乱などの広域な百姓一揆や騒動が立て続けに発生した。
江戸を中心とした巨大な消費経済圏が成立する一方で、地方では生糸や絹織物などの特産物の生産・販売に関与する豪農に富が集中し、そこから外れた地域では人口が流出し、農村荒廃が進んだのもこの時代であった。今風にいえば「格差社会」である。若者にとって将来への希望が見いだせない時代となり、博徒となる若者もいた。
その結果、強請(ゆすり)、たかりをはたらく浪人、賭場に集まる博徒、そこに集まる無宿人や渡世人が横行し、社会不安が増大した。この時期、上州の国定忠治、下総の飯岡助五郎、笹川繁蔵ら侠客と呼ばれる人たちが同時発生的に発生したのも、決して偶然ではなかろう。
幕府の武威が揺るぎ始めた時期、在地社会では暴力から村を守るため自衛強化に走った(その代表的存在として、新選組を支援した、日野の佐藤彦五郎が挙げられる)。ただし、幕藩領主への信頼度は低下したとはいえ、まだ完全に否定するところまで行ったわけではない。
幕末期の政治史を見ていると、あたかも尊王と佐幕、あるいは攘夷と開国が国論を二分して争っていたような印象を受けるが、「在地社会」は意外と冷静であった。
文久三年(1863)三月から五月にかけて、前年に起こった生麦事件を受けて、江戸から横浜周辺は臨戦態勢に置かれ、江戸や東海道周辺の在地社会は緊張に包まれていた。その頃、江戸の町で一つの「張紙」が出た。外国の軍艦は無礼驕慢で決して許すことはできないとしながら、老中は臆病で腰抜けであり、巨額の償金を払ったことは百姓の働きを奪うことだと幕府を痛烈に批判する。これに対し、攘夷など小児の戯言である。一旦開国したのだから攘夷など理屈が通らないといった極めて全うな反論が、やはり張紙の形で出された。
尊王攘夷の本山である長州では、百姓の二・三男も入隊した奇兵隊が結成され、「在地社会も一体となって郷土防衛に立ちあがった」かのような印象を受ける。彼らには奇兵隊で活躍して恩賞と名誉を獲得し、あわよくば「身上がり」を実現したいという動機もあったと思われる。彼らは決して郷土防衛意識のために立ち上がったのではない。奇兵隊をもって近代的ナショナリズムの萌芽とまではとても言い切れない。
本書では、在地社会における尊王攘夷運動について、信州伊那谷・木曽谷地域と房総九十九里地域を取り上げている。
文久期、伊那谷・木曽谷地域には平田国学が浸透し、その中から市岡殷政、間秀矩、肥田通光といった尊攘活動家も出た。「勤王ばあさん」として有名な松尾多勢子もこの地域の出である。しかし、この地域全体が熱狂的な尊王攘夷に傾いていたのかというと、必ずしもそういうわけではない。
元治元年(1864)十一月、天狗党が伊那谷・木曽谷地域に現れると、平田国学者らは本来彼らに同情的でありながら、この地域での戦闘回避のために奔走した。確かに伊那谷の平田国学者らは、天狗党に献身的に応対したものの、天狗党に合流したものは一人も出ていない。松尾多勢子にしても天狗党の誰とも会っていない(なお、おそらく多勢子の指示を受けて長男誠は天狗党に接触して進路について助言を与えている)。筆者は「この戦闘集団に価値を見出せなかったのだろう」と推測している。
伊那谷の平田国学者らは、天狗党に畏怖と敬意を払っていたが、一方で冷静に天狗党を危険な戦闘集団だと認識していた。
文久三年(1863)十一月から元治元年(1864)正月という短い期間、九十九里地域に真忠組と呼ばれる集団が出現した。真忠組は横浜の夷人を征伐するという名目で、名主の家に押し込み、軍用金を強勢した。幕府の動きは迅速であった。佐倉藩など総勢千五百を動員して武力鎮圧に動き、真忠組は敢え無く壊滅した。筆者は「真忠組が語った尊王攘夷活動は、在地社会の日常に溶け込むことはなく、真忠組の存在そのものは、よそ者の暴力集団でしかなかった」と総括している。在地社会の人々は高邁な思想やイデオロギーで動くのではなく、現実的な損得や身の危険を冷静に感じ取って判断している。そこに民衆の「強かさ」を見ることができる。
本書では、信達出身の菅野八郎や三閉伊一揆の頭取の一人三浦命助など、普段取り上げられることの少ない人物を紹介している。彼らの所縁の地を巡ってきた私は密かに興奮した。筆者は「歴史叙述を行うにあたり、史料と現地にこだわってきた」という。確かに現地に立ってみないと書けない描写が散りばめられている。これも本書の魅力となっている。
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