史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

佐賀城北側 Ⅲ

2016年07月09日 | 佐賀県
(八幡小路)


久米邦武誕生地

 武雄の平山醇左衛門の墓を訪ねた後、佐賀市内の八幡小路の久米邦武誕生地に着いたのは午前七時前であった。ここには歯科医院があって、老婦人が掃き掃除をされていた。写真を撮っていると「記者の方ですか」と聞かれた。たまに取材に来るらしい。御夫人に「よくここが分かりましたね」と褒められてしまった。

 久米邦武は、(1839)佐賀八幡小路に生まれた。号は易堂。藩校弘道館で学んだ後、昌平坂学問所遊学。藩主鍋島直正の近習となり弘道館教諭、のち佐賀県大属。明治四年(1871)上京、岩倉使節団に随行し、明治十二年(1879)、「特命全権大使米欧回覧実記」を刊行した。翌年、修史館に転じ、「大日本編年史」編纂に従事した。明治二十二年(1889)、帝国大学文科大学教授となり、史学会設立に尽力したが、明治二十五年(1892)、いわゆる筆禍事件により依願免官。その後は東京専門学校(現・早稲田大学)講師となり、大正十一年(1922)まで早稲田大学で教えた。文学博士。日本古文書学をはじめ、我が国近代史学の基礎を築いた功績は大きい。
 「特命全権大使米欧回覧実記」は、今から百三十年以上も前に書かれたものであるが、西欧からできる限り吸収しようという情熱と、緻密な観察力と記録への熱意を感じることができる歴史的名著である。海外に行くときは必ず行先の記述を読むようにしている。

 久米邦武誕生地の向かい辺りに、古い武家屋敷門が残されている。旧鍋島監物家の潜戸付長屋門である(建築年代は不明)。


武家屋敷門
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