え~と。
どこから書き始めましょう。
田中冬二詩集「サングラスの蕪村」は、昭和51年(1976年)。著者82歳の時に出版されておりました。そのはじまりに「『サングラスの蕪村』に関して」という1ページほどの文があります(「田中冬二全集」第二巻・筑摩書房)。
まずは、そこから
「私は詩を書いて来て五十余年、顧みればそれは詩を書いて来たというよりも、ロマンを追つたことのようだ。そしてそのロマンが詩をもたらしたのだ。私はこれまで詩作上のプロジェクトとして、日常見聞したこと、感銘したこと、ふと思い浮かんだことなどを、一冊のノートにいちいち誌して来た。・・・・これは私の詩作上の単に参考資料であつて、クリエーションに反しない事はもとよりである。・・・・きわめて軽いものなのである。といつてこれを無下に捨ててしまうのも惜しく、敢えてまとめてみた。
私は老年であるが、エスプリは燃え上がる青春の日のままである。そうした一面にはまた独楽(こま)が澄みきつて廻つているような、しずかな心境を欲している。」
こうしてノートを「敢えてまとめてみた」というのが、題して「サングラスの蕪村」なのでした。そこから一箇所。
「 火吹竹 味噌漉し 擂(す)り粉木 擂り鉢 片口 漏斗(じょうご) 目笊(めざる) 蒸籠(せいろう) 散蓮華(ちりれんげ) 卸金(おろしがね) 土瓶 土鍋 七輪 枡(ます) 焙烙(ほうろく) みんな忘れられてゆくものばかりだ 」
ところで、幸田文に「みそつかす」というのがあります(「幸田文全集第二巻」岩波書店)。
そこに「みそつかすのことば」という7ページほどの文。
「大言海をあけて見た。そこにみそつかすといふことばは載つてゐなかつた。そうか、無いのか・・・」とはじまっております。
「雑誌が出るとたちまちだつた。『あの題はなんと読むの』と親しい人から訊かれた。訊かれると途端に、しかし漸く、ああしまつた、通じないぞと悔やんだ。味噌汁の味噌がもうずつと前からみんな漉し味噌になつてゐて滓のないことは、毎朝あつかつて来た自分自身がもつともよく知つてゐる筈のものを、うつかり勘定に入れ忘れ、我を張つてこんな題にした間のわるさ、ばからしさ。いまさら、みそつかすとは東京だけの方言かなどとも思ひつつ、しやうがないから人に訊かれるたびに、擂粉木・味噌漉の、昔の味噌汁製造法を説明しなくてはならなかつた。」
ちなみに、気になって三省堂国語辞典(第四版)を引いてみました。
「みそっかす・味噌っ滓」みそをこしたあとの、かす。いちばんつまらないもののたとえ。
(子どもの遊びで)一人前になかまに入れてもらえない者。
と、あります。
幸田文の「みそつかすのことば」の最後は、その子どもの遊びで使われる「みそつかす」を語って、納得の1頁が書かれておりました。
さて、もう一箇所。
幸田文著「雀の手帖」(新潮文庫)の最後に
出久根達郎氏が「幸田さんの言葉」と題して書いておりました。
そこにも
「ずっとのちに至って、私は幸田さんの言葉が、かなり特殊であるのを知る。方言でなく、いや一種の方言だが、ごくごく狭い地域の、極端に言うなら、幸田家とその周辺で遣われる言葉なのだった。けれども通じないことはない。いなか者の少年にも、十分、意味は通じたのである。正確にはわからなくとも、大体の内容はつかめた。『おっぺされる』などは、茨城人の私も日常、口にのぼせていた。『押しひしがれる』ことである。私が幼年時に遣っていた日常語を、幸田さんが堂々と書物で用いているのだから、感動するはずである。
これは『雀の手帖』には出てこないが、幸田さんの初期の文に『みそっかす』という語が遣われている。子供たちの遊びで、一人前と認めてもらえぬ者のことだが、私のいなかでは、『みそっこ』と入った。『みそっかす』とも言った。」
どこから書き始めましょう。
田中冬二詩集「サングラスの蕪村」は、昭和51年(1976年)。著者82歳の時に出版されておりました。そのはじまりに「『サングラスの蕪村』に関して」という1ページほどの文があります(「田中冬二全集」第二巻・筑摩書房)。
まずは、そこから
「私は詩を書いて来て五十余年、顧みればそれは詩を書いて来たというよりも、ロマンを追つたことのようだ。そしてそのロマンが詩をもたらしたのだ。私はこれまで詩作上のプロジェクトとして、日常見聞したこと、感銘したこと、ふと思い浮かんだことなどを、一冊のノートにいちいち誌して来た。・・・・これは私の詩作上の単に参考資料であつて、クリエーションに反しない事はもとよりである。・・・・きわめて軽いものなのである。といつてこれを無下に捨ててしまうのも惜しく、敢えてまとめてみた。
私は老年であるが、エスプリは燃え上がる青春の日のままである。そうした一面にはまた独楽(こま)が澄みきつて廻つているような、しずかな心境を欲している。」
こうしてノートを「敢えてまとめてみた」というのが、題して「サングラスの蕪村」なのでした。そこから一箇所。
「 火吹竹 味噌漉し 擂(す)り粉木 擂り鉢 片口 漏斗(じょうご) 目笊(めざる) 蒸籠(せいろう) 散蓮華(ちりれんげ) 卸金(おろしがね) 土瓶 土鍋 七輪 枡(ます) 焙烙(ほうろく) みんな忘れられてゆくものばかりだ 」
ところで、幸田文に「みそつかす」というのがあります(「幸田文全集第二巻」岩波書店)。
そこに「みそつかすのことば」という7ページほどの文。
「大言海をあけて見た。そこにみそつかすといふことばは載つてゐなかつた。そうか、無いのか・・・」とはじまっております。
「雑誌が出るとたちまちだつた。『あの題はなんと読むの』と親しい人から訊かれた。訊かれると途端に、しかし漸く、ああしまつた、通じないぞと悔やんだ。味噌汁の味噌がもうずつと前からみんな漉し味噌になつてゐて滓のないことは、毎朝あつかつて来た自分自身がもつともよく知つてゐる筈のものを、うつかり勘定に入れ忘れ、我を張つてこんな題にした間のわるさ、ばからしさ。いまさら、みそつかすとは東京だけの方言かなどとも思ひつつ、しやうがないから人に訊かれるたびに、擂粉木・味噌漉の、昔の味噌汁製造法を説明しなくてはならなかつた。」
ちなみに、気になって三省堂国語辞典(第四版)を引いてみました。
「みそっかす・味噌っ滓」みそをこしたあとの、かす。いちばんつまらないもののたとえ。
(子どもの遊びで)一人前になかまに入れてもらえない者。
と、あります。
幸田文の「みそつかすのことば」の最後は、その子どもの遊びで使われる「みそつかす」を語って、納得の1頁が書かれておりました。
さて、もう一箇所。
幸田文著「雀の手帖」(新潮文庫)の最後に
出久根達郎氏が「幸田さんの言葉」と題して書いておりました。
そこにも
「ずっとのちに至って、私は幸田さんの言葉が、かなり特殊であるのを知る。方言でなく、いや一種の方言だが、ごくごく狭い地域の、極端に言うなら、幸田家とその周辺で遣われる言葉なのだった。けれども通じないことはない。いなか者の少年にも、十分、意味は通じたのである。正確にはわからなくとも、大体の内容はつかめた。『おっぺされる』などは、茨城人の私も日常、口にのぼせていた。『押しひしがれる』ことである。私が幼年時に遣っていた日常語を、幸田さんが堂々と書物で用いているのだから、感動するはずである。
これは『雀の手帖』には出てこないが、幸田さんの初期の文に『みそっかす』という語が遣われている。子供たちの遊びで、一人前と認めてもらえぬ者のことだが、私のいなかでは、『みそっこ』と入った。『みそっかす』とも言った。」