和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

おいしい言葉。

2009-08-18 | 幸田文
KAWADE夢ムック・文藝別冊「総特集 幸田文 没後10年」。
そこで、「幸田文の東京っ子ことば」を読めました。
林えり子氏の文。

ちょっと魅力ある手ごたえなので、引用から。

「・・・母は、幸田文の愛読者だったが、なぜ母が文に惹かれたのかが、いま、この文章を書くいまになって、わかってきた。まだ年端もゆかぬ娘に読ませたかった理由も、いまさらに見えてくる。幸田文と母はほぼ同い年である。・・・・なぜ、娘の私に読ませようとしたのかというと、母がわが父母、祖父母から伝授された、根生いの江戸っ子以来の家のしつけなり暮しのありようが、戦後の混乱と無秩序の中で、意味もないものと見做されることへの忿懣が幸田文によってふつふつと涌きあがり、本当は娘に教えたかったことを引っこめていた自分に気づいたということであったろう。ことばや言いまわし、口調にしてもそうである。母は音羽で育ち、私の父となる婚家は本郷、その地での耳なれたもの以外の、東京っ子にとっては、耳障りな口吻が席捲しだしていた。娘は学校でおぼえてきたらしい、どこの土地だかわからないようなことばをつかいだす。それを訂正していいものか。戦後の民主教育は平等を旨としている。ことばにも平等観が求められているのか。そんな疑問が、幸田文によって解かれたのだろう。東京っ子のことばがここにある。こういう表現ならばこそ東京っ子の心情は伝えられるのだ。娘にその良さを、あらためて知らしむベきだ、そう思ったにちがいないのである。・・・」

ところで、この文章は、林えり子著「東京っ子ことば抄」(講談社)にある
「東京っ子ことばの親玉は幸田文」からの再録のようですが、そちらには、こんな箇所がありました。

「未練がましく言わせてもらえるなら、東京ことばの持つ一種のはじらい、感情をむきだしにしないスマートさ、くすりとおかしみのある言いまわし、リズミカルな口調と歯切れのよさ、そうしたものがこの東京から失われていくことに何ともやりきれない思いがする。ことばは文化である。伝達の一手段であり、ことばなくして人の生活は成り立ち得ない。どんなことばを択(えら)み、どんな言いかたをするのかに人柄がしのばれてもくる。東京っ子たちは、そのことを十分にわきまえていて、多弁を弄せず、一言きりりと言うことに誇りさえ感じてきた。東京っ子の集まる座は、まさに『談笑』というにふさわしい、なごやかさをかもしだした。そこでは拙い表現は恥とされた。会話は知性と礼節と諧謔が織りなすゲームであった。悠々と、季節の移ろいを愛でながらの、そうした座が持てなくなったいまの東京人に、喚起をうながしたいと思うのは、もはや夢なのか・・・・。」(p274)
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イヤラシイ一面。

2009-08-18 | Weblog
徳岡孝夫著「妻の肖像」の中の「仕事で死んだら」という文。
山本七平著「日本はなぜ敗れるのか」(角川oneテーマ21)の第三章「実数と員数」。
そして、徳岡孝夫著「岡本公三サイパン全記録 銃口は死を超えて」(新人物往来社)未読。

以上の3冊。

まずは「仕事で死んだら」からの引用。

「1967年の初夏に、香港取材を命じられた。文化大革命の騒ぎが、英植民地であった香港にも波及し、・・・あちこちで時限爆弾が破裂する騒ぎになった。その頃まで、週刊誌記者の海外取材なんて例外中の例外だった。・・・編集長Mさんは私を派遣することにした・・香港取材中に、私は新聞社のイヤラシイ一面を、まざまざと見た。編集局からも外信部の中国専門記者二人が私と同時に香港に入り、現地駐在の特派員と合わせて三人もいるのに、からきし取材力がないのである。歴代の特派員は英語ができないから、香港政庁へ取材に行ったことが一度もない。そのくせ私が危険を冒してテロの現場へ行って取材した結果を、横取りしようとする。詳しく語れば個人攻撃になるので略すが、私は入社のときから憧れていた『海外特派員』というものの実態を知って、がっかりした。皮肉なことに、その香港取材中に、私にバンコク特派員の辞令が出た。週刊誌野郎がいきなり社内のエリートでなければなれない特派員になる。思いがけない人事であった。」


つぎに山本七平氏の本から引用。

「岡本公三の裁判のとき、ある新聞記者は、ホテルから通訳のI氏に電話しただけで、一度も法廷に姿を現さないで記事にした。これでは、東京から電話しても同じことだが、I氏が久しぶりに帰国してその新聞を見ると、何と、法廷で自ら取材したように書かれていたという。私はそれに興味を感じ、その新聞を探し出して丹念に読んでみた。
確かに秀才の文章、きわめて巧みに整理され、I氏から電話取材した現場の情景が、巧みに、形容句のような形で文脈に挿入され、叙述それ自体はまことに【格調の高い】もので何ら破綻がないが、視覚に基づく強烈な印象が構文の先頭に出てきておらず、現場の目撃者の記録とは、基本的に構成が違っている。またその人が『見た』なら、その人の『見た』に基づくその人の判断があるはずであり、それがI氏の判断とも世の通念・通説とも異なっていて少しも不思議ではない。それが『見る』ことであり『知る』ことであろう。
多くの国の言葉で、『見る』は同時に『知る』『理解する』の意味である。通念・通説・他人の判断の受け売りは、見ることでも知ることでもない。従ってそういう文章をいくら読んでも、人は、何かを知ったという錯覚を獲得するだけで、実際には何も知ることはできない。それでいて、何もかも知ったと思いこむ。そしてこうなると『知る』とはどういうことなのか、それさえ知ることができなくなってしまうのである。そういう状態がきわめて日常化した今日・・・・」(新書p72~73)


ちなみに、山本七平著「日本はなぜ敗れるのか」の新書の黄色い帯には、
「奥田碩会長が『ぜひ読むように』とトヨタ幹部に薦めた本」とありました。
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