KAWADE夢ムック・文藝別冊「総特集 幸田文 没後10年」。
そこで、「幸田文の東京っ子ことば」を読めました。
林えり子氏の文。
ちょっと魅力ある手ごたえなので、引用から。
「・・・母は、幸田文の愛読者だったが、なぜ母が文に惹かれたのかが、いま、この文章を書くいまになって、わかってきた。まだ年端もゆかぬ娘に読ませたかった理由も、いまさらに見えてくる。幸田文と母はほぼ同い年である。・・・・なぜ、娘の私に読ませようとしたのかというと、母がわが父母、祖父母から伝授された、根生いの江戸っ子以来の家のしつけなり暮しのありようが、戦後の混乱と無秩序の中で、意味もないものと見做されることへの忿懣が幸田文によってふつふつと涌きあがり、本当は娘に教えたかったことを引っこめていた自分に気づいたということであったろう。ことばや言いまわし、口調にしてもそうである。母は音羽で育ち、私の父となる婚家は本郷、その地での耳なれたもの以外の、東京っ子にとっては、耳障りな口吻が席捲しだしていた。娘は学校でおぼえてきたらしい、どこの土地だかわからないようなことばをつかいだす。それを訂正していいものか。戦後の民主教育は平等を旨としている。ことばにも平等観が求められているのか。そんな疑問が、幸田文によって解かれたのだろう。東京っ子のことばがここにある。こういう表現ならばこそ東京っ子の心情は伝えられるのだ。娘にその良さを、あらためて知らしむベきだ、そう思ったにちがいないのである。・・・」
ところで、この文章は、林えり子著「東京っ子ことば抄」(講談社)にある
「東京っ子ことばの親玉は幸田文」からの再録のようですが、そちらには、こんな箇所がありました。
「未練がましく言わせてもらえるなら、東京ことばの持つ一種のはじらい、感情をむきだしにしないスマートさ、くすりとおかしみのある言いまわし、リズミカルな口調と歯切れのよさ、そうしたものがこの東京から失われていくことに何ともやりきれない思いがする。ことばは文化である。伝達の一手段であり、ことばなくして人の生活は成り立ち得ない。どんなことばを択(えら)み、どんな言いかたをするのかに人柄がしのばれてもくる。東京っ子たちは、そのことを十分にわきまえていて、多弁を弄せず、一言きりりと言うことに誇りさえ感じてきた。東京っ子の集まる座は、まさに『談笑』というにふさわしい、なごやかさをかもしだした。そこでは拙い表現は恥とされた。会話は知性と礼節と諧謔が織りなすゲームであった。悠々と、季節の移ろいを愛でながらの、そうした座が持てなくなったいまの東京人に、喚起をうながしたいと思うのは、もはや夢なのか・・・・。」(p274)
そこで、「幸田文の東京っ子ことば」を読めました。
林えり子氏の文。
ちょっと魅力ある手ごたえなので、引用から。
「・・・母は、幸田文の愛読者だったが、なぜ母が文に惹かれたのかが、いま、この文章を書くいまになって、わかってきた。まだ年端もゆかぬ娘に読ませたかった理由も、いまさらに見えてくる。幸田文と母はほぼ同い年である。・・・・なぜ、娘の私に読ませようとしたのかというと、母がわが父母、祖父母から伝授された、根生いの江戸っ子以来の家のしつけなり暮しのありようが、戦後の混乱と無秩序の中で、意味もないものと見做されることへの忿懣が幸田文によってふつふつと涌きあがり、本当は娘に教えたかったことを引っこめていた自分に気づいたということであったろう。ことばや言いまわし、口調にしてもそうである。母は音羽で育ち、私の父となる婚家は本郷、その地での耳なれたもの以外の、東京っ子にとっては、耳障りな口吻が席捲しだしていた。娘は学校でおぼえてきたらしい、どこの土地だかわからないようなことばをつかいだす。それを訂正していいものか。戦後の民主教育は平等を旨としている。ことばにも平等観が求められているのか。そんな疑問が、幸田文によって解かれたのだろう。東京っ子のことばがここにある。こういう表現ならばこそ東京っ子の心情は伝えられるのだ。娘にその良さを、あらためて知らしむベきだ、そう思ったにちがいないのである。・・・」
ところで、この文章は、林えり子著「東京っ子ことば抄」(講談社)にある
「東京っ子ことばの親玉は幸田文」からの再録のようですが、そちらには、こんな箇所がありました。
「未練がましく言わせてもらえるなら、東京ことばの持つ一種のはじらい、感情をむきだしにしないスマートさ、くすりとおかしみのある言いまわし、リズミカルな口調と歯切れのよさ、そうしたものがこの東京から失われていくことに何ともやりきれない思いがする。ことばは文化である。伝達の一手段であり、ことばなくして人の生活は成り立ち得ない。どんなことばを択(えら)み、どんな言いかたをするのかに人柄がしのばれてもくる。東京っ子たちは、そのことを十分にわきまえていて、多弁を弄せず、一言きりりと言うことに誇りさえ感じてきた。東京っ子の集まる座は、まさに『談笑』というにふさわしい、なごやかさをかもしだした。そこでは拙い表現は恥とされた。会話は知性と礼節と諧謔が織りなすゲームであった。悠々と、季節の移ろいを愛でながらの、そうした座が持てなくなったいまの東京人に、喚起をうながしたいと思うのは、もはや夢なのか・・・・。」(p274)