苅谷夏子著「大村はま 優劣のかなたに」(ちくま学芸文庫)。
これを読んだら、つぎを読みたくなりました。この文庫の文中
「大村の代表的著作『教えるということ』の中で」(p184)とある。
うん。次はこの本を読んでみようと思う。
古本でネット検索すると、すぐに見つかる。
大村はま著「新編教えるということ」(ちくま学芸文庫)。
はい。注文して20日発送されたのですが、郵便は土日配達がない。
届くのは来週の月曜日以降となります。
手持無沙汰で、苅谷夏子さんの、この文庫をあらためて開く。
ぱらりとひらけば、「40・頭を使う」(p172~174)がある。
苅谷さんは、まず大村はまさんの言葉を引用したあとに、
自分の思い浮かぶ言葉がならべてあります。
「私(苅谷)が中学生だった頃は、時実利彦さんが脳科学者として
活躍していた。大村はまももちろん大いに注目し、尊敬した。
『時実利彦先生がおっしゃったことを思い出します。
子どもに「考えさせる」ということをした人が
いちばん教師としてすぐれている、・・・・
できるようになったか、ならないか、どっちでもよろしい。
けれども、考えるということをさせた事実、
「考えなさい」と言った人ではなくて、
考えるということ本気でさせた人が、
いちばん偉いとおっしゃったのです。
それだけのために教師はあるぞと、
先生はおっしゃったのです。』(「大村はまの国語教室3」)
はい。もう少し引用しておわります。
『考えさせることができないことばは全部むだ
風が吹いたようなもので、声が出ているだけで、
教育的なことばではないわけです。・・教師らしくない、
教育効果のないむだごとで、
そういうのはむだ話なんだ、
むだと同じなんだと思いました。』(「大村はまの国語教室3」)
こうして引用したあとに、苅谷さんはつづけておりました。
「大村は国語教師であり、なによりことばを大切にした人だったから、
考えるという行為におけることばの担う役割の重さを非常に重視した。
考えの歯車を回す。その具体的な歯の一つ一つが、
大村に言わせれば『ことば』であるのだと思う。・・・
・・これはもう国語という教科をはるかに飛び越え、
教育とか、大人が子どもを育てる、とか、そういう
非常に大きな営み全体を捉えたことばになっているのを感じる。
こうして大づかみにしたとき、何か新鮮な空気が、
教師にも生徒にも吹き込んでくるのではないだろうか。
社会を非常に現実的に見ているし、また、だからといって
勉強をつまらない卑小なものにしない、という点で、
賢明なつかみ方なのではないだろうか。 」( ~p174 )
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