田中美知太郎の短文のなかに、
「老人心理というようなものについて、
わたし自身どれだけ知っているのか。
知ったかぶりは笑われるだけであろう。
しかし年とともに、死もまた光を失い、
次第に平凡なものになって行くのではないかと考えたりする。」
「シリーズ牧水賞の歌人たちVol.5 小高賢」(青磁社・2014年)
という雑誌本がありました。
最後の方に、小高賢自筆年譜がある。
1944(昭和19)年0歳
7月13日、東京下町に生まれる。・・秋口に疎開。・・
祖母、母、兄とともに移る。中風の祖母、
それに乳飲み子で、病弱な私の世話で、どれほど
苦労したかというのが、晩年の母の繰り返した愚痴である。
確かに、私の身体には切開した跡がいくつもある。
脳膜炎になり、首を振ったとも聞かされていた。
父は昭和20年3月10日の大空襲を隅田川に浸かって助かったという。
この年譜の、最後はというと、
2013(平成25)年69歳
・・・長くお付き合いいただいた安岡章太郎さんが亡くなる。
ショックであった。・・・・
12月に、安岡章太郎『歴史のぬくもり』を編集刊行。解題を書く。
そして最後にこう付け加えてありました。
2014(平成26)年
2月10日、脳出血のため急逝。享年69歳。
この編集後記をみる。
「・・・このムックの最終校了ゲラが小高さんから届いたのが2月10日
・・・同日、10日の午後4時過ぎにはメールがあり、書き出しは
『東京は大雪。昨日、雪かきで腰を痛めました。年寄は困ったものです。』
であり、結語もやはり
『そのうち、打ち上げで一献しましょう。楽しみにしています。』であった。
その僅か数時間後に訪れる唐突な死のことなど、
微塵も感じさせない文面である。・・・・」
最初に引用した田中美知太郎氏の文の後半には、こうありました。
「・・・『死を思え』と哲学は教える。・・・
・・いつまで生きてみたところで、
わたしたちには解くことのできない問題がいくらもある。
人生の大切な問題は、これまでの歴史において解くことができなかったものを、
これからの歴史において解くことができるなどと信じてはいけないとも
言われている。
われわれが今生において見たものがすべてなのである。・・・だから、
限られた今生の間に永遠は垣間見られると言った方がいいかも知れない。
・・・・ 」
(p77~78 田中美知太郎著「古典学徒の信条」文芸春秋・昭和47年)
う~ん。とりあえず、小高賢年譜にでてくる
安岡章太郎歴史文集『歴史の温もり』(講談社・2013年12月発行)を
古本で注文することにしてみました。
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