和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

不知不識(しらずしらず)の間に。

2020-03-30 | 本棚並べ
産経新聞。産経抄(3月30日)のおわりを紹介。

「・・・・まあ、いいや。
大量の情報や映像が瞬時に流れようとも人類は、
目に見えないウイルスに翻弄されるほど脆い。

外出がままならぬ今こそ、
古今東西の名著を読まれるようお勧めしたい。
武漢発新型コロナの長いトンネルを抜けると、
どんな国が待っているのか。
本にヒントが書いてあるはずだ。」

うん。本の話を、こういう時だからしましょう。
まず、「古今東西の名著」は敬遠して、本棚から
森銑三・柴田宵曲「書物」(岩波文庫)をとりだす。

こんな箇所はどうでしょう。

「端本(はほん)、欠本などの、前後の揃わない
不完全な書物もまた一つの題目となる。

昔江戸の増上寺に、勧玄(かんげん)という坊さんがいた。
学問好きで、書物を買込むのに、安物ばかり買う。
残欠本だろうが不完本だろうが、
廉(やす)ければ何でも構わずに買う。
 ・・・・
一緒にいる坊さんたちがそれを嗤(わら)って、
もっとよい本を選んで買うことにしたらどうか
といったら、わしだって書物好きなのだから、
よい本のよいくらいのことは知っているが、
わしらのような貧乏人がよい本を狙ったら、
点数では幾らも備付(そなえつ)けられはせぬ。
仕方がないから安物で我慢するのだ。
けれどもこれだっていっぱし役には立つし、
端本だろうが、欠本だろうが、
それでもないよりはましなのだから、
それらもやっぱり棄てられぬ、といったそうである。」

これは「不完全」という題で、森銑三の昭和23年の文。
そう、『徒然草』にでも、すべりこませたくなるような文。

はい。端本や欠本。不完本ではなしに、
それでは、いっぱしの教科書はどうか?

わたしに思い浮かぶのは、「中学の歴史教科書」。
産経新聞3月25日一面には、令和3年度中学校の
「教科書に『従軍慰安婦』復活」と、見出しがありました。

うん。『書物』からあらためて引用。
題は「青年図書」。

「現今の中学校は、高等学校に入るための予備校たるの
観を呈している。学生はただ学科の復習予習を強いられ、
試験で追い立てられて、余暇に読書に親しむことに依って、
自発的に己を豊かにして行こうという気風に乏しくなっているらしい。
 ・・・
少くも中等学校の上級生にもなったならば、ただ学校において
授けられるものを、受動的に受入れるだけに甘んぜずに、
己の求めようとするものを自ら得て行く習慣を養うべきではあるまいか。」
(p119)

このあとに「・・青年たちの読書のことを考えてみたい」と
つぎをはじめておられるのでした。

この「青年たち」を、私は
「武漢新型コロナウイルスで学校へ行けない青年たち」
と、つい言い換えてみたくなります。
では、引用をつづけます。

「しからば国家的にも優秀な講義録の類を発行して、
それらの恵まれざる少年に自修の便宜を与えること
なども考慮せられるべき・・・・・・・

そしてまた小学校などにおいては、あまり学習科目を
多岐にわたらしめずに、まず第一に読解力の養成に努めしめて、
卒業後各自が自発的に自己を養って行かれるだけの
基礎を作らしめむべきである。・・・」(p120)

「私は以前、大隈侯爵家において編輯せられた『国民講習録』
というものをまとめて買って読んだことがある。
その編輯者は桜井鷗村氏で早稲田大学系の学者が多く執筆していて、
内容の相当によいものだったことを覚えている。そうしたものが
更に大規模に作られるようにしたいものである。」(p121)

「講義録といえば勢い、知育が主となろうが、青年たちの読物として
・・・健全にして興味の豊かな通俗図書が多く作られねばなるまい。
  ・・・・・・
それらの書物には、政治色のない、教訓の意の表立たないもの
の方がむしろ好ましい。時局に対する認識を徹底せしむるには、
なお他の方法があるであろう。

娯楽図書は純然たる娯楽図書たるべきであり、
ただそこに不健全な低劣な分子を持たしめず、
不知不識(しらずしらず)の間に情操の陶冶(とうや)に
資せらるるものがふさわしかろうと思う。・・・」
(~p122)

はい。これが昭和23年の文なのでした。
現代では、中高の歴史教科書には、
『不知不識の間に情操の陶冶に資せらるるもの』
こういう手腕をかねそなえた教科書を
つくる大人は望めないのでしょうか。

はい。もどります。
古本の『書物』(ワイド版岩波文庫)は、
200円にて、購入してあったものです。
文庫解説は中村真一郎。その解説に

「今日のジャーナリズムの傾向は、
一般に長く誇るべき人類の古い文化遺産を
忘却し、目前の流行のみを追おうとしている。
そうした際に、このような、近世の書物の塵に
生涯を愉しく埋もれさせた先達の貴重な書物が
甦って、陽の眼を見ることができるのは、
何たる快挙であろう。・・・・」(p336)

はい。古今東西の名著ではないけれど、
こういう本もあるのでした(笑)。





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