和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

武玉川選釈。

2008-11-18 | Weblog
「読書で日暮らし」さんのブログを読んでいたら、
森銑三著「武玉川選釈」(彌生書房)を紹介しておりました。
興味深くて、さっそく古本屋へと注文。
その本が届いたというわけです。

まずは最初の箇所を引用。

「俳諧が一変して、雑俳が生まれ。雑俳は江戸の特産物ではないが、雑俳の内でも量の大きいことに於て群をぬいてゐる武玉川の一書は江戸の産物・・・・」

ということで、それでは引用。

  口留めに知つた話のはがゆくて

【解釈】人にいっちゃいけないよと、口留をせられた話というのが、特種ともいうべきもので、人に話したくてたまらぬのであるが、いはない約束で聞いているのだから、口を割るわけには行かない。そのもどかしさ。


 

 雑俳を見ていると、自然と現在との対比が思い浮かぶのでした。
たとえば、「オレオレ詐欺」は新しけれども、子を思う母親が登場する江戸はどうだったか。


   母の小判の詫びごとに出る

解釈】息子が不始末を仕出かして、のツ引きならぬことになった。母はそのために秘蔵している小判を出して来て、これでどうか何とかして下さいませ、と差出す。山内一豊の妻の金は、馬の代金となったのであるが、この母の金は、息子の尻拭いのために使われる。

今は、電話口の息子のニセモノに「秘蔵の小判」が出ていってしまう。


  拝み倒しにまだ懲りぬ母

解釈】いがみの権太型の息子から、母親が金をせびられ、せびられ、外の人だったら懲りに懲りてしまうところを、自分の生んだ子には目がなくて、あの母親は、まだまだ今後も、拝み倒しにせられ続けるのであろうと思う。



さてっと。これで、終らせるとしめっぽくなる。
テレビなどで、「オレオレ詐欺」に、だまされるのを聞くと、気持ちが滅入ります。ここでは、武玉川の、名脇役が登場する箇所を少し並べておきましょう。乳母だったり、伯母だったり、仲人だったりと、脇役の活躍に活気があります。では、引用。


  乳母の問ふまでは思いに蓋をして

解釈】お嬢さんが、自分だけの問題に屈託している。ばアやが聞いてくれるなら、打明けるのだけれどもと、ばアやを頼みに、その思を秘めている。ばアやさんというものは、坊っちゃんやお嬢さんが、年頃になってからも、まだ必要な存在だったのである。


  娘の謎を伯母が来て解く

解釈】どうしてというのか、娘の素振がここのところおかしい。妙にふさいだり、しょげたりしている。思案に余って、伯母さんに来て見て貰うことにした。伯母さんは、気軽にやって来て、娘の様子を見るなり、分っているじゃないか、何々なのだよ、と説明してくれる。


  異見の状に筆もくたびれ

解釈】伯父同格の人であろう、親から頼まれでもしたのか、離れた土地にいる息子に異見をする長文を書く。書終らぬ内に、すっかり疲れてしまった。


 
オレオレ詐欺から、はじめてしまったので、どうしても、湿っぽい。
最後は、すこし華やいで、仲人の登場ということで、終わりにしましょう。


   一段聞いて帰る仲人

解釈】仲人が縁談の進んでいる娘の方の家に行く。けふは是非娘の琴を聞いて行って貰いたいといはれ、上手でもなさそうな琴を一曲、辛抱して聞いて、言葉巧みに褒めそやして帰って行くという。何れその話は、男の家で、尾鰭が付いて話されることであろう。

   裸でよいと伯母がまた来る

解釈】伯母が仲に這入って、姪の縁談を纏めようとして、やっきになっている。それだのに親達の態度が煮え切らなくて、よそ様のように、支度らしい支度も出来ないのだからなどという。伯母はもどかしくて、裸でよいと、先様ではおっしゃるのだよと、またしても説得にやって来る。『また』の二字が、いかにもよく利いている。


   裸でといへば娘はをかしがり

解釈】『裸でよいと伯母がまた来る』という句が前にあったが、この句はそれから思いついたのではなかったかと思われる。裸のままでいいんだよ、とばかり繰返されて、当人も娘もおかしがるという。この句はこの句でいい。


また、伯母が登場してしまいました。仲人関連の雑俳はまだつづくのですが、この辺で口留めといたします。楽しく読みましたので、今回は、その楽しみのお裾分けでした。

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