映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「下町(ダウンタウン)」 山田五十鈴&三船敏郎

2017-11-22 18:13:12 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「下町(ダウンタウン)」(昭和32年:1957年)を名画座で観てきました。

「流れる」の併映である。「蜘蛛巣城」「どん底」三船敏郎と山田五十鈴の共演があるが、ほぼ同じ時期にこんな映画がつくられていたとは知らなかった。DVDもないようだ。映画は出征した夫を待つ女が、ふとしたことで労務者の男と知り合うという話である。

戦後4年たった東京下町、静岡から上京したりよ(山田五十鈴)は茶の行商をしているが顧客はなかなかいない。シベリヤから還らぬ夫を幼い留吉と共に待っていた。葛飾を行商中に鉄材置場の番小屋の男鶴石(三船敏郎)と出会う。彼女を小屋に入れ火にあたらせ、茶まで買ってくれた。彼はシベリヤからの復員者だった。

りよは下谷稲荷町の幼友達きく(村田知英子)の二階を借りている。きくは療養所の夫のため闇の女をしている玉枝(淡路恵子)へ部屋を貸し、客の世話をしてその上前をはねていた。きくはりよにもそういう商売をしたらと持ちかけてくるが、客に声をかけられたとき、そんな話は聞いていないといった。その夜、おきく夫婦と玉枝は売春の疑いで警察に呼ばれた。


鶴石に留吉もなついているので、三人で一緒に浅草へ遊びに行った。激しく雨に降られ、三人は小さな旅館で休んだ。夜半、鶴石が彼女にささやきかけてき、抱こうとした。りよは一瞬抵抗したが、再度迫られたとき心は崩れ、りよの方から男の首を激しく抱いた。翌朝、鶴石は面倒を見てくれると言って別れたあと、しばらくして鶴石の事務所へ行くと、彼の姿が見えないのであるが。。。

1.林芙美子
この時代設定は昭和24年である。自らの半生を描いたといわれる「放浪記」をみると、若き日から相当苦労したようだ。「浮雲」で仏印から帰国後身を落としながらも一人の男と腐れ縁の恋をする女を高峰秀子が演じる主人公にしても、ここで山田五十鈴が演じる主人公にしてもなんか切ない女である。

女性の地位が低いので、今のように大学卒の女性総合職として、下手をすると男より稼ぐ女はその当時はいない。仮に学があってもまともな仕事にありつけないこともある。いきなり、山田五十鈴が飛び込みで住戸をまわり、お茶はいりませんか?と行商する姿が切ない。昭和24年前後にはこういう女はいっぱいいたんだろう。いろいろ言うけど、今は誰もが幸せだ。

2.山田五十鈴
演技は本当にプロ中のプロである。戦争未亡人とほぼ同じようなつらい思いをしている女を上手に演じる。なかなか売れない行商でつかれている時にやさしくしてくれる男ができた。出征した夫を待つ身でありながら、魅かれた男と結ばれるなんて、どちらかというと日活ポルノみたいなストーリーである。「いけないわ!」と言いながら、夜這いで迫る三船敏郎の身体を両手でぐいっと抱きしめるシーンが妙に情感をおぼえる。


青空文庫に林芙美子「下町」はあった。でもかなり短い短編である。多作で身をつぶしたといわれる林芙美子があくせく書いた一作なんだろう。淡路恵子演じる身を売る女や売春の斡旋をされそうになる多々良純の存在など映画もいくつかの設定を加えているが、それでも短い。本来であれば、その後の主人公の行方まで描いてもいいんだろうけど。しかし、林芙美子は若くして昭和26年に亡くなっている。あと10年生きてくれれば、短編がつなげられたのにと思う。
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映画「流れる」 山田五十鈴&田中絹代&高峰秀子

2017-11-19 21:19:15 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「流れる」(昭和31年:1956年の作品)を名画座で観てきました。


山田五十鈴をはじめとして、当時の日本を代表する名女優がここまでそろった女性を中心とした映画も珍しい。幸田露伴の娘幸田文の原作を成瀬己喜男監督で映画化した。

以前観たことがあり、ストーリーの概要も頭に残っている。今年8月柳橋の名門料亭「亀清楼」で接待を受けたことがあった。神田川が隅田川にそそぐその角に「亀清楼」はある。そして、その前にあるのがまさしく柳橋だ。8代目という美人女将のご挨拶を受けた後、芸者遊びをしたが、残念ながら柳橋にはもう置屋がないのか?大井に置屋があるという芸者衆からおいしい杯をいただき、芸を楽しんだ。

亀清楼と柳橋↓


亀清楼から観た隅田川


そんな訳で山田五十鈴生誕100周年記念の名画座の映像は見逃せなかった。映画がはじまると隅田川の映像とともにすぐさま今も同じ柳橋の映像が映る。高峰秀子こそ洋装だが、まだみんな着物を着ている。昭和30年前半の様相を見せる。建物の感じといい、昭和40年代前半くらいまでの東京を連想させる映像を食い入る様にみた。やはり歴史に残る作品だと思う。

東京柳橋でもともと売れっ子芸者だったつた奴(山田五十鈴)が営む芸者置屋は時代の流れをうけ、少しづつ没落しつつあった。そこに中年の梨花 ( 田中絹代 ) が職業あっせん所の紹介を受け、住み込みの女中としてやってきた。そこには男に捨てられ出戻ったつた奴の妹(中北千枝子)とその娘不二子とまだ結婚していないつた奴の娘勝代(高峰秀子)が同居している。芸者置屋には住み込みの芸者なゝ子(岡田茉莉子)となみ江、そして通いの染香(杉村春子)がいた。

勝代が気にくわないといってなみ江をいびり、なみ江は千葉の鋸山にある田舎に帰ってしまった。すると、なみ江側から不払い賃金だとばかりに30万円が請求されてきて、つた奴は驚く。しかも、なみ江の親類という男(宮口精二)が押し掛け来たのだ。乾物屋の支払いも滞るほど金に困っている置屋であるが、生活のレベルは下げられない。つた奴の姉(賀原夏子)がいい旦那を紹介しようと、鉄鋼会社の重役を芝居の劇場であわせるが、その場に先輩芸者で今は料亭吉野の女将であるお浜(粟島すみ子)がいることに気づき、つや奴が立ち去り、その話もだめ。しかし、月末の金策に困りそのお浜の料亭に行き、相談をもちかけるのであるが。。。

1.柳橋の雰囲気
バックグラウンドミュージックであるかのように、太鼓や三味線が流れる。今でも東京の一部に同じような表情をした路地裏の横丁が残っているが、ここで映る町並みがある意味戦後東京の原風景であろう。当然、戦災で焼けたはずだから、戦後約10年で再構成された町なわけだ。セットもあるとは思うが、この風景の中で着物を着た女性たちが今よりもすこし丁寧な東京言葉で話しているのを聞くと、明治生まれの祖父やいつも着物姿だった祖母がまだ生きていた昭和40年代前半に戻ったような錯覚を覚える。


2.わがままな女たち
もともとは芸者になろうとしたけど、人に頭を下げるのがイヤで家にいるつた奴の娘勝代(高峰秀子)は本当に嫌な女だ。比較的この映画の直近で作られた映画も随分見ているが、ここまで人をいびるイヤな女は演じていない。芸者に夜のお座敷で働いてもらわないと、自分の飯のタネにならないと思わないのか?と言ってやりたいが仕方ない。

置屋があってこそ、芸者は宴席に派遣される。置屋が上前を撥ねるのは仕方ない。それでも文句が出る。ちょっと上前が多すぎるんじゃないかと。しかも、セリフからいうと、客とねんごろになるような結構きわどい話もあるように聞こえる。まだ売春防止法は施行されていない。その中でなゝ子(岡田茉莉子)のふるまいは売れっ子を連想させるが、昔の知り合いに会いに出て行き泊まったあと、あいつタダでやろうとするのが気にくわないなんてきわどいセリフがでてくる。芸者は夜の付き合いも当たり前だったのかな?



つた奴(山田五十鈴)も見栄っ張りだ。こんだけ落ちぶれているんだから、出戻りの妹や自分の娘に家事をやらせればいいものを、家政婦を雇ってしまう。これがこの当時の花柳界の常識なのであろう。最初この映画を観たときに、ずいぶん外に出前を頼むんだなあと思ったのを覚えていたが、改めて今回すしや丼ものやそばなどを繰り返しどうでもいい時に頼むのを見て、これじゃ落ちぶれるのも当然だと思ってしまう。

3.山田五十鈴の色気と粟島すみ子の貫禄
とはいうものの山田五十鈴が発するオーラはすさまじいものがある。自分が小さい時にもうすでに年を取っていたので、色っぽさなどは全然感じなかった。この時代比較的直近の黒沢明作品の「どん底」や「用心棒」でも女親分の感じで、色気を感じない。白黒の画面でもここでの艶っぽさにはドキッとしてしまう。三味線を巧みに操るシーンも多々出てくる。まさに山田五十鈴をクローズアップするための映画だ。自分も年を取ったのか。


映画創生期の大スター粟島すみ子成瀬己喜男監督のたってのお願いで出演している。山田五十鈴の先輩芸者で今は料亭の女将といった役をやらせるとなると、きっと限られるのであろう。こんな貫禄はちょっとやそっとではでない。

流れる
昭和の名女優たちによる女の映画
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映画「キクとイサム」 今井正

2016-08-05 08:20:24 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「キクとイサム」は昭和34年(1959年)の今井正監督作品、「どっこい生きている」との名画座二本立てを見てきました。


キネマ旬報1位作品を5本も監督している今井正の作品の中でも、「キクとイサム」は個人的には特に優れた作品だと思う。戦争が終結して米軍兵士が駐留する中で、日本人女性との多くのカップルが存在したという。そして混血の子供が生まれたのだ。ここでは福島の山奥の農村で祖母と暮らす黒人との混血姉弟にスポットをあてる。混血の子供への差別をクローズアップしているが、全体に流れるムードはコメディにも似たものである。水木洋子の脚本はすばらしいが、それには北林谷栄演じる祖母の存在が大きい。お見事だ。

会津の田舎の小学校で、男まさりに遊ぶ体格のいい女の子キク(高橋恵美子)が映しだされる。彼女は農家を営む祖母のしげばあさん(北林谷栄)と弟イサム(奥の山ジョージ)と暮らしている。しげばあさんの娘でキクとイサムの母親は2人を生んだあと、すでに病気で亡くなっていて、2人はばあさんに育てられていた。しかし、体格もよく近所の悪ガキとのケンカが絶えない2人はばあさんの手に負えなくなっていた上、ばあさんは腰が悪かった。

ある日、病院で腰の治療を受けるため、ばあさんはキクに野菜かごを背負わせて町へ出て行った。2人で野菜を売り歩いたあとで、そのまま診療所に行き院長(宮口精二)から診察をうける。キクはばあさんから貰った十円で町の行商(三井弘次)からくしを買うと楽しそうに先に帰った。混血の姉弟の面倒をみるのに苦慮しているばあさんをみて、院長はアメリカの家庭への養子縁組の世話をしている人間を知っているという話をする。

しばらくすると、カメラを下げた見知らぬ男(滝沢修)が村へ現れ、仲間と遊んでいたイサムの写真をとった。キクはその場から逃げた。姉弟のどちらかを養子縁組するために男が現れたのだ。イサムは学校で友達から「クロンボ」とからかわれ、ケンカばかりしていた。キクはアメリカに行くことを嫌がったが、イサムはいいよと受ける。
結局イサムはアメリカの農園主に引きとられることになる。出発の時、引き取りに来た男に連れられて、汽車に乗りこむ。しかし、そのあとイサムは急にさみしくなり必死に泣きわめく。キクは走り去る汽車の姿を追った。キク一人がばあさんと残されたのであるが。。。


主役2人はこの映画のために探しだされた無名の黒人との混血の子供たちであるが、脇を固めるのはこの時代の日本映画や演劇界を支えたそうそうたるメンバーだ。滝沢修、宮口精二、三國連太郎、東野英治郎、殿山泰司、三島雅夫、多々良純などの男性陣に加えて荒木道子、賀原夏子と加わると、自分が幼い頃昭和40年代のお茶の間のテレビで良く見かけた顔が揃い親しみがわく。特に女教師を演じた荒木道子はそののち「ただいま11人」で大家族の母親役を演じ、ずっとお母さんのイメージが強かったが、ここではスマートでなかなかいい女ぶりだ。

1.混血の子供と水木洋子
今井正と水木洋子はこの二人を探しだすために、かなりの時間をかけたという。もともとは主役のキクの女の子はイメージが対照的な子だったのをあえて、太っちょでいかにも体格のいい黒人の父親をもつといったイメージの高橋恵美子水木洋子が起用したという。そして、彼女らしさを出す脚本にしたという。このあたりはさすがといった感じだ。

自分の前の勤務地であった千葉市川の高級住宅地の中に水木洋子記念館というのがあった。谷口千吉とも結婚していた時期があったというが、独身だった彼女は市川市に全財産寄付したというさすがだ。浮雲、山の音、おとうとなどすばらしい作品を残した水木洋子が、ここではやさしい目線で2人の姉弟を追っている。しかも、北林にしゃべらせるばあさん言葉が滑稽で、近所の人たちの田舎言葉の調子もコメディのようだ。キクが芝居一座に酒を飲まされた上で、八百屋のオート三輪の上に子守している赤ん坊を置いていってそのまま近所の悪ガキとケンカするシーンもおもしろい。本当にうまい脚本だ。

2.北林谷栄
この映画のころは48歳だったという。平成になってからもおばあさんを演じ続けた北林も永遠のおばあさん女優といえよう。しかも、演技作りでこの作品では前歯をぬいたという。凄いプロ魂だ。賞を軒並みさらっていったのは当然と言えよう。このほかの作品では大島渚作品「太陽の墓場」、今村昌平作品「にっぽん昆虫記」が印象に残る。


最後に向けてのキクとばあさんの交情がいい。後味がいい映画だ。

(参考作品)
キクとイサム
今井正監督と脚本水木洋子の名コンビ
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映画「どっこい生きている」 今井正

2016-08-03 20:25:38 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「どっこい生きている」は昭和26年(1951年)公開の今井正監督作品、名画座で見てきました。


昭和26年のキネマ旬報の5位に位置する作品だ。今井正監督というとキネマ旬報ナンバー1作品が5作もある名監督だけど、彼の作品はあまりdvdレンタルには置いていないし、アマゾン価格も高い。こういう今井正特集は貴重だけど、仕事も忙しいのでこの日に焦点を絞る。

戦後の復興途中でまだ貧しかった東京の街で、底辺を彷徨う家庭にスポットをあてる。朝早くから職安に大勢集まる労務者の姿を映しだす。そこには男性労働者だけでなく赤ちゃんを背に背負った主婦の姿もある。なんとなく次の展開が予測できてしまうような脚本だけど、東京の昭和20年代を再現したセットで今の俳優が演じるのでなく、平屋のボロ家が立ち並ぶリアルな20年代映像が実に迫力がある。社会性が強いと言われる今井正監督の作品にしては赤系イヤミはなかった。今は格差社会といわれるが、この時代は半端じゃなかったことがうかがわれる。今を悪く言う人どう思うんだろうなあ。


毛利修三(河原崎長十郎)は日雇い労働者で職安に通う身だ。ようやく妻(河原崎しず江)と子供二人を養っていたが、借家の立ち退きを迫られ途方に暮れる。やむなく妻と子供を田舎へかえして、自分は労務者向けの簡易宿で寝泊まりし、日雇い生活を続ける。何気なくある町工場の旋盤工募集のビラを見て、訪問すると雇われることがきまった。しかし、給料日までしのぐ手持ちの金が全くないので、職安仲間の水野(木村功)から金を借りようとするが、子だくさんの大家族で生活は苦しそう。同じ寮に住む秋山婆さん(飯田蝶子)に頼むと、戦災者寮の連中から少しづつカンパを集めて400円を集めてくれた。ところが、その夜簡易宿にいる花村(中村 翫右衛門)からすすめられた酒を飲みすぎてしまい、酩酊してしまいお金を持っていることが雑魚寝の同宿の連中にばれてしまう。そして、寝た間に誰かに現金を盗まれてしまう。しかも、最初に前借話を工場主にしていたことを嫌がられ、町工場の就職もふいになってしまう。途方にくれたとき、花村に悪い仕事を一緒にやろうと誘われて手を出してしまうのであるが。。。

1.昭和26年のキネマ旬報ベスト10
1位が小津安二郎の「麦秋」、2位が成瀬巳喜男の「めし」と原節子作品が2作続き、3位が吉村公三郎監督で京マチ子主演の「偽れる盛装」、4位が木下恵介監督で高峰秀子主演の「カルメン故郷に帰る」と日本映画史の代表作が並んでいる凄い年なので、5位であっても仕方ないだろう。上位の4作に比べると、社会のドツボな面が大きくクローズアップされる。何より昭和26年のまだ舗装されていない道路が多い東京の姿が良くとらえられている。

2.飯田蝶子
自分が子供のころ、テレビのおばあちゃん役というと飯田蝶子か浦辺 粂子だった。飯田蝶子といえば、加山雄三の若大将シリーズのおばあちゃん役が代表作だろう。あの映画では老舗スキヤキ屋の店主の母親で、典型的な江戸の商家によくいる孫に甘いやさしいおばあちゃんだった。ここではやり手ババアといった感じで、男まさりで一歩も引かないというたくましい面が前面に出ている。なかなかの好演だ。




3.追いつめられる主人公
主人公は戦前二人の旋盤工を雇っていた町工場の主だったという。戦争で潰してしまったのか、有名なお化け煙突が見えるおそらくは足立方面のボロ屋に住むが、建て替えに伴う立ち退きにあう。行き先もなく、妻と子供を実家に帰し、相変わらずの日雇い暮らし。ようやく定職にありつけたと思ったら、持ち金がなく、知人の長屋仲間のカンパでなんとか助かる。ところが、簡易宿泊所で酔いつぶれてしまい、ごろ寝で寝ている中で金を盗まれる。


てな感じで徹底的に主人公をイジメ抜く。この後もイジメが続く。
これでもかこれでもかといじめてあとは死ぬだけというとところにまで持っていくが、最後に一筋の光を与える。でもこの人たちうまくいくのかしら??
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映画「日本の悲劇」 木下恵介&望月優子

2015-08-05 21:39:04 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「日本の悲劇」は昭和28年制作の木下恵介作品である。
名画座で見てきました。


望月優子というと社会党の代議士時代のイメージが強すぎる。労働者の味方という仮面をかぶった偽善者のような気がして何か好きになれない女優であった。そのせいもあるのか、キネマ旬報6位の木下恵介作品にもかかわらず、「日本の悲劇」を見るのがずっと後回しになってしまった。でも今回かなり古いプリントの映像で見たが、想像よりもよかった。傑作だと思う。
戦争未亡人が2人の子供に高等教育を受けさせるために、自分の身を売りながら裏稼業にも手をつけしぶとく生きていく姿を映しだす。この時代はこういう裏の世界で生きていく女を描いた映画多いよなあ。戦後10年たっていないころなので、先行きに希望が見えなかったのかもしれないけど

木下恵介作品の場合、バックで木下忠司のちょっとうるさい音楽が耳についてイヤな場合があるが、この映画は余計な音がない。逆に佐田啓二扮する流しに「湯の街エレジー」を歌わさせるのが味がある。

熱海の旅館「伊豆花」に女中として働く春子(望月優子)は夫を空襲で亡くした。終戦前後の混乱どき、歌子と清一の二児をかかえて、闇のかつぎ屋にまで身を落し、唯一の財産だった家も義兄夫婦にわがものにされる。
二人の子供は成長して、長女歌子(桂木洋子)は21歳で洋裁学校と英語塾に通っている。清一(田浦正巳)は東京で大学の医学部にて学ぶ。女手だけで育てているのに二人が母に冷めたいのは、母と客との酔態を見てしまったからである。歌子は、その美貌にもかかわらず嫁入り先がない。英語塾教師赤沢(上原謙)が彼女に心を傾けているが、それを感じた妻霧子(高杉早苗)が激しく嫉妬している。一方清一は、戦争で息子を失った資産家の医師から養子にのぞまれ、籍を移してくれと母に頼んでくる。春子はこれまで育ててきた苦労を強調し反対する。


また、春子は客に勧められ、株式投資をしているが損している。取り返そうと追加買いをするため、なじみの客から金を借りたが、うまくいかない。その借金を返済するために、終いには娘の貯金まであてにしようとする。苦労した母に2人の子供がなつこうとしないのであるが。。。

「日本の悲劇」という題名がどうもしっくりこない。そんなに悲劇には見えない。こんな感じに社会の底辺でたくましく生きる女性は多かったんじゃないだろうか?戦後の名作といわれている現代劇は成瀬巳喜男作品にせよ、溝口健二作品にせよ同じような境遇の女性が大勢いる。その時代は自分が生まれるより少し前であるが、実際に多かったからこういう映画もつくられたんだろう。

でも主人公の不遇を描くだけだったら、この映画物足りなかったのかもしれない。この映画では娘と英語塾の教師が不倫をするという構図があるので話の幅が広がっておもしろい。戦前は姦通罪があるから完全にアウトなんだけど、だいたいこの時期くらいから不倫を題材にしている映画が増えてくる。この映画では娘と教師の奥さんとの会話がなかなかおもしろい。いかにも女のイヤミな情念を描くのは実質独身をとおした木下恵介ぽい脚本というべきか。

1.裏稼業に手をつける主人公
小学校で学級委員を選ぶ場面が出てくる。一人の少女が手をあげて、○さんの家ではヤミ米を流通する仕事をしているから委員には適さないなんて、バカなことをいう少女がいる。すると逆にその少女の家でもヤミ米を食べているんじゃないかという反論が出てくる。その少女は食べるのと、商売にするのは違うなんてまたまた反論だ。
きっとこういう話は日常されていたんだろう。城山三郎「小説日本銀行」にインフレ対策をしない日銀行員の没落が語られる。映画でもバカまじめにやってひもじい思いをした大学教授がいたんなんて語られる。
そう考えると、現代の異常なまでのコンプライアンス社会は、世の中がうまくいっているからこそ語られることではないかと思う。法令順守でも商売がうまくいくのである。直近でいえばアベノミクスに基づく経済政策がうまくいっているからである。昭和20年代は混乱の時期でそうはいかなかったんだろうなあ。そういう時代に育っていなくてラッキーだ。

2.母親になつかない子供たち
これがよくわからない。
いくら裏稼業に手を出していたとはいえ、自分を育ててくれた母親である。普通大学にいくのも10%台だったんじゃないか?医学部に通っている弟は昭和28年に19歳というと昭和9年生まれ、まさに新制中学に通う年代で、普通であれば高校すらいけない。統計をみると1950年の中学卒業の就職率は45%だ。1953年の大学進学率も就職した人が通う夜間大学をふくめてその高校卒業者の40%程度だ。そんな時代に大学までだしてあげているのに、いくらなんでも子供2人のこんなに冷たい態度はないでしょうと思えてくる。


しかもある医者に養子に来ないかといわれている。これも母親を説得するいい方ってあるでしょう。この望月優子演じる主人公には同情してしまう。これまで母親に世話になったんだから、今後も一部仕送りをしたいと言えば済む話なのにそういう話すらない。
もっともあえて変な奴と思わせるように木下恵介が脚本をつくったのかもしれない。
最後に「おかあさん」という言葉を息子が言うようになってようやく母親が養子縁組を承諾する。これだけで急変する気持ちもよくわからない。

3.娘と英語教師との不倫
先日山本富士子主演「夜の河」を見たが、そこでも上原謙が浮気をしている。この手の類の役が一番まわっていった時期なのかもしれない。その上原謙扮する英語教師はむしろ一方的に主人公の娘歌子に恋をして、日記にその想いを書いている。それを妻にこっそり見られた。妻は自分の娘を連れて歌子の下宿を訪ねて、娘のために洋服をつくってくれと頼みに来る。これはあくまで皮肉だ。ここでの会話がいかにも女性的で極めておもしろい。妻も歌子も女のエグイ部分を全面にだした会話だ。


あえて相手の言うことの反対をつこうとする会話で、こういえば絶対相手はおこるんだろうなあという話し方をわざとする。これ自体は今でも同じように女性どうし世間一般で繰り広げられているかもしれない。
ここで感じるのは実質独身をとおした木下恵介の女嫌いだ。女がらみの面倒くさいことには日常巻き込まれたくないという気持ちをもっているのがよくわかる。

色々言ったが、同じ木下作品でも「二十四の瞳」とはまったく真逆でおもしろい。社会派映画といっても、赤におぼれた映画ではなく、戦争によって図らずも世間の荒波にさらされたたくましい女を描いているだけだ。

(参考作品)
日本の悲劇
苦労人の戦争未亡人と2人の子供との葛藤


赤線地帯
溝口健二監督がドツボにはまった女たちを描く


浮雲
成瀬巳喜男監督が描く戦後没落した女
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映画「夜の河」 山本富士子

2015-06-21 06:11:32 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「夜の河」は1956年(昭和31年)の大映映画。名画座で見てきました。


山本富士子主演吉村公三郎監督によるもので、キネマ旬報2位となり作品としての評価は高い。染物をしている京都の独身女性が、妻子ある大学教授との恋に揺れるというのが映画のストーリーの根幹で、それに女性の仕事と家庭内の複雑な立場、および男性側の妻の病気と娘との関係をからませる。
今だったらどうってことない話ともとれるが、戦前は姦通罪で不倫は法的にもご法度だった時代なので、戦後10年たったこのころでも見る方からしたら刺激的な題材だったのかもしれない。これも山本富士子のワンマンショーということでしょう。

京都、堀川で京染の店を営んでいる舟木由次郎(東野英治郎)は七十歳、三十違いの後妻みつと長女きわ(山本富士子)と暮らす。きわはろうけつ染に老父を凌ぐ腕を見せている。新婚旅行にいく次女夫婦を京都駅で見送った帰途、きわは画学生岡本五郎(川崎敬三)が、彼女を描いて出品している展覧会場に寄る。岡本はきわに好意を寄せている。


きわは、四条河原町の目抜きの店に進出したいと思っている。それを知った呉服屋近江屋(小沢栄)は彼女の美貌に惹かれていて、取引先の店を展示場にと約束するが妻やすの眼がうるさい。
きわは桜咲く唐招提寺を訪れた折、写真を撮るのがきっかけで、阪大教授竹村幸雄(上原謙)、娘あつ子と知り合う。そして五月、堀川の家を訪れた竹村との再会に喜ぶきわ。きわは竹村と京都市内を散策しているうちに、気持ちが引き寄せられる。その後、きわは阪大研究室に竹村を訪問する。彼は助手とともにハエを飼育、遺伝学の研究に没頭している。きわは近江屋の紹介で東京の展示会進出に成功する。きわの出品作は燃えるようなショウジョウ蝿を一面に散らしたものだった。きわは、東大の研究発表会に来ている竹村と逢引きする。


京都に戻り、宴会で近江屋の手から逃れたきわは、友達せつ子の経営する旅館で竹村とこっそり逢う。彼は岡山の大学に移るという。その話を聞き、きわの竹村への感情はなお高まるのであるが。。。

公開当時25歳だった山本富士子は和服がよく似合う。染めている着物の色合いもすばらしい色合いだ。


美貌にもかかわらず、妹に先に嫁にいかれるということ自体が、ヤバイ設定となってしまうのは時代が違うということか。妻が病気でもしかしたら死ぬかもしれない。その時は後妻になんて話で心が揺れる。この手の不倫は何度もよろめきドラマで使われてきた題材だけど、この映画がはしりなのかな?これが受けたというのも今と時代が違うからなんだろう。しかも、戦後に出てきた三島由紀夫の「美徳のよろめき」のような刺激的な姦通小説と比べれば、ずっとソフトだ。

上原謙は戦前の名優でこのころはどう評価されていたのであろう。加山雄三もまだ大学生で正式にデビューしていないころだ。川崎敬三はいつもながらのふられ役。最近見た山本富士子作品では全部片思いに終わる役でお気の毒。
主人公の父親東野英治郎は昭和30年代の映画では実によく見るねえ。キューポラのある街で吉永小百合の父親で、鋳物工場の職工を演じたが、それに通じる役でこういう職人系の方が合う。水戸黄門で見せる高笑いはさすがにない。映画会社問わず出演しているのは劇団俳優座所属の強みか?映画会社協定の対象外だったのであろうか?逆にその協定に逆らった山本富士子が失脚させられるのであるが。。。

(参考作品)

夜の河
昭和30年前半の不倫
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映画「女の園」 高峰秀子&岸恵子&高峰三枝子

2015-02-11 11:24:05 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「女の園」は1954年(昭和29年)の木下恵介監督作品である。


木下恵介監督は同じ昭和29年に名作「二十四の瞳」を監督している。当時のキネマ旬報ベスト10は凄い顔ぶれで、1位が「二十四の瞳」、3位が黒澤明「七人の侍」、5位が溝口健二監督の傑作で長谷川一夫、香川京子の演技が傑出している「近松物語」、6位が成瀬巳喜男監督山村聡主演「山の音」となっている。「女の園」はその時の2位で「七人の侍」よりも上位だ。映画は個人的好き嫌いがあるので、順位をこだわっても仕方ないが、そのくらいに評価されている。

以前見たときには、高峰三枝子のイヤな女寮監ぶりと、姫路城を映す木下恵介らしいショットが強く印象に残っていた。「「良妻賢母育成の女子大学の厳しい規則に反抗する女子大学生と鬼の寮監との葛藤」が映画のテーマである。時代背景を考えると、このころはまだ女子の大学進学率が5%に満たないわけで、男女合わせた高校進学率さえ50%に達しようかという時代である。わずかしかいない女子大生たちの厳しい規則への抵抗それ自体は、特権階級のわがままとしか一般の市民から見れなかっただろう。同じ年の「二十四の瞳」と比較すると一般大衆には支持されなかったんだろうと推測する。


それでも、こうやって見直すと、本当に憎たらしいなあと自分に感じさせる高峰三枝子のうまさが光る。

京都郊外にある正倫女子大学は、校母大友女史(東山千栄子)の奉ずるいわゆる良妻賢母型女子育成を教育の理想とし、徹底した束縛主義で学生たちに臨んでいた。七つの寮に起居する学生たちは、補導監平戸喜平(金子信雄)、寮母五条真弓(高峰三枝子)などのきびしい干渉をうけていた。姫路の瀬戸物屋の娘である新入生の出石芳江(高峰秀子)は、三年程銀行勤めをしたのちに入学したせいか、消燈時間の禁を破ってまで勉強しなければほかの学生たちについて行くことが出来ず、その上、同郷の青年で東京の大学に学ぶ恋人下田参吉(田村高広)との自由な文通も許されぬ寮生活に苦痛を感じていた。


芳江と同室の新入生で敦賀から来ている滝岡富子(岸恵子)はテニスの選手だったが、テニス友達の大学生相良との交際が学校の忌にふれて冬休み前停学処分をうけてしまった。

赤い思想を持つと噂される奈良出身の上級生林野明子(久我美子)は、学校の有力な後援者の子女であるために、学校当局も特別扱いにしていた。冬休中、芳江は厳格な父の眼をくぐって参吉とほんの束の間逢うことができた。が、休みが明け、富子の休み中の行動を五条たちが糾弾したことから、明子を先頭に学生たちの自由を求める声は爆発した。かねて亡妻の面影を芳江に見出して、彼女に関心を抱いていた平戸は、学校側が騒ぎを起した学生たちを罰したとき、芳江だけに特に軽い処置をしたが。。。

1.昭和29年の時代背景
手元のデータを見ると、昭和30年の女子の大学進学率はわずか2.4%である。しかも、高校進学率が昭和25年で42%(女性だけで36%)、昭和34年で55%となっている。高校へ進学することすら半数に至っていない時代だということだ。60年代になると、農村の子供も高校へ行くようになり、70年代になるまでに高校進学率が80%を超えるようになる。そんな時代よりもずいぶんと前だ。映画を見る大部分の人たちからは羨望のまなざしで彼女たちが見られていたはずだ。

夜間の門限が厳しいばかりでなく、男性からの手紙ですら封を開けられてしまうのだ。いくらなんでも憲法の信書の秘密に抵触すると思ってしまうが、それで通じてしまう。そんな時代だったのである。ただ、こういう厳しい規則で縛られるというのはわかって入学したはずだ。この当時に大学いける家はそれなりに財産のあった家だろうから、選択は1つでなかったはずだろう。あくまで自己責任と自分は思ってしまう。

2.高峰三枝子
この映画のあと22年後に横溝正史原作市川崑監督「犬神家の一族」高峰三枝子が出演し、重要な役柄を演じている。自分はこの映画は良くできた映画だと思っているが、それも高峰の名演によるものが大きいと感じる。「女の園」も同様だ。本当にイヤな女である。そのイヤな女ぶりを木下恵介は何度もアップで、その表情を映す。悪だくみを考えているなと思わせるわずかな表情の変化も見逃さない。


同じ1954年のアカデミー賞はエリアカザン監督「波止場」である。この映画では、主演のマーロンブランドの表情をアップで何度も追う。おそらくは顔のアップを活用するのがトレンドだった時代だったのかもしれない。

イヤな女だけど、考えようによっては職務に忠実な女性とも解せる。厳しい規則で良妻賢母を育成するための大学ということをわかって入学してきた女子大生を、期待に反せずきっちり教育するわけだから、反抗する女子学生の方が悪いと考えてもおかしくない。一緒に学校運営の幹部を演じるのが、なんと金子信雄である。これにはビックリだ。「仁義なき戦い」の組長役時代の面影が全くない。知って思わずふきだした。


3.高峰秀子
この映画のクレジットトップは両高峰の2人だ。姫路の瀬戸物屋の娘で、銀行に3年勤めた後に親からの結婚話を断ってむりやり女子大に入ったという設定である。当時30歳の高峰がこの役を演じるのは無理があるけど、仕方ないだろう。「二十四の瞳」の方が適役というのは言うまでもない。同郷の青年を演じる田村高広「二十四の瞳」では教え子である。1年でこういう共演を2回してしまうなんて、今となってみれば、すごい話である。

この2人が大学について語る場面がある。その時のバックの天気はどんよりとしている。逆に姫路城で2人が映る時は快晴である。これは木下恵介の意図的なものを感じる。子役で木下監督の作品に出ていた方を知っている。その人によると、木下監督は天気が思い通りになるまで撮影を開始しなかったという。「カルメン故郷に帰る」など他のいくつかの映画でも感じることであるが、撮影の設定条件にはものすごくこだわっている印象を受ける。姫路城のロケ映像は貴重なものだと思う。

他の学生よりも、勉学に熱心である。若干遅れているから懸命に勉強する設定になっている。それにしても、数学の教科書をあけて悪戦苦闘しているが、どうみても理系の大学に見えないけど、数学やるかなあ?アカの巣京都じゃ数学を使う近代経済学もやっていなかっただろうしね。あと、最後の自殺ってどうも不自然な感じがぬぐえない。当時の人はどう感じたのであろうか?天皇陛下のため自ら命を絶つ人がいた時期からそんなにたっていないから、この自殺も不自然でなかったのかなあ??


4.岸恵子
この出演者で現代に通じる女子学生の顔をしているのは岸恵子くらいだ。主力3人ともう1人山本和子を除くと、女子学生の大多数が醜いと言ってもおかしくないくらいだ。実際に大学教育を受けるという人たちがわずかしかいないわけなんだから、その他大勢で映る女子学生の顔がどっかの工場の女工のようでドンくさくても仕方ない。61年たった今と比較すると違うもんだなあと感じる。

敦賀出身でテニスの選手という設定だ。プレイがいくつか映るが、ひどいもんだ。テニスコートの恋で名高い美智子皇后陛下はどの程度の腕前だったのであろうか?それでも彼女の洋装のあでやかさは際立っている。昭和29年の日本映画興行収入1位は前年に引き続き「君の名は・第3部」である。3位の「七人の侍」5位の「二十四の瞳」を上回る。当時の岸恵子の人気絶頂ぶりがよくわかる。

5.久我美子
溝口健二の作品で田中絹代主演「噂の女」がある。ここでの久我は現代的な雰囲気を醸し出してよかった。血統からいうと東山千栄子と同じくらい上流の出身だけど、ここではそんなによく見えない。アップで彼女の顔をくっきり映し出すが、アップに耐えられるような美貌ではない。社会主義思想に染まっているという設定だけど、はしかの様なものだ。お嬢さんの方が、アカ思想を唱えている男にひかれるなんて話はよく聞く。この映画で1つ好感が持てるのは妙に観念的なセリフを登場人物にしゃべらせていないこと。頭で整理できていないようなわけのわからないセリフをしゃべらせる映画はよくあるが、最悪だ。


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映画「人情紙風船」 山中貞雄

2014-08-12 20:18:09 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「人情紙風船」は昭和12年の山中貞雄監督による作品
戦前の映画では名作とされているが、見るのははじめてである。
27歳だった山中貞雄監督はこの作品を撮り、中国戦線で亡くなってしまう。気の毒としかいいようにない。


江戸深川の貧乏長屋で老浪人が首つり自殺した。長屋に住む髪結いの新三(中村翫右衛門)は、強欲な大家・長兵衛をそそのかして、故人へのはなむけと称して大宴会を開く。新三の壁隣には、紙風船の内職を営む、浪人海野又十郎(河原崎長十郎)とその妻おたきが住んでいた。


新三は自分で賭場を開き、地元を取り仕切る大親分弥太五郎源七の怒りを買っていた。源七の子分(市川莚司)が新三を連れ出しに来たが、新三は隣の又十郎の部屋に逃げ込み難を逃れる。又十郎は亡き父の知人毛利三左兵衛に士官の途を求めるが、毛利は色よい返事はしない。毛利は質屋白子屋を訪ねる。店主の娘お駒を家老の子息が見初めたためその縁を取り繕うとしていたのである。彼女は店の番頭忠七と出来ていたが、忠七は何も出来ないでいた。

白子屋の店先で毛利を待っていた又十郎だが、毛利の依頼で白子屋が差し向けた源七の子分らに叩きのめされる。それを救おうとした新三だが逆に子分らに捕まり、源七の元に連れて行かれる。散々絞られた新三だが、気に入らない源七の鼻をあかそうと再び賭場を開く。しかし源七の子分らに踏み込まれ一文無しとなる。

その夜、金のない新三は元手を作るべく髪結いの商売道具を質に入れるため白子屋を訪ねるが、忠七にコケにされ憤慨する。翌日おたきは向島の姉に会いに出かける。
その夜は縁日だったが大雨となる。そこでお駒を見かけた新三は昨夜の仕返しに彼女を誘拐する。


雨の中毛利に懇願する又十郎だったが毛利は拒絶、二度と姿を見せるなと言い放し父の手紙を雨中に放り棄てる。帰宅した又十郎は新三がお駒を誘拐してきたことを知る。翌朝白子屋の命を受け源七らが新三を訪ね、お駒を帰すよう説得する。金を渡し穏便に済ませようとする源七に対して新三は、源七が頭を丸めて土下座すればお駒を帰すと言う。憤慨しながら源七らは長屋を去る。


実はお駒は隣の又十郎の部屋に匿われていたのだった。
この騒ぎを聞き大家の長兵衛がやってくる。強欲な長兵衛は身代金をせしめようと提案、交渉は自分に任せろと白子屋に乗り込む。50両の金をせしめた長兵衛がお駒を連れ戻しに帰ってくる。長兵衛は半分の25両を自分の手間賃と言い、呆れた新三はそれを飲む。まとまった金が入った新三は長屋の連中に酒を奢ると宣言。又十郎にも分け前を渡し、居酒屋に連れ出す。
帰宅したおたきは長屋の女房達の立ち話から、又十郎が悪事に荷担したことを知る。

1.下町人情
昭和12年といえば、明治維新からちょうど69年だ。今年が敗戦から69年なので年数的には同じである。
その感覚で言えば、江戸の生活はまだ伝承されていたに違いない。江戸時代の話し言葉もこんな感じだっただろうか。その貧乏長屋に住む遊び人の髪結いと任官されない浪人の武士の2人が中心で話が進む。
長屋の中にはメクラの市をはじめ、多種多様な人間が背中合わせに住んでいる。金に目ざとい大家も絡んでくる。最初に映し出される通夜ぶるまいのドンチャン騒ぎが江戸の大衆宴会なのか?まあはしゃぐこと。貧乏長屋は映画でよく見るが、奥行きを浮かび上がらせる構図は妙にしっくりくる。山中貞雄は27歳なのに、映像の構図を巧みにつくる。

2.町の顔役
質屋の白子屋では、ややこしいお客が来ると、番頭は使用人に「薬屋に行っておくれ」と頼みごとをする。
これ自体は暗号みたいなもので、本当は地元を取り仕切る親分のところへ行き、腕っ節の強い子分たちを呼んでくるのである。
浪人武士も髪結いの遊び人も刺青をした子分たちにお仕置きを受ける。面倒な処理は全部地元の親分に頼むのがその町の決まりだったかのようだ。みかじめ料を質屋が親分に届けるシーンもある。

日本という国が、江戸時代からやくざと切っても切れない関係にあったことを示す話だ。
戦前社会でこれ自体がすんなり受け入れられていたのであろうか?
最近は暴力団撲滅で、関係を持つだけで罰を受ける。こういう関係は戦後すぎてしばらくは続いていた。
政治家だってうまく利用したし、特に芸能界やスポーツ興業とやくざの関係は顕著なものであろう。

3.加東大介のチンピラぶり
クレジットには昔の芸名になっているが、加東大介が地元の顔役の子分として出てくる。
ここでの彼を見て、黒澤明「用心棒」のチンピラ役とそっくりだということに気づく。眉毛が異常に濃い男で、仲代達矢と山田五十鈴らの子分だった。


「人情紙風船」の頃は20代、戦後は「大番」のギューちゃん役がはまり役だ。
東宝のホームドラマ系でいい人役が増えるが、ワルの役柄も少なからずある。「女が階段を上るとき」のように結婚詐欺師みたいな役も印象的だ。

4.浪人武士
貧乏長屋に浪人武士が妻と2人でひっそり住んでいる。主人公の1人だ。任官してもらおうと、上役に陳情するが、面倒がられるつらい立場だ。妻も内職で紙風船を作っている。まさに題名の紙風船だ。長屋仲間の悪事に加担したと聞いて、最後に道連れで旦那を殺してしまう。このあたりの心理だけはまったく理解不能。武士とその家族はプライドだけで生きているみじめな人種だ。

うーん。
悪くはないが、名作と評価するのはちょっと大げさじゃないかなあ


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映画「野獣死すべし(1959年版)」 仲代達矢

2014-08-10 12:48:28 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「野獣死すべし」は大藪春彦のデビュー作を1959年に映画化したものだ。
当時若手気鋭の仲代達矢が主人公を演じている。

大学院で学ぶ優秀な学生にもかかわらず、冷酷な殺人をする主人公の話だ。
横溝正史シリーズで角川映画のブランドを高めた後で、森村誠一や木彰光や大藪春彦の作品が同じように角川映画に取り上げられた。その印象が強く、昭和30年代に「野獣死すべし」が映画化されていることは知らなかった。
当然フィクションだが、主人公のキャラクターを大藪自身のキャラに重ね合わせている。


「岡田さん」深夜の住宅街を歩く岡田刑事は呼びかける声に近づくと、鋭い銃声のもと歩道に倒れた。車から降りたった青年は伊達邦彦(仲代達矢)であった。拳銃と警察手帳をポケットに入れ、死体を車の後部に押しこむ。そして犯行車を走らせ、別の場所に置いたまま、別の車に乗り換え逃げた。乗り捨てられた車から岡田の死体が発見され捜査がはじまった。ベテラン桑島刑事(東野英治郎)と若手刑事真杉(小泉博)が同僚だった刑事殺しの犯人を追いはじめていた。

伊達邦彦は文学部の大学院生だった。指導教官の杉村教授(中村伸郎)の翻訳を手伝う一方で、論文をアメリカの財団が主催するコンクールに出して留学の機会をねらっている。学内では優秀とされる男だ。ボクシングで鍛えた強靭な体を持ち、巧みな射撃術で完全犯罪のスリルを味わっている冷徹な男だ。彼は決して一人の女を三度以上抱かない。同じ大学に通う妙子(団令子)にも3度目の情交の時に別れを持ちだす。


伊達は裏カジノの賭博場から出てきた中国人の陳と用心棒(佐藤允)に声をかけた。警察手帳を見せて陳に手錠をはめ、用心棒の頭を拳銃でなぐり気絶させ賭博の売上金を奪っていった。裏組織の人間だけに警察には被害届は出さない。黒幕の陳は犯人をなんとしてでも探し出せと指示を出した。

繁華街で面識のあるゲイボーイに伊達が声をかけられた時、伊達を捜している裏組織の用心棒三田(佐藤允)が2人で追いかけてきた。伊達は路上の車にゲイボーイを乗せて逃げた。追いつめられたゲイと伊達だったが、結局伊達は用心棒を射殺して、ゲイボーイの乗った車に火をつけ爆破した。

捜査当局はやくざ関係のイザコザだと推測していた。警察に出入りしている新聞記者(滝田裕介)が話す杉村教授の現代の犯罪論が真杉の気をひいた。それが教授の下にいる大学院生が語ったという。
真杉はその大学院生が気になり探した。ボクシングジムで伊達を見てあっと叫んだ。この男だ。


以前恋人が働く洋酒喫茶で伊達のパフォーマンスをみて気になっていたのだ。
こんな冷徹なことができる犯人は伊達だと決めつける。
一方留学が決まった伊達の最後の仕事は大学の入学金を奪うことだった。伊達は貧乏学生で金に困っている手塚という男と知り合った。二人は大学を襲ったが。。。。

この映画で主人公が犯す犯罪は、警察官殺人事件と賭博場の収益金強奪、そして大学入学金の強奪である。防犯カメラが街中に張り巡らされている現代では、逃走車の行方はすぐさま掴まれてしまうはずだが、当時はそんなものはなく目撃証言だけだ。そう考えると、30年代は犯罪なんてやり放題だと見えてしまう。

ここで仲代が演じる主人公は、子供のころに戦争を体験し、その中でハチャメチャな育ち方をしてきた。今は真面目な院生だが、感傷や情緒がない冷徹人間だ。完全犯罪で自分の思いを遂げようとする。

1.仲代達矢
昭和34年というと、仲代にとっては目下売り出し中という状態だ。前年の大映作品「炎上」「鍵」に出演した後で、この作品と「人間の条件」の主役をかちとっている。「炎上」の陰気臭い主人公の友人役が薄気味悪い。その顔と同じような雰囲気で出てくる。俳優の専属制が徹底していた時期に、映画会社をまたいで出演していたのは珍しい。昭和36年の黒澤明作品「用心棒」では用心棒のライバルになる殺し屋で、昭和35年の成瀬巳喜男「女が階段を上る時」では銀座クラブのマネジャー役と幅広い役をこなしている。彼の出演作いくつみた数えてみたら28作だった。そのうち昭和30年代の作品が占める割合が高い。
熟年になってからの活躍もすばらしいが、多作だった昭和30年代にいい作品が目立つ。

ここからネタばれあり

2.大学への入学金強盗
主人公は学費を払えない結核にかかっている貧乏学生をみつける。競輪に手を出し、すっからかんだ。彼をそそのかし、入学金3000万円(貨幣価値が違う)が入金されている経理課に侵入する。そこには警察官もいたが、別の場所が爆破され気を取られているうちに拳銃を彼らに向け、金庫に入れようとしていたお金を奪う。
しかも、奪った金を持って2人で逃げるときに、貧乏学生に栄養ドリンクと称して、睡眠薬のようなものを飲ませて眠らせて、そこを拳銃で撃って殺す。しかも、車ごと海に突っ込ませる。


3.海外への逃走
警察当局は主人公に疑いの目をもって接するが、つかまえられない。奪ったお金を持って逃げた先が女のところで、彼女に金を渡してその部屋にいたとアリバイ作りをする。それで話が収まってしまう所が昔の映画だ。
しかも、海外へ行ったら逃げ放題といった感じで、空港まで警察は追いかけるが、飛行機に乗り主人公はアメリカに向かう。

それでも、最後警察に捕まるような匂いをさせながら、捕まらない。犯罪を成立させるのである。
この展開はこの当時ではめずらしい。

4.小泉博と白川由美
最初の主演者のクレジットでは、仲代達矢と小泉博が並列で並んでいる。明らかに仲代達矢の主演作だが、この当時ではまだ小泉が格が上だということに配慮したのであろう。小泉博はこのころ実写版「サザエさん」のマスオ役を演じている。サザエさんはもちろん江利チエミだ。そこで白川由美はマスオの妹役を演じる。縁があったのであろう。この映画では小泉博演じる刑事の恋人で洋酒喫茶のカウンターに立つ女性だ。


ここでの白川由美は23歳、当時の出演作をいくつも見たが、この映画での白川が一番美しく見える。白川由美の実家は五反田の美容室で、自分の生まれた家の数軒となりにあった。母に言わせると、その当時白川由美が里帰りすると近所で軽い騒ぎになったという。自分が生まれた家もその美容室も今の五反田にはない。

(参考作品)
野獣死すべし
冷徹な殺人鬼と若き刑事の対決


野獣死すべし
松田優作が演じる殺人鬼
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映画「伊豆の踊子」 美空ひばり版

2014-06-29 06:57:24 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「伊豆の踊子」美空ひばり版は昭和29年(1954年)公開の松竹作品

「伊豆の踊子」はノーベル文学賞を受賞した川端康成が小説家を志してまもなく書いた短編小説である。川端自らが、旧制一高時代に伊豆を旅した思い出に基づき書かれた作品といわれている。
昭和初期に田中絹代、38年に吉永小百合、49年に山口百恵と当代きっての大スターによって演じられている。
この3作が有名であるが、17歳になろうとする美空ひばりが踊り子を演じている。 監督は松竹の看板野村芳太郎である。当時戦後を代表する歌姫美空ひばりはこのころ年間10本程度のペースで映画に出演していた。作品の背景や踊り子という設定を加味すると、ルックスも含めて一番リアルに近いのはこの作品かもしれない。

時代は昭和のはじめ、第一高等学校の学生である主人公水原(石浜朗)は、沼津経由で伊豆の修善寺に向う馬車の中にいた。温泉場にいる小説家をたづねていき、そこで歓待を受けたが、気分がのりきれなかった。温泉場の部屋から外を眺めると、1人の踊り子が目に付いた。純情無垢な姿を見て心ときめかせた。
そのまま主人公が下田に向かって旅立つと、温泉場で見かけた踊り子(美空ひばり)が、旅芸人の一行とお茶屋で一緒に休んでいた。話をすると、一行はどうやら下田に向かうようだ。旅芸人一行は踊り子かおるの兄である栄吉が率いていた。
自分とは違う身分の一行たちと話をしながら進む道中は楽しいものであった。一行はまた別の温泉場に入り、宿をとる。旅芸人たちは仕事で宴会に呼ばれた。宴会の酔客の前で踊りを披露したが、かおるは酔客たちにからまれていた。その宴会の様子が音で伝わり、主人公は少女を不憫に思った。
主人公は黙って道中ついていくだけだったが、徐々に踊り子にひかれるようになっていったが。。。

1.美空ひばり
天才少女として売り出した美空ひばりは、昭和25年に「悲しき口笛」を大ヒットさせている。
そのとき、まだ13歳、花菱アチャコ、榎本健一、堺俊二、そして芸能界での後見人川田晴久などの戦前からの大スターを従えて映画「東京キッド」を作り映画界でも基盤をつくる。昭和26年の芸能雑誌「平凡」の人気歌手ランキングでは女性でトップとなる人気ぶりだ。男性を含めても岡晴夫、小畑実につぐ3位で田端義夫、藤山一郎という名歌手よりも人気が高い。
そんなひばりが16歳のときにつくった映画だ。声がわりしているので、大人になったときのひばりの声に近い。
小柄なひばりがここでも小さく見える。恋愛を知らない少女のようだ。

2.大衆の人気者
横浜の天才少女として売り出しているひばりに対しては、やっかみが強かった。
NHKの「のど自慢大会」に出たときには、完璧な歌にもかかわらず、鐘が一つもならない仕打ちを受ける。
笠置シズコの物まねをしていたが、歌うなといわれ、服部良一からも冷たい仕打ちを受ける。
そんなことになってもひばりは上昇志向を持ちながら成長していく。

自分が幼稚園生から小学生になりテレビの歌謡番組に関心を持ち始めた昭和40年代初頭、ひばりは女性歌手の中で一歩抜けた大スターだった。ひばりの最大のヒット「柔」、1人酒に胸にしみる響きの「悲しい酒」ブルーコメッツと一緒に歌ったGS風「真赤な太陽」とヒット曲が続く。小学生の自分には彼女の振る舞いが尊大なおばさんのイメージにしか感じなかった。
竹中労の本でそのイメージが少し変わった。

3.旅芸人への差別
伊豆路を下田へ向って進むとき、温泉場のある町に入ろうとすると、そこには看板が立っていた。
「乞食と旅芸人入るべからず」となっている。乞食はともかく、旅芸人まで何で差別するのと思ってしまう。そういえば上原善広「日本の路地を旅する」というノンフィクション本を読んだときに、いわゆる伝統的に差別を受ける人たちと並列で旅芸人が書いてあったのを思い出した。
お茶屋のおばさんが、旅芸人をあんな連中とさげすむのに対して、学生にすぎない主人公に対して旦那とよぶ。

野村芳太郎が監督をつとめるからか、社会性が強いのかもしれない。

戦前は大学や旧制高校はもとより旧制中学すら行く人は少なかった。
大正時代、旧制高校に合格できれば、よほどのことがなければ帝国大学にいけた。少数なるゆえ、特権階級的な存在だった。竹内洋「学歴貴族の栄光と挫折」には、この本が書かれた大正14年の旧制高校の入学最低点がのっている。旧制高校全体の入学最低点が800点換算で平均403点なのに一高は503点、三高が458点、五高354点で開きがある五高だって東大に行ける。佐藤栄作総理大臣も五高出身だ。数字から見ても一高は特権階級の中の超エリートとわかる。
ここでも主人公は一本線の入った帽子に学ランで旅行する。
ある意味自己顕示欲甚だしいという気もするが、みんなそうしていたようだ。

最近格差社会の話がいたるところで語られるが、この当時における格差は半端じゃない。
今の方がましだと思うんだけど

4.石浜朗
吉永小百合には高橋英樹、山口百恵には三浦友和という男性コンビがいる。ここでは石浜朗だ。
そののちにホームドラマでよく見た石浜の中年紳士振りが目に浮かぶ。ここでの彼の美青年ぶりには正直驚いた。鼻筋がきれいで、整った顔立ちだ。ダルビッシュを思わせる甘いマスクといえる。
現代のジャニーズファンは真っ青だろう。実生活では当時立教の学生
正直ひばりには不釣り合い。でもそれがこの映画の自然さを生むのかもしれない。

5.竹中労&中村とうよう
名ルポライター竹中労は女性雑誌の記者として名を売り、名エッセイをたくさん残している。彼の文章力は凄い。念入りな取材に基づく臨場感あふれるリズミカルな文を読むとどれも唸らせられる。その竹中の傑作が「完本 美空ひばり」である。都市伝説が多いひばりの生涯であるが、竹中がひばりサイドに近い時期もあり一番真実をつかんでいる本だと思う。ノンフィクション自伝の傑作である。その竹中労が、数多くあるひばり映画の中で一番好きなのは「伊豆の踊子」だという。興味深いのでみてみた。

竹中の本によれば、戦後、気取った左翼知識人により歌謡文化は一歩下に見られている。
1967年に竹中労がキューバに行った時、ひばりのレコードを持参していった。しかし、同行した音楽評論家中村とうよう氏から「物笑いの種になる」と叱られたそうだ。偉そうに!と思ってしまう。左翼ばかりでなくインテリと称する人々からひばりの歌は嫌がられる。でもそれとは反対に、圧倒的大衆の支持があったことを竹中はこの本で述べている。
(調べると、中村の方が竹中より年下だ。こんな奴一発殴ってしまえばいいものの、そうはいかないか。。。中村が存命中にこういう文章書いて、中村を苦しめる方がよっぽどの暴力だ。関係ないと思うけど中村とうようは自殺している。中学の頃彼の評論も読んだが、それだけの人物ということだ)

(参考作品)
伊豆の踊子
出しゃばらない美空ひばり
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映画「新しき土」 原節子1937年公開

2014-06-23 05:05:14 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「新しき土」はドイツ人監督により1936年(昭和11年)の日本を描いた原節子の主演作品だ。
原節子の10代を映した映像があるという。しかも、ドイツ人監督による映像ということでdvdを借りた。
映画の内容自体はどうってことないが、戦前の空襲に会う前の日本各地を映しだした貴重な映像である。16歳の原節子の美貌には驚くしかない。

1933年アドルフ・ヒトラーが首相となり、翌34年総統としてナチス独裁を完成させる。ナチスドイツは宣伝大臣ゲッべルスのもと、映像宣伝による大衆への喚起に力を入れていた。そんな頃の作品である。ベルリンオリンピックが開催される1936年2月、ドイツのアーノルド・ファンク監督が日独合作映画「新しき土」を製作するために来日した。監督は原節子を主役に起用する。ヨーロッパから帰国した婚約者がドイツ人女性を連れてくるのに失望して、花嫁衣装を着て自殺を試みる純情な娘役である。
新鮮味があったのか、本国でも大ヒットしたという。

ヨーロッパ留学を終え輝雄(小杉勇)がドイツ人女性ジャーナリストのゲルダ(ルート・エヴェラー)と共に帰国した。日本では、一途に彼を待ちわびていた許婚の光子(原節子)と輝雄の養父である巌(早川雪洲)に温かく迎えられる。

西欧文化に馴染んだ輝雄は、“許婚”という日本的な慣習に反発を覚えて悩む。輝雄からすると、光子が妹にしか思えないのである。そんな輝雄の変化に気付き、光子は絶望する。一方のゲルダは日本の文化を身を持って知るに及んで輝男から去って帰国の途につく。やがて光子は、婚礼衣装を胸に抱き、噴煙を上げる険しい山に一人で登り始めるが。。。。

東京に帰ってくる設定なのに、阪神電車のネオンが光っているので映しだされるのは大阪とわかる。夜の道頓堀川を船で徘徊するシーンも映る。その後宿泊するのは甲子園ホテルだ。昨年行ってきたばかりなので映像を見て驚いた。

1.昭和11年の日本
古き良き日の日本が美しい。富士山をいろんな角度から映し出す。世界遺産になった時に三保の松原は外されそうになったが、ここでは三保の側からの映像も映す。噴火が凄い山なので、これは浅間山だろうか?阿蘇山と思しき映像と混ぜ合わせている気がする。海岸線も映しだす。和歌山の円月島も似ているが島の形からいって松島と推測される。
京都もずいぶんと映しだされる。月桂冠や白雪といった関西の酒の提灯が吊る下げられている。輝雄が妹と芸鼓の踊りの発表会へ行ったり、桜の咲く川沿いで遊ぶのは高瀬川の辺で、カフェと思しき女性がつく店は祇園の夜を映したものか?
すごいのは光子の家の裏庭が宮島の厳島神社で、水の中にそそり立つ鳥居が映し出される。鎌倉の大仏が何度も映るのは、さぞかしドイツ人監督には印象深かったのだろう。

2.横綱 玉錦
相撲が映し出される。「007は二度死ぬ」の東京ロケと一緒だ。
これは両国国技館だろうか?横綱玉錦の土俵入りである。当時自ら二所ノ関部屋をひきいていた。


撮影された昭和11年というのは大相撲が大転換をする年だ。11年の春場所まで三連覇していた玉錦を差しおいて、双葉山が連勝記録を樹立し始める。あれよあれよという間に昭和14年まで69に連勝記録を伸ばすのだ。いまだに破られていない。ちなみに当時は年2場所だ。
玉錦は昭和13年の秋場所の終了後若くして腹膜炎で亡くなってしまう。孫弟子の横綱玉乃海とまったく一緒である。玉乃海の死去の時小学生だった自分はものすごいショックを受けた。
控えに映るのは高見山の師匠だった高砂親方である前田山、のちに武蔵川理事長になった出羽の花ではないかと推測する。
ちなみに自分は小学生のとき、毎月雑誌「相撲」を購読していた元相撲ファンだ。

3.甲子園ホテル(甲子園会館)
フランクロイドライトとともに旧帝国ホテルを完成させた建築家遠藤 新の設計によるものだ。現在は武庫川女子大となっているが、昨年見学をした。実に素晴らしい建物だった。その甲子園ホテルが映像に出てきたときはおったまげた。今、自宅のパソコンの壁紙にしているのがこの建物の写真(下の写真)だからだ。現地の説明では施工は大林組だという。遠藤新の作品には自由学園や芦屋の旧山邑邸などライトの影響を受けた洋風建築が多い。

4.火山のシーン
光子が婚礼に着る着物を持って火山に登る。浅間山か阿蘇かどうであろうか?次第に火山が噴火しそうな様相になってきて、光子を追って輝男が火山を追いかける。あわや火口に飛び込むのではというシーンの直前に輝男は光子に追いつくが、ちょっとじれったいシーンだ。原も小杉も2人ともこのシーンを撮るのには難儀したと思われる。特撮では円谷英二が参加する。


5.早川雪洲
若くしてアメリカにわたり、ハリウッド映画では無声映画時代の1910年代から活躍していた。英語は得意だと思うけど、ドイツ語はどうなのかなあ?このあとフランスに渡り、戦後ハリウッド映画に出るわけだ。東京を舞台にしたハンフリーボガード主演作「東京ジョー」やデイヴィッドリーン監督の名作「戦場にかける橋」での活躍は見ていた。でも名優と騒ぐほどうまい俳優ではないと思う。


6.原節子
戦後間もない「安城家の舞踏会」「わが青春に悔なし」をはじめとして、小津安二郎、黒澤明、成瀬巳喜男らの巨匠による戦後の作品は大部分見ている。でも戦前の作品は初めてだ。1920年生まれなので当時16歳である。華道、茶道、弓道をたしなむシーンに加えて、セーラー服姿や水着姿など戦後作品にはない映像が見れる。彼女は1963年まで現役を続け、あっさり退いた。

1937年3月「新しき土」の舞台挨拶のために、まず満州に向かった後、モスクワ経由でベルリンに向かったという。その後パリからニューヨークにもわたり、7月末までの4カ月間にわたって海外をまわり映画関係者にも会ったという。当時、ナチスドイツは着々と軍備を拡張していたが、二次大戦は始まっていない。この時期に欧米を渡りあえた日本人は一部の外交官や商社マン以外はいなかったろう。貴重な体験だったのではなかろうか?当時16歳ながらその美貌は現代に生きる我々の目から見ても輝いている。

(参考作品)

原節子 新しき土
16歳の原節子の美貌に驚く
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映画「お嬢さん乾杯」 原節子

2014-05-28 18:53:41 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「お嬢さん乾杯」は昭和24年(1949年)の木下恵介監督、新藤兼人脚本の作品
原節子、佐野周二のコンビで身分のちがう2人の恋愛話である。

戦争に敗れて、戦前の上流階級の多くが没落した。その後の生活については多くの文学作品や映画がつくられている。
逆に復興景気にのり成金となったひとも多い。その成金が没落貴族のしりぬぐいをするという話だ。

石津(佐野周二)は自動車修理工場を経営する34歳独身である。顧客の佐藤から見合い話が持ちかけられてきた。お相手は学習院出のお嬢様である。話を聞いてすぐさま断るが、佐藤はしつこくお見合いを迫ってくる。やむなく石津が常連の銀座のバーで会うことになった。
そこに現れたのは清楚な美女池田泰子(原節子)である。お見合い写真は女学校時代の写真でよく分からなかったのだ。性格もよく石津は一目ぼれする。しかし、育ちの違いで当然自分を選んでくれるはずはないと思っていた。直後に女性側からいい返事が返ってきた。石津は大喜びであった。

お屋敷街にある彼女の家に訪問する。祖父母と母(東山千栄子)そして姉夫婦とその2人の子供が同居していた。
2人きりで会話を始めると、お見合いの真相が分かってきた。
彼女の父親がある事業に関わったところ、騙されてしまう。事業にあたり現在の居住には100万円の抵当がついていた。それなのに、父親は詐欺罪で現在小菅の刑務所にはいっている。返済の期限は3ヶ月先まで、それまでに残債抹消しないとお屋敷を出ねばならない。そこで昔から池田家に関わっていた佐藤が石津に目をつけたのだ。

何かはめられた感じを覚えたが、石津は2人で会うようになる。緒にバレエを見に行ったり、逆に石津の趣味のボクシング(拳闘)を見に行ったり2人は楽しい時間を過ごす。
その後もデートしたが、泰子が気乗りしているように見えない。そこが気になるのであるが。。。

戦後間もない映画だけに粗い部分は多々ある。現代と比較するのは酷だろう。
戦前の方が明らかな身分格差があったわけで、それがなくなったための影響は民衆にとっても関心事であったに違いない。
テレビがない時代で、ラジオでここまでの話ができるかどうかは疑問。活字媒体を除けば映画で伝えるしかないだろう。

1.小佐野賢治
この映画の主人公のモデルは小佐野賢治と思われる。のちにロッキード事件が発覚し「記憶にございません」の小佐野の国会答弁が流行語になった。山梨の田舎者だった小佐野が戦後資産を蓄えて学習院出身の華族の令嬢と一緒になったのは有名な話である。推測の域を超えないが、巷のうわさで2人の結婚は話題になったのかもしれない。目ざとい新藤兼人が目をつけたのもわかる。

2.昭和24年の道路事情
銀座付近でも車はほとんど走っていない。佐野周二が軽快にオートバイに乗るシーンが印象的だ。
まるで田舎の道を走るがごとく、すいすい大通りをUターンするのが滑稽である。赤坂見附の交差点を映しているシーンも同様だ

3.当時の100万円は?
日経平均は昭和25年を100として、途中補正を加えながら持続性のある指数になっている。現在は14500とすると、大雑把な数字であるが映画に出てくる担保の100万円は1億4500万円ないしはそれ以上の数字といっていいだろう。原節子がタクシーで自宅のある「小石川西片町」に向うシーンがある。
このあたりは現在でも人気のある場所で坪単価200万円はくだらないであろう。お屋敷の敷地が120~150坪前後と推定されるからまあ時価3億円といったところか
そう考えると不自然ではない。当然この家族は稼ぎなさそうだから、一括返済は無理。そこに主人公登場するしかないのだ。

4.安城家の舞踏会
類似した話である。いずれも新藤兼人の脚本だ。やはり戦後没落した上流の家が資産を維持するために、元の運転手に自宅を身売りするという話である。華族が自宅を売らざるをえないくらいに没落するということが同じである。

安城家の舞踏会もそうだが、戦前の上流階級が過去の栄光を捨てきれないセリフを何度も発する。金のために結婚という話を何度も口にして、腹だたしい場面が何度も出てくくる。映画を見ていて何度もムカついたが、それが新藤兼人の思うつぼなのだろう。
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映画「処刑の部屋」 川口浩&若尾文子

2014-04-27 11:28:07 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「処刑の部屋」は昭和31年(1956年)の大映映画

石原慎太郎の原作を映画化した。「太陽の季節」で芥川賞をとってまもない時期に、川口浩と若尾文子共演で市川崑監督がメガホンをとった映画だ。原作は未読。評論家筋からの評判もよく、三島由紀夫も絶賛している。「太陽の季節」同様に遊び人学生にスポットを当てている。若大将シリーズは1960年代を映しだすのに対し、1950年代の大学生の実像が果たしてこの通りだったかどうかを別としても貴重な映像が盛りだくさんだ。内容には??となる部分は多い。価値観が違うのかもしれない。

タイトルバックには大学野球の熱烈な応援風景が映る。
一転東京の田園地帯にある工場が映される。1人の銀行員島田(宮口精二)が融資勧誘している。彼が銀行の支店に戻ると、息子島田克己(川口浩)と友人伊藤が待っていた。金持ちの息子である息子の友人が180万円の手形を出し、この手形を割ってほしいという。いきなりなので戸惑う島田はとっさにポケットマネーで3万円を出して渡す。これを元手にダンスパーティをしようとする魂胆だ。授業に久々にでると、他大学とのディベートの最中だ。そこにはK大学の女子学生青地顕子(若尾文子)もきていた。克己も参加しようとするが、教授の都合ですぐ終了してしまう。

その後元金を使ってダンスパーティを開催して、克己と仲間は大儲けしたが、ケンカ早い克己は他大学の学生竹島(川崎敬三)たちとケンカを始める。

大学野球では島田が通うU大学(優駿大学と書いてある)はリーグ優勝した。その夜新宿で大騒ぎをしている時に、以前ディベートで出会った女子学生顕子たちもいた。酒の勢いで小料理屋へいき一緒に飲み明かす。その時、克己は悪知恵が働き、睡眠薬の入ったビールを彼女たちに飲ませ、寝た隙に犯してしまおうと考える。作戦はまんまとはまり、女子学生は眠ってしまう。克己たちは仲間の高級アパートにタクシーで連れ込み、克己は犯してしまった。泣き崩れる2人は警察に言ってやるといいながら、怒りにむせぶ。タクシーに乗せて送る途中克己と仲間は逃げてしまう。

顕子から手紙が送られてきた。会いたいという顕子との待ち合わせ場所へ行くと、どうして私を選んだの?と話しかけてくる。自分に気があるなと克己は感じる。「好きって意味がわからない」と克己はその場を抜け出す。その後も顕子は近づいてきたが、そっけないそぶりをした。
克己たちは仲間と再度ダンスパーティを開く。他大学の学生も大勢来て大盛況だ。このパーティには前にケンカしたことのある竹島もきていた。主催仲間からはこの席ではケンカするなよと、ケンカ早い克己はくぎを刺されていが、竹島をみると外に引っ張り出す。克己は共同主催の仲間たちがなんかうっとうしく思えていた。そこでパーティの売上金を持ち運ぶ車を教え、売上金を竹島たちに強奪させ、分け前を3割もらうという提案をする。竹島たちは克己に言われたとおりに売上金を持ち運ぶ車を襲うのであるが。。。

「処刑の部屋」と言われる題名の主旨が出てくるのはこの後である。そのシーンには不可解なことも多く、今の学生たちから見ると到底想像もつかないようなことかもしれない。何でこんなことするの?と自分は思うだけである。

この映画ではロケ地映像で当時の世相を楽しみたい。
1.大学野球の観客席の光景
いきなり大歓声の大学野球の観客席が映し出される。誰がどうみても早慶戦だろう。凄まじい熱気である。自分のころでもそれなりに活気があったが、むしろ昔の方が観客の騒ぎ方が凄かったのかもしれない。フクちゃん、ミッキーマウスの両大学の看板はまだ出ていない。その実際の早慶戦を映した実写と観客席に俳優たちを集めて応援姿を映すものと両方ある。

2.新宿の祝勝会の風景
早慶戦のアフターは、昔から慶應は銀座、早稲田は新宿と決まっている。ここでは主人公はU大学となっているが、早稲田同様に新宿でアフター祝勝会をやっている。一部は早稲田側のリアル映像と思しきものも混じっている。新宿駅が昔の駅の風貌だ。その前を騒乱の学生が肩を組みながら大勢で大騒ぎしている映像だ。今の東口駅ビルは自分が小学生の時にできた。今もある「武蔵野館」という文字も目立つ。小料理屋の2階の映像がいかにも昭和40年代以前を連想させる。いい感じだ。

3.ダンスパーティ
人数が多すぎて入りきれないといったパーティである。お互いに踊っているが、なんかぎこちない。ジルバを踊っているが、この間隔じゃ踊れないでしょう。男性はそれなりに男前だが、女性がみんな不細工だ。現代と比較するとまったく男女正反対である。大学生の時、仲間と一緒にディスコでパーティを開いたことがある。それをきっかけに人脈を広げたいという気持ちが自分は強かったが、友人の一部は違った。金儲けというと一瞬引いたが、自分も金を手にするとなんか嬉しくなったものだ。

4.若尾文子の風貌
ふっくらとしている。女学生風洋装で出演して、ディベートでは理屈っぽい。当時23歳で女性として一番きれいなころだ。同じ昭和31年には溝口健二監督「赤線地帯」で娼婦役を演じている。でも、彼女に関しては美のピークを迎えるのが、数々の映画を見ている限りこの2,3年先のような気がする。

5.不可解な川口浩演じる主人公
いきなり他校とのディベートで観念的な言葉をしゃべりまくる。何が何だかわからない。当時自分でも何を言っているかわからないような変な学生が多かったのであろう。それなのに軟派である。しかも、何でこんなにケンカ早いの?硬軟入り乱れてまったく不可解。

6.薬を飲ませての強姦
強姦か?合意の上のエッチか?映画「さよなら渓谷」の主人公2人は大学生の集団強姦事件に絡んで、加害者と被害者だ。「処刑の部屋」の2人も同じで、「さよなら渓谷」の2人の営みを連想した。男って基本的に悪意じゃないけど、飲ませてエッチの発想を持っている奴は多い。いかにも合意のように持っていきたいのだ。最近では柔道金メダルの内柴による強姦裁判の判決があり、合意によるエッチを主張した内柴被告は実刑となった。相手に飲ませて犯すという悪さはより一層減るだろう。

7.当時の銀行
主人公の父親宮口精二が演じるのは、どこにでもいそうな実直な銀行員だ。息子たちにせびられ、自分のへそくりからお金を払う。預金通帳を事務員に与え、現金引き出している姿が滑稽だ。銀行の名前は架空の「共和銀行」となっている。今のりそな銀行の前身で都銀の「協和銀行」でロケさせてもらったのであろう。でも若干ドジなのは映像の中で本当の「協和銀行」の文字が映ってしまっている。今だったらCGで消せそうなものだが、そのまま映るところが笑える。


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映画「暖簾」 森繁久弥

2014-01-26 20:33:38 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「暖簾」は森繁久弥主演で大阪商人の生き様を描いた1958年の東宝映画だ
監督は「洲崎パラダイス」「幕末太陽傳」の川島雄三である。

「暖簾」は先日亡くなった山崎豊子の処女作である。生家である大阪老舗の昆布問屋の父や兄の姿をモデルにして明治から戦後まもなくまで時代とともに追っていく。スケールの大きい社会派作家として後年名をあげた彼女であるが、故郷大阪を舞台にした初期の作品に味がある。

森繁久弥の傑作として「夫婦善哉」が挙げられることが多い。淡島千景との共演で船場のぼんぼんでダメ男を演じた。ここではその正反対のまじめ男である。淡路島から一人故郷を離れ、大阪で丁稚奉公をする。まじめなところを店主に認められて、暖簾分けをしてもらうのだ。森繁はダメ男を演じると天下一品だが、これもなかなかいける。
川島雄三監督の作品はユーモアたっぷりでどれもこれも味がある。東京と関西両刀使いで天才と言われるだけある。迫力あったのは十日戎のシーンだ。エキストラもたくさんいたとは思うが、妙にリアルだった。この映画はもっと評価されてもいい気がする。

十五歳の八田吾平丁稚奉公として働くため淡路島から大阪へ飛び出して来た。町で見つけたこれはと思ったご主人の後を追いかけ、働かせてくれと頼む。それは昆布屋の主人、浪花屋利兵衛(中村鴈治郎)だった。話してみると、同郷ということがわかり利兵衛は店に連れてきた。そこにはおかみさん(浪花千栄子)と大勢の奉公人がいた。
そこで拾われてから十年、吾平はまじめに働いた。

そして吾平(森繁久弥)が25歳の時、先輩たちをさしおいて主人利兵衛が暖簾を分けてくれた。吾平は、丁稚のころから仲の良いお松(乙羽信子)と一緒になろうと思っていた。ところが、利兵衛は、吾平を見込んで姪の千代(山田五十鈴)を押しつけて来た。これには吾平は困ったが、お松が身を引き結局千代と結ばれた。しっかり者の千代は商売繁盛のためにともに働いてくれ、夫婦の絆は徐々に深まっていき、子宝にも恵まれた。

昭和九年、3人の子供も大きくなったころには、吾平は昆布屋の事業を広げており、加工工場を作っていた。ある時、強烈な台風が来て、工場が面する川が決壊、水害が工場を襲った。最悪の被害となり、損害から原状回復をしようとしたが、事業を拡大するために資金は借りきっていて、担保もない状況であった。本家に事業資金を借りに行ったが断られ、旧知のお松の嫁入り先に世話にならねばならない状況になった。しかし千代の助言で「暖簾が最高の担保」と吾平がもう一度銀行へ交渉に行き、融資がついて切り抜けた。
それから十年、戦争となって、息子たちは出征した。しかも、昆布が国家による統制の対象となり商売ができなくなった。建物も空襲で燃えてしまいすべてを失う。戦後、吾平は昆布の荷受組合で働いていた。長男の辰平は戻ってこない。しかし、学生時代ラグビーに明け暮れていたのんびり屋の次男孝平(森繁久弥2役)が商売を継ぐと決意し、仕入れの昆布を調達してくる。そして株式会社浪花屋を設立して商売を広げていったのであるが。。。。

森繁はもともと大阪出身で、名門北野中学の出身でもある。もちろん不自然な大阪弁は話さない。大阪弁だけはよそ者が話すとどうしてもうまくいかない。自分も平成の初め大阪にいたが、不自然な大阪弁ならむしろ東京弁を話すべきだということにすぐ気付いた。大女優山田五十鈴も同じく大阪出身だ。山田五十鈴との掛け合いコンビは絶妙で、まさしくプロの仕事だ。
我々は末期の森繁をテレビなどで見ているので、どうしても大御所的な存在と思ってしまうが、ベースは喜劇役者である。小林信彦「日本の喜劇人」でもそのあたりが語られている。映画「夫婦善哉」あたりで演技派に転換したと映画の本などで書いてあるのを見る。映画「夫婦善哉」では緩急自在な演技で顧客の笑いを呼ぶぐうたら男の役だ。それが喜劇役者としての頂点だと私は思う。この作品はその三年後、対照的にまじめ一辺倒な役だが、流れているムードは同じである。

山田五十鈴はこの映画の2年前「流れる」で主演を張った。高峰秀子、田中絹代、杉村春子という人気俳優に加えて大御所栗島すみ子も出演していた。東京柳橋の芸者置き屋の主人を演じた。「暖簾」の役とは真逆で東京の色町を舞台にして時代の流れに取り残される役だ。この当時彼女は映画に随分と出ている。特に黒澤明作品の「蜘蛛巣城」での演技が三船敏郎ともどもすばらしい。

中村鴈治郎、浪花千栄子は関西が舞台になる映画では欠かせない。あくの強い旦那役をやらせたら鴈治郎は天下一品だ。浪花千栄子溝口健二の「祇園囃子」におけるお茶屋の女将役がすばらしかった。ここでも同様だ。昔はオロナイン軟膏の宣伝にずっと出ていたので親しみがある。

大塚製薬と言えば、松山容子大村崑と彼女だった。でも何で浪花千栄子だったんだろう。あとは若き日の扇千景が美しい。大臣やっていたときは怖かったなあ。


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映画「安城家の舞踏会」 原節子

2014-01-24 21:02:55 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「安城家の舞踏会」は1947年戦後まもなく製作された没落家族の姿を描く映画だ。

名作の誉れが高い。昭和22年のキネマ旬報日本映画№1である。吉村公三郎がメガホンをとり、最近亡くなった新藤兼人が脚本を書く。出演者の風貌が現在と比較すると、まだ戦前の香りがする。その中でも西洋的で上品な原節子がストーリーを引っ張っている。
 
戦前は名門華族だった安城家、当主忠彦(滝沢修)は伯爵だった。太平洋戦争に敗れ、すぐさま他の華族と同様斜陽の一途をたどっていた。自宅の豪邸は抵当に入っていて、借金の猶予を当主の弟が抵当権者の社長新川(清水将夫)に申し込んでいたが、拒絶される。当主の次女敦子(原節子)はかつて運転手で現在は運送会社の社長になりあがった遠山(神田)に引き受けてもらうように提案している。しかし、兄正彦(森雅之)と姉昭子(逢初夢子)は反対している。姉は成りあがりの元の使用人にお屋敷を買ってもらうこと自体が気にいらない。兄は抵当権者の社長の娘(津島恵子)と婚約していて、その筋からの打開を期待していた。

しかし、状況は好転しない。もはやここを自宅とすることが短いと感じて、安城家は舞踏会を開催することにした。当日は、旧華族あるいはそれに類する上流階級に属する多くの客が安城家を訪れた。大きな広間で楽団を入れて華やかな舞踏会が開かれる。しかし忠彦には、戦前自分の名前を使って利益を得たということで抵当権者の社長には貸しがあると認識しており彼を口説いた。しかし、その懇願はすぐさま拒否された。その後はかつて安城家の使用人だった遠山が、屋敷を買い取ると言い出した。それと同時に長女の昭子に向かって求愛したが、受け入れられない。状況はドン詰まりになっていくのであるが。。。

華族の没落は、まさにアップデートな話題だったかもしれない。この映画は華族制度がなくなって半年後に公開されている。庶民からしてみても、表向きはともかく影でいい気味だとささやくムードもあったかもしれない。

(華族の没落)
戦前からの華族制度を残そうとする動きはあったようだが、天皇の近い親戚以外大胆に削減された皇族のみが存在し華族という制度がなくなった。戦前はいろんな優遇を受けていたが、それもなくなる。当然収入は厳しくなる。使用人をたくさん使うことはできないし、維持費も大きく削減せねばならない。安城家は多額の借金を抱えているとのことであるが、当主はビジネスで成功した人物ではなさそうだ。どうして家をとられるほどの多額の借金をする必要があったのか?他に財産はなかったのか?という疑問はあるが、元の生活を維持するためには借金に頼らざるを得なかったと考えてもいいだろう。

安城伯爵は「殿様」と使用人から呼ばれている。明治維新前はどこかの大名だった家筋と推定できる。明治維新後の華族制度で身分を維持できた。ところが、本当の世間知らずだ。借金の期限も昔世話をしたこともあるので、何とかしてくれると思っている。
抵当権者の新川を悪者に近い描写をしているがそもそも借りた金を返そうとしないわけだから、悪いのは伯爵だ。しかも、見栄っ張りだ。身近で邸宅を購入してくれる人物がいる。
ところが、元使用人ということでプライドが邪魔する。この気持ちはわかるけど、切羽詰っているのだから仕方ないでしょう。殿様から1人の世間知らずになった男の悲劇といった形だ。

滝沢修は自分が子供の頃は、財界の大物などのお偉いさんの役を演じていた。これが適役でずいぶんと貫禄のあったものである。劇団民芸設立者でどちらかというと左翼系だ。戦前は公安に引っ張られたこともあるらしい。そうなると、戦前の特権階級が没落する姿は喜んで演じたいであろう。

映画の中に皆が交わすあいさつは「ごきげんよう」である。あえて意識的にやっていると思う。
学習院の付属校では普通に交わされる言葉遣いである。(今もそうなのかな?)
日本における階級の概念は、戦後68年間で大きく変貌を遂げたと思う。
昭和30年代から40年代に差し掛かる頃は、まだ残っていたかも知れない。自分が大学に行くころは進学率30%を越えた程度だったが、その前はもっと低い。しかし、高度経済成長により、全般的にレベルアップが図られ、その昔であれば底辺、中間層だった人もその気になれば同じ教育が受けられるのだ。格差社会になっていくことで、教育にも格差が出ているという話がある。そういえる部分もあるが、どう考えても今の方がましである。


(原節子)
彼女の代表作の一つ黒澤明監督「わが青春に悔いなし」の後の作品になる。あの作品では清楚そのものの彼女が農作業に励むシーンを延々と映した。意外性を感じたものだ。当時であれば、華族という設定で彼女以外の登用は考えられなかったであろう。彼女の持つ気品はここでも光る。浮世じみた姉とはちがって、現実的な考えを持つ女性の設定である。
そして、最終場面に向けて凄いシーンが用意されている。原節子と言えば、小津安二郎作品を代表するヒロインだ。しかし、そこで見せる彼女の姿は静のみといった感じがする。黒澤もここでメガホンをとる吉村公三郎も思い切った動きを原節子にさせる。これがなかなかいい。

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