映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「声もなく」ユ・アイン&ホン・ウィジョン

2022-01-28 20:01:08 | 映画(自分好みベスト100)
映画「声もなく」を映画館で観てきました。


パラサイトを生んだ韓国発の傑作で、新人女性監督にしては実によくまとめた。こんな映画は見たことないと思わせる必見の作品だ。

韓国得意の下層社会を描いたどぎついクライムサスペンス物かと思うとちょっと違う。いきなり首に刺青をしたヤクザが出てきて、いつものようにえげつない暴力が噴出するのかと思うとそうでもない。パラサイト」が持つコメデイタッチの要素を残しながら、少女を取り扱うやさしさが映画の中に浸透している。

裏社会の下請けで死体処理をやっている2人の男が、組織から誘拐された少女を預かることになる。口が利けない片割れが自分のオンボロのアジトに連れ込み幼い妹と3人で暮らすことになるにつれ情も移っていくという話だ。主演の丸坊主頭の男はどこかで見たことあると既視感があってもバーニングユ・アインと気づくのに時間がかかった。何せ言葉が話せないだけに演技としては逆に難しいだろう。ラグビーの笑わない男稲垣に似たユ・ジェミョンの動きが笑える。


先日見た「さがす」はよくできていたが、「声もなく」は数段上だ。

足の悪い中年男チャンボク(ユ・ジェミョン)と口が利けない丸坊主のテイン(ユ・アイン)は2人で下町の市場で卵を売りながら、裏社会組織の下請けで死体処理の仕事をしている。組織の命令で今度の対象を引っ張り出そうと向かうと1人の少女だった。組織が身代金目的で誘拐してきた11歳のチョヒ(ムン・スンア)だとわかるが、少女を引っ張ってきた組織の親玉が逆にリンチされ、どうして良いのか分からずテインが預かることになる。結局身代金の支払い交渉がうまくいっていないのだ。

広々と続く畑の片隅にあるオンボロのテインの家に引っ張り、野生のような妹と一緒に暮らすようになる。最初はオドオドしていたが、妹をかわいがろうとする。その後、チャンボクが身代金の授受に関わったり、テインが里子取引の施設に連れ出そうとするのであるが。。。


映画を観ながら、どのようにこの映画を落ち着かせるのか想像がつかなかった。謎を解くという訳でないけど、シナリオの行方が読みづらい映画だった。それだけにおもしろい。


⒈善悪の混合
こんな映画は観たことないなあと感じていたが、昨年観たイーサンホーク主演のストックホルムケースを連想する。犯罪の被害者が犯人に心理的につながりをもつというのを「ストックホルム症候群」というそうだ。銀行強盗と人質の関係だが、今度は誘拐犯から押し付けられた男と人質の女の子の関係である。ジャンレノとナタリーポートマン「レオン」の要素もある。

ただ、この男テインは根っからの悪ではない。食い扶持がなくてやむなくやっている死体処理が本職である社会の底辺にいる障がい者だ。本質的に気持ちはやさしい。そういう男の本性を見抜いてか、誘拐された女の子も男寄りの立場になってしまうのだ。しかも、この子は賢い。野生のように学校も行かず育っているテインの妹を手なずけ、洗濯を教えたり、部屋の片付けも教える。世話好きな女房を思わせる振る舞いムン・スンアが巧みに演じる。


2人の関係もあっちにいったりこっちに来たりと揺れる時折り心境の変化をみせる。それなので、映画の先が見えない。善悪の境目を彷徨う。そんな感じでも嫌な部分が見あたらない。

⒉面白みのある登場人物
いきなり先日観たばかりの「ただ悪より救いたまえ」ばりの韓国ヤクザが出てきて、同じような末梢神経を刺激するシーンが続くかと思った。でも、違う。まずは、裏社会の下請けである主人公とその相棒の動きが気になる。依頼されて、ヤクザに惨殺された死体処理のためにカッパや手袋やシャワーキャップを身につける。ただ、処理がスマートにできるわけでない。どこか臆病な感じで、やることなす事不器用だ。


韓国は以前映画冬の小鳥などでも出てきた里子の売買が日本より盛んなようだ。いったん誘拐された女の子も売られそうになる。その人身売買の組織の人たちもなんか抜けている。それに加えて、女の子に絡む酔った警官や警官の部下の婦人警官など、いずれの動きもコミカルにしている。

そういう人物の楽しさが暗い一辺倒の話に面白さを生む。そして、バックには茜色した夕陽が包む広大な畑がある。決して道徳的でない話だが、後味が悪いわけではない。1982年生まれの女性監督ホン・ウィジョンの将来に期待できる。
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映画「ラストナイト・イン・ソーホー」トーマシン・マッケンジー&アニャ・テイラー=ジョイ&エドガーライト

2021-12-11 18:08:44 | 映画(自分好みベスト100)
映画「ラストナイト・イン・ソーホー」を映画館で観てきました。


ものすごく魅力的なサイコスリラーというべきであろう。

ラストナイトインソーホー「ベイビードライバー」エドガーライト監督作品で1960年のポップスが劇中流れるという先行情報だけで映画館に向かう。夢を持ち都会に出てきた女の子が、さまざまな困難に打ちあたり克服していくという話の流れだけであれば、過去いくらでもある。ただ、この映画では60年代にタイムスリップしてというテイストがあり、ウディアレンの「ミッドナイトインパリ」を連想させる。また、魔界の都市での奇怪な遭遇ということではデイヴィッドリンチの「マルホランドドライブ」にも通じるところがある。同じように悪夢と現実が交錯して訳がわからなくなる。

また、英国ミステリー映画の傑作「赤い影」も意識させる不気味な照明の点滅の使い方が絶妙である。ヒッチコックの「マーニー」でヒロインであるティッピ・ヘドレンが赤を恐れた時の点滅連想した。60年代の曲は馴染みのある曲も多く、最後まで音楽で心が動く。あまり語ると良くないのでともかく見てみるといい。日本では絶対つくれない傑作である。


ファッションデザイナーを夢見るエロイーズ(トーマシン・マッケンジー)は、念願かなってロンドンのデザイン学校の服飾科に入学する。主人公は母親が死んで育ての親だった祖母の影響で60代ポップスが好きだ。スーツケースの中にもたっぷりその時代のレコードを詰め込んでロンドンに向かう。しかし、ロンドンでは、同級生たちとの寮生活に馴染めず、ソーホー地区の片隅の古い家の階上の部屋で一人暮らしを始めることになる。

新居のアパートで眠りに着くと、夢の中で60年代のソーホーにいた。そこで歌手を夢見るサンディ(アニャ・テイラー=ジョイ)に出会うと、身体も感覚も彼女とシンクロしていく。現実の世界で服も髪型も、エロイーズはサンディの真似をする。夢の中に出現するサンディのピンクのドレスを学校の課題に選び、エロイーズは、常に夢と現実のタイムリープを繰り返す。だがある日、血にまみれたサンディを目撃してしまう。現実でも謎の亡霊が現れ始め、エロイーズは徐々に精神を蝕まれるのであるが。。。


⒈ビートポップス
この映画で1960年代のポップスを聴いて、自分が小学校低学年だった1966年から1967年に「ビートポップス」というTV番組をとっさに思い浮かべた。兄貴がポップス好きだった友人の影響で、土曜日にオンエアされていたこともあり、いつも見ていた。独自のヒットチャートでは、モンキースや初期のビージーズの曲が印象に残るが、この映画で流れるウォーカー・ブラザーズ「ダンス天国」などの曲も独自のDJスタイルで番組で流れていた。大橋巨泉の司会の記憶がまったくないけど、小山ルミや杉本エマといったいった美人モデルが曲に合わせて踊る姿が目に浮かぶ。

この映画で1960年代夜のナイトクラブのステージでアニャ・テイラー=ジョイが踊る姿に思わず、昔の日本人のダンサーが思い浮かぶという人もいるまい。


⒉トーマシン・マッケンジーとアニャ・テイラー=ジョイ
映画が始まって1960年代のレコード「愛なき世界/ピーターとゴードン」を聴いて楽しむトーマシン・マッケンジーが登場する。あれ?見たことあるぞ。映画「ジョジョラビット」で主人公の少年があこがれるユダヤ人少女を演じていた。これは最後まで気づかなかった。20才過ぎて間もない美少女である。


しばらくして、1960年代夜のロンドンの映像で歌手を夢見る少女がでてくる。ピンクのドレスを着たアニャ・テイラー=ジョイで、鏡にはトーマシン・マッケンジーが映る。夢の中で一体化するのだ。彼女もどこかで見たことあるぞ!と気づき、思い出すのに時間はかからなかった。Netflix「クイーンズギャンビット」の主役とわかった。このシリーズはNetflixの中でも数少ない最後まで見終えたもので実におもしろかった。ここでの再会は偶然でうれしい。


トーマシン・マッケンジーとアニャ・テイラー=ジョイが男性相手に代わりばんこにジルバを踊るシーンの楽しさはウキウキしてくる。

2人とも現実の映像に合わせて、悪夢の映像を撮る。実際にエロイーズにとっては悪夢であっても、撮影はリアルである。サイコスリラーとしての映像やホラーの匂いもある。なかなかの健闘ぶりで賞賛したい。

⒊エドガーライト監督
「ベイビードライバー」はなかなかの傑作であった。ドライブテクニックをひけらすシーンだけでなく、音楽のセンスが抜群に良かった。最後のエンディングロールでサイモン&ガーファンクルの「明日にかける橋」でかかるアコースティックタッチのロックンロール「ベイビードライバー」がかかってきた時には身震いした。ペトゥラ・クラークの「ダウンタウン」がこの映画のテーマ曲と言っても良いが、今回の選曲も抜群に良い。


エドガーライト監督は年齢的に1960年代のロンドンを実体験しているわけがないが、夜の華やかなスウィンギング・ロンドンのセットを再現して懐かしい車を走らせる。007の映画看板「サンダーボール作戦」にもドキドキしてしまう。赤や青のネオンにいかにも魔界の怖い世界を蘇らす。映画が始まる前に注意書きで、「チカチカ点滅するネオンにご注意を」と出てくる。実際に見終わってそこまでのクラクラしなかったが、ホラー的な要素は映画の楽しみを増やす。


ストーリーも単純ではなかった。途中からの展開はまったく読めなかった。老優テレンス・スタンプやダイアナ・リグの使い方も絶妙だ。ストーリーテラーぶりもすぐれている。おもしろかった。必見である。
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映画「花椒の味」サミーチェン

2021-11-13 20:24:31 | 映画(自分好みベスト100)
映画「花椒の味」を映画館で観てきました。


花椒の味は2019年の香港映画である。デモの後はコロナ禍で大好きな香港にも行けないので、映画だけでも楽しみたい。現代香港の様子が垣間見れそうなので映画館に向かう。スター女優サミーチェン主演で、インファナルアフェアなどでコンビを組んでいたアンディラウが友情出演する。妹役で台湾と中国の女優も加わり、結果的によかった。

心地良い快適な時間が過ごせた。こういうムードがいちばん自分に合う。
急逝した父親に異母妹が2人いることが死後わかった姉が、父親が営む火鍋料理店を妹の協力を仰ぎながら引き継ごうとする話である。

香港、台湾、重慶と遠く離れた三つの街の現代の姿を映し出す。ストーリー展開に意外性はない。香港アクション映画の肌合いは当然皆無で、色恋沙汰も濡れ場もない健全な展開だ。それでも妙に安心感がある。父娘で情感こもる気持ちを交わしあう話にはどうも弱い。

香港の旅行会社で働くユーシュー(サミー・チェン)は、母と死別し、浮気がちだった父との関係は良くなかった。ある日、父が倒れたという連絡が入るが、病院へ駆けつけたときには既に亡くなっていた。父の遺品の携帯を探ると、台北に暮らす次女のルージー(メーガン・ライ)と、重慶に暮らす三女のルーグオ(リー・シャオフォン)という異母妹の存在がわかる。葬儀の日程を遠く離れた2人にも知らせる。

父の葬儀で3人は初めて会う。あっけらかんな三女の個性もあり、わだかまりなく気持ちを通じ合うことができる。


長女は父が営んでいた火鍋店をたたむつもりであったが、残された店員の強い要望で継続することにする。しかし、火鍋の秘伝のスープは父以外の誰も作ることができず、レシピはなかった。手探りでつくっても予約してきた常連客も味の違いに戸惑う。そんな時、帰国後それぞれに葛藤を抱えた次女と三女が香港にやってきて姉を助けるのであるが。。。


⒈3人の娘をつくった父親
亡くなった父親はもともとは台湾生まれであった。周囲に馴染めず香港に来たあとに家庭を持ち長女をつくる。ところが、台湾に帰郷して昔の恋人に再会し、次女ができる。それだけにおさまらず、重慶で三女ができてしまうのだ。

クールな出で立ちの台湾の次女はプロのビリヤードプレイヤーで身を立てていた。大きな大会にも出場する。母親は金満家と再婚し、異父妹もいるが一緒に暮らさない。どぎつく髪を染めた重慶の三女はネットでファッションの通信販売をしている。母親は再婚し別居、祖母と暮らしている。

そんな2人と父親は連絡を取り合って心が通じている。でも、2人とも本国で複雑な家庭独特の悩みを抱えている。


⒉サミーチェンと長女
反抗心の強い長女である。台湾に女をつくって、火宅の人だった父親のせいで母娘は肩身の狭い生活をしてきた。父親は長女にも強い愛情を持って接しようとするが、まったく通じない。今回2人の妹が来て、自分が知らない父親の一面を知り驚くのだ。求婚されている恋人(アンディラウ)はいても、相手が忙しくて一歩踏み出せない。


むしろ妹2人と父親との関係を眺めながら、父親への想いが変化していく。むしろ、生前に優しくしてあげられなかった想いが強くなる。そんな姿を見ていくと、娘を持つ父の立場からすると評価が高くなってしまうし、心地がよくなる。

派手さを抑えてものすごくナチュラルなサミーチェンも今までの中でいちばん良く見えた。

⒊相続と争族
この姉妹驚くほど、仲良く接するが、普通こんなにうまくいくだろうか?どうしても遺産の分配というのが気になってしまう。まったく離れている姉妹でも法定相続の遺留分に注目して、もめ事がスタートするのが日本の常。


どうにも香港の争族問題がよくわからないので、これについてはなんとも言えない。ただ、ここでは詳しく言えないが、自分も似たような問題を抱えているのでこの映画を見て別の思いを心に抱いた。


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映画「サマーフィルムにのって」伊藤万理華

2021-08-10 07:06:18 | 映画(自分好みベスト100)
映画「サマーフィルムにのって」を映画館で観てきました。


これはおもしろい!
高校生の映画作りって題材にしやすいが、その中でも「サマーフィルムにのって」飛びきりの青春映画である。東京オリンピックで20歳前後の女の子の活躍が際立つ。ついつい公開映画も老人系やネクラ映画でなく青春映画に目が向く。これは大正解だった。有名な俳優が出演しているわけではないが、若手俳優人のパワーに引っ張られる。

高校の映画部で、文化祭に向けてラブコメ作品の上映の準備をしているのに対抗して、部で浮いている時代劇オタクの女子高生がオリジナル脚本の主人公剣士にピッタリのキャストを見つけ、スタッフを集めてオリジナル時代劇を作ろうとする話である。

時代劇オタクの女の子なんて見たことない。オタク女の個性だけで引っ張る。映画部の主流派との葛藤はあっても、まったくいやらしくなく、高校生の仲間としての連帯感という方向に持っていって清々しい。自分は若い気力に押される一方であった。最終に向けては、しんみりするわけでなくジーンとする場面もあり、映画館で近くにいた自分と同世代のオヤジが泣いているのに気づく。

高校の映画部に所属するハダシ(伊藤 万理華)は時代劇オタクで勝新を敬愛していて、天文部に所属するビート板(河合 優実)や剣道部の女剣士ブルーハワイ(祷 キララ)とともにたまり場で時代劇を楽しんでいる。

文化祭に向けて、映画部では、主流派でかわいい系のかりん(甲田まひる)が監督・主演する「好き」を連発するラブ・コメディを製作中であった。ハダシの書いた脚本「武士の青春」は却下されくすぶっていた。


いつものように地元の名画座で時代劇を楽しもうとしたら、映画館で武士役にぴったりな凛太郎(金子 大地)を見つける。ハダシは早速アプローチしてみるが、断られる。でも、タダでは引き下がらない。悪友のビート板やブルーハワイを仲間に入れて、主流派に対抗して「武士の青春」を文化祭で上映しようと企む。しかも、照明や録音係にピッタリの男性スタッフを入れて撮り始めようとする。

でも、撮影が進んでいっても、凛太郎の様子がいつも変だ。実は彼には未来からやってきたタイムトラベラーだという秘密があったのだ。

⒈時代劇オタクの女子高校生と座頭市
ハダシは下校時にトレーラーバスのようなボロいバスに向かいその中に入る。このバスの存在が未だに謎だけど、ハダシたちのたまり場だ。そこには時代劇のポスターが貼ってあり、映画の資料が転がっている。そこで、三隅研次監督、勝新太郎の「座頭市物語をみる。渋いねえ。


これって座頭市シリーズ第1作だけど、最後に勝新太郎と剣を競うのは「非情のライセンス」天知茂だ。「座頭市物語」は自分もブログにもアップした。三隅研次監督作品は照明の使い方が巧みで夜のムードを出すのが天下一品だ。

その他にも「椿三十郎」の三船敏郎「眠狂四郎」の市川雷蔵の剣さばきのモノマネをハダシがする場面が出てくる。渋いねえ!墓場の奥から2人とも大喜びだろう。こんな女の子が実際にいたら会ってみてお話がしたい。オヤジはこういう子に弱いのだ。

⒉余計なキャストの省略
結局最後までハダシの両親って出てこなかった。今年公開でわりと面白かったまともじゃないのは君も一緒清原果耶の両親役が出てこなかったのと同様である。実は、ここでハダシの親が出てこないことで時間の短縮がはかれる。
伊藤万理華と清原果耶の演じている役柄も、積極的で自立している高校生ということでは似ている。性格もイメージもダブった。


その代わりに、個性豊かな仲間を用意する。天文部のリケジョは凛太郎がタイムトラベラーでやってくることで関わりを持ち、剣道部の女剣士は男性助演者たちに殺陣指導してしまう。キャッチングの音でどのピッチャーが投げるかを聞き分けるメンバーを録音係で野球部から連れてきて、ライトをつけまくる自転車を乗り回す男子生徒を照明にスカウトする。目線はあくまで高校の同期だ。そうやって大人を介入させないのもいい。あだ名だけなのもいいよね。


⒊SFファンタジー的要素
凛太郎は未来から来た設定だ。別に超能力があるわけではない。ある意味、ターミネーターと同じなのだ。あえてネタバレ気にせずに語れるのも、普通、こういうstrangerを映画に登場させるのは、ドラマではラスト寸前になることが多い。


ちょっと古いが「魔法使いサリー」だって、最終回で初めて本性が周囲にあからさまになる。ところが、わかるときが最後ではない。わかってからも映画づくりが続くのだ。それがこれまでと違う。そこからのいくつかの葛藤はネタバレで言わない。そして、すばらしいラストに向かう。

⒋ロケハン成功
地方都市が舞台だ。街の名前は出てこない。映画を観ていて、栃木県の足利市では?と推測したが、エンディングロールで改めてそうだとわかる。内陸部の人口約15万の街だけど、森高千里が「渡良瀬橋」をしみじみ歌っている街だ。30代から40代にかけて転勤で栃木にいたので、月に数回行った。すぐピンとくる。北関東の若干街が寂れてきている昭和的建物の要素と、遠くに小高い山が見える渡良瀬川の河岸の風景が映画とは相性がいい。


自分のようなオヤジでもこの映画おもしろかった。この映画を引っ張る伊藤万理華と共演の若者たちから気持ちの良いパワーをいただいていた。クズのような手のひら返しのリベラル老人の反対にも負けずオリンピックやって本当に良かったね。世間が思っている以上に今の若者はすばらしい。

松本壮史監督のセンスは抜群だ。全般的に音楽は良かったけど、エンディングロールに流れる主題歌で気分が高揚した。
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映画「イン・ザ・ハイツ」

2021-07-31 18:52:11 | 映画(自分好みベスト100)
映画「イン・ザ・ハイツ」を映画館で観てきました。
これはすばらしい!
躍動感のあるミュージカル映画である。



「イン・ザ・ハイツ」はトニー賞を受賞したミュージカルを台湾系アメリカ人ジョンチャウ監督が映画化した作品である。ラテンの色彩が強いという解説に、なんか楽しそうと思って足を運んだがムチャクチャ良かった。

ともかく明るい。ワシントンハイツにいる住人の生活は必ずしも楽ではなく、気分が暗くなりそうな場面はいくらでもあるが、曲のノリでダークな部分を消す。それなので、後味がいい。

ニューヨークマンハッタンの北部、移民が多く住むワシントンハイツで、ドミニカ系二世のウスナビ(アンソニーラモス)は食品店を営んでいて、地元のみんなが買い物に立ち寄る。地元タクシー会社のロザリオ社長にはスタンフォード大学に進学した自慢の娘ニーナ(レスリーグレース)がいて、今度帰郷する。タクシーの呼び出し係のベニー(コーリー・ホーキンズ)は気のいい男でニーナが好きだ。ウスナビは店に買い物に来るデザイナーを目指しているヴァネッサ(メリッサバレラ)がお気に入りだ。

ニーナが帰郷して、街の秀才をハイツのみんなで暖かく迎えるが、様子がおかしい。大学を辞めようとしている話を聞いて、初耳の父親をはじめみんなビックリ。説得しようとしても難しそうだが。。。

⒈下町人情劇
ウスナビ、ニーナ、ベニーとヴァネッサの4人を中心に、すべてはワシントンハイツを中心にストーリーは展開する。実際に存在する移民中心のエリアだ。そこでは共存共栄でみんな助け合って生きている姿を見せてくれる。複雑な話ではない。

これって昭和40年代くらいまでの日本の下町と変わらないよね。下町人情劇とも言えるのだ。ここに来て、日本では近所付き合いの煩わしさを嫌がる傾向が次第に強くなっているデータが目立つ。アメリカでも同様だというのは米国共同体が変わりつつあることが書いてあるロバートパットナム「孤独なボウリング」を読んでもよくわかる。


しかし、地域開発の波はこのエリアにもきている。みんなの馴染みの美容院も駅でいくつか先のブロンクスに移ることに決まったし、タクシー会社の社長も資金繰りの関係で資産売却せざるを得ない状況だ。ウスナビも祖国ドミニカに行くことをきめた。そういう地域情勢の変化も映し出される。まったく違うエリアだが、先日観たホーチミンを舞台にした「走れロム」の貧民マンションも頭に思い浮かべた。住民たちが宝くじが大好きだというシーンも同じである。貧乏人ほど一攫千金を夢みる。


⒉ミュージカル
正統派ミュージカル映画が好きな訳ではない。ニューヨークが舞台のミュージカルというと、名作「ウエストサイドストーリー」を連想する。60年経ってもあの完璧なダンスの凄さはかわらない。下層社会を中心に描かれるのは同じだ。ポーランドとプエルトリコ移民の抗争を基調にした恋の物語である。音楽は名指揮者レナードバーンスタインでもポピュラー調の楽曲も多い。いつ見てもナタリーウッドにドキドキしてしまう「トゥナイト」をはじめとして何年たっても心に残る曲が多い。

ここでは、中米カリブ海の色彩が満載で俗っぽい部分が強い。こうやって映画を見終わって最も印象に残る曲と言ってもあげられる訳ではない。でも、それだからダメというのでない。ここでは全体に流れるカリビアンのムードとコミカルな歌詞のラップを楽しめればいいんじゃなかろうか。


自分の映画ベスト3の1つである「ブルースブラザーズ」や「サタデーナイトフィーバー」を彷彿させるシーンも多い。周辺のストリートやハイツの中で住人たちが踊るダンスは「ブルースブラザーズ」ジェームスブラウンやレイチャールズの歌に乗って踊りまくる黒人たちのパフォーマンスをすぐさま連想する。

ラテン系クラブのダンスフロアのシーンは「サタデーナイトフィーバー」をダブらせる。サルサ音楽とディスコミュージックと鳴り響く音楽のテイストは違うけど、ノリの良いのは同じ。このサルサダンスは観ているだけでウキウキしてくる。

このダンスシーンと戦後ミュージカルのスターである元水泳選手の エスターウィリアムズの映画を連想させるプールのシーンが好きだ。コーエン兄弟「ヘイシーザー」でもスカーレットヨハンソンが同じように水着着てオマージュしていたよね。夏にこのシーン観るのは心地よい。


⒊名門大学に行ったのになじめない
タクシー会社の社長の娘ニーナが大学を辞めると聞いて、みんなビックリ。子どもの頃から上昇志向が強く地元のコロンビア大学に行っても良いのに、あえて遠方にあるスタンフォード大学に行った。それなのに、孤立してしまうことも多く、同じ寮の女の子が真珠をなくしたときに疑われたこともあったらしい。このエリア出身ということもあるのか?


学費についても本人の奨学金はあってもそれだけでは足りない。父親は金策に走るが、滞納気味だった。日本の大学の学費も自分たちの時代よりずいぶんと高くなったと思うけど、アメリカの名門大学は日本の私立医学部並みである。軒並み高い。そんな金欠話も一部に織り込まれる。ただ、それだけに日本よりもアメリカは教育歴はかなり重視されているし、名門大学に行っているというだけで街のみんなの自慢になるというのは現代日本と違うかも。

⒋ニューヨークのダウンタウンへの引越し
ウスナビの恋人ヴァネッサは一生懸命お金を貯めてダウンタウンに引っ越そうとしている。お金はあるんだけど、それだけでは入居審査は通らない。40ヶ月分の収入証明書を出してくれと言われ、難しくなる。それは保証会社利用が必須になりつつある日本の賃貸事情と変わらないよね。

「サタデーナイトフィーバー」のトラボルタのダンス相手ステファニーもは上昇志向が強く、いつもマンハッタン話で見栄をはっている。ある意味このヴァネッサとかぶってしまう。あれから40年近く経つけど、マンハッタンのセンターを目指す女性の思考は変わらない。

逆に男性はトラボルタもそうだけど、この映画のアンソニーラモス演じるウスナビもまったくそういう上昇思考がない。ある意味そちらの方が好感がもてる。同時に応援したくなる。アンソニーラモスは若いころのロックのカルロスサンタナに顔が似ているね。


前半から飛ばしまくりで、息も抜けず楽しい。でも、後半戦ちょっとバテ気味かも。それでも、実に楽しい映画を満喫できた。観に行かれる方はエンディングロールで帰らないようにご注意ください。
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映画「いとみち」駒井蓮&豊川悦司&横浜聡子

2021-06-26 18:11:55 | 映画(自分好みベスト100)
映画「いとみち」を映画館で観てきました。

今年いちばんの好きな作品である。本当にいい映画に出会った。


越谷オサム原作の映画陽だまりの少女が大好きで、横浜聡子監督作品亀岡拓次もお気に入り。ふと気づくとこの2人がコンビを組むという設定に気づく。しかも、超大物豊川悦司も出ているではないか。これはいくしかないと映画館に駆け込む。イヤー良かった。

本年度というだけで見ても、日本映画でよかった作品がいくつもある。どれもこれも、シングルマザーで風俗勤めでというような設定が多い。社会の裏側に肉薄したいずれも傑作ではある。でも、何か違うと感じていた。この映画にもそれに近い要素が少しある。でも違う。ここでは津軽弁丸出しの高校生の主人公がなんとも素敵なキャラクターである。気持ち的にすごく同化してしまった。本当に良かった。


豊川悦司演じる青森で大学教授をしているシングルファザーの娘である津軽弁丸出しの高校生の主人公が、ふとしたことからメイドカフェの求人募集を見つける。アルバイトをして、店に勤める人生の悲哀に満ちた仲間たちに出会い彷徨う姿を描いている。

この父娘は2人で暮らすわけではなく、妻の母親が同居する。祖母は津軽三味線の名手だ。まあ、みんなネイティブだけにすごい津軽弁だ。字幕が必要なくらいである。でもすごくいい味出している。おばあちゃんも津軽弁三味線の名手だが、主人公もそうである。


何せ主人公の駒井蓮の魅力にノックアウトである。男性好みなピュアな感じでむちゃくちゃかわいい。これはとんでもない大物であることに気づく。新垣結衣が結婚で姿を潜めたら、一気にブレイクするのではなかろうか。後継者と言えるかもしれない。このピュアな色気には男性陣はすべてノックアウトになるはずだ。逆に女性から見たら敵だろう。自分のようなジジイでもそうなんだから若い人は参るだろう。

演じる役柄が津軽弁丸出しで、友人も少ないという設定である。青森出身という駒井蓮は当たり前のようにこなす。学校の授業で教科書を読むシーンがある。しゃべる言葉はわれわれが聞くと、どうみてもまさに韓国語である。そうか、韓国語と津軽弁は海を隔てて通じていたのかと思うような発音も日本語離れした言葉である。正直字幕無くしてはわからないくらいだ。映画の中で何度も韓国映画のセリフとイコールだと感じた。

ふとしたことから、青森版メイドカフェに勤める。東京と違っておおらかなんだろうなあ。メイドカフェの従業員となること自体を周囲でとがめるようなセリフは少ない。ある意味、ギャク的要素もあるが、青森の地元の皆さんも協力してもらって作った映画の感じがある。そういうわざとらしさもある。逆にいうと、よくこの映画に豊川悦司出たなという気もする。いつも行く飲み屋のママがトヨエツの大ファンだけどこれ見たらご満悦だろう。


津軽の象徴岩木山が頻繁にうつしだされる。キレイな山だ。トヨエツと主人公が登るシーンも用意されている。自分のルーツにこの山の近くで生まれた女性がいる。昭和8年にはもうこの世にはいない。彼女のことを思いつつ、気持ちが映画へ強烈に感情流入した。でもここまで感情流入できる映画はない。
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映画「水を抱く女」クリスティアン・ペッツォルト&パウラ・ベーア

2021-04-06 20:18:04 | 映画(自分好みベスト100)
映画「水を抱く女」を映画館で観てきました。

中盤から終盤にかけての展開はお見事、ファンタジーの匂いもにじませながら単なるラブストーリーに終わらせない。「水を抱く女」は見応えのあるよくできた作品である。


大学の第二外国語はフランス語でドイツは言葉も含めて縁が薄い。それでも、ドイツのクリスティアン・ペッツォルト監督の作品は「東ベルリンから来た女」「あの日のように抱きしめて」で取り上げたが、いずれも良かった。主演女優に存在感があった。その新作となれば気になる。予備知識ほぼゼロで見にいく。

映画が始まってすぐの、男女の会話の意味がわからない。頭の中が整理つかない。主人公がベルリン観光案内をしているところまでで少しわかる。男との関係どうなるのか?と思った後に、グシャッと水槽が破壊する場面になる。一瞬ビクつくが、これは映画でいくつも起きるサプライズでは序ノ口であった。こんなきっかけで恋が生まれる観光ガイドと潜水夫の恋なのね。と映像を追った。

いくつかトラブルが起きる。途中から急展開して、予想外の流れとなる。え!この次どうなるんだろう。これで打ち止めか。次に起きることを予測しながら観ていく。 こう感じさせるのが映画の醍醐味だ。おもしろい!!

別れ話をしている男女が映る。女ウンディーネ(パウラ・ベーア)はベルリンの住宅都市開発省の職員で、観光客にベルリンの街模型を見せながら街の歴史を語る仕事だ。その案内を聞いて感動した若者クリストフ(フランツ・ロゴフスキ)がいて、カフェで話しかけてきた。ところが、若者がうっかりカフェの水槽にぶつかり、水槽は割れてウンディーネも巻き込まれて一緒に水浸しになる。男は潜水夫だった。そんなきっかけで親しくなり、ウンディーネは元彼氏を忘れて恋に没頭する。


そんなある日、元彼氏が復縁を申し出る。当然拒絶する。しかし、その様子を察した如く潜水夫クリストフからウンディーネに電話がかかってくる。別に何もやましいことはない。汚名を晴らすために潜水夫のもとに向かうと、なんと、クリストフは潜水中にアクシデントがあり入院しているのだ。しかも、危篤状態だ。酸素不足で意識不明となっているのであるが。。。

⒈水がテーマの映画
原題は主人公の女性の名前、「ウンディーネ」である。外国映画ではよくあるパターンであるが、日本映画では原題通りにつけずに題名をつくる。「水を抱く女」とはよく考えたものだ。適切だと思う。ベルリンの街の説明には水は関係ないが2人が親しくなるきっかけはぶつかって水槽を破壊することだ。男の職業が潜水夫であることも加えて、水への縁が深くなる。ぶつかって破壊する水槽の中には潜水夫の模型がある。この模型がキーポイント、すなわち映画のマクガフィンになる。


ファンタジーの色彩があって水がテーマだとなると、とっさにシェイプオブウォーターを連想した。言葉が不自由な女性と半魚人との恋である。まったく違うストーリーなのに根本に流れる基調が似ている。同じように不思議な世界に導いてくれる。


⒉展開の巧妙さ
恋物語が進む。潜水夫にならって、ウンディーネも水に潜る。大きなナマズにつられて溺れてしまう。ビージーズの「ステインアライブ」に合わせて潜水夫はウンディーネのくちびるを思いっきり吸う。潜水夫が強引に息を復活させて生き返る。恋が深まる。こんなあたりはありきたりのラブストーリーだ。

これだけのトラブルかと思ったら、途中からトラブルだらけになる。元恋人が出現して当惑した後で、今度は潜水夫にトラブルが起きる。危篤状態だ。しかも、現実と夢が交差する事象を引き起こす。ミステリーの匂いもする。


基調は主人公2人であるが、ウンディーネの元恋人、潜水夫の同僚で潜水夫に思いを寄せる女性の2人を巧みにストーリーの中に混ぜていく。このさじ加減が実にうまくストーリーに味付けを加える。
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映画「すばらしき世界」西川美和&役所広司

2021-02-11 18:02:46 | 映画(自分好みベスト100)
映画「すばらしき世界」を映画館で観てきました。

傑作である。心にじわっとくる。ここ一年の日本映画では1番の娯楽性を持った作品だと思う。たぶん今年有数の作品と評価されるであろう。



つい先日、神保町の東京堂書店の映画コーナーに西川美和監督の本が置いてあった。そこで、この新作があることを知った。好きな監督の本だけど、映画見てからと購入はためらってしまう。西川美和さんは映画作品が公開されたときには必ず映画館に行く監督である。それなので、本作「すばらしき世界」が公開され朝一番ですぐ向かう。

役所広司が出演する以外の予備知識はなかった。殺人で13 年の刑を受けた男が出所して、生活保護を受けながら生活するも、職がなかなか得られず悪戦苦闘する話である。出所後の身元引受人夫婦が橋爪功と梶芽衣子、ドキュメンタリーでTV番組にしてしまおうとするディレクターが長澤まさみで中心スタッフが仲野大賀というのがキーとなる配役である。傑作を次から次へと生む西川美和監督作品だけにその他配役も芸達者が出演してくれる。


映画を観ていて一連の伊丹十三監督作品のような娯楽感がある。難解な部分もなく映画は心にすっと入る。ストーリーも途中でだれる部分はない。映画には数多くの逸話をちりばめている。いい方向に進んだかな?と思ったら、思いがけない障害を発生させる。緩急自在な西川美和監督のわれわれを楽しませる脚本作りには敬服する。

殺人で13 年の刑を受けてようやく出所できた。身元引受人のもとに厄介になりながら、役所に行き生活保護の申請を無理やり通し、アパートで1人暮らしをすることになった。でも、職を探そうとしたがうまくいかない。運転手ならできると失効した運転免許を復活させようと本試験所に行ったけど、うまく行くわけがない。


芸者の私生児として生まれ、認知されず母親からも見捨てられ養護施設に入る。きがつくと、ぐれて少年院に入り、出所してからも堅気でない生活に足を突っ込む。様々な罪を繰り返して刑務所暮らしは長きに渡る。

そんな男が出所したという情報がTVプロデューサーのもとに入る。そこで、作家として独立しようとしたがうまくいかず、ブラブラしている男に母親を探すという名目で番組を作ろうと連絡が入る。母親を探すというキーワードで接近したが、普通じゃない動きをする男に手を持てやますのであるが。。。


⒈一本気な主人公
不器用である。バカ正直な部分もあり、殺人の意思があるかどうかでもっと軽く済むところがそうは取られず、刑も重くなった。刑務所内でもイザコザを繰り返したようだ。住んだアパートの階下で外国人労働者たちが大騒ぎするのに対して、文句をつけてその親分的立場の半グレ男と一悶着を起こす。それとは別に、街で普通のカタギがチンピラに因縁をつけられているのを見ると放っておけない。この映画では、単なるワルにしないで、観客に共感を持たれるような元ヤクザに仕立てられている。


⒉現代世相が取り入れられる部分
八方塞がりで、何もかもうまくいかない時に昔の兄弟分についつい電話してしまう。ヤクザからすると、出所は実にめでたく歓待を受ける。でも、そのヤクザも、金を持ち逃げした手下が本来であれば追い詰められる存在なのに、手下が警察に逃げ込んで逆にこちらが追い込みをかけられる。ヤクザの取り扱いもそうは簡単にいかないと、ひと時代前と違う現代反体制社会事情を語る。

主人公が職を求めた介護施設で、障がい者の職員が働いていたが、普通の健常者職員からお前はなっていないと暴力を振るわれている。例の障がい者施設の殺傷事件は、ある意味ヒトラーナチスの優生政策を思わせる部分があると自分は感じるが、障がい者職員が迫害を受けているシーンもここで存在する。本来この映画は出所後受刑者が思い通りに生活できないことを示すという趣旨なのであろう。それに加えて軽く社会性がある部分もある。社会性が強いと鼻につくが、その体裁はない。

それにしてもよくできた映画である。女性監督なのにソープランドのシーンがあったり、取材もしっかりしているのであろう。丹念にディテイルもまとめていて、ヤクザの親分と姉さんの配役や男女関係のあやなども実によく捉えている。最後に向けてはすんなりにはいかない。こういう形でエンディングに結びつけるのもお見事だ。


エンディングロールのクレジットで安田成美の名前を見て、ドキッとした。そうか、主人公の元奥さん役か!顔を見ても全くわからなかった。久々である。最後西川美和監督のクレジットを見るまでずっと座席に座って余韻に浸った。
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映画「はちどり」パク・ジフ

2020-12-23 18:16:00 | 映画(自分好みベスト100)
はちどりは2018年の韓国映画、今年公開で映画館で観てきました。


すごく気に入った作品なのにうまく言葉に転換できない映画ってある。ブログアップできず気がつくと時間が経ってしまった。「はちどり」は14歳の女の子の微妙な思春期の心情を映像化したものである。主人公の14歳の女の子が映るスチール写真が可愛いので以前から注目をしていた。

1994年に時代はさかのぼる。家長に威厳をもたせる男性の強い韓国社会の矛盾がクローズアップされる。男が女を殴る場面がいやでも目立つ。それでも、いつもの韓国のクライムサスペンスで感じる末梢神経を刺激するどぎつさはない。14歳の女の子がそんなに激しい出来事に出くわす訳はない。物語設定に極端な紆余屈折があるわけでもない。でも好きだな、この映画

1994年のソウル、中学生のウニ(パク・ジフ)は餅屋を営む両親と姉、兄と集合団地に暮らす。両親は家業が忙しく、子供たちの面倒は見切れず別の学校に通う親友や恋人と遊んで気を紛らわしていた。かわいいウニには恋人がいるのに、下級生の女子からも付き合ってくれと慕われる存在であった。


ウニは親友と漢文塾に通っていた。ウダツの上がらない男性教師からある日突然ヨンジ(キム・セビョク)にかわった。事情があって長く学生生活を続けているというヨンジに徐々に気を許すようになる。そんな時、以前から耳の裏手にあったシコリが気になってくる。母親も忙しくて病院に付き合っていられない。医者からは手術しなければならないと言われるのであるが。。。


⒈家長の権威と男性
父親は餅屋を経営している。夕食は家族全員でとり、父親がテーブル上で訓示のような話を家族にしている。餅屋が忙しい時は家族総出で手伝いだ。その父親が外出するときに、中学生の娘も含めて必ず「いってらっしゃい」と玄関先まで見送って挨拶する場面にまず驚く。礼儀正しいなと思うより、家長として威張っているな!という感をもつ。

ウニの兄貴も威張っている。ソウル大学を目指しているが、ストレスもありちょっとしたことで気に喰わないと妹を殴る。そういう話がこの主人公ウニだけでない。親友も兄貴に殴られている傷を示す。いったいどうなっているんだろう。これは今から26年前の韓国社会だ。
友人の口に傷↓


⒉瑞々しい主人公
末っ子である。甘やかされているわけではない。兄貴の乱暴に耐えている。この主人公ウニがかわいい。美少女である。一応は同じ中学生の彼氏がいる。初々しく優しいキスをする。演じるパク・ジフが瑞々しい。


ウニの首にできたおできが手術を必要とするシコリで、父親と一緒に病院へ行く。その時、何故か?父親が泣き出す。それまでの威張り散らした父親が急変する。きっと自分以外の見ている人も驚いただろう。この時のコントラストに何か不思議なものを感じる。

⒊漢文塾の先生
韓国に漢文塾なんてものがあるとは思わなかった。自分が子供の頃は漢字とハングル文字が日本語のように入り混じっていた気がする。いつのまにかハングル表記オンリーになってきた。それでもこんな塾があるんだ。

そこではウニは親友とともに通っている。生活に窮乏した家の子でもないのに、文房具屋で万引きをしてしまう。見つかって2人は店主にこっぴどく怒られてしまうが、親友はそこでウニが商店街にある餅屋の娘だと思わず言ってしまうのだ。文房具屋の店主から解放された後、ウニは怒る。何でそんなことばらすのかと。当然だ。2人は絶交状態になってしまう。素敵な女教師がいる漢文塾にも親友は来なくなる。

ところが、しばらくして親友が塾の座席に着く。2人に起きた事情を知っている先生がどう出るのか?注目した。どうなったか言わないが、ここで見せた余韻のあるシーンが好きだ。
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Netflix「クイーンズ・ギャンビット」アニャ・テイラー=ジョイ

2020-11-06 20:01:12 | 映画(自分好みベスト100)
「クイーンズ・ギャンビット」 は2020年配信のNetflixシリーズもの


これはおもしろい!
何気なくNetflixのチャンネルからピックアップして、本来シリーズものは見ない自分だけどハマってしまった。2日間で6話をみて翌日最終話をじっくりみた。孤児院で育った自閉症的な気質をもつ女の子ベスがチェスに魅せられる。天才的なひらめきで気がつくと州の大会に勝ってしまい、より上の世界に挑むという話だ。

ともかく主人公であるアニャ・テイラー=ジョイ演じる女性チェスプレイヤーのベスに魅かれる。前髪を短くしたお茶目な顔は「アメリ」のオドレイ・トドゥのようで、対局でギョロと相手を見るときの目は安室奈美恵を連想する。ともかく応援してあげたい気持ちになれる女の子だ。そしてシリーズを通じて、スポーツ根性モノのような高揚感と天才をみる楽しさに満ちている。


1961年の ポール・ニューマン主演「ハスラー」の作者ウォルター・テヴィスが書いた原作があるということを見終わったときにはじめて知った。そうか!思わずうなった。ビリヤードとチェスと扱うモノはちがうにせよ、勝負事では共通。

ポールニューマン演じる腕自慢のビリヤードプレイヤーが強敵ミネソタ・ファッツと対決して敗れ、挫折し転落しているときに謎の女や怪優ジョージ・スコット演じる得体の知れないギャンブラーに会い復活の糸口を掴むという話だ。映画「ハスラー」はあらゆる面で傑作といえる。登場人物の性別が逆になったりするが、物語の構造としてはある意味「クイーンズ・ギャンビット」 に類似している気がする。


母の自動車事故の巻き沿いになって死に損なった8歳のベスはメスーエン養護施設に入れられた。ベスは教室の黒板消しをたたきにふと入った地下室で用務員シャイベルが遊んでいるチェス盤に目を惹かれる。思わず関心を持ち、シャイベルに駒の動かし方を聞くが教えてくれない。ところが、自力で駒の動かし方を覚えてしまい対決を挑む。当然負ける。

養護施設では精神の安定をはかるために緑色の薬が与えられていた。昼間に飲むと吐いてしまいそうな味だったが、黒人の友人から夜に飲みなよといわれ飲んでみる。すると頭が冴え、駒の置いてあるチェス盤が天井に浮かび上がり頭がオートマティックに操作してしまう。


やがてシャイベルにも勝てるようになる。毎日のように地下室に行き序盤の定跡を教わる。そして腕をあげて、シャイベルのチェス仲間ガンツを紹介される。そこでも勝ってしまったベスはチェス仲間の勤務する高校で10人の男子高校生とチェス盤で多面対局する。それでも楽々勝ってしまう。ただ、頭が冴えるのは緑の薬を飲むときだけである。その薬の隠し場所を見つけるが大量摂取で倒れてしまう。施設長からチェスは禁止された。 

やがて、養子をとりに養護施設にやってくるある夫婦がいた。ベスに会うと気に入ってもらい、その家に引き取られる。チェスを教えてくれたシャイベルとは別れることになる。素敵な家で自分の部屋も与えられ、夢のような生活になる。

そこでハイスクールに通うようになるが、周囲はいじわるい女の子たちばかりで仲間はずれにされる。1人でいることが多くなる。養母はチェス盤は買ってくれない。引き取られた家でも自分の頭で天井に浮かび上がるチェス盤の駒を動かすようになる。


ある時、州のチェス大会があることを知る。受付では女性部門はないよとか、本気で参加するのと言われるが、シャイベルを通じて借りた参加料を支払って対局に向かう。下レベル同士の戦いからスタートしたが、まだ14 歳の女の子と思って男性プレイヤーは舐めてかかる。ところが、すべてベスの返り討ちに遭う。そして決勝でも、なかなか投了しない強敵相手を挑発する。州チャンピオンになり賞金をもらう。


夫が出張に行ったままなかなか帰らず、金欠気味でイライラしている養母はチェスでお金をもらえるの?と喜ぶ。そして養母がマネジャーのようになってチェスの各種大会に参加するようになるのだ。

スタートはこんな感じである。これからベスのチェス・ストーリーが始める。まあこれからは見てのお楽しみとしよう。
ともかく強いわけだが、相手が強くなるにつれ沈滞する場面もある。自虐的な要素さえある。上昇、下降両方の多くの逸話をちりばめながら物語ができあがる。そこに絡むのはあるときまでは養母である。夫に去られ、酒やクスリに溺れる。この養母の使い方も上手い。

  ⒈チャラチャラ群れるそこいらの女と違う
もしかしてわれわれ男性は強い女の子が好きなのかもしれない。つらいことがあってすぐ泣く女は手に余す。日本の会社で多くみられるようになった総合職の女の子もすぐ泣く。泣けば解決するんじゃないかと思うくらい泣く。男から何かあればセクハラかパワハラになってしまう。最近はやってられない困ったことも多い。

でも、主人公ベスは違う。意地悪されてもいやな戦いがあっても泣かない。群がっている女の級友の中には入らない。男しかいないチェス対局の部屋にも一人で入っていく。そこでも堂々と相手と渡り合う。かっこいい!それでも停滞がある。気がつくと、自力で這い上がる。やがて酒や薬に溺れるときもある。破滅的でもある。そこにはやさしく包む男性もいるが、基本自力で立ち直れる。


このベスという子の個性に惹かれる。 ただ、そのベスがたった一度だけ涙をみせるときがある。
その場面が素敵だった。 

 ⒉物語の葛藤と友情
葛藤はストーリーの組み立てには欠かせない。チェスプレイヤーはほとんど男性で当然ライバルは男だ。舐めてかかられるが、ベスは徹底的に打ちのめす。逆に助けてくれることも多い。女性映画には女性同士の強い葛藤があるものだが、ここではウェイトが低い。高校で群がる女たちの仲間に入れてもらえなくても平気だ。学校でも会社でもよくいるいじわる女どもはどうでもいい。ベスは1人でいることには全然平気である。


しかし、肝心なときに女の友人が活きる。その存在の出現に驚く。
おー!こうくるかとうなった。

 ⒊60年代の空気が蔓延する
いかにもアメリカンスタイルのファッション、60年代を代表するアメ車、アメリカ風デザインの家、花柄のはいった素敵な壁紙が基調のインテリア。美術も衣装も非常にセンスがいい。特に最終章でベスが友人と乗るシボレーをみて子どもの時に憧れていただけにしびれた。でも、それだけではない。

州の中でのチェスマッチがやがてインターナショナルになる。当時は米ソ冷戦まっただ中である。チェスの強者が揃っているソ連との対決という構図もいい感じだ。実は1972年にアメリカのボビー・フィッシャーボリス・スパスキーに世紀の一戦で勝利するまでソ連以外の選手は世界選手権を勝っていない。しかも、1975年にソ連が奪還し、体制が崩壊するまでずっと勝ち続ける。そういう前提の中でウォルター・テヴィスがこの物語を書いたのだ。ある意味ボビー・フィッシャーが勝っていなければこの物語は存在しないと思う。個性的なこの主人公ベスをうまく誕生させたと言える。

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映画「ある画家の数奇な運命」 フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク&ゲルハルト・リヒター

2020-10-03 11:25:11 | 映画(自分好みベスト100)
映画「ある画家の数奇な運命」を映画館で観てきました。

重厚感があり、実に見応えのある作品である。今年のナンバー1に評価していい!
大学の第二外国語がフランス語でドイツ映画は縁が遠い。でも直感で初日に行くことにした。美術家ゲルハルト・リヒターの若き日の物語に現代ドイツ史の出来事をかぶせる。


基調は美しい叔母への幼き憧れ、戦後知り合った妻への絶えなき愛である。その恋愛を軸にしながらナチスドイツの優生政策、戦後ソ連が強く関与する東ドイツの社会主義、ナチスの残党への追跡、ベルリンの壁による東西分断など現代ドイツ史の裏面を浮き彫りにしていく。

ゲルハルト・リヒター「何が事実で何が事実でないかはお互いに絶対に明かさないこと」を条件に取材に応じたとのことである。てっきり真実と妄想を交差させる幻想的なシーンとかがあるのかと思ったらまったく違う。硬軟とりまぜた重層構造でおいしいフルボディの高級ワインを飲んだような味わいがある素晴らしい映画となる。主要な出演者が若くてルックスがいいのもこの映画の大きな特徴である。 3時間の長丁場も退屈せずに見させる。傑作だと思う。

久しぶりに気に入った新作だったので、長めに振り返ってみる。
この後は映画を観ていない人は読まない方が良いです。(ネタバレあるので)

1937年のドイツドレスデン、少年クルトは美しい叔母エリザベト(ザスキア・ローゼンタール)に可愛がってもらっていた。ある時クルトが部屋に入ると、叔母が全裸でピアノを弾いていて、ガラスの灰皿で自分の頭を打ちつけている。そこにクルトの祖母が帰ってきて、一緒に医者に見てもらうと統合失調症の疑いがあるという。ここだけの話にしてくれと医者に言うが、衛生局に通報され、精神病棟へと運ばれる。

衛生局ではナチスの高官でもある婦人科医のゼーバント教授(セバスチャン・コッホ)に診断を受ける。教授が席を外した隙にエリザベトが診断書を読むと統合失調症と病名が書いてある。慌てふためきエリザベトは自分はまだ子供が生めると強く主張するが、職員によって無理やり運ばれて断種手術をすることになる。やがて、第二次大戦が始まり多数でる見込みの負傷者を収容する病棟が不足するという懸念から、今入院している優生政策にそぐわない人物を処分するということでエリザベトもガス室送りになった。


その後ドイツ軍は劣勢となり敗れた。東ドイツ側で残ったクルトの父親は本来反ナチスであったが、党員に籍があるということでまともな職にありつけず掃除夫となる。1951年青年になったクルト(トム・シリング)も労働者扇動の宣伝看板を書いて働いていたが、美術のセンスを周囲に認められ美大に行くことになった。美大では教授に認められて、壁画の仕事を紹介されたりした。美大で名前が叔母エリザベトと一緒でよく似ている通称エリー(パウラ・ベーラ)と知り合う。


一方で、ゼーバント教授はナチスの大量惨殺の首謀者である元上司の行方を執拗にソ連将校から拷問を受けていた。自分は知らないと言い張り刑務所に入れられていた。そんな時、陣痛に苦しんでいる声が刑務所中に響く。その声は将校の妻だった。自分は産婦人科医であり、声を聞くと胎児の異常事態がわかるので自分が処置したいと監守に申し出る。そして、ゼーバントが診て胎児の位置を調整したおかげで無事に赤ちゃんが生まれる。父親であるソ連の将校は喜び、そのことで、ゼーバントは特別待遇を受け、刑務所を出所して医師の仕事に戻れることになる。

クルトは一気にエリーと恋に落ちていた。エリーの家で下宿人を求める話を聞き、クルトに応募させ、クルトは同じ屋根の下で暮らすようになる。やがて、エリーは懐妊する。産婦人科医である父親は娘の動きを見て懐妊を察知する。しかし、育ちが違うクルトの子供を産ませる訳にはいかないと、エリーが子供の頃に患った婦人科系の病気のことを理由に自ら中絶手術を自宅で執刀する。それでも恋愛感情は収まらず2人は結婚する。

年が経ち1961年、ゼーバントを優遇していたソ連将校に本国よりモスクワに帰還せよという辞令がでた。ゼーバントは呼び出され、そのことを伝えられると同時に、後任の将校が大量惨殺の首謀者を再度探すことになると言われる。西側に出国するなら配慮するよという言葉に慌ててゼーバントは夫婦で西ドイツに引越す。

クルトとエリーはそのまま東ドイツに残った。クルトが労働者たちを喚起させるための絵画は政府当局の評判もよく、美大時代の仲間をつかって大きな壁画を描いていた。しかし、これで良いのかと感じたクルトはエリーと一緒に西ベルリンに向かい列車に乗ると、思ったよりもあっさり離国することができた。


クルトは30歳になるところであった。西ドイツでも美大に入学して美術を究めて行こうとするが、スランプにぶち当たる。。。。

⒈命の尊さとゼーバント教授
いくつかの逸話を通じて、命の尊さについて問いている。
まずは、ナチスの優生政策によって、精神障害者などを強制的に断種手術する法律が1933年に成立している。まさにヒトラーが強力な権力を持った年だ。そして、1939年ドイツ軍がポーランドに侵攻して第二次世界大戦が始まるその時、「不適格」と判断された人たちへの安楽死政策が施行された。エリザベトはその時に犠牲になっている。ゼーバント教授は政策を履行する立場だ。


その後、産婦人科医であるゼーバントが戦後ナチスの戦争犯罪で囚われている時に、取調べるソ連の高官の妻がお産で苦しんでいる場面に出くわす。母子ともに亡くなってもおかしくないのに、無事出産に導く。多少の打算はあったとは言え、純粋に命を守る処置をするのだ。大量殺人に関与する人間が逆に新しい命を産む。

映画を観ていて、この映画はクルトとゼーバントのそれぞれの逸話をかたっているな。これってどういう意味を持つんだろうなあと思ったら、なんとクルトが美大で知り合った恋人エリーの父親がゼーバントなのである。もちろん、クルトの叔母がゼーバントの執行命令で断種手術をするなんてことはわかるはずもない。わかっているのは映画をみているわれわれだけである。

クルトとエリーは恋に落ち、映画の中でこれでもかというくらい愛し合う。当然懐妊してしまう。父であるゼーバントはプロの産婦人科医なので、娘の懐妊を見破る。でも恋人のクルトをよく思っていない。できたら別れさせたい。そこで、子供の時の婦人科系病気のために、出産すると支障があると娘を説得するのだ。真意は中絶すれば別れるだろうという訳である。さっさと自宅で処置してしまう。

あえて対照的な命をめぐる逸話を取り上げることでフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督は「生命って何?」と言いたいのであろう。

⒉ソ連に影響を受ける東ドイツ
第二次大戦後ドイツは分断された。東西の分断で、東ドイツはソ連の強い影響が及ぶ国家となる。ブルジョワ文化は糾弾されて、映画の中でもあらゆるところにスターリン像が貼ってある。美大での課題絵画も労働者が働く姿を描いて気分を高揚させるものである。教授に認められたクルトは公共の場にある壁画を描く仕事につくのだ。

「灰とダイアモンド」のアンジェイワイダ監督によるポーランド映画残像(記事)で社会主義当局に反発して落ちぶれる美大の教授が取り上げられたことを連想した。クルドが壁画に描いているような社会的リアリズムのある作品は自分には描けないと反抗しても、当局はまったく許さないのだ。

でも、本当にこんなことやっていて良いのかと疑問に思い、西ベルリンに向かう。スティーブンスピルバーグ監督「ブリッジオブスパイ(記事)でこの時期のベルリンが描かれている。ほんの少し前まで行き来できたのがベルリンの壁ができてまったくできなくなる。壁を越えようとして殺された人も多いようだ。そう考えると、あっさり抜けられたクルトとエリーは強運の持ち主と言える。

西側では自由に満ちあふれ、美大でも前衛美術に関わる学生たちが多かった。ラムゼイルイストリオの「ジインクラウド」が流れる中、ヒッチコックの「サイコ」を映画館で観るシーンがある。いつもながら思うけど、共産主義は最低だよね。もっとも、今の日本は世界でもっとも成功している社会主義国という人もいるけどね。

⒊クルトの思いつき
美大では強い影響力を持ったフェルテン教授がいる。彼も戦争に従事し空軍に所属していた。飛行機が墜落して、タタール人に助けてもらい九死に一生を得たとつぶやく。そんな教授がでたらめな数字をあげてそれがどういう意味を持つかという問いに満員の階段教室でそれがロトくじの当選番号だったら意味を持つんだとクルドはいう。


そのココロは何?と思ってしまうが、白いキャンパスに何も描けなかったクルドが写真の模写を始める。戦後しばらく潜伏していて逮捕されたナチスの惨殺責任者や叔母と幼い頃の自分の像などを描いていくのだ。仲間からは「お前模写をやっているのかよ」とからかわれるが続ける。そしてそれをボカしたり、組み合わせて1つの絵画にしてみるのだ。このあたりは何が良くて何がよくないのかが自分にはよくわからない。それでも、クルドが最後に美しい叔母と同じことをしたあるパフォーマンスがある。これがよかった。
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映画「さようなら、コダクローム」 エド・ハリス&ジェイソン・サダイキス

2020-08-08 17:34:16 | 映画(自分好みベスト100)
映画「さようなら、コダクローム」は2017年のNetflix映画


好きなんだなあ、この映画。もしかして今年見た92作の中でいちばん好きかもしれない。

「さようなら、コダクローム」は、余命短いプロカメラマンがしばらく疎遠になっていた息子に再会して、すでに閉鎖が決まっているカンザスにあるコダックフィルムの現像所へ車に同乗して向かうロードムービーである。悪役といえばこの人という位の名悪役エドハリスが、往年の名カメラマンを演じ、息子で多忙な音楽プロデューサーをジェイソンサダイキス、随行する看護師をエリザベス・オルセンが演じる。

人気の所属バンドが他社へ移籍することになり、音楽プロデューサーのマット(ジェイソンサダイキス)は窮地に立たされていた。社長に呼びされて、スペアセブンスという人気バンドを2週間以内にスカウトしてくると約束した。

そんな時、マットの父親ベン(エドハリス)の看護師だというゾーイ(エリザベスオルセン)がマットを訪ねてくる。ベンは肝臓ガンで余命3ヶ月程度だという。ベンが撮影した大切なコダクロームのフィルムがあり、カンザスにある閉鎖が決まっているコダックの現像所へ車で行き、現像してもらい展覧会を開きたいと言っているというのだ。それも、ぜひマットに連れていってもらいたいと。


10年は疎遠にしていたベンの要望は、人気バンドのスカウトもあって、マットには到底受け入れられない。当然のごとく拒否するが、その後にベンの元マネジャーのラリーが現れ、再度お願いする。ところが、ラリーから人気バンドのマネージャーが元部下で顔がきくと聞き、スカウトのアポの後にカンザスに向かうスケジュールなら行けるとマットは判断する。そして、オープンカーにマット、ベンに加えてゾーイの3人が同乗してカンザスに向かう。


車に乗っていきなり、ベンがナビの音声がウザいと車の外に放り出し、逆にマットはこんな歌は聞きたくないとカセットを車の外へ投げる。前途多難の旅だが、まずはベンの弟夫妻の家に向かう。もともと兄弟の仲はよくなかった。家庭を顧みないで海外の仕事に向かうベンの代わりに叔父さん夫婦がマットの面倒をみた時期があった。マットにとっては懐かしい居場所である。最初は旧交を温めたが、ベンが好き勝手言い始めてからは険悪なムードに一転する。

そして、マットがスカウトしようとするロックバンドのコンサートがおこなわれるシカゴに着く。父親のベンはバンドのメンバーたちに会う前にある秘策をマットに授けていたのであるが。。。

セリフにも出てくるが、サイモンとガーファンクルからポールサイモンがソロ活動を始めてすぐ「コダクローム」という名曲を歌った。日本でも流行ったし、ノリのいい素敵な曲だった。

デジタル世代にはまったく無縁の存在になってしまったが、イーストマン・コダック社という存在は偉大だった。日本を代表する富士写真フィルムとさくらカラーとはまた違う独特の色あいで写真が仕上がった。そもそもコダック社はデジタル化の先駆者だったのに、しがらみで参入が中途半端になって結局倒産してしまう。残念である。


⒈エドハリス
毒気が強いエドハリスのセリフがいい感じだ。忙しい中わざわざ連れていってくれる息子に媚びるわけではない。妻はとっくにいない。この車ではデジタルは禁止だなんて言って、ナビを放り出す。フィルムカメラじゃなくてデジタルで撮ればいいじゃないと言うと、「作りモノのオッパイに触りたいかい、ニセモノはニセモノだ。」なんてのたまう。


久々に会った弟夫婦に対しても、最初は普通に接していたが、奥さんが昔浮気をしていたことをほのめかすような話をして一気に険悪なムードに導いてしまう。俺は今まで撮った数十万枚の写真全部覚えているぞと息子に言うと、息子は俺の誕生日は覚えているかと聞く。
果たして覚えているのか?

⒉音楽プロデューサーとしての任務
カメラマンのベンも音楽が好きでドラムを叩く。音楽好きだけ親子共通だ。叔父さんの家にはマットがよく聴いた昔のレコードがたくさん残っていて、看護師のゾーイと音楽談義をかわす。そこでグラハムナッシュが好きなんてセリフが出るのがたまらない。クロスビースティルスナッシュ&ヤングの中じゃグラハムナッシュを自分が好きだからだ。「ティーチ・ユア・チルドレン」が懐かしい

担当していた人気バンドが自社レーベルから移籍したことで立場がない。別の人気バンドをスカウトして汚名挽回しなくちゃと思っている。逆転のトークを事前にロールプレイした方がいいんじゃないかと、父親のベンがいう。父親から「あいつら褒めなれているから、むしろ逆にダメな点を指摘した方がいいんじゃない」とアドバイスを受ける。


そして、コンサートホールへ行き、ベンの元マネジャーのツテで楽屋でバンドメンバーに会う。マットのレーベルへの評価は決してよくない。そこで、父親の指示通り、「1枚目のアルバムはよかったけど、2枚目は望んでやったかどうかは別としてダンストラックなんか入っているのは違うんじゃない、本来の姿に戻らないと」なんて話をする。バンドメンバーの表情も変わっていく。
さて、この後うまくいくのだろうか??映画を見てのお楽しみ。

⒊予想を裏切る展開の数々
アクの強いエドハリスを主演にもってきているだけあって、セリフも気が利いている。ロードムービーというのは、行く先々で起こる意外な出来事がポイントになるが、いくつか予想外の展開に進む。弟の家での昔話の騒動も普通だったらありえないことだし、バンドのスカウト話も思っている方向と違う。その上でベンとゾーイにもいさかいが起き、そこから最後まで連続してハプニングだらけだ。

ここでは予想を裏切る脚本の巧みさが際立つ。最後に向けては、こう来るか!とうなる展開に気持ちが安らぐ。やっぱりいい映画である。
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映画「ルディ・レイ・ムーア」 エディ・マーフィ

2020-04-30 04:43:57 | 映画(自分好みベスト100)
映画「ルディ・レイ・ムーア」は2019年のNetflix映画


これはむちゃくちゃおもしろい!
映画はネアカに限る。エディ・マーフィー健在を示す会心の出来である。実在のミュージシャン、ルディ・レイ・ムーアがただのレコード店の店員から這い上がっていく姿を描く。映画が始まっていきなりバックで70年代のソウルミュージックが流れしびれる。ファッションも黒いジャガー」、「スーパーフライ」といった黒人映画でみるスタイルである。まだ、黒人対白人の対決姿勢が強かった頃で、黒人たちがたむろうたまり場を時代考証バッチリで映し出す。それだけで気分は高揚する。実に楽しい!!

70年代も中盤にさしかかる頃のロサンゼルス、ルディ・レイ・ムーア(エディ・マーフィ)はレコード店で働きながら夜はライブハウスで司会者兼コメディアンとしてくすぶっていた。ある晩、ソウルミュージックを演奏するバックにあわせて強烈な下ネタとジョークを連発するシンギングトークを観衆の前で披露する。気がつくとお客さんに大受けである。

それに気をよくして叔母に資金を借りてレコードを制作する。レコード店では扱ってくれないので自力で売り込むと大当たりし、次々とアルバムをリリースする。そしてツアーに出て太っちょの女性歌手レディーリードと出会う。


ルディは取り巻きを連れてジャックレモン主演のコメディ映画「フロントページ」を見に行く。周囲の白人は大笑いだけど、黒人仲間はしらけっぱなしだ。でも、映画を撮ってそれがヒットすれば、コンサートツアーでまわって歩く必要もないと黒人が笑える映画制作を思いつく。

ストリップクラブで偶然遭遇した俳優のダーヴィル・マーティン(ウェズリー・スナイプス)を仲間に組み込む。そして、ドールマイトを主人公にした流行のカンフー映画のテイストも取り入れたエロチックな娯楽映画の製作にとりかかる。資金難を乗り越えてなんとかおもろい映画を完成させる。ところが、売り込んでも配給しようという映画会社は1社も現れないのであるが。。。


1.エディマーフィ
まだ60歳になっていなかったんだ。というのが率直な気持ちだ。80年代前半の活躍はすさまじかった。当時としては画期的な白人と黒人が組んで凶悪な犯人を追いかけるという「48時間」、ポリスアクションでシリーズ化した「ビバリーヒルズ・コップ」などコメディ俳優としての才能を発揮していた。口八丁手八丁でハッタリが強く身軽なアクションを見せるという彼のキャラクターをにじみ出していた。


ところが、そのあと長いスランプが続く。どうしたんだろう?今の黒人俳優でいえば近いのはウイル・スミスなんだろうか?そのエディが復活したと言い切れる活躍である。スパイク・リー監督ブラック・クランズマンともほぼ同じくらいの時期を描いており、ソウルフルなテイストが醸し出せる時代背景もいい。

2.白人と黒人の対決姿勢
1971年の映画黒いジャガーをみても白人から黒人が拒否されている姿が映し出されている。1968年のメキシコオリンピックでのアメリカ選手の強烈な人種差別抗議が印象的であるが、その前1967年のアカデミー賞作品「夜の大捜査線」に至ってはシドニー・ポワティエ演じるエリート黒人警官が強烈な差別を受けている。しかも、そのとき実質主演のシドニー・ポワティエが主演男優賞をもらうのではなく、助演ともいうべき白人のロッド・スタイガーが主演男優賞を受賞している。よくわからない。この70年代半ばに入ってもたいしてかわらないのかもしれない。


この映画でもやたらに白人嫌悪のセリフが連発する。世相からいっても仕方ない。でも逆に黒人だけが出入りする酒場がいくつも映し出されるのはいい感じだ。それに併せてソウルフルなミュージックの取り合わせがいい。昔のTV「ソウルトレイン」をみるようなダンスを四方八方でしている。しびれる。

映画コフィーというエロチックサスペンスというべきパム・グリア主演の映画がある。この映画とルディ・レイ・ムーアがつくっている映画の色彩は似ている気がする。この映画で出てくる黒人のダイナマイトなボディとジャッキー・ブラウンという自らの映画にあえて起用したクエンティン・タランティーノが愛したパムグリアのバストが近いものがあるとみながら思った。
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映画「盗まれたカラヴァッジョ」 ミカエラ・ラマッツォッティ&レナート・カルペンティエリ

2020-01-19 10:51:03 | 映画(自分好みベスト100)
映画「盗まれたカラヴァッジョ」を映画館で観てきました。

これはおもしろい!

上質なサスペンスである。スペインのペドロ・アルモドバル監督作品を思わせる不安を呼び起こす音楽がバックに流れ、息をのむような緊張感あふれるシーンが続く。有名脚本家のゴーストライターがカラヴァッジョ盗難事件に関わる話を人から教えられる。それを元に書いた脚本の内容がまさに事実で、実際にからんだマフィアから狙われるという話である。


映画プロデューサーの秘書ヴァレリア(ミカエラ・ラマッツォッティ)は、秘かに人気脚本家アレッサンドロ(アレッサンドロ・ガスマン)のゴーストライターを務めていた。ネタが尽いているにも関わらず、なんとか新作を書いてくれとアレッサンドロに頼まれている。ある日、ラック(レナート・カルペンティエリ)と名乗る謎の男と市場で出会った。その夜番号を知らせていないのにラックから携帯に電話が入り驚く。ヴァレリアがゴーストライターをしていることも、母親のアマリア(ラウラ・モランテ)と二人で暮していることも知っていた。ラックから秘密を厳守する君に書いてほしいこんな話があると教えてくれる。


1969年に起きた今も未解決のカラヴァッジョの名画「キリスト降誕」盗難事件の顛末にはマフィアが絡んでいる。しかも、近年起きたある美術評論家殺人事件にも繋がっているという。ヴァレリアが「名もない物語」というタイトルをつけたプロットにまとめると、プロデューサーは最高傑作だと絶賛し、映画化が決定する。監督には引退を表明していた巨匠クンツェ (イエジー・スコリモフスキ)が就任し、中国から多額の製作費が出資されることも決定した。

そのころ、アレッサンドロはプロデューサーにはシナリオを書くと嘘をついて、愛人イレーネとバカンスを楽しんでいた。映画化されるプロットが自分たちに関わる話だと気づいたマフィアに拉致される。事件の真相を誰から聞いたのかと尋問された上に半殺しにされ、意識がない状態で発見される。それでも、ヴァレリアはラックの協力のもと、“ミスター X”の名前でアレッサンドロのアドレスからシナリオを送り続ける。焦るマフィアはあらゆる手を使って“ミスター X”が誰かを突き止めようとするのであるが。。。

1.真実を暴露する側と恐れるマフィア
登場人物が多い映画である。だからといって複雑すぎるストーリーにはなっていない。味方と敵のどっちにもつかないような人物がいないからかもしれない。ゴーストライターであるヴァレリアと実際の事件を教えヴァレリアの良き相談役になるラックを味方とすると、カラヴァッジョ盗難事件につながる美術評論家殺人事件に絡んだマフィアたちとその利害関係にある人が敵である。


当の人気脚本家アレッサンドロは完全な極楽とんぼの遊び人。激賞されたゴーストライターの書く脚本にまったく関心がない。影で操るラックの存在を知る訳もない。逆に、マフィアは表向きの脚本家であるアレッサンドロが誰かから聞いたんだろうと徹底的に拷問する。脚本家が自分が書いたと言い張ればなおさらだ。

街の市場で、今日のおかずは何にしようかと思慮しているヴァレリアにカンパチがいいよと勧める老人に過ぎなかったはずなのに、 ラックは脚本のネタになるいい話を伝えてくれるキーマンとなる。しかも、 ヴァレリアの身に危険が及ぶと的確な意見を言って助けてくれる。いったいこの老人の正体は何か?もしかしてカラヴァッジョ盗難事件に絡んだ仲間割れなのか?見ている自分にもよくわからない状況が続き流れを追う。

⒉ミステリー映画のハイテク化
カラヴァッジョ盗難事件は1969年なので設定がひと時代前かと思いや、あくまで現代である。携帯電話、パソコン、メールばかりでなく、隠しカメラによるリアル映像、イヤホンでの遠隔操作などハイテク化したツールが謎解きのカギになる。時代設定が古いと現代の産物が使えず、推理が勘の世界になる。それはそれでいい時もあるが、この映画のようにハイテクの産物を通すと納得性が増す。


ブライアン・デ・パルマ監督作品と似たような雰囲気が映画の根底に流れている。ロベルト・アンドー監督はパルマやアルモドバルのミステリーサスペンスに影響されている印象を持つ。ただ、現代のハイテクツールがいたるところで使われていて、 ミステリー映画 が進化しているという感じがする。

⒊主人公の七変化
メガネをかけたインテリ秘書という風貌で登場する。しばらくは変わらないが、ゴーストライターとしての自身の秘密がばれそうになると感じるようになり、変身をする。このあたりの七変化が面白い。化粧をきっちりして、髪の毛をピタッと固めて、エロチックな下着を着る。からだを張って男が緩むように振るまう。まるで変態趣味を持っているようにだ。そうすると男の焦点がずれる。こういうエロチックなところも ブライアン・デ・パルマ監督作品に通じる。


映画のラストに向けてはテンポが速くなり、スケールも拡大する。え!この人まで絡んでくるのというように登場人物総動員でストーリーを作る。敵はいずれもつわものだ。何をされるかわからない。ドキドキ感がたまらない。そのあとで、「映画の中の映画」の手法を使い、おお!こう来たかとエンディングに向けていく。十分に堪能できた。完全に理解するためにもう一度見てもいいなと感じさせる作品である。
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映画「フォードvsフェラーリ」 マット・デイモン&クリスチャン・ベール

2020-01-13 08:11:43 | 映画(自分好みベスト100)
映画「フォードvsフェラーリ」を映画館で観てきました。


「フォードvsフェラーリ」マット・デイモンとクリスチャン・ベールの超大物俳優の共演である。監督はジェームズ・マンゴールド。題材は60年代前半のモーターレース界で連勝を続けていたイタリアのフェラーリに対して、アメリカの自動車ビッグ3の一社フォードがルマン24時間レースで挑戦する話である。

大物二人はライバルでなく、フォードのレース優勝にむけて協力するという構図だ。レースシーン中心というわけでもなく、人間ドラマの要素も強い。実話ではあるが、緊迫したストーリー展開、レースを捉えるリアルなカメラアングル、60年代を彷彿させる音楽や音響効果すべてに優れた傑作が生まれた。

前作「バイス」では、大幅な体重増量でチェイニー副大統領を演じたクリスチャン・ベールが今度はまた大減量である。おいおい大丈夫かい?と言いたくなる役作りである。どちらかというと、ボクサーを演じたザ・ファイターの時に演じた役柄に性格的にも近い。マット・デイモンも悪くはないが、今回もクリスチャン・ベールの役作りにすごみを感じる。


1960年代半ば、全米きっての自動車メーカーフォード社では、若いユーザーに向けたマーケティング路線を模索していた。役員の一人リー・アイアコッカ(ジョン・バーンサル)はイタリアのフェラーリと合弁会社設立交渉にあたっていた。フェラーリは60年代前半ルマン24時間耐久レースで連勝していた。しかし、フェラーリのトップであるエンツォ・フェラーリ(レモ・ジローネ)が反対してご破算となる。

これに怒ったフォード社のトップであるヘンリー・フォード二世(トレーシー・レッツ)はレースに勝つ車を作れと部下に厳命する。それをうけてアイアコッカはレーシングカーの開発をカーデザイナーであるキャロル・シェルビー(マット・デイモン)に依頼する。


シェルビーは1959年のルマン24時間耐久レースでアストンマーチン車に乗り優勝していた経歴を持つ。シェルビーはレーシングカーの開発にあたり、アメリカで自動車整備工場を営んでいたケン・マイルズ(クリスチャン・ベール)をテストドライバーとして採用する。マイルズの整備工場は客あしらいが悪く、職人気質で気難しいためか経営不振で税務署に差し押さえをうけるところだった。でも直近のレースでも優勝するほどドライビングの腕は達者だった。

シェルビー社でフォードのマスタング車をレーシングカーに仕立てるためにマイルズが乗車してパーツの改善に当たっていた。しかし、マイルズはフォード社の幹部レオ・ビーブとのいさかいを起こし信用されていない。ルマン24時間耐久レースのメンバーに選ばれなかった。落胆するマイルズを尻目にチームはルマン24時間耐久レースに挑戦した。結果は惨敗。シェルビーに責任問題が浮上したのであるが。。。

1.出演者同士の葛藤
すぐれたドラマの基礎は葛藤だと言われる。まず、フォード対フェラーリという根本的な対立関係がある。しかし、レースの途中での競い合いのみである。どちらかというと、身内の争いが次から次へと起こる。

レース担当となったフォードの副社長とシェルビーとドライバーのマイルズとの葛藤が執拗に繰り返される。味方というよりむしろ敵である。ただ、ドラマには憎まれ役がつきものだ。この副社長もう生きていないと思うけど、ルマン24時間耐久レースまでいやな奴に徹したね。


シェルビーとマイルズの友情も映画のテーマである。でも2人の関係にも数々の葛藤がある。そこがストーリーをおもしろくする。

2.レースの臨場感と音響
人間関係を描いたドラマ的要素が大きいとはいえ、リアルなレーシングカーの動きを捉えた下からのカメラアングルに臨場感を感じる。作品情報によると、昔のルマン24時間耐久レースの会場と全く変化しているのでセットで作ったという。相当金がかかっていると思うけどさすがはハリウッド資本といったところか。高らかに鳴り響くわけでなく流れる音楽のセンスも抜群だ。


3.逸話の数々
逸話が多い映画である。それぞれのエピソードに意味があり効いている。
まずは、シェルビーが副社長を部屋に閉じ込めて、フォード2世をレーシングカーに乗せるシーン。元々レーサーだったシェルビーがトップスピードで車を走らせまくる。これだけのスピードで走ったら、普通だったら失禁してしまうという。走り終わってフォード2世が泣くとも笑うともなんともいえない表情になっているのをみながら、シェルビーがカーレースは我々に任せなきゃだめですよと言うシーンが好きだ。


マイルズを説得しようとシェルビーが待ち伏せして、自宅の前から連れ去っていくのをマイルズの奥さんがみる。翌日いつも好き勝手やっているマイルズを助手席に乗せて奥さんが大暴走する。全速力で走って前の車を抜いていく。あやうく正面衝突してもおかしくない。昨日何したのと問いただす。なかなか口を割らないマイルズにしゃべらそうとする。結局日当200ドルときいて奥さんがシェルビーと一緒に仕事をするのを承諾するシーンがいい感じだ。


こんな感じの話が盛りだくさんである。それだけにレースシーンもあり、長時間の映写時間だが全く飽きさせないところがすごい。
いきなり正月第二週で今年のナンバー1,2がでてしまったという印象を持つ。「パラサイト 半地下の家族」はすごい傑作だとは思うが、好きなのは「フォード&フェラーリ」だ。それにしても映画に映るこの時代のフェラーリってかっこいい!スポーツカーデザインのピークだね。
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