映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「ハクソー・リッジ」 アンドリュー・ガーフィールド&メル・ギブソン

2017-08-02 20:21:44 | 映画(洋画:2016年以降主演男性)
映画「ハクソー・リッジ」を映画館で観てきました。


映画「沈黙」で転向する宣教師を演じたアンドリュー・ガーフィールド主演の新作である。「ハクソー・リッジ」なんてわけがわからない題名だが、要は「沖縄戦で戦傷者を救出する衛生兵」を描いた映画だ。「沖縄戦」という一言があっただけで抵抗を招くと映画配給会社は考えたのであろうか?いつも訳のわからない日本題をつけるのに今回はもっと訳がわからない方向にもっていく。

主役であるデズモンドが変人の極みといった感じで、共感しずらい映画と思っていたら、後半の沖縄戦では急激にヒートアップする。このあたりはさすがメルギブソン。勝ち負けはわかっていてもドキドキさせられる。映画のレベルはかなり高い。

第2次世界大戦が激化し周辺の若者が次々と出征する中、ヴァージニア州に住むデズモンド・ドス(アンドリュー・ガーフィールド)は、子供時代の苦い経験から衛生兵であれば自分も国に尽くすことができると恋人である看護師のドロシー・シュッテ(テリーサ・パーマー)の反対を押し切り陸軍に志願する。


グローヴァー大尉(サム・ワーシントン)の部隊に配属され、ジャクソン基地で上官のハウエル軍曹(ヴィンス・ヴォーン)から厳しい訓練を受けるデズモンド。だが、狙撃の訓練が始まった時、デズモンドは断固として銃に触れることを拒絶する。

子供の時に兄弟げんかで兄を大けがさせたことと、デズモンドの父親である酒におぼれたトム(ヒューゴ・ウィーヴィング)と母バーサ(レイチェル・グリフィス)とのケンカを止めようとして発砲したことがトラウマになっていたからだ。



軍服や軍務には何の問題もなく「人を殺せないだけです」と主張するデズモンドはグローヴァー大尉から、命令に従えないのなら、除隊しろと宣告される。その日から、上官と兵士たちの嫌がらせが始まった。そして命令拒否として軍法会議にかけられる。デズモンドは軍法会議で堂々と無罪を宣言するが、意外な人物の尽力で、デズモンドの主張は認められる。

1945年5月、デズモンドはグローヴァー大尉率いる第77師団の兵士とともに沖縄の「ハクソー・リッジ」に到着した。先発部隊が6回登って6回日本軍に撃退された末に壊滅した激戦地だ。150mの絶壁を登ったところでは、もう後のない日本軍が粘り強い抵抗をしている。米軍が前進すると、日本軍の四方八方からの攻撃で兵士たちが倒れていく。デズモンドは重傷の兵士たちの元へ駆け寄り、「俺が家に帰してやる」と声をかけ、応急処置を施し、肩に担いで銃弾の中を走り抜けるいくのであるが。。。。

1.沖縄戦
昔の記録映像で米軍戦士が火炎放射器を使ったり、がけっぷちを若い女性が飛び降りるシーンは何度も見たことある。イーストウッドが硫黄島の戦いを日米両方の立場からとった名作はある。でも、日本映画で日米沖縄戦の戦闘自体を取り上げた記憶はない。それなので、沖縄戦では絶対優位にたつ米軍が日本軍を圧倒的に破った印象がある。でも、この映画で描かれているのは、これ以上は攻め込ませないとがけっぷちにきて繰り広げる日本軍の必死の抵抗と攻めあぐねる米軍の姿である。


まあえげつない映像である。体が分断されて、はらわたがあらわになる死体が至る所に転がり、ネズミがたむろう。気持ち悪い。火炎放射器で死体が燃え広がるのも見ていて気分のいいものではない。実際にどうやって撮っているんだろう。

2.ハクソーリッジ
解説には150メートルの絶壁と書いてあるが、50階建ての高層ビルの高さである。今、自分もそういうビルに勤務しているが、いくらなんでもこんな高さをロープで降りるというわけではないだろう。まあ残された写真を見ると、だいたい50m前後の絶壁だったように思える。それにしてもこんな絶壁から敵の銃撃を避け75人の人物を降ろしていくのは普通じゃない。デズモンドの勇気に感激だ。


アカデミー賞の編集賞を受賞したという。戦闘シーンでは2~3秒ほどのカットが続く。次から次へと残虐な場面が続き、情のこもった音楽に合わせ緊迫感が高まる。確かに賞の価値がある。その中で意地になって戦う日米両軍の戦士がフィクションでなく実際にいたかと思うと胸がジーンとする。心からご冥福を祈りたい。

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映画「僕と世界の方程式」エイサ・バターフィールド

2017-07-30 17:35:14 | 映画(洋画:2016年以降主演男性)
映画「僕と世界の方程式」は2017年日本公開の英国映画だ。


昨年は数学者ラマルジャンの若き日を描いた「奇跡がくれた数式」があったが、こういう数学の天才の話は自分がそうでないだけにあこがれる。今回は自閉症の数学好きの少年が「数学オリンピック」でのメダル獲得を目指すという話だ。あれ?こんな映画公開されたっけと思うほど、話題になっていないのでてっきりDVDスルーの映画かと思っていた。

でも見てみると面白い。「数学オリンピック」の会場がケンブリッジ「奇跡がくれた数式」にだぶる。傑作というわけではないが、なんかほのぼのとしていい感じだ。

大好きだった父を事故で亡くし、母親や周囲に心を閉ざしてしまった少年ネイサン(エイサ・バターフィールド)は、他人とのコミュニケーションが苦手な反面、数学の理解力に関しては飛びぬけた才能を持っていた。母親ジュリー(サリー・ホーキンス)は、普通の学校に適応できない息子の才能を伸ばそうと、数学教師マーティン(レイフ・スポール)に個人指導を依頼し、ネイサンは国際数学オリンピックのイギリス代表チームの一員に選ばれるまでになる。


代表チームの台北合宿に参加したネイサンは、そこでライバルの中国チームの少女チャン・メイ(ジョー・ヤン)と出会う。彼女と共に学ぶ日々は、数学一色だったネイサンの人生をカラフルに変えていく。そして、数学オリンピック当日、ネイサンは人生最大の選択を迫られる… (作品情報より)

異様に数字に強い自閉症の男は、なんといっても「レインマン」ダスティン・ホフマンに勝るものはない。でも最近でもベンアフレックの新作「コンサルタント」で自閉症の会計士がむちゃくちゃ数字に強い。この少年も子供の時に数字に目覚めるが、「お前は特別だ」と父親に言われている矢先に交通事故で父親を亡くす。


母親は自閉症の息子をもてあますが、レベルの高い学校で受け入れてくれ、特別な数学の教育を受け数学オリンピックを目指す。同じ志の仲間は優秀だけど、超変わっている奴らばかりだ。数学オリンピックでは中国が強い。そこで合同合宿をすることになり、台湾に向かう。そこでは中国のメンバーとペアで行動することになり、一緒になったのが可愛い中国人の少女だ。変人のネイサンをみて、世話好きのメイがやさしくしてくれる。自閉症のネイサンでも少しづつ違う感情を持つようになるのだ。


普通に学校の授業についていくのを第一段階だとすると、一般の入試にでるような暗記数学で対応できる範疇が第二段階だ。ここまでは進めるようになってもここからが難しい。一定以上のパターンを知っていても、それだけでは解けないレベルがある。そんなレベルに達するにはどうしたらよいのかはわからない。小さい時からの数字への修練ができているかどうか?あとは遺伝だね。これだけはどうにも一般人では届かない世界があるような気がするなあ。

この映画の最後に向けての展開は若干意外に進む。
それはそれでいいかも?

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映画「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」

2017-06-17 06:56:40 | 映画(洋画:2016年以降主演男性)
映画「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」は2016年日本公開のアメリカ映画

自分はDVDスルーとなってしまったが、評価が高い映画である。ハリウッド映画全盛の40年代から活躍していた脚本家ダルトン・トランボは、反体制のスタイルで偉そうにしており、まだ米ソが対ドイツで協調路線を取っていたので共産党員にもなってしまう。ところが、二次世界大戦が終了すると一転、米ソの冷戦が始める。その際映画界にマッカーシズムが蔓延するのだ。最初はタカをくくっていたが、逮捕拘束もされてしまう。保守層から白い目で見られていた。

しかし、それでもトランボはへこたれない。「ローマの休日」など隠れて名作を生み出す。ここのあたりがすごい。それをこの映画で描いている。芸達者ヘレンミレンジョン・グッドマンを従えて、主役のブライアン・クランストンの緩急自在の演技がすばらしい。個人的にはあまり記憶に残っていない俳優である。でもうまい!妻役のダイアンレインは久々にみる。「ストリートオブファイア」のころとは違う円熟の演技である。


戦後のアメリカ映画界の弾圧ではいろんなドラマが生み出されている。もともとアカ派のエリアカザンは仲間をちくったということで評判が悪い。冷戦時代では保守政治家筋からの弾圧が起きても当然の流れといえる。保守派であるジョンウェインが悪役になってしまうのを映すのは珍しい。トランボはゴーストライターのごとく、陰に隠れて活躍している。名前公表に向けての流れが映画で取り上げられる。そしてケネディ政権誕生時にJFケネディ大統領自ら「スパルタクス」を鑑賞して、ようやく禊が取れたということになる。


このトランボが生き延びたのも資本主義の世界ならではのことである。ミルトン・フリードマンが名著「資本主義の自由」でとりあげているように、スターリンやヒトラーのような全体主義の世界では個人を雇うのは国家である。それ故トランボたちも職にありつけることするなく粛清されてしまうはずである。


久々のアップになる。アウトプットの調子が悪いが、少しづつ書き始めて行こう。
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映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」 ケイシー・アフレック&ミシェル・ウィリアムズ

2017-05-14 17:29:33 | 映画(洋画:2016年以降主演男性)
映画「マンチェスター・バイ・ザ・シー」を映画館で観てきました。

今年のアカデミー賞主演男優賞と脚本賞を受賞している作品だ。さらっとストーリーを知って映画館に向かう。日本映画「追憶」で冬の寒々しい景色を映像で見た後で、ここでもマンチェスター・バイ・ザ・シーという町の光景に目を奪われる。ベンアフレックの弟ケイシー・アフレックを今まで意識したことはない。


時間軸をずらす映画である。最初のうちは回想なのか、そのまま動いている事実なのか?強い説明はないのでよくわからない。兄が生きている映像と死んだ映像と重なり合い、一瞬「うーん」と思っているうちに眠くなる時間帯もあった。甥の面倒をみるのもなんでなんだろう。兄が生きているときに一緒に病状の説明を兄の妻が一緒に受けたじゃないかと思いながら、少しづつカットが重なり合い、ああこういうことなのかということがわかってくる。

でもこの映画のクライマックスは最後に残されている。この場面だけは強く印象に残る。

アメリカ・ボストン郊外でアパートの便利屋として働くリー・チャンドラー(ケイシー・アフレック)のもとに、ある日一本の電話が入る。故郷のマンチェスター・バイ・ザ・シーにいる兄のジョー(カイル・チャンドラー)が倒れたという知らせだった。
リーは車を飛ばして病院に到着するが、兄ジョーは1時間前に息を引き取っていた。リーは、冷たくなった兄の遺体を抱きしめお別れをすると、医師や友人ジョージ(C・J・ウィルソン)と共に今後の相談をした。兄の息子で、リーにとっては甥にあたるパトリック(ルーカス・ヘッジス)にも父の死を知らせねばならない。


ホッケーの練習試合をしているパトリックを迎えに行くため、リーは町へ向かう。見知った町並みを横目に車を走らせるリーの脳裏に、過去の記憶が浮かんでは消える。仲間や妻ランディ(ミシェル・ウィリアムズ)家族と笑い合って過ごした日々、美しい思い出の数々——。

兄の遺言を聞くためパトリックと共に弁護士の元へ向かったリーは、遺言を知って絶句する。「俺が後見人だと?」兄ジョーは、パトリックの後見人にリーを指名していた。弁護士は、遺言内容をリーが知らなかったことに驚きながらも、この町に移り住んでほしいことを告げる。「この町に何年も住んでいたんだろう?」弁護士の言葉で、この町で過ごした記憶がリーのなかで鮮烈によみがえり、リーは過去の悲劇と向き合わざるをえなくなる。なぜリーは、心も涙も思い出もすべてこの町に残して出て行ったのか。なぜ誰にも心を開かず孤独に生きるのか。(作品情報 引用)

映像に対する説明は少ない。理解力を観客に求める映画である。本当は2回以上見ないとわからないのかもしれない。回想と現実とが入り乱れて、その分別をテロップで示すわけではないから、容易に見れる映画には思えない。

1.主人公リー・チャンドラー(ケイシー・アフレック)
主人公はボストンの特定のアパートで配管がおかしいなどのクレームを一手に引き受けている便利屋だ。その入居者たちにおべっかを使うことができない。そのクレームを親分が受けてしまうこともある。孤独に暮らす彼はバーで飲むのが唯一の楽しみのようだが、すぐキレる。ちょっとしたことで赤の他人をすぐさま殴りつける。遠くからこっちを見ている。背中がちょっと触れたぐらいでいちゃもんをつける。最後までキレる場面がいくつも用意されている。このキレ具合も尋常ではない。


割と特殊な役柄をやった人がアカデミー賞主演男優賞をもらうことが多い気がするが、ケイシー・アフレックの場合ちょっと違う。どこにでもいるような孤独な男である。孤独な男はよく映画に出てくるが、ここまでキレやすい男はいないし、他人との接触が得意ではない。そんな彼も大きな傷を背負っている。その傷は今後も癒されないだろう。そんな姿が気になってしまう。

2.元妻ランディ(ミシェル・ウィリアムズ)
投資の世界ではあまりに有名なラリーウィリアムズの娘である。私自身も父上の本は愛読したし、ミシェル・ウィリアムズ自身がトレーディングのコンテストで優勝したこともある。そんな彼女が出演したテイク・ディス・ワルツ」も「マリリン7日間の恋は好きである。テイク・ディス・ワルツで見せたヌードは熟女ものAVを見るがごとくの映像で、素敵というわけではないが親しみが持てた。

今回は出番が少ない。いきなり病気だという妻のところにべったりするリー・チャンドラーの姿を映し出した後に、リーがランディから妊娠したのと言われるシーンがでてくる。え!これってどういうことと思ってしまう。時間軸をずらしているのでおやっと思う。そして元妻の再婚相手に会うシーンとか用意される。リーがまたキレてしまうのでは心配するが、この映画の最大のクライマックスがそのあとで訪れる。ここでのミシェル・ウィリアムズの情感のこもったケイシー・アフレックに向かう場面が素敵である。これには世の離婚経験者の男たちはみんなジーンと来るんじゃないかしら?


3.マンチェスター・バイ・ザ・シー
これが地名だということを映画を観る前に知っている人はどのくらいいるのであろうか?当然自分は知らない。ロケ地の雰囲気がよく、ここはどこなんだろうと調べようとしたら、実在の小さい町がマサチューセッツ州にあるらしい。人口5000人ほどの町にはサイディング張りのコロニアル様式の住宅が立ち並び、港の景色が美しい。
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映画「ムーンライト」

2017-04-03 05:25:05 | 映画(洋画:2016年以降主演男性)
映画「ムーンライト」を映画館で観てきました。


アカデミー賞作品賞となれば、すぐさま見るしかない。でも映画館は割とすいていた。ララランドと違いジャケットの華やかさがないからかもしれない。いじめの話と聞いていたが、確かに小さい時からいじめられ続ける。やるせないと思いながら、彼に対してやさしく接する麻薬ディーラーファンのやさしさに心を惹かれる。

高校生になると、いじめはエスカレートする。おいおい最悪だ。その時には優しくしてくれたファンはもう亡くなっている。でも親しいケヴィンは優しくしてくれているのだが、とんでもないことをいじめっ子がたくらむ。ここまではやるせない場面が続くが。。。直後大逆転する。

黒人が密集するドツボ地域で育った1人の少年の物語だ。


作品情報をそのまま引用してみる。
// リトル
シャロン(アレックス・ヒバート)は、学校では“リトル”というあだ名でいじめられている内気な性格の男の子。ある日、いつものようにいじめっ子たちに追いかけられ廃墟まで追い詰められると、それを見ていたフアン(マハーシャラ・アリ)に助けられる。フアンは、何も話をしてくれないシャロンを恋人のテレサ(ジャネール・モネイ)の元に連れて帰る。その後も何かとシャロンを気にかけるようになり、シャロンもフアンに心を開いていく。

ある日、海で泳ぎ方を教えてもらいながら、フアンから「自分の道は自分で決めろよ。周りに決めさせるな」と生き方を教わり、彼を父親代わりのように感じはじめる。家に帰っても行き場のないシャロンにとって、フアンと、男友達ケヴィンだけが、心許せる唯一の“友達”だった。


// シャロン
高校生になったシャロン(アシュトン・サンダース)は相変わらず学校でもいじめられている。

母親のポーラ(ナオミ・ハリス)は麻薬におぼれ酩酊状態の日も多くなっていた。自分の家で居場所を失ったシャロンは、フアンとテレサの家へ向かう。テレサは「うちのルールは愛と自信を持つこと」と、昔と変わらない絶対的な愛情でシャロンを迎えてくれる。 とある日、同級生に罵られひどいショックを受けたシャロンは、夜の浜辺に向かうと、偶然ケヴィンも浜辺にやってくる。密かにケヴィンに惹かれているシャロン。月明かりが輝く夜、二人は初めてお互いの心に触れることに… しかし、その翌日、学校ではある事件が起きてしまう。


/// ブラック
あの事件からシャロン(トレバンテ・ローズ)は大きく変わっていた。高校の時と違い、体を鍛えあげ、弱い自分から脱却して心も体も鎧をまとっている。ある夜、突然ケヴィン(アンドレ・ホーランド)から連絡がある。 料理人となったケヴィンはダイナーで働いていて、シャロンに似た客がかけたある曲を聴きふとシャロンを思い出し、連絡をしてきたという。あの頃のすべてを忘れようとしていたシャロンは、突然の電話に動揺を隠せない。 翌日、シャロンは複雑な想いを胸に、ケヴィンと再会するのだが―。


ドツボなエリアをうろついている少年がいる。友人たちのいじめに耐えかねて逃げ回って空き家に逃げ込む。そこを助けたのが麻薬ディーラーのファンだ。幼い時の自分にどこか通じるところがあると感じて、優しく接する。でも母親はよくは思わない。亭主はいない売春婦まがいの生活をしている母親は、麻薬中毒である。しかも、母親はファンの筋から薬を買っている。


それでも、少年シャロンはファンになつく。この時まだ小さいリトルことシャロンはファンとその恋人のテレサに何も話さない。目の前の出来事に対して呆然としている。そのまなざしがいい。この映画で一番印象に残るまなざしだ。いじめは万国共通だ。程度は別として永遠になくならない。

悪い映画とは思わないが、「ラ・ラ・ランド」を大きく超越する映画とは思えない。「それでも夜が明ける」同様黒人主体の映画が仕組まれてアカデミー賞になってしまったという感じがしてならない。白人と黒人のたすき掛けというのはちょっとどうかと思う。

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映画「マリアンヌ」 ブラット・ピット&マリオン・コティヤール

2017-02-12 19:26:13 | 映画(洋画:2016年以降主演男性)
映画「マリアンヌ」を映画館で観てきました。


ブラット・ピットがいかにも元来の彼らしい雰囲気で出演している映像を予告編で観て気になっていた。英国の特殊工作員である主人公がカサブランカでフランス人女性の秘密工作員と組んでドイツ大使を殺害する任務を遂行した後で、なんと彼女がドイツのスパイであることがわかるという話である。この時代ってスパイ合戦の様相が強い時期で、恋に落ちて結婚したにもかかわらず妻を始末する指令が出ているというきわどい話である。

まるでハンフリーボガードとイングリッドバーグマンの「カサブランカ」にオマージュをささげるような部分も散見されるが、これはこれでいい感じである。判明してからわずかな時間のあいだに別れ別れにならざるを得ない設定がさすがに切ない。思わず泣けてくる。

1942年。カナダ人の諜報員マックス(ブラット・ピット)がモロッコの砂漠にパラシュートで降り立つ。マックスはイギリスの特殊作戦執行部に所属している。そのままカサブランカに向かい一人のフランス人女性マリアンヌ(マリオン・コティヤール)と落ち合う。ドイツ軍によるパリ陥落からモロッコに移り住むことになったマリアンヌと偽装夫婦を演じている。マリアンヌはすでにカサブランカの社交界で上流の人たちと交わり、任務遂行にむけて準備をしていた。2人はドイツの外交官たちと近づくことができ、ドイツ大使が出席するパーティに出席する。

マックスとマリアンヌの2人は心惹かれながらも、お互い一線は越えない付き合いをしていた。作戦履行で命を落とす可能性があることもあり、2人は結ばれる。作戦は成功し2人はロンドンに戻る。入国許可が出たマリアンヌと結婚し、可愛い娘にも恵まれたとき、マックスが軍の上層部から呼び出しを受けるのであるが。。。


1.1940年代初期のフランス情勢
1939年、ドイツ軍のポーランド侵攻で第二次世界大戦が始まり、1940年6月にパリは陥落する。その後、ペタン内閣は南仏のヴィシーで傀儡政権をつくり、実質ドイツの支配下にある。もともと1912年よりフランスの保護領であったカサブランカはドイツ占領直後、連合軍の反撃が始めるまでドイツよりのヴィシー政権の支配下にあった。この映画の舞台となる1942年はドイツ軍が街を闊歩している状態である。


2.映画「カサブランカ」
映画「カサブランカ」は1942年に制作されている。徹底的に敵であるドイツ攻撃をしている作品となっている。この映画の時代背景に合わせるように「マリアンヌ」はつくられている。2人の諜報部員がカサブランカの街で落ち合うクラブはハンフリーボガード演じるリックの経営するクラブをバリバリ意識しているのは間違いない。「マリアンヌ」のクラブ看板も「rick's」となっているように見えたんだけど。。。ちょっと自信がない。

「マリアンヌ」の脚本で「カサブランカ」を意識している部分が2つあった。(ここからネタバレ)
マリアンヌがドイツ軍のスパイであるという調査報告があり、夫となったマックスが懸命に否定する。しかも、今自分の妻である女性は本当のマリアンヌではないというのだ。マリアンヌと会ったことがある反体制派の男を懸命に探す。その特徴を聞く。ドイツ軍兵士が集まる場所でピアノの伴奏で「ラ・マルセイエーズ」を高らかに歌い上げていたというのだ。


マックスは祈りながらマリアンヌにピアノを弾かせようとする。映画「カサブランカ」ではリックのクラブの中でドイツ軍兵士を前にして「ラ・マルセイエーズ」を歌うシーンがある。つながりが感じられるシーンだ。

ラストシーンは空港である。映画「カサブランカ」ではイングリッド・バーグマンとその夫がハンフリーボガードからもらった通行証をもって外国へ飛び立つ。そこでは名優クロード・レインズ演じるフランスの駐留警察の警部がいて、本当は逮捕しなければならないところを見逃すといういかにも浪花節的な世界である。ここではマリアンヌと外国へ逃避行しようとするマックスが軍の空港に行き、飛行機のエンジンをかける。そこには英国軍の上司たちが来ている。そこから先は見てのお楽しみだが、上司たる軍幹部が同じような動きを見せる。「カサブランカ」を意識している流れと感じた。


でも最後は泣けるなあ。映画としては普通だと思うんだけど、子供のことを思うと、なんかかわいそうでね。結婚式最後のお涙頂戴場面のような雰囲気だな。

カサブランカ
カサブランカを意識している場面多し


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映画「沈黙」 マーチンスコセッシ&アンドリュ―・ガーフィールド

2017-02-03 21:55:11 | 映画(洋画:2016年以降主演男性)
映画「沈黙」を映画館で見てきました。

ハリウッド映画の巨匠マーチン・スコセッシ監督が遠藤周作の「沈黙」を映画化したという。自分は原作を読んでいないし、篠田正浩監督の「沈黙」も見ていない。どちらかというと、宗教系の映画は観念的なセリフが多く、苦手なクチである。そんな自分が一昨年同郷のノンフィクション作家星野博美女史の「みんな彗星を見ていた」を読んで感動した。「踏み絵」という言葉自体は知っていても、数万人の日本人キリシタンが殉死していたという事実は知らなかった。


その迫害が映像として見れる。しかも、マーチンスコセッシが監督ということでスパイダーマンのアンドリュー・ガーフィールドやリーアムニーソンの大物が出演している。3時間近くの上映時間は長いので、見るのを一瞬ためらう。でも日本史の中でも悲しい事実を、日本人だったらつくれないかもしれない湾曲の事実を映像化してくれてよかったと思う。もう少し短い方がいいとは思うけど、完成度は高い。

17世紀、江戸時代初期幕府による激しいキリシタン弾圧がおこなわれていた。イエズス会の宣教師ロドリゴ(アンドリュ―・ガーフィールド)とガルペ(アダム・ドライバー)は司祭フェレイラ(リーアム・ニーソン)が日本で捕えられ棄教したといううわさを聞き、まずマカオに向かう。そこで日本人キチジロー(窪塚洋介)に出会う。キリスト教徒ではないとキチジローは言っているが、日本に帰りたがっていると聞き、一緒に船で旅立ち日本のトモギ村に密入国する。


そこでは「じいさま」と呼ばれる村長のイチゾウ(笈田ヨシ)、敬虔な信者モキチ(塚本晋也)を中心にした隠れキリシタンが信仰を捨てずにいた。2人は村人達と交流を交わし、布教活動を行っていく。キチジローは自分の村である五島列島にも2人の宣教師を招き、布教を広める。


それも束の間、キリシタンがトモギ村に潜んでいることを嗅ぎ付けた奉行が村に訪れ、2人の宣教師の身柄を要求した。そして幕府の取締りは厳しさを増し、やがてキチジローの裏切りによってロドリゴもガルペも追われる身となり、信仰を守って処刑に甘んじようとする信者のもとにゆこうとしたガルペは死んでしまう。ロドリゴは長崎奉行井上筑後守(イッセー尾形)に棄教を迫られ、信仰を捨てれば捕らわれた日本人信者の命を助けようと告げられる。



1.拷問

いきなり雲仙の火山口のそばで、熱湯を次から次へとキリシタンにかけるシーンが映る。その横にはリーアムニーソンが演じる司祭が処刑を待っている。改心させるのが大きな目的である。そのあとに映るのは海の中に十字架を置き、そのには張り付けられたキリスト教信者がいる。満潮になっていくと、海の水が波に乗って容赦なく信者たちを苦しめる。これは実写でうつされる。これを演じる方もつらい。当然一発撮りというわけでないだろうからきついなあ。


ほかにも藁でくるわれた身体の逆さづりや火あぶりの刑などいやいやすごい拷問だ。戦前共産党員や小林多喜二のようにプロレタリア小説を書く社会主義者などが憲兵に引っ張られて、拷問の上転向させるなんてことはくりかえしおこなわれていたと聞くが、人数的にはキリシタンの拷問よりも少ないかもしれない。

2.踏み絵

殺されるくらいなら、踏み絵しちゃえばいいじゃないと無宗教の自分は思うけど、このころの日本人キリシタンってずいぶん頑固だし、ばかだよね。なんて言ったらおこられるか?

星野博美著「みんな彗星を見ていた」を読むとすごい話がたくさん出てくる。「死や拷問に際して恐怖に脅えたり、痛がったり、逃げようとしたりしてはいけない。」 (p238)ので「直火でなく緩慢な火で長時間苦しませ、棄教しやすくする手段を使いはじめている」 (p238)すごい拷問だ。殺されたのは外国人宣教師だけでなく、30万人いたキリスト教徒のうち4万人ちかくが亡くなっている。たかが踏み絵という問題ではなくなる。

ここでは宣教師たちが改心を余儀なくされる。そこには村人たちが迫害を受けるのが見ていられないからという理由もある。そうなったときに、改心した宣教師たちは日本人として生きていく道を選んでいくのだ。むごい仕打ちの前半戦もあるが、日本人になり、妻をめとって生きていく宣教師たちの生きざまに強い関心を持った。

3.俳優たち
アンドリューガーフィールド、リーアム・ニーソンと一流スターも登場するが、外人さんたちは慣れない土地で、普通の演技をしているという感じだ。ここではイッセー尾形演じるのらりくらりの演技が際立つ。緩急のつけ方が巧みなイッセー尾形アンドリューガーフィールドをからかうのが滑稽

今回は台湾で撮影されたという。九州と比較すると南になり、気候や風景も変わるだろうが、不自然ではなかった。改心した宣教師たちを寺で映すシーンがある。こういう寺が台湾では残っていると思えないので、日本国内なのかな?
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映画「マグニフィセント・セブン」 デンゼルワシントン

2017-01-31 20:23:34 | 映画(洋画:2016年以降主演男性)
映画「マグニフィセント・セブン」を映画館で見てきました。


1961年のアメリカ映画「荒野の七人」のリメイクである。「荒野の七人」自体黒澤明監督の名作「七人の侍」を元につくられたのはあまりにも有名だ。しかし、マカロニウエスタン映画「荒野の用心棒」黒澤明監督「用心棒」のまさにパクリであるのと比較すると、「荒野の七人」ユルブリンナーやスティーブマックイーンなどのガンマンをクローズアップして西部劇風にかなりアレンジされている。この映画にも村を守るための要塞作りなど「七人の侍」の要素は入っているものの、まさに「荒野の七人」のリメイクと言っていいだろう。

出演者は「荒野の七人」同様かなり豪華である。前作とちがうのは武器に変化を持たせたことだ。先住民族の弓矢の名手、ナイフ捌きのいい男など一味ちがう。それがまた強い。この時代に東洋人は西部にいるのかな?黒人がリーダーになるのかしら?とも思うけど、考えすぎる必要はないだろう。いわゆる活劇の流れに身を任せて、単純に楽しめればいい。

南北戦争が終了した1865年からしばらくたったころ、金鉱を掘っている悪党バーソロミュー・ボーグ(ピーター・サーズガード)が開拓民がつくった町に押し入り支配しようとしている。町の教会はボーグの一味に焼かれてしまう。もう一度、来るといったボーグの一味に対抗するために、ボーグに家族を殺されたエマ(ヘイリー・ベネット)が中心となって金を集め、助っ人を探している。


そこで出会ったのが賞金稼ぎのサム(デンゼル・ワシントン)、ギャンブラーのジョシュ(クリス・プラット)だ。2人にエマが目星をつけた後で、流れ者のヴァスケス(マヌエル・ガルシア・ルルフォ)、スナイパーのグッドナイト(イーサン・ホーク)ナイフ遣いのビリー(イ・ビョンホン)など荒れ果てた大地にやってきた<ワケありのアウトロー7人>を雇って正義のための復讐を依頼する。

最初は小遣い稼ぎのために集められたプロフェッショナルな即席集団だったが、圧倒的な人数と武器を誇る敵を前に一歩もひるむことなく拳銃、斧、ナイフ、弓矢などそれぞれの武器を手に命がけの戦いに挑んでいく―。(作品情報より)


1.デンゼルワシントン
「荒野の七人」でのユルブリンナーに対応するリーダーである。ただ、「七人の侍」志村喬は剣の達人ということでなく、押し寄せる野盗たちに対抗しようと懸命に策略を練る。それに対して、ユルブリンナーはいわゆる腕ききのガンマンであるところが異なる。デンゼルワシントンはその流れである。しかも、ここでのデンゼルワシントン演じるサムはそつがないといった感じである。


監督とはデンゼルワシントンが自らアカデミー賞主演男優賞を受賞した「トレーニングデイ」で一緒に仕事をしている。しかも、そこでの相棒はイーサンホンクである。


2.対応するモデル
志村喬~ユルブリンナー~デンゼルワシントンという系統と同様の系統がいくつかできる。「七人の侍」ではなかったキャラクターが「荒野の七人」 では「ナポレオンソロ」のロバートボーンで、ここでのイーサンホンクが南北戦争では射撃の名手だったけど、今はPTSDに悩むというパターンで2人は共通する。

あとは宮口精二~ジェームスコバーンという熟練した孤高の剣士、ガンマンに対応するのがイ・ビョンホンということなのかな?


3.炸裂する機関銃
悪徳実業家というべき、ボーグは先に20人以上の腕利きのガンマンを送るが、雇われた7人に徹底的にやられる。このシーンは痛快である。1人かろうじて逃げた男からその話を聞き、ボーグは大勢精鋭をつれて町にやってくる。そこでも、「七人の侍」同様の守りの細工をたくさんつくって迎撃する。 意外にも頑張る町民と7人の助っ人の連合軍だが、敵はすごい秘密兵器を抱えている。機関銃だ。


明治初期を描いた「るろうに剣心」香川照之演じる悪漢が同じ形をした機関銃を撃ちまくっていたシーンを思い出す。この映画の設定と時期的にはほぼ同じである。町の中に攻め込んでいるボーグの味方をも機関銃で撃ってもいいくらいの勢いでボーグの手下が無差別に撃ちまくる。これには7人の助っ人もたまらない。危機一髪の町民だ。

4.最後残るのは
機関銃攻撃で危機一髪になった後、それでも7人の助っ人と町民はがんばる。 でも無差別攻撃にはかなわない。最終は正義が勝つといった展開に持ち込むのは想像できるが、コミカルな展開で小技を効かせて残りを走りぬく。結局残る人数は「七人の侍」と同じである。その人数の墓を見ながら助っ人たちは去っていく。


途中緩慢な展開もあるが、活劇としてはなかなか楽しい。でも「七人の侍」で見れた雨の中の迎撃のシーンのインパクトは21世紀を10年以上過ぎた今でも強い。どんなにハイテクなテクニックを使ってもやはり「七人の侍」にはかなわない。



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映画「聖杯たちの騎士」 テレンス・マリック&クリスチャン・ベイル

2016-12-31 15:08:27 | 映画(洋画:2016年以降主演男性)
映画「聖杯たちの騎士」を映画館で見てきました。


テレンス・マリック監督の新作である。出演者は超豪華でクリスチャンベールにケイトブランシェット、ナタリーポートマンなどの女優陣が加わる。以前カンヌ映画祭パルムドールの「ツリー・オブ・ライフ」を見た時は、あまりに抽象すぎて何が何だかさっぱりわからなかった。その後の「トゥ・ザ・ワンダー」は映像美がすばらしくうなってしまった。どうせまたその手の類かな?と思いながらも、3年連続でアカデミー賞撮影賞の名手エマニュエル・ルベツキが今回も撮影者だとわかると、一度その映像は映画館で見てみたくなる。

舞台はハリウッドとラスベガスで繰り広げられる、煌びやかなセレブリティの世界。脚本家として成功への階段を駆け上がったリックは、業界の有力者の豪邸で開かれるパーティーに頻繁に招かれ、金と欲望にまみれた頻繁に出入りし、そこで出会った女たちとの享楽的な日々に溺れていく。

一方で、崩壊した家族の絆を取り戻そうと奔走し、富と引き換えに自分を見失っていく自らの姿に人生に胸を痛めてもいた漠然とした不安を抱いていた。やがて、“漠然とここにはない何か”を探してさまよい始めたリックは、6人の美女たちと巡り会う。彼には、女たちは自分が知るよりも多くのことを知っているように思えた。彼女たちに導かれ、リックは自らが探し求めていたものへと近づいて行く——。(作品情報引用)


こういう作品情報はあるが、細かい説明は一切ない。
作品情報らしきものが語られるセリフもないし、俳優の動きで何かが想像できるわけでもない。

海辺や大豪邸とそのプールで遊ぶ映像などにあわせてクリスチャンベールと美女たちが出てくる。内容はさっぱりわからない。よくぞ集めたという美女たちに接近し、映画は続くだけで、これといったストーリーはない。「トゥザ・ワンダー」の時にはなんとなくこんな感じという動きがわかって、そのわからなさを埋めるエマニュエル・ルベツキの映像が堪能できたのでまだよかったけど、これはちょっとね。。。。
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映画「MILES AHEAD マイルス・デイヴィス 空白の5年間」

2016-12-28 22:41:32 | 映画(洋画:2016年以降主演男性)
映画「マイルス・アヘッド」を映画館で見てきました。


ジャズ界を常に引っ張っていたマイルス・デイヴィスが突如演奏を休止した70年代後半の話を映画化したものであるが、元妻であるフランシス・テイラーの幻影を追うために60年代後半とみられる映像を組み合わせている。中学時代から常にマイルス・デイヴィスを追っていた自分からすると、興味深い。B級と受け取られてもおかしくないレベルではあるが、最後に60年代の史上最強のバンドで活躍したウェインショーターとハービーハンコックがマイルスを装った男の後ろで自らの姿を誇示しながら演奏する姿をみて感動してしまった。それを見れただけで満足だ。


1970年代後半のニューヨーク。長らく音楽活動を休止中のマイルス・デイヴィス(ドン・チードル)の自宅に、彼のカムバック記事を書こうとしている音楽記者デイヴ(ユアン・マクレガー)が押しかけてくる。しかし体調不良に苦しみ、ドラッグと酒に溺れるマイルスは、創作上のミューズでもあった元妻フランシス(エマヤツィ・コーリナルデイ)との苦い思い出にも囚われ、キャリア終焉の危機に瀕していた。


やがてデイヴと行動を共にするうちに、悪辣な音楽プロデューサーに大切なマスターテープを盗まれたマイルスは、怒りに駆られて危険なチェイスに身を投じていく。その行く手に待ち受けるのは破滅か、それとも再起への希望の光なのか……。

1.フランシステイラーとジャケットを飾った女たち
マイルスデイヴィスは女性のポートレートをレコードジャケットにのせるのが好きだ。「SOMEDAY MY PRINCE WILL COME」で美しい姿を見てるのがマイルス元夫人のフランシステイラーである


。「ポギ―とべス」ギル・エヴァンスと制作している最中に2人が恋に落ちるシーンもある。


この映画ではかなりキーになる存在だ。「ESP」のジャケットにもフランシステイラーが映る。それまでライブレコーディングが多かったマイルスが久々スタジオ録音でつくったものだ。

その後、フランシステイラーと別居することになり、「ソーサラー」では81年に結婚する女優のシシリー・タイソンのポートレートをジャケットに使う。離婚前とはいえ、シシリーに入れ込んでいるのが良くわかる。でもシシリーと真の意味でつき合うようになるのは、長い沈黙時代の後半1978年ごろである。シシリーがいなかったら、マイルスデイヴィスは麻薬に入れ込んだままで復活しなかったかもしれないのだ。


2.60年代の最強クインテット
ジョン・コルトレーンやビル・エヴァンスがいるときに、ジャズのベストセラー「カインドオブブルー」という代表作を送り出す。映画でもライブハウスで白人のピアニストが出てくるシーンがあるが、これはビル・エヴァンスということであろう。その後60年代に入り次のサックス奏者が定着しない時期が続く。ようやく63年に当時まだ若かったハービーハンコック、ロンカーター、トニーウィリアムスの素晴らしいリズムセクションに恵まれた。トニーウィリアムスに至ってはまだ17歳である。同時にアートブレイキーとジャズメッセンジャーズにいたウェインショーターを招き、1964年最強クインテットができる。個人的にはジャズ史上最強だと思う。



この映画でも当時のメンバーに似たメンバーが登場し、「ネフェルティティ」を演奏する場面が出てくるが、マイルスとフランシステイラーと夫婦喧嘩をしていて、あんまりいいシーンではない。
67年の映像 トニーウィリアムスのドラムスが冴える



3.ウェインショーター
先日元ウェザーリポートのジャコ・パストリアスのドキュメンタリー映画「JACO」を見たときにウェインショーターのインタビューが含まれていた。80歳を過ぎてまだまだ健在だというのを見せつけてくれ、本当にうれしかった。自分はマイルスデイヴィスクインテット時代のウェインショーターが好きだ。マイルス後半やウェザーリポートの頃からソプラノ・サックスが目立つようになるが、豪快なテナーの音がいい。

アルバム「ソーサラー」ではメンバーのオリジナル曲ばかりでマイルスの曲がない。2曲目の「ピー・ウィー」ではなんとマイルスが演奏していないのだ。実際にウェインショーターカルテットだけど、そこにはいないマイルスの匂いがたちこめるのは不思議だ。ウェインショーターはかなりしつこくマイルスデイヴィスからメンバーになるように誘われたらしい。2人の緊張感あふれるプレイはすばらしい。そんなマイルスデイヴィスの映画なので、「黄金のクインテット」のウェインショーターとハービーハンコック2人もライブに参加してくれたんだろう。ウェインショーターは座ったまま吹いていて、年齢を感じさせたが、先日に引き続き映画でその姿を見れただけでもうれしかった。


ドン・チードルはマイルスに似ているかな?ちょっとイメージが違うかな?と思っていたが、かなりなりきっているとみた。最後のライブシーンのふるまいもいい感じだ。

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映画「ヒッチコック/トリュフォー」

2016-12-13 04:52:36 | 映画(洋画:2016年以降主演男性)
映画「ヒッチコック/トリュフォー」を映画館で見てきました。


ヒッチコック好きの自分からすると見逃せない作品である。インタビュー自体を映像で撮っているわけではないが、膨大なインタビューのテープが残されている。それにあわせて、ヒッチコックが監督した名作の重要なシーンが次から次へと映しだされる。二人の対話は淡々としたものだが、むしろマーティン・スコセッシなどの監督が実にヒッチコック作品をよく見ていて、ディテイルの素晴らしさを語ってくれるところがいい。もう一度彼のたどった軌跡を追いかけてみたくなるような素敵な映画である。


1962年の春、フランソワ・トリュフォーアルフレッド・ヒッチコックにインタビューを申し込む長い手紙をしたためる。インタビュー本出版の暁には、“あなたが世界中で最も偉大な監督であると、誰もが認めることになるでしょう”と宣言入りで。

長年、アメリカでの評価にフラストレーションを募らせてきたヒッチコックは、この若きフランス人監督からの手紙に歓びを隠さなかった。その返事には、手紙を読んで涙が出たと告白し、 トリュフォーからの申し出を快諾する旨を書き送っている。

こうして1962年8月13日、ヒッチコック63歳の誕生日にインタビューは始まった。ユニバーサル・スタジオの会議室にまる1週間こもって、通訳者ヘレン・スコットの助けを借りて行われたインタビューは、録音テープざっと50時間分にも及んだ。そのインタビューから膨大な音源を書き起こし、一作ごとに豊富なスチール写真やコマ撮りのイメージでヒッチコックのテクニックと映画理論を解説してゆく「映画術 ヒッチコック/トリュフォー」は、4年後の1966年、フランスとアメリカで同時に出版。このヒッチコックを真の映画作家、芸術家として世界に認識させることに成功した伝説の映画本は、各国で翻訳され、世界中の若い映画作家や映画ファンのバイブルとなった。

映画『ヒッチコック/トリュフォー』は、この「映画術」のための伝説的インタビューの貴重な音源と、写真家フィリップ・ハルスマンによるインタビュー風景、その後20年にわたるふたりの友情を感動的に映し出すドキュメタリーだ。さらにマーティン・スコセッシ、デビッド・フィンチャー、ウェス・アンダーソン、リチャード・リンクレイター、黒沢清といったそうそうたる現代の巨匠たちが登場し、いかに「映画術」の影響を受けてきたかを熱く語り、独自の視点でヒッチコック映画を解説してみせる。
(作品情報より引用)

この映画を一回見ただけで、ヒッチコック/トリュフォー二人の会話の内容や名監督たちのヒッチコックへの思いを語る部分を頭に刻み込むのは困難である。どちらかというと、DVDを手に入れて、メモをしながら映画への思いをじっくり書き込んでいくといった作品である。

1.サボタージュ
英国時代のピークともいえる1936年の作品である。何と言ってもシルヴィア・シドニー演じる妻が夫を刺してしまう衝撃シーンをこの映画でも取り上げる。肉切りナイフをめぐって夫、妻それぞれの目線の動きが緊迫感がある。カメラワークの巧みさは歴史上有数の素晴らしさだ。そのポイントを取り上げるのでこちらもドキドキしてしまう。


2.ティッピ・ヘドレン
小学生の時、テレビの名画劇場で「鳥」を初めてみて、なんとも言えない怖さを感じた。その「鳥」と次作「マーニー」でのヒロインはティッピ・ヘドレンである。モデル出身のヒッチコック好みの美貌をもつ。「鳥」では徹底的に攻撃されてエライ目にあうが、再度「マーニー」で起用する。「007」で人気急上昇しているショーンコネリーがお相手だ。でもこの「マーニー」ではグレースケリーに出演してもらおうとモナコにわざわざヒッチコックが向かっている。これが実現したらすごいことだったろう。でもいくらなんでも泥棒役は王妃はできないよね。


「マーニー」では赤いインクがこぼれるのを見て、赤外線のようなスポットがティッピヘドレンにチカチカあてられるのが印象的だ。精神の不安定さを示していて、ここでもそのシーンが取り上げられている。

3.「めまい」のキム・ノヴァクと「サイコ」のジャネット・リー
この映画の中では代表作である「めまい」と「サイコ」の二作に時間をかけて解説している。有名監督たちが実に細かくこの映画を見ていることに驚いた。特にマーティンスコセッシ監督のコメントには感銘を受ける。名作をつくるためには、名画のディテイルを徹底的に検証することが重要なんだと再認識させられた。

「めまい」の中で教会から転落して死んだはずだったキムノヴァク演じるヒロインとそっくりな女性がジェームス・スチュワート演じる主人公の前に現れる。髪型が違うが、そっくりだ。その女性がサニタリールームに入って戻ってくる時の姿に対して細かく解説される。これがまた美しいシーンだ。


「サイコ」のジャネットリー演じるヒロインが会社に入金された4万$をもちだし、車で彷徨うシーンも印象的である。目がぱっちりしたジャネットリーが淡々と運転するが、途中警官の検問などを受けたりして、ドキドキしながら運転していくシーンも印象的だ。これをマーチンスコセッシがとりあげている。あまりにも有名なシャワーシーンもゾクッとする刺激の強いシーンだが、この映画はそういう観客をハラハラさせるシーンに満ちあふれている。


その他にもモンゴメリークリフトとヒッチコックとに葛藤があった話。「汚名」ではケイリーグラントとイングリット・バーグマンが呆れるくらい何度も何度もキスをするのであるが、2人はそれを嫌がっていたという話など興味深い話が盛りだくさんであった。自分としては今、ヘンリーフォンダ主演「間違えられた男」を見てみたい欲求にさらされている。

定本 映画術 ヒッチコック・トリュフォー
フランソワ トリュフォー,アルフレッド ヒッチコック
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ドキュメンタリー映画「JACO」 ジャコ・パストリアス

2016-12-12 05:38:11 | 映画(洋画:2016年以降主演男性)
ドキュメンタリー映画「JACO」を映画館で見てきました。

天才ベーシストのジャコ・パストリアスを映しだしたドキュメンタリー映画が公開されると聞いた。しかも、彼の人物像を浮き上がらせるためにさまざまなミュージシャンにインタビューしているようだ。その中には自分が敬愛してやまないサックス奏者ウェイン・ショーターもいるではないか。これは見に行くしかないと映画館に急いだ。映画館は満席で、女性は少なく音楽ファンと思しき中年の男性が目立った。


1976年当時、自分は音楽好きの高校生だった。噂の天才ベーシストの登場に各音楽雑誌はジャコパストリアスの強烈なテクニックを取り上げていた。ベストセラー「ヘビーウェザー」の中で、ウェインショーターのソプラノサックスにはじまる「ティーン・タウン」ではそれまで聴いたことのないベースソロで我々の前に存在感を示す。これはすげえやと思った。

でも37歳で早死にしてしまう。ジミー・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリンといったロックのスター同様あっという間にあの世に行ってしまった。独創性あふれるプレイを見せてくれると一方で、生活がずいぶんと荒れていたようだ。最後の死に方は決してきれいとは言えないむごい話だ。




1.ウェザーリポート
マイルスデイビス、ウェインショーター、ハービーハンコック、ロンカーター、トニーウィリアムズの史上最強ともいえるマイルスデイビスクインテットの中でウェインショーターの役割は大きかった。70年代にかけてエレクトリック化したマイルスの「イン・ア・サイレント・ウェイ」で参加したジョー・ザヴィヌルと組んでウェザーリポートが1971年誕生する。これはこれでショッキングであった。

ウェインショーターもまだ健在↓でうれしい。


当初はマイルスの「イン・ア・サイレント・ウェイ」や名作「ビッチェズ・ブリュー」の延長線上のタッチであったが、当時クロスオーバーと呼んでいた音楽の系統で徐々にファンクな要素が加わる。同じマイルスデイビスのバンドにいたハービーハンコックのファンキーなサウンドの影響もあるかもしれない。そのころ登場したのがジャコパストリアスである。彼の登場はウェザーリポートのサウンドに深みを与えた。


この映画でも取り上げられているが、ジョーザヴィヌルとジャコパストリアスには確執めいたものがあったようだ。天才同士やむを得ない部分があるだろう。ウェインショーターという巨匠の裏でリズムセクションを担当する中で、むしろリードギター的な動きをする天才ベーシストとキーボードに争いが起きてもおかしくない。クリームのライブを聴くと、エリッククラプトン、ジャックブルース、ジンジャーベイカーそれぞれが自分の力量を示すがごとくのセッションに走るのと似たようなものだ。

でもこの映画で鳴り響くウェザーリポートの曲での2人の競演には何とも言えない凄味を感じる。

2.ジョニ・ミッチェル
映画の案内を見て、並みいるジャズミュージシャンの中にフォーク系のジョニ・ミッチェルがいるのに不自然さを感じた。でも映画が進む中、ジョニのアコースティックサウンドに独創性あふれるジャコパストリアスのベースがしっくりなじむのを聴いて驚いた。これも凄い。



共演ライブより



3.マイルスデイビスの追悼曲
マイルスデイビスとジャコパストリアスとは直接共演していない。それでもマイルスは晩年に「ミスター・パストリアス」という曲を書いてある。ジャコパストリアスのプレイへの敬愛をこめたものであろう。なかなか素敵な曲である。映画の中で演奏されたものがyoutubeにアップされている。↓





中学生のころからずっと追いかけているウェインショーターやハービーハンコックが健在なのは本当にうれしい。自分もまだまだ頑張らねばという思いを強くした。
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映画「ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ」 コリン・ファース&ジュード・ロウ

2016-11-16 17:36:18 | 映画(洋画:2016年以降主演男性)
映画「ベストセラー 編集者パーキンスに捧ぐ」を映画館で見てきました。


コリン・ファース&ジュード・ロウが出版社の編集者と新進作家を演じる新作。2人のほかにニコールキッドマンとローラ・リニーが出演する超豪華キャストである。でも日本では割と地味に公開されている。

原題は「GENIUS」それ自体はトマスウルフのことであろう。残念ながらトマス・ウルフという作家の名前は知らず、予備知識が少ないままに映画館に向かったが、編集者パーキンズはフィッツジェラルドやヘミングウェイの編集も担当しているので、彼らの出演場面もある。アメリカ文学に詳しい人ならもっと楽しめたかもしれない。

1929年、ニューヨークの老舗出版社のやり手編集者パーキンズ(コリン・ファース)の元に無名の作家トマス・ウルフ(ジュードロウ)の原稿が持ち込まれる。彼の才能を見抜いたパーキンズは、推敲して一部を削除することを条件に処女作「天使よ故郷を見よ」を出版することをトマスに告げる。トマスはパトロンで愛人のバーンスタイン(ニコールキッドマン)とともに大喜び。パーキンズとともに念入りに推敲を重ねた結果、本作品はベストセラーとなった。


その後もトマスは新たな大作に取りかかる。膨大な原稿用紙につづられたトマスの著作をパーキンズが編集にかかる。娘ばかりの子だくさんで美しい愛妻(ローラリニー)に恵まれているにも関わらず、二人は編集に没頭する。パーキンズは家庭を犠牲にし、ウルフの愛人バーンスタインはふたりの関係に嫉妬する。やがて第二作は完成し、評価の結果を恐れてロンドンにいたトマスは著名紙の書評がいいことを知りロンドンから戻ってくる。作品は大ヒットとなるが、徐々にトマスの精神がおかしくなってくるのであるが。。。

1.すぐれた時代考証と美術
まず1929年の時代考証がしっかりとされていて、美術がお見事である。いわゆる大恐慌に突入する年であり、しばらくの間不況が続く。失業者が食料の無料配給に並ぶ映像も出てくるが、パーキンズの自宅については優雅な感じである。


見ていていいなあと思ったのは黒人が多いジャズクラブで軽快なジャズを聴きながらジュードロウがご機嫌になり店にいた黒人とキスをするシーンと、ニューヨークに戻ったトマスが2人でトマスの元住んでいたアパートに行き、その屋上からマンハッタンの摩天楼の高層ビルを見るシーンだ。

2.コリン・ファース&ジュード・ロウ
コリンファースはいかにも冷静な編集者を演じている。部屋の中でも帽子をかぶり続けているのが特徴だけど、ここまでやるかといった感じだ。確かにこの時代は帽子をかぶっている人が多かったとは思うが、極端なんだろう。ジュードロウがジャズバーではしゃぐときには冷静に一人で帰ってしまう。抑揚のないトーンでこの役をこなす。


ジュードロウ演じるトマスはコリンファースと正反対で感情の起伏の激しい男だ。子供もいるニコールキッドマン演じるバーンスタインは彼から離れられない。

何度も癇癪を起こすが、敏腕編集者が横にいなければトマスはまともな仕事ができないという世間の酷評に次第に距離をもつようになる。スコットフィッツジェラルドの前でパーキンズの悪口を言いながら悪態をつくシーンは、自分も見ていて気分が悪くなる。いかにも恩知らずと。。。しかし、そこでは終わらなかった。最後に向けてはホッとしてしまう。


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映画「奇跡がくれた数式 ラマヌジャン」 

2016-10-30 06:30:47 | 映画(洋画:2016年以降主演男性)
映画「奇跡がくれた数式」を映画館で見てきました。


「ビューティフルマインド」や「イミテーション・ゲーム」など数学者やそれに類した研究者の伝記的物語って大好きである。中学生くらいから数学が好きになったけれど、数学が本当にできる凄い奴らには絶対かなわないということがわかっていく。結局、数学は使うけど社会科学系学部に進んだ自分からすると、ものすごい数学者たちの話ってあこがれに近いものがある。どちらかというと、頭の使いすぎで精神の安定を失っていくという展開が多い。それでもつい映画館に行ってしまうのだ。

今でも数学に関わるエッセイ等はかなり読んでいるので、この映画の主人公ラマヌジャンのことは知っていた。話の展開は予想通りに進んでいく。天才インド人をひきたてたケンブリッジの教授との師弟関係が中心になる。悪くはないんだけれど、もう少しラマヌジャンの数学的なひらめきに焦点をあてる脚本だともう少し楽しめたかもしれないと感じる。

1914年英植民地インドから、イギリスのケンブリッジ大学カレッジで教授を務めるG・H・ハーディ(ジェレミー・アイアンズ)のもとに1通の手紙が届く。食事も忘れて手紙に没頭したハーディは、差出人のラマヌジャン(デヴ・パテル)を大学に招くと決める。そこには著名な数学者のハーディも驚く“発見”が記されていたのだ。

独学で学んできたラマヌジャンは、自分の研究を発表できる初めてのチャンスに胸を躍らせる。異教の地を嫌がる母には反対されるが、結婚したばかりの妻(デヴィカ・ビセ)は「私を呼び寄せるなら」と許してくれた。


トリニティ・カレッジに足を踏み入れたラマヌジャンを、ハーディの友人のリトルウッド教授(トビー・ジョーンズ)が温かく迎える。しかし、当のハーディは短い挨拶だけで消えてしまう。他の教授たちは、ラマヌジャンに批判的だった。


ハーディが発見した定理には論理的な証明はなかった。ハーディはラマヌジャンに、証明の重要性について説明する。だが、次々と“直感”で新しい公式が閃くラマヌジャンにとっては時間のムダに思えた。ハーディはそんなラマヌジャンをレン図書館へ連れて行き、成功すればニュートンの本の隣に君のノートも並ぶと励ます。さらにハーディは手本を示すために、代わりに証明してやったラマヌジャンの研究の一つをロンドン数学会の会報に発表する。

しかし、第一次世界大戦に英国が参戦したことが、ラマヌジャンの運命を変える。厳格な菜食主義を支えていた市場の野菜は配給にまわされ、兵士たちに「俺たちは戦地へ行くのに」と暴力を振るわれる。さらに追い討ちをかけるように、妻からの便りが途絶えるのであるが。。。 (作品情報より)

1.ケンブリッジ大学
映画「炎のランナー」で以前見た風景がそのまま映し出される。実際にケンブリッジ大学でロケをしたのであろう。これってすごいことだ。この映画は1914年からの話だし、1981年のアカデミー賞作品「炎のランナー」は1919年からの話でほぼ同時期にあたる。トリニティカレッジがそのままの姿ということ自体が驚異的だ。しかもこのようにロケをさせてくれるケンブリッジの寛容性にも驚く。


2.ラマヌジャン
数式と数字の嵐を眺めながら、ラマヌジャンは次々と新しい公式を発見する。しかし、証明はない。数学界ではフェルマーの最終定理を証明するのになんと360年かかった。証明できそうになるがそれが不完全ということが分かるということの繰り返しだった。どちらかというと、数学では定理や予想を多くの検閲者のチェックに耐え完全証明するということが重要なのだ。


作品情報の中で大学の数学科の教授が「彼の数式は複雑だから尊いのではなく、むしろ人類がまだ気づいていない、深くて微妙な数学現象を、簡潔な公式や具体的な等式で表現して見せているから凄いのである。」としている。映画を見ているとその意味がよくわかってくる。映画の中でヒンズー教徒のラマルジャンが女神(ナマギーリ)が寝てる間に教えてくれるというセリフがある。最終形の公式がおもしろいくらいひらめくのだ。ちなみにラマヌジャンはカースト制度では最高位のバラモンである。菜食主義が極度に見えるのはその地位の高さもあるせいなのか?

3.分割数
映画の中で分割数の話がでてくる。4という数を自然数の和としてあらわす方法は、4、3+1、2+2、2+1+1、1+1+1+1の5通りで、これを「4の分割数は5である」という。ハーディとの共同研究で、分割数を求める公式を編み出したのである。極めて精度の高い公式だ。例えば100をその公式に入れると、190569291.996となる。映画に出てくる分割数の専門家マックマーンが求めた正しい分割数1億9056万9292と比べると、誤差はほんのわずかだ。こういう定理をいくつも編み出し、のちに証明され現在でも利用されているものがあるという。要は直感的天才なのであろう。

私がラマルジャンを知ったのは1729という数字に関わる有名な逸話で1729という何気ない数字を「2通りの2つの立方数の和で表せる最小の数」と答えたことだったが、この映画でも触れていたが、きっちり説明していなかった。これってセリフでは難しいのかなあ。

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映画「ジェイソン・ボーン」 マット・デイモン

2016-10-10 19:06:41 | 映画(洋画:2016年以降主演男性)
映画「ジェイソン・ボーン」を映画館で見てきました。


久々のボーンシリーズの登場となれば見に行くしかない。激しいカーチェイスや圧倒的な強さを誇る人間凶器ジェイソンボーンの格闘を見たいと思う日本人は数多くいるはずで、映画館は幅広い年代で一杯であった。

アルバニアとの国境でのジェイソンボーンの格闘シーンからスタートして、レイキャビック、アテネ、ベルリン、ロンドンといつも通り世界中を駆け巡るのはいつもと同じだ。われわれ観客が期待しているのは、激しいアクションシーンだけど、終了まで満載である。ジェイソンボーンが敵にまわすCIAのトップにトミーリージョーンズ、敵対するエージェントにヴァンサンカッセルと役者が揃い、娯楽としては最大級の面白さであった。

ジェイソンボーン(マット・デイモン)が姿を消してしばらくたつ。彼は闇の賭け格闘技をしながら密かに暮らしていたが、昔の仲間ニッキ―(ジュリア・スタイルズ)からCIAの重大情報を得たという話を聞く。それにはジェイソンボーンの重大な秘密も隠されていた。一方CIAの本部でアイスランドのレイキャビックでハッキングの被害にあったことが分かる。その情報元にはジェイソンボーンが絡んでいたことが分かる。


ニッキーがアイスランドからアテネに移動したということをつかみ、CIAトップのデューイ(トミーリージョーンズ)は2人を消すことを命令し、リー部長(アリシア・ヴィキャンデル)が指揮をとる。現地には名うての工作員(ヴァンサンカッセル)も派遣され、CIA当局とジェイソンボーンとの闘いがはじまるのであるが。。。

1.ジェイソンボーンを追いつめる強い敵
アクション映画は主人公の強さはもとより徹底的に追い詰める敵の存在が重要だ。初期のボーンシリーズでもクリスクーパー、クライブオ―ウェンが怖い存在を示した。「BOSS」のCMでまだまだ頑張るトミーリージョーンズが指揮するCIAのハイテクを駆使した本部からは、世界中どこにいてもその姿を探知する。60~70年代のアクション映画とは違う世界で、本来凶悪な人間は逃げられない世界なんだろう。


2.アリシア・ヴィキャンデル
アカデミー賞助演女優賞を受賞した今のっている北欧の女優である。「リリーのすべて」では夫が男根を切って女になろうとする姿を温かく見守る女性を見事に演じる。自分としては「コードネームUNCLE」でクレージュの色鮮やかなワンピースを身にまとう姿が好きで、今回はスタンフォード大出のCIAのエリートを黒のシックなイメージでこなす。本来はジェイソンボーンを捉える任務なのに、途中からジェイソンボーン寄りのふるまいを見せ、我々の想像をかく乱させる。なかなかいい女だ。


3.カーチェイス
ボーンシリーズの見どころといえば、カーチェイスだろう。ミニク―パーがパリの町の石段を登り降り姿には唖然とさせられた。今回はアテネでの激しいバイクチェイスからスタート、激しいデモをしているアテネの町で強烈な追いかけっこをしたあとに、ラストのラスベガスで見せるシーンがすさまじい。ここではSWATの装甲車が登場する。チェイスというよりぶち壊しといった感じで、ラスベガスのホテルに突入するシーンは本当にやってるの?という衝撃を受けたが、なんと200台以上の車を走らせ、解体まじかのホテルを使ったシーンというからまあ本気だ。


アクションシーンにかぶさったジョンパウェルの音楽が我々の心臓の鼓動をたかめ、激しいアクションをカット割りの多い群衆に近づいた映像でとらえる。ボーンシリーズの無邪気な楽しさが満載の映画でマットデイモンは見事に危機に即したとっさの判断能力に優れたジェイソンボーンとして復活した。これから先やるとなるとしんどいと思うけど、後一作ぐらいはできるかな?



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