映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

スラップショット ポールニューマン

2011-01-05 11:39:14 | 映画(洋画 89年以前)
スラップショットはポールニューマンが1977年52歳のときにつくったアイスホッケーを題材にした映画である。監督は名コンビのジョージロイヒル。「暴力脱獄」「ハスラー」といった作品で示すポールニューマンが本来持つワイルドな部分がにじみ出る作品だ。



アイスホッケーのマイナー・リーグのチーフスは三流チーム。しかも本拠地の鉄工場が不況で閉鎖するため、今後の観客動員も見込めない。選手兼コーチことポール・ニューマンも不安に思っていた。チームの解散を覚悟するが、マネジャーは、解散どころか新しく3人をチームに入れる。この3人組、ド近眼の眼鏡をかけたいかにも馬鹿な奴らだ。
ポールニューマンは私生活の方もうまくいかず、主力選手も女房とは別居中。試合も負けがつづく。そんなある試合で、選手が相手のゴールキーパーに、「お前の女房はレズだ」とののしり、乱闘して勝利をものにする。新加入の3人組がハチャメチャに相手選手を挑発する。そしてポールニューマンコーチを先頭にチーフスのチームは乱闘を前提とした汚い試合で勝ち続けるようになるが。。

52歳のポールニューマンはまだカーレーサーとしてもその実力を発揮していた。ル・マン24時間レースにも出ているころである。「明日に向かって撃て」に続き「スティング」も大ヒットして大スターの地位を確立する。「タワーリングインフェルノ」ではものすごいギャラをもらったらしい。
そののち日産のスカイラインのCMにも出ていた。日本の若者からは羨望のまなざしで見られる存在だった。そののちの枯れ切った演技からすると、この映画については初期のワイルドな匂いが強い。
ラフファイトが続き、それを先導する立場のコーチというのが「暴力脱獄」の彼を連想させる。

ロケ地はアメリカでも田舎町、大工場に支えられているような企業城下町である。そういえば「ディアハンター」のロケ地も似たような風貌をしていた気がする。人々の動きに洗練されたところが全くない。あえてそういうロケーションを監督は選んでいるのであろう。チーム連中もケンカばかりしている。ベトナム戦争終了直後のそういう荒れ狂ったアメリカのワイルドさがよくわかる。

映画としては荒いところが見えすぎる気がする。
そんなに好きになれないが、監督特有のユーモアのセンスは垣間見れた。
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my dinner with andre  ルイマル

2011-01-03 07:47:58 | 映画(洋画 89年以前)
my dinner with andre は「死刑台のエレベーター」のルイ・マル監督が1981年に作った映画である。ほとんど男2人の会話だけという形と、内容が難解ということで、日本では公開されたことがない。しかし、世界的評価は極めて高い。日本語字幕の入った映画やビデオは存在しない。

そんな貴重な映像を正月早々字幕付きで見ることができた。

高校時代のクラス担任の先生から毎年メールでの年賀状が来る。先生は非常にまじめな英語教師でもう70をすぎた。リタイアされているが、若き日に通訳の国家試験に受かったこともあり、ボランティアで外国人が新婚旅行などで日本に来るときのガイドをしている。逆にガイドした人の処を訪れたり、ある意味すばらしい老後を送っている。そんな先生が数年前英会話のお手本として映画my dinner with andreを紹介された。ITの能力にたけている先生のHPに解説付きでビデオクリップがついていた。日本語でも難しい内容なのに、残念ながらそれを解する英語力は自分にない。字幕があればなあと思っていた。

いつも年賀にメールで返事をしている。昨年スタンフォード大学のティナシーリグ教授の「20歳のときに知っておきたかったこと」を読んだ時、my dinner with andre の中のセリフが引用されていた。
「ニューヨーカーは看守でもあり、囚人でもある。自分たちのつくった監獄を出ることもできないし、監獄と気づくことすらできない。」
引用されている話を先生にメールした。my dinner with andreのことに気がついたことを先生に喜んでいただいて、先生から「お年玉」?をいただいた。なんと先生自家製の字幕付きのプライベート版 my dinner with andre の映像である。字幕制作って大変な作業だと思う。おかげで世界のインテリ層に名だたる名作といわれる作品を見ることができた。
すごいお年玉であった。

2人は、共にニューヨークに住む ウォーレスショーンと アンドレグレゴリーで、ウォーレスの作品をアンドレが以前上演したことがあった。この映画の脚本のクレジットは2人の名前である。要はリアルな会話なのである。架空の脚本家と舞台監督を演じているわけではない。

画面に若ハゲのウォーレスが出てくる。彼は36才の売れない脚本家である。めしを食うために俳優業もしている。ニューヨークのアッパーサイドで生まれ、裕福な家庭に育ちハーバード大出だ。でも今は日々の生活にも困る始末だ。顔も貧相だ。このころでいえばウディアレン「マンハッタン」に出ている。
その彼が夕食に元の仲間アンドレから誘われた。10才年上のアンドレは、名だたる舞台監督であった。彼もハーバードの先輩。しかし人々が実生活で演劇以上にうまく「演技」しているのを見て、自分がやっていることに嫌気がさした。突如演劇界から降りて、新しい演劇の可能性や人生を模索するために世界を放浪し、ニューヨークに戻ってきた。



クラッシックの生演奏が流れる高級レストランに誘われ、ウォーレスはとまどう。勘定もアンドレ持ち。お互いの近況を話した後に、ウォーレスがアンドレにここ数年演劇界を離れた理由を尋ねる。
一方的にアンドレが世界放浪した話をする。凄い話だ。自分の体験したことを話しているが、下界の世界を超越しているような話だ。難解だ。これは何回も見ないと理解できないであろう。

そのあとで二人の議論が始まる。これがおもしろい!

数多くとりあげたいことはあるが「電気毛布」の議論を紹介する。
貧しいウォーレスは、クリスマスに「電気毛布」を贈られて、生活が全く変ったと喜ぶ。眠りも違うし、まるで別世界に生きているようだと感嘆する。



一方、アンドレは、電気毛布に包まれて感電死するのはごめんだよと言い「電気毛布の快適さが曲者で、現実感覚を失うことになる危険がある」と反論する。

「もし電気毛布がなかったら、もう1枚毛布を探すとか、コートを探してきて何枚もかけるとかして、寒いという感じを忘れないでいることができる。隣の人が寒いんじゃなかろうか…という同情心、思いやりの気持も出てくる。また『寒さって良いなあ。寄り添って暖めあうこともできる!』なんていう場面だってあるだろう」
「電気毛布は、外の刺激を受けないために精神安定剤を使うのと同じで、それを喜ぶのは、テレビ中毒と同じ脳神経の退化現象に似ている。」と言う。

 ウォーレスいわく
「ニューヨークは寒いんだ。アパートの部屋も寒い。生活も厳しい。このつつましい安らぎを俺は絶対手放さないぞ! このピリピリすることばかりの世の中で、もっと安らぎが欲しいくらいだよ」

 「いいか、その快さが危険なんだよ。快適さを求めるのは自然なことだが、快さにだまされて、自分が落ち込んでいく危険に気がつかないんだよ。昔大金持ちのご婦人がいたんだがね、何と餓死してしまったんだよ。彼女は鶏しか食べなかった。鶏が大好物で、鶏を食べているときだけが幸せだった。知らず知らずのうちに、身体が弱り、遂には死んだ。でも、我々は今皆、ご婦人と一緒なんだよ。快適な電気毛布に包まれて、食いたい物しか食わない。現実世界との接触がない生活では、真に命に必要なものを取り入れることはできないんだよ」とアンドレは反論し、話は進んでいく。
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殺しのドレス  アンジー・ディッキンソン

2010-12-30 05:21:49 | 映画(洋画 89年以前)
エロティックサスペンスなんて言い方、いやらしいけど、男の哀しいサガでついつい観てしまう。
時は80年に入るところ、映画が放映された記憶はあったが、観ていなかった。
「殺しのドレス」は今も現役で活躍するブライアン・デ・パルマ監督のサスペンス映画である。二人の美女のナイスバディをあらわにしながらドキッとさせる。若き日の脚線美で有名なアンジー・ディッキンソンの怪演が見モノである。


マンハッタンの魅力的な中年女性ことアンジー・ディッキンソンのシャワーシーンからスタートする。
彼女は突然たくましい男に襲われる夢をときどき見ていた。そのため精神分析医ことマイケル・ケインのクリニックにかよっていた。彼女にはコンピューターオタクの息子がいた。1人で街に出たアンジーは、心療内科医のマイケルを訪ねた。彼は夫のセックスへの不満を聞いてアドバイスをした。
アンジーは美術館へと向かった。美術館で彼女は1人の男の視線を感じ、ふらふらと男を追いかける。彼女は誘われるままにその男とタクシーの中で情事を交わし男のアパートヘ行く。熱い情事から目を覚ましたあと、急いでその部屋を出た。ところが、途中指輪を忘れて来たことに気づきエレベーターで戻ったところ、刃物をもった妙なブロンド女が乗ってきたが。。。。

このあと若手女優のナンシーアレンを活躍させる。その後ブライアン・デ・パルマと結婚する女性だ。
二通りのエロティックな楽しみがあるのはいい。ただ流れているのは東京12CHのドラマ「プレイガール」のドタバタエロティックサスペンスの匂いだ。



ここでの殺しのシーンはなかなかどぎつい。しかも、恐怖感に襲われるシーンも続出する。B級センスの映画だが、飽きずに見れてしまう。現実と虚実の境目をわからなくさせてしまう妄想シーンが多い。
ブライアン・デ・パルマ監督はその扱いがうまい。
序盤のメトロポリタン美術館でのシーンは実際にロケしたのであろうか?あの広大な美術館の中を主演がさまよう。そのさまよう姿も何かに幻惑されているようだ。



アンジー・ディッキンソンは若いころからジョンウェイン「リオブラボー」などで脚線美を披露している。調べるとなんとバートバカラックの奥さんだったようだ。65年から80年はバカラックの全盛時期にあたる。ところがこの映画の直前に離婚。その直後のかなりきわどい作品だけに、最近の日本のアイドルたちの離婚劇と通じるものがあるのであろうか?と感じてしまう。50にしてのこの作品は凄味を感じる。
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恋のゆくえ ジェフ・ブリッジス

2010-12-26 18:12:50 | 映画(洋画 89年以前)
クリスマスイブは早く帰った。シャンパンを飲みながら家族3人で祝った。
酔いにまかせながら映画「恋のゆくえ」を観た。
これが実によかった。期待しないで掘り出し物を探し出したようで気分がいい。

「恋のゆくえ・ザ・ファビュラス・ベイカー・ボーイズ」はジェフブリッジスが兄ボーと組んで、売れないピアニストを演じる。そのバンドでミシェル・ファイファーがボーカリストを演じる。これが実にすばらしい。クレジットを見ると音楽がデイブクルーシンだ。そのままヒュージョン音楽の渦に入ると思いきや、ミッシェルの吹替え無しで挑んだ素晴らしいボーカルに魅せられた。
音楽の素晴らしさだけでなく、脚本のうまさにも驚嘆する。傑作だ。


アメリカのシアトル、主人公の兄弟ことジェフ・ブリッジスとボー・ブリッジスは“ザ・ファビュラス・ベイカー・ボーイズ"というピアノデュオを組んでいる。人気が落ちマンネリ化で興行を降ろされたのをきっかけに兄ボーは、女性ヴォーカリストを加えることを提案する。歌手のオーディションでは37人参加するが全部ダメ。がっかりした二人の前に遅刻して現れたのはミシェル・ファイファーである。粋な彼女の歌に魅かれ採用する。破天荒な振るまいであるが、観客のハートをつかんでいく。そして彼らは人気を取り戻す。そしてジェフとミッシェルはしだいに恋におちていくのだが

兄ボーは不安定な世界で生きていながら、温かい家庭を守っていく安定を大切にするタイプ。
弟ジェフはピアノの腕前は天才肌。ハンサムで女性にはモテる。気ままな独身生活を楽しんでいるように見えるが、同じアパートに住む孤独な女の子以外に心を開かない。正統派モダンジャズをやりたいが、意に沿わない音楽でナイトクラブをまわっている。

そこに加わるミシェル・ファイファーは美人だが、若干下品なイメージも持つ。気が強く、強烈な個性を持っている。基本はのちに演じる「バットマン」のキャットウーマンと同じ匂いだ。
そのミシェルの歌が実に素晴らしい!当然吹き替えと思ったら、なんと彼女が歌っているということだ。
日本ではハイファイセット山本潤子が歌った「Feelings」80年代ディスコナンバーへの編曲が有名な「Can't Take My Eyes Off You(君の瞳に恋してる)」などを歌い、エンド・ロールではジャズの名曲「My Funny Valentine」を歌う。イヤー驚いた。ぶったまげた!
一番すばらしいのが、スタンダードの名曲「makin whoopee」だ。ピアノの上に横たわりながら歌う彼女の色気に完全ノックアウトである。こんなジャズクラブがあれば毎日でも通うなあ!



これだけは言いたいのは脚本の見事さだ。
この映画は当時29歳のスティーヴ・クローヴスの脚本、監督である。彼は「ハリーポッター」シリーズの脚本であまりにも有名だ。
兄弟の会話、ミシェルとジェフの会話、ジェフとアパートに居候する少女との会話
どれも味がある。一言では語りつくせない見事さだ。

でもあえて特筆するなら、ジェフブリッジスがアパートの部屋に居候する少女と会話する場面だ。
ジェフがいやなことだらけで家に朝帰りしたときに、世話焼きの少女がジェフに「卵焼きつくろうか」「コーヒー入れようか」という。ジェフが「うるさい!」とかんしゃくを起すと、彼女は黙ってその部屋から上がれる屋上へ
心配したジェフも屋上にあがり、座っている少女の隣に座る。
少女「良くないことあったんだね」ジェフ「うーんそうだ」と。
そしてジェフは少女の手をやさしく握る。
たどたどしいジングルベルしかピアノが弾けない彼女に「ピアノ教えてあげるよ」という。
ほほ笑む少女。。。

この場面に涙が出た。ジーンとした。
そして正月娘の受験勉強ずっと付き合っていこうと思った。
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狼よさらば  チャールズ・ブロンソン

2010-11-05 06:00:34 | 映画(洋画 89年以前)
「狼よさらば」はチャールズブロンソン主演のニューヨークを舞台にした1974年の作品だ。渋さでピークを極めたのは70年代に入ってすぐ。日本でも「マンダム」のCMで超人気だった。
それから数年たって撮られたこの作品は、治安の悪いニューヨークで夜の独り歩きを狙って強盗をするチンピラに立ち向かう男の話である。古典的ネタだが、飽きずに観れた。



土地開発会社の設計士であるチャールズブロンソンはニューヨークで妻とともに幸せに暮らしていた。彼が仕事に出ている時、妻がスーパーでの買い物を一部宅配にして、結婚した娘がいる家に帰った。
その時、レジ付近で宅配の住所の紙を見ていた3人のチンピラがいた。その3人がスーパーの店員を装い、アパートに行き、隙をみて侵入した。金目のものがないのをいいことに2人に暴行をはたらき、結局母親は死にいたり、娘は暴行された傷だけでなく、強い精神的ショックで植物人間のようになった。チャールズは落胆した。犯人を逮捕できるかと警察に聞いても難しそうな返事であった。
そんな時、アリゾナに出張することになり、友人と会った。友人はチャールズをガンクラブへと誘った。朝鮮戦争に行った時も医療班従事であった彼だが、父親がガンマニアであったことを思い出しながら、すばらしい射撃の腕前を友人に見せる。その後、ニューヨークに帰る時、友人がお土産を手渡した。家に帰ってあけるとそこにはピストルがあった。
ピストルを持って一人で外出したとき、ナイフを持った男に金を出せとゆすられた。そのときブロンソンは思わずピストルで男を撃ってしまうが。。。。

ニューヨークの治安の悪さは有名だった。この辺りには行ってはいけないと、観光で行くといわれたものだ。でもこの映画が社会問題になるくらい、路上の強盗が多いとなると、これは大変だ。
「シロウト刑事」と映画の中で言っているが、そういう自警団でもいないと、警察も取り締まろうとしていなかったので解決の方向に進まなかったかもしれない。いずれにせよ、現在は治安が良くなったといわれる。改善に結びつけた人たちの行動に敬意を表したい。

こういった悪を征伐する正義の味方の話は、最近ではジュディフォスター「ブレイブ・ワン」がある。ストーリー的には似ている。たぶんこの映画を意識して作った気がする。刑事物ではダーティハリーがあるが、刑事が拳銃を使うのは不自然ではない。そういった意味ではこの映画とは異なる。



エレクトリックピアノが軽快なテーマソングだなと思ったら、ハービーハンコックのクレジットが出てきた。当時マイルスデイヴィスのバンドから独立して、ファンキーなジャズロックで乗りまくっていたころだ。アコースティックピアノの曲も含めて十分楽しめる。アップテンポのエレクトリックピアノの曲が非常にいい。電子機器の使い方もうまい。予想していなかったのでうれしくなった。

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グロリア  ジーナ・ローランズ

2010-11-04 20:10:54 | 映画(洋画 89年以前)
「グロリア」は1981年のヴェネチア国際映画祭金獅子賞受賞作。
強い女性を描いた作品として名高いが、DVDで見る機会がなかった。ツタヤの特選作品に入り、レンタル可能になった。初めて観たが、評判通りジーナローランズのカッコよさと演出、撮影の素晴らしさに感嘆した。



ニューヨークのダウンタウン、ヤンキースタジアムのすぐ近くのアパート。その一室でプエルトリコの家族の中の主人がおびえている。マフィアの重大な秘密を売ろうとして狙われていることがわかったからだ。その妻は友人である中年女グロリアことジーナローランズに息子フィルを預ける。一家は惨殺された。しかし秘密が書かれた手帳を少年が持ち出していたことを知ったマフィアは少年を取り戻そうとする。マフィアは彼女を追い始める。グロリアは生意気な少年を見捨てようとするが、次第に母性本能が芽生える。彼女はニューヨークを逃げまわるが……。

この映画をみると、治安が悪いといわれた70年代から80年代にかけてのニューヨークダウンタウンの世相もよくわかる。
リュック・ベッソン「レオン」の原形とも解説に書いてあった。惨殺劇があるアパートの雰囲気が確かに似ている。しかし、男女を入れ替えただけという訳ではない。レオンのジャンレノはゴルゴ13ばりのプロの殺し屋であった。グロリアは違う。マフィアに近い筋であったが、普通のおばさんのノリだ。徐々に母性に目覚めてくる。保護本能だけでマフィアに立ち向かう。
もともとはマフィアと関係があったグロリアには、みな一目を置いている。であるから彼女を見つけても、マフィアは一瞬どうしていいのか考えてしまう。やくざの姉さんのようだ。


そのジーナローランズを手持ちカメラで追いかける。マフィアの一味に拳銃をブッ放つシーンはド迫力。 一番すごいと思ったのは、地下鉄の電車の中で、マフィア数名を拳銃で脅しながら子供と一緒に駅で電車を降りるところを手持ちカメラで追いかけるシーンだ。このアップの撮影にはドッキリさせられた。

でも夫であるジョン・カサヴェテス監督は一家惨殺のシーンは撮っていない。ジーナローランズの激しさとは逆にタランチーノ的な残虐さはない。何か意味があるのであろうか?
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危険な情事  マイケル・ダグラス

2010-11-03 21:28:08 | 映画(洋画 89年以前)
先日ブログで史上最強の悪女という題目を使った。悪女というのは、悪い男よりも絵になる。「死刑台のエレベーター」のジャンヌモローも「深夜の告白」のバーバラ・スタンウィックと同じように悪女であった。
「危険な情事」のグレンクローズは悪女というべきなのであろうか?これは難しいところだ。男が火をつけたともいえる。この映画のグレンクローズはクリント・イーストウッドが追いかけられ続けた「恐怖のメロディ」と並ぶ「史上最高の女ストーカー」とすべきであろう。ロードショーで観てからはや20年以上たつ。当時日本でもかなりヒットした気がする。ストーカーという言葉がメジャーとなったのはこの映画がきっかけではないか。肝となる場面の記憶はあるが、細かいところは忘れていた。こうして改めて鑑賞して、この映画のレベルの高さに感嘆する。



有能な弁護士ことマイケルダグラスは、愛妻ことアン・アーチャーと6歳の娘と幸せな家庭生活を送っていた。マイケル・ダグラスが出版社の編集員ことグレン・クロースにはじめて会ったのは日本人著述家の出版記念パーティの席だった。マイケルはその出版社の法律顧問をしていた。パーティの翌日の土曜日。マイケルは出版社の会議に出席し、妻と娘は郊外に住む実家に泊まりにいった。会議にはグレンも出席していた。打合せが終了して外に出たら、雨が降っていた。そこへグレンが傘を差し出す。マイケルが「飲みに行こうか」と誘った。


食事をしている時にグレンは積極的にモーションを掛け、結局彼女の家に行くことになる。二人は情熱的に抱き合った。翌朝家に帰ったマイケルにグレンから電話があった。断りきれず、またグレンのアパートに出かけた。情事の後、帰ろうとする時、一夜の楽しみのつもりだった話をすると、彼女がマイケルを激しくののしる。それでも帰ろうとしたら彼女は手首を切った。お遊びの情事のつもりが大変なことに。翌日から、マイケルあてにグレンの電話がかかりつづけることになるが。。。。

永く心に印象に残る作品である。グレンクローズの狂いぶりを映画館で観た人は誰もこの映画を忘れないであろう。ディテールは忘れても、身に覚えがある世の男性諸氏は女の怖さをことさら感じたであろう。


久々にみて、グレンクローズはメイクからしぐさまで何から何まで主人公アレックスになりきっているのがわかる。でもこの演技並大抵でなく大変だったろうなあ。今回DVDにメイキングが付いていた。監督をはじめとして、マイケルダグラスやグレンクローズなどのインタビューがあった。それで初めてわかったのであるが、あの有名なエンディングは最初は違っていたらしい。フランス映画「悪魔のような女」のエンディングに似ているあのシーンである。それをプロデューサーの提案で撮り直しをしようとしたら、グレンクローズが2週間反対しつづけたらしい。でも一度始まったら何も言わなかったということで監督、マイケルとも彼女を敬っていた。
最近は映画ではあまり見ないが、舞台やテレビでは現役バリバリで活躍しているそうな。
この演技力は映画史上有数のものと改めて感じた。

マイケルダグラスはこのころから「ウォール街」「ブラックレイン」と90年代にかけてピークを迎える。いろんな映画に出ているが、ちょっとエロチックな匂いを感じさせるのはこの映画と「氷の微笑」のせいであろう。それはそれでいいのでは?新作「ウォール街2」が観てみたいものだ。


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ジャスティス  アル・パチーノ

2010-10-05 21:35:57 | 映画(洋画 89年以前)
1979年のアルパチーノ主演作品、はぐれ弁護士を演じる。tsutayaの発掘作品の中で妙に気になるので観た。デイヴ・グルーシンの軽快なフュージョンをバックにしたお気楽映画だ。当時のアメリカの様子がにじみ出ている。法廷ものといえるのかな?人情系であり、コメディの要素も含まれている。

ボルチモアの拘置所の中に、主人公の弁護士ことアル・パチーノが拘置されていた。拘置理由は、裁判中に判事ことジョン・フォーサイスを侮辱したからだ。すぐに釈放された彼は2つの気にかかる事件を手がけていた。1つは、ジェフという若者が車の尾灯の故障というだけで逮捕された事件と、オカマの黒人ラルフが強盗の仲間として告訴されている事件だ。主人公は法規だけをふりかざす権力主義者の判事と対立していたのだ。そんなある日、その憎むべきフォーサイス判事が強姦罪で告訴されるという事件が起き、判事はアルパチーノに弁護を依頼してきた。周囲は冗談かと腹を抱えて笑う始末。判事の申し出を当然のごとく拒否したアルパチーノだったが。。。。

法廷物で冤罪を逆転するといったパターンとは違う。法廷の裏側の暴露というべきであろう。ミステリーを楽しむつもりで観るとちがうかも。それでも最後までみると笑える。
満足度は普通だ。
いつもながらデイヴグルーシンの音楽はなじみやすく、映画のムードを和らげる意味合いを持つ気がする。この時代に大学生活を送ったものからすると、今聞いても古さを感じない。
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マイレフトフット ダニエル・デイ・ルイス

2010-09-15 09:55:26 | 映画(洋画 89年以前)
生まれたときから重度の小児麻痺に侵された画家の半生を描く実話に基づく89年の作品である。ダニエル・デイ・ルイスはこの作品で最初のオスカー主演賞を受賞する。助演賞をもらった母親役ブレンダ・フリッカーも非常によく、演技者全般のレベルが高い。何より難度の高い役をこなしたダニエルと子供のころを演じた子役の演技に敬服する。



アイルランドの煉瓦職人夫妻の10番目の子供として生まれたクリスティは、生まれながらに脳性小児麻痺に冒されていた。幼い頃のクリスティは、ある日母が階段から落ちたことで、かろうじて動く左足で必死に玄関扉を叩き、近所の人を呼ぶが、誰もクリスティのおかげと気づく者はいなかった。また、父と兄弟が勉強をしている時、0.25の4分の一は何かという質問に主人公は左足の指を使って懸命に16分の一と書く。でも答えがわからない家族はその文字を意味のあるものと思わない。彼は無能力者とみなされていたのである。しかし、主人公が懸命に左足で文字を書いたのがmotherでこれを見て家族は驚くが。。。。

子沢山の母親の強い母性、身障者の恋愛感情、才能の発掘などこの映画で訴えたいことはたくさんあったろう。いずれもよく表現されている。
しかし、それを演ずる主人公の演技が稚拙だったら何も生きない。ここにおける主人公の演技は幼児期の子役の演技を含めて極めて素晴らしいものであった。「ゼア・ウィル・ビーブラッド」で究極の演技を見せたダニエル・デイ・ルイスは当代きっての俳優だと改めて認識する。
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ウエディング  ロバートアルトマン

2010-09-06 04:53:28 | 映画(洋画 89年以前)
登場人物が多い映画を撮ることで有名なアルトマン監督の作品だ。イタリア系とアイルランド系のある大富豪同士の結婚式会場で繰り広げられる人間模様を描く。小さなドラマをいくつもつくる。混乱しそうであるが、この映画の場合はそうでもない。

イタリア系の富豪の息子とアイルランド系の富豪の娘による教会での結婚式からスタートする。それぞれのファミリーが一堂にそろい、大豪邸の中でパーティーが開かれようとするが、祖母が家の中で突然息を引き取ってしまうあたりからドタバタが始まっていくが。。。

ロバートアルトマン監督は今回も50人近くの登場人物にセリフを与えて、小さなストーリーをいくつもつくる。あちらこちらの会話の場面を刻んでいく。でもこの映画の場合はそんなに複雑にはなっていない。ほとんどが色恋沙汰ばかりで面倒な話が少ないからだ。
しかし、本来キーになるのは二人の結婚なのであるが、それが柱という訳でない。両方の親族を入り乱せていく。柱が柱でない分、何かに重点が置かれず中途半端な印象を持った。私自身はティムロビンス主演の「ザ・プレイヤー」がアルトマン作品では一番だと思っている。あの映画の中では、いつも通り登場人物は多いが、ティムロビンスの殺人劇を主軸に置いていたので、彼の心の動きという柱が出来ていたからうまくいったのだと思う。

たぶんイタリア、アイルランドそれぞれの人種の背景がもう少し理解できるなら、面白いと思える映画なのかもしれない。
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チャンス  ピーターセラーズ

2010-09-02 04:44:52 | 映画(洋画 89年以前)
喜劇役者ピーターセラーズの79年の遺作である。単なる住み込みの庭師だった男がひょんなきっかけで大統領も一目置く有名人になってしまう話である。野心がないのにのし上がっていく姿はトムハンクスの「フォレストガンプ」を思い起こさせる。中年の域に達しつつあったシャーリー・マクレーンと大ベテランメルヴィン・ダグラスがわきを固めるが、いずれも好演である。ほのぼのとした気分を抱かせるいい映画だ。



ある古い屋敷の主人が病気で亡くなった。中年の庭師チャンスことピーター・セラーズと黒人のメイドの2人が残された。チャンスは小さいころから屋敷の外へは出ず、読み書きもできず、ひたすら庭いじりとテレビを観る楽しみだけで生きてきた男だ。財産整理の弁護士が来て屋敷を出されたチャンスは一人街の中をさまよった。財布に中身はないが、家の主人が持っていた仕立てのいいスーツを着て、高級カバンを手に提げていたので身なりは悪くなかった。そんな時、1台の高級車にぶつけられた。中に乗っていた貴婦人シャーリー・マクレーンから手当てを受けるため家に寄って欲しいと言われた。その車が着いたのは大富豪ことメルビン・ダグラスの邸宅で、シャーリーは彼の妻だった。主人は高齢で健康状態もすぐれなかったが、チャンスに接していると気持ちが安らんだ。その後大富豪を見舞いに来た大統領は、チャンスと会い、庭の手入れに例えた景気に関する楽観論を聞き妙に感心してしまうが。。。。

まず映画が始まってすぐにシューベルトの「未完成交響曲」が流れる。そして、主人のいない家を出てさまよう時に、デオ・ダートが演奏する「ツァラストラはかく語りき」の軽快な音楽が流れる。この当時はやっていたクロスオーバー系のアレンジだ。記憶に間違えなければ、全米ヒットチャート上位にランクしていた気がする。2つの有名曲を基調にしてゆったりと始まった後、シャーリーとの出会いから映画が二転三転していく。



誤解が誤解を生む構造である。
チャンスという名でガーデナーだと大富豪の前で自己紹介したらチャンシー・ガーディナーという人物と誤解される。大統領とその側近が懸命に彼のことを調べるが、どこにも彼の情報がない。それはそうだ。でもテレビに出演すると人気者になる。
最近ではコーエン兄弟が得意とするパターンだ。でもベテラン俳優が中心となって急がず映画は続いていく。コメディといっても、ドタバタで大笑いという訳ではない。世間知らずのピーターセラーズの存在自体を面白く描いている。
変な野心のない人間が一番だ。この映画は言いたかったのかもしれない。

ピーターセラーズピンクパンサーの警部役とキューブリックの「博士の異常な愛情」の一人三役が映画史上では有名である。でもこの翌年亡くなった時はまだ50代だった。今思えばずいぶんと早い。この映画のラストに妙なシーンが二つ続く。それ自体彼の映画とのお別れを暗示しているようにみえるのであるが。。。。


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ハリーとトント

2010-08-09 04:57:53 | 映画(洋画 89年以前)
1975年のオスカー主演男優賞受賞作品で、その年のキネマ旬報外国映画ベストワンとなったロードムービーである。70過ぎた頑固オヤジをニューヨークからカリフォルニアまで自由気ままに旅をさせている。古さを感じさせず、おっとりとした作品である。

主人公ハリーはニューヨークの古いアパートメントに猫トントと一緒に暮らしていた。市の都市計画の絡みで立ち退きを要請された。孤軍奮闘居座っていたが、強制撤去されて、迎えに来た長男の家にいく。そこには、長男の妻と20前後の二人の息子がいた。ハリーは頑固者で、言いたい放題だった。それが面白くない嫁は強く反発する。ハリーはそれは仕方ないと家を出る。シカゴにいる娘のところへ向かう。空港での手荷物検査を強要されたところ、従わず飛行機で行くことは断念、バスで向かう。しかし、途中で猫のおしっこのために強引に途中下車をしたら猫が逃げかくれしてしまいバスも断念。ヒッチハイクに転向しようとしたところ、中古車を見つけて購入。結局中古車での旅に変更するが。。。。



このあとシカゴの娘とロスの息子の所へ向かう。ボケてしまった昔の恋人をはじめとして途中いろんな人に出会う。小さな物語を積み重ねるロードムービーのだいご味を味わえる。しかも、75年当時のアメリカの風俗がよくわかり、それ自体も興味深い。
ニューヨークでは911で崩壊した貿易センタービル、シカゴではシアーズタワーと当時出来て間もない当時世界有数の高層ビルをも映しながら、ジョンウェインが出てきそうなコロラドの風景やラスベガスの雑踏も映し出す。冷静にこの映画をみると、数多くのロードムービーのベンチマークのようになった気がする。

主人公の頑固ぶりがあまりに滑稽である。それを演じた主人公アート・カーニーも実にうまい。観ていてすがすがしい気分になった。
評判どおりの傑作だと思う。
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北国の帝王  ロバート・アルドリッチ

2010-06-27 20:04:46 | 映画(洋画 89年以前)
男の世界を描かせたら天下一品といわれたロバート・アルドリッチ監督による活劇である。リーマーヴィンとアーネストボーグナインのアウトサイダーな動きをする二人を前面に対決させる。話自体は非常にばかげている気もするが、流れるムードは競い合う「男の世界」だ。

1930年代の大恐慌のアメリカは失業者であふれていた。その失業者の中に貨物列車に無賃乗車をするホーボーというグループがいた。その一人がリーマーヴィンである。逆に目の敵のように無賃乗車の連中を列車から突き落とす車掌がいた。それがアーネストボーグナインである。二人のほかにリーマーヴィンと連れ添って無賃乗車をする若者がいる。映画はすきを見て貨物列車に乗ってやろうとするリーマーヴィンと取り締まるアーネストボーグナインの対決で続いていく。。。。。



無賃乗車くらいでこんなに争うなんて、現代を基準に考えるとおかしな気もする。
でもそれを言ってはこの話は始まらない。
両者は意地になっているのである。

アルドリッチ監督は多彩なジャンルでその才能を発揮している気がする。西部劇やアウトサイダー劇だけでなく、狂気を超越したスリラーとも言えるベティデイヴィス主演の「何がジェーンに起こったか」という傑作を撮っている。彼の映画では対立する両者の善悪がはっきりしないところがある。この映画でもリーマーヴィンとアーネストボーグナインのどっちが悪いのかよくわからなくしている。しかもこの二人はいずれもしぶとい。
この映画では走っている列車の上で、すでにオスカー主演男優賞をとっていた二人の名優を大暴れさせる。
これってかなり危ない撮影だったのではないか?
スタントマンもいたであろうが、二人の面構えと好演に拍手を送りたい。
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グッバイガール リチャード・ドレイファス

2010-02-24 08:05:46 | 映画(洋画 89年以前)
スピルバーグ映画の常連リチャード・ドレイファスが1978年にオスカー主演賞をもらった作品である。売れない舞台役者とダンサーがひょんなことから同居生活をはじめるコメディ?舞台劇のように演技がしっかりしている。室内撮影中心で夫婦で演技を競い合うような映画であった。

娘が一人いる女性ダンサーであるマーシャ・メイソンはある日恋人が家を出て行ったことに気づく。いい役がついたので一人で暮らしたいとの話。いつも彼女は男に同じ理由で逃げられる。不動産屋からは早く出て行ってくれといわれる。どうもアパートの権利を誰かに売ったようだ。寝耳に水の彼女はうろたえる。そんな時深夜に来客がある。彼は出て行った男を呼びだす。「そういう人はいない。」と彼女は言う。来客はどうやら彼からアパートの権利を買ったようだ。深夜でしかも外は雨が降っているので家に入れろと食い下がるので、家に入れる。ちょっと変わった男だ。しかし、家を出ようにも金がない。その上彼女は街で引ったくりにあってしまう。無一文同然の彼女はやむなくその男との共同生活をすることを承諾するが。。。。

娘はいるが、ほぼ二人劇といった展開。脚本の二ール・サイモンが、当時妻だったマーシャ・メイソンの存在をクローズアップするような話の展開だ。演技はうまいと思うのだが、舞台劇なら良くても、映画としてはものたりない。

でもおもしろいシーンがいくつかある。
ダンサーとして盛りの過ぎている彼女が、職がなく日本車「スバル」のコンパニオンをやるシーン。リチャードと娘がモーターショーを見学に来るが、二人の姿をみて彼女はしどろもどろ。彼女を日本語で日本人が酷評する場面がある。なぜか日本人ビジネスマンが出てきて日本語のセリフをしゃべる。やばいと思ったリチャードが「あのコンパニオンの説明いいね。大口の注文するから」というと日本人二人が手のひら返したように喜ぶという画面。いかにもアメリカ人にとって「日本人はビジネスの亡者」の印象が強いことを示しているようでおもしろい。最近のトヨタ騒動もその流れか?

音楽はデイブ・クルージンが担当。いつものように軽快なフュージョン音楽である。当時は日本でもフュージョン一色だった。今聞いても色あせていない。最後のテーマソングも軽快なフュージョンと思ったら、ボーカルが聞こえてくる。
あれ聞き覚えのある声だ。
しばらく考えてわかった。「ブレッド」じゃないかと。
70年代の前半非常にソフトなサウンドで一世を風靡した。「イフ」や「ベイビー・アイム・ウォンチュー」なんて歌はいまでもテレビを観ているとバックでかかってくる。どうやらリードヴォーカルだったデイヴィッド・ゲイツがソロで歌っている「グッバイガール」のテーマ曲のようだ。調べると末期の南沙織も歌っているらしい。これは記憶になかった。ネットで調べたらそのジャケットが出てきた。のちの亭主篠山紀信が写した美しい姿であった。
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ET スピルバーグ

2010-01-11 07:23:22 | 映画(洋画 89年以前)
この映画が上映されてもう29年がたった。大学生のとき映画館で観た。ものすごい人が来ていた記憶がある。それ以来となる。それでも自転車が空を飛ぶシーンなどいくつかのシーンは頭にこびりついている。娘の英語の教科書にETが紹介されていた。彼女も観たがっていたのでDVD借りて一緒に観た。

森の中に宇宙船が着陸した。そこから宇宙人らしきものが下船していた。パトロールの連中がそれに気づいて向かうと、宇宙船はあわてて飛び立った。ところが、あわてて飛び立ったため、取り残された宇宙人がいた。
場面が変わって、主人公の少年エリオットの家族を映す。母と兄、妹と暮らしていた。父と母は別居状態だった。ある夜納屋に行こうとしたら、何か物音がするのに気づいた。ボールを投げたら、投げ返してくる。なんかおかしいと思った。次の日納屋の前で寝ていたら、不思議な形をした動物がでてきた。驚くが、害はなさそう。少年はその動物らしきものを自室に連れて行くが。。。。。

この映画は大ヒットした。まわりで観ていない人はいないくらいだった。ETすなわち宇宙人の存在の奇異さと、上演の子供を中心にしたファンタジームードが何より大衆の心をつかんだのであろう。宇宙人の映画といっても怖いと思わせたり、気持ち悪いと思わせるシーンがない。でも次から次にハラハラさせられる。上映当時、最後の自転車での逃走シーンがものすごく印象に残った。今回もう一度見直したら、背筋がゾクッとした。一緒に飛んでいるようなそういう気分にさせられた。これは歴史的な名場面である。

スターが出ているわけではない。子供たちが中心。スピルバーグは子供の扱いがうまい。主人公の妹がなんとドリュー・バリモアである。面影がある。まだ4,5歳の彼女は実にうまく演じている。子供中心なので難しいセリフがない。目線を子供に下げているからどんな世代が観てもいいようにつくられている。

スピルバーグはジョーズで大ヒットした後、ETで完全に売れっ子映画監督の地位を確立した。彼の映画作りの手法を好まない人も多いが、単純に家族で楽しめるというのは良いことだ。娯楽の殿堂としての彼の映画界への貢献は大きいと思う。
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