映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

年末あたふた1

2009-12-31 07:52:40 | 家族
27日から休みに入った。
二日酔いでゆっくり目覚めた27日、午後はディスカウントスーパーのロヂャースで買い物だ。東京に比べて埼玉が住みやすいのはこういう安売りスーパーがあるということだ。品川の家のそばにも大勢人の入るスーパーオーゼキがあるけど、値段は比較にならない。

28日は娘と本屋を回った。その時会社の部下から電話が入った。なんとバイトの女性が亡くなったとのこと。本当に驚いた。25日までは普通に働いていただいたのだから。29日通夜とのことで、朝から品川の家に行くのは一日延期にした。あとは娘に北辰テストの国語の問題の過去問をやらせた。3年次の模擬テストであっても、国語であれば何とかなると思った。先日の模擬テストでは英語が偏差値72でよかったが、国語が50台の偏差値であった。これまでそういうことはなかったが、未知の問題への演習が足りないからだと思った。

29日は通夜があるので背広を着て、妻と娘と東京に出た。目標は明治神宮の清正井戸だ。それが終わってから通夜に行くことにした。原宿で食事をするとなると、かなりの混雑が予想されるので、途中池袋で降りた。
池袋では東武のレストランがいろいろ選択できる。娘が中華が良いというので「四川飯店」に行くことにした。料理の鉄人陳建一の店である。ランチがあり、メインが2品選択でき、ふかひれスープにバンバンジーサラダ、デザートがつく。エビチリの日本での開祖が陳建一氏の父親であることは有名だ。久しぶりに入ったが、量がそれなりにあった。エビチリの海老がぷりぷりでおいしい。海老が意外に大きかった。マーボー豆腐は当然四川風、最近四川風マーボーを食べさせる店も増えたが、やはりここのマーボーは違う。辛口ではあるが、食べづらくない。本当においしい。ご飯お代わりも無料。2400円也は超お得だと思う。横にオバサンたちが来て、辛くないマーボーと注文していた。それなら四川料理屋に入るなよと言ってやりたくなった。

そのあと明治神宮に向かった。年末なのに思ったよりも人がいた。外人が目立った。アジア系の人だけでなく、欧米人も多い。比率にすると日本人2対外人1の比率くらいになるのではないか?清正井戸の存在は長年東京にいる自分も知らなかった。戦国時代の武将加藤清正がつくった井戸で、東京で一番のパワースポットとのこと。先週テレビでそのパワーぶりをやったらしい。妻が行きたがっていた。管理のために入場料をとっている。正月になると人が多くて絶対に無理だと思っていったが、入り口で3時間近く待つよと言われた。本当かな?と思い500円払って中に入って行ったが、ものすごい行列だった。しばらく並んだけれど、夜の通夜もあるし、子供も面倒そうなのでやめた。近くの空気を吸うだけでも良いと妻は言っていたので、思い切り深呼吸をした。

境内で参拝をした後、原宿の街を歩いた。娘は初めてだ。混んでいるのはわかっているけれど竹下通りを歩いた。中二の娘と同世代の女の子もたくさんいた。小さいお店はどこも大繁盛のようだ。行列のできている店もたくさんあった。そのまま進んで行き、明治通りを過ぎたところにある知人の家がどうなっているのか見に行った。その昔たいへんお世話になった方だ。2年前現地へ行ったときも人がごったかえしている印象だった。転居されたと言うことは昨年の正月年賀状で知った。環境が悪くなりすぎたと言っていた。そうして、家に向かったら、更地になっていた。驚いた。売ってしまったのかな?明日になったら年賀状が届くので様子がわかるかもしれない。原宿はもはや戸建で人が住むところではないのかもしれない。

原宿を軽く徘徊した後、和光市での通夜に向かった。マンションに住んでいて、その集会所で葬儀をやるらしい。ご主人がいらっしゃらないようなので、息子さんが喪主。比較的簡素な通夜であった。それにしても人の生涯はあっけない。58歳とはまだ若すぎる生涯である。脳卒中との話。残された家族は悲しいと思う。
その後駅で軽く御清めをした後、北浦和で軽く飲んだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自宅でメリークリスマス

2009-12-24 23:03:50 | 家族
今日は朝から古いお客さんのところへ行ってから、あいさつ回り。でも落ち着かない。何でか?やっぱしプレゼントを買わなければならないからだ。

浦和の伊勢丹でクリスマスプレゼントを買う。カジュアルな服を奥さんに買う。他の人と違って、家ではまったく飲まない。でもイベントごとだけは違う。今日はその日だ。そう飲む日だ。ヴーヴクリコの高価なシャンパンを会社を定年で辞めたオバサンにもらった。高価なシャンパンだ。クリスマスまでとってあった。

家に早めに帰るとごちそうが用意してあった。うれしくなった。娘の通信簿も合計点では少し下がった。でも主要科目の成績はものすごくよかった。安心した。妻もご機嫌で私のプレゼントを用意している。伊勢丹に寄ってよかった。

音楽をかけろといわれて、クリスマスのごちゃ混ぜアルバムをかけた一曲目がジョンレノンの「ハッピークリスマス」で始めて、「ラストクリスマス」とかある曲のCDだ。いつの間にかヴーヴクリコもなくなった。これは仕方ない。なぜか「カクテル」のCDを持ってきた。これはこれで良い。大好きなビーチボーイズの「ココモ」に合わせて古いロックンロールがある。

マラリアキャリーや古いモータウンのクリスマスCDとか聞いた後、なぜかもう一度キャロルのファーストアルバムを聴いている。冷静に聞いていると矢沢だけではなく、ジョニー大倉も合わせて歌っている。かなり歌っている。甘い声だ。進学校出身のジョニーの英語に遠慮して矢沢も古いロックンロールではソロをとらない。でも矢沢のベースラインの素晴らしさは逸脱している。ウッチャンのギターも最高に良い。これも良いなあ。いつか矢沢と大倉の二人でやる機会あるのかしら?このCDの大倉の頑張りようを考えるとなさそう。

かなり酔ってきた。やばいかも?

今年の冬休みは娘への冬季講習やることになっている。数学と英語の進み具合が公立中学だと遅すぎる。下手すると終わらないかもしれない。早めに終わるようにやろうかと思う。会社にバイトに来ているおばさんが何でバイトしているかというと子供の塾のためにバイトしているといっていた。これは狂っている。基本は親が教えなくては。あさってまでの仕事を終えたら頑張ろう。その昔自分がつまずいた幾何の証明だ。今思うとつまずいたこと自体が懐かしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母一周忌

2009-11-23 15:37:59 | 家族
11月23日は母の命日である。
21日に妹と一緒に高輪の寺に行った。1年なんて早いものである。品川の家に寄ったら、葬儀屋さんがきて花を届けてくれた。ありがたい。初盆の時も含めていろいろとお世話になった。

死ぬ寸前、母がモルヒネの影響で意識を失った。ある意味安楽死に近い状態だったのかもしれない。その状態が突然来て、本人が一番驚いたのであろう。
思えば3年前、ガンが分かって、母と一緒に大学病院にいった。そこで担当医から聞いたのが「あと半年の命」ということ。本当に驚いた。悲しくなり、涙が出て母の顔を見れなかった。でもまだ体力があり、約2年間抗がん剤治療をやった。母もまだまだ生きたい気持ちで頑張ったと思う。しかも、父の具合も悪かったせいもあり、「父を先に看取りたい気持ち」だけが強かったのかもしれない。

死んだ後すぐよりも、最初に医師から母の状態を聞いたときの方が悲しかった。死んですぐ、葬式の段取りに終われて、悲しいどころの話ではなかった。葬式には450人の人が来てくれた。中にいる自分には分からなかったが、外は大行列だったそうだ。でも母の親友が京都からわざわざ来てくれたのが何よりうれしかった。その時、なぜか「冬のソナタ」の音楽が流れていた。悲しくなった。
そんな日からはや一年、今どうしているのであろうか?

母が死んで、昔の母の日記を読んだ。嫁いだ東京での生活で、向上心を持って生きているのがよくわかる。自分の母親ながら、けなげな印象を受けた。結婚してすぐ子供ができた。自分である。父が結婚して間もないので、最初の子は流そうと言っていたと書いてあった。でも、祖父祖母に話が伝わり、生むことになったと聞いた。父の意思が通ったら、今の自分は存在しない。日記では当時の五反田の様子もよくわかる。母が結婚前つとめていた田村町の話も出ている。結婚して慣れないときに、田村町の会社の先輩によく連絡しているのがよくわかる。田村町の名前はもうなくなっている。一度その住所を追いかけに新橋に行ってみたい。生まれた五反田の産婦人科は今ラブホテルになっている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一周忌を終えて

2009-10-26 06:46:34 | 家族
昨日父と母の一周忌を一緒にやった。
父は昨年7月に、母は11月に亡くなった。日程の設定および一緒にやるべきかを考えたが、結局間の日を取って昨日やった。

あいさつ文を早めにつくって発送。7月に父の一年なので、どうしたものだろうと思われないように早めに送った。ここ数日は途中の段取りのことで、母の姉妹たちが静岡からくるので、親戚が立ち寄る品川の自宅から高輪の寺までどう輸送するか?寺から五反田の昼食の場所までどう移動するか?タクシーの手配は?お布施はいくら包んでどの封筒に入れようか?お土産は何を買おうか?と頭をひねらせた。

頭が興奮しているせいか、土曜日は財布をなくしたのでは?と1時間ほど大騒ぎをした。残高があるキャッシュカード3枚とクレジットカード一枚が入っている。お布施は別にしてあったので現金は少なかったがひやりとした。ひょっとしてペットボトルを買ったコンビニに落としたのでは?と探しに行こうとまでして外へ出たら、妻がタンスの所で発見した。ネクタイをたんすに入れようとしたときにタンスへ置いたらしい。まさかここには置かないだろうと思ったのが失敗であった。あってほっとした。本当になさけない。昼間は娘が自転車の鍵をなくしたとのことで大騒ぎをしたらしい。二人ともだらしないと妻はおかんむり。

49日での中華と違って昨日の食事はあまりおいしくなかった。和食は実に難しい。かなりお金をかけないと良いものにありつけない。しかも、酒を飲む人が少ないのに和食というのはどうも不自然になる。中華が一番気が楽だし、高級店でよいものを提供できる。やはり東京の法事では中華が定番だと思う。いずれにせよ、一周忌がすぎてほっとした。少し落ち着けるかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

所有権移転登記に挑戦

2009-08-18 19:33:52 | 家族
昨年11月亡くなった母の相続の所有権移転登記を自力でやることにした。

昨年7月の父のときは相続の申告をする必要があり、税理士に相談した。自力でもできそうだったが、税理士に頼んだ。その税理士の紹介で司法書士に所有権移転登記を頼んだ。登録免許税が高かったが、司法書士への報酬もそれなりに高かった。今回はいったん父の相続を経ているので、基礎控除内ですむので、自力でやってみようと思った。ところが、面倒でなかなかやれなかった。司法書士に頼んだ方がよかったのかとも思ったが、夏休みでもあり自力で所有権移転登記に挑戦した。

父が会社を経営していたので、実家の土地には抵当がついていた。まず残債わずかだったのでそれを返済した。昨年そのための抵当権抹消の登記を自力でやることに挑戦した。このネット時代、ノウハウがネット上に充満している。それを見ながら自分で書式をつくってみた。そして作った申請書を法務局に持っていった。法務局には相談コーナーがある。親切丁寧に教えてくれる。言われたとおり直して印紙をはって提出したら数日後に登記完了していた。支払ったのは規定の登録免許税だけである。こんなに簡単なのかと驚いた。それからずっと母からの所有権移転は自力でやろうとは思っていた。

相続登記というと、自力では絶対に無理なことと思っていた。しかし、父のときの内容はどうも自力でできそうだ。やはりネットを見た。そうすると法務省のホームページに書式があった。何しろ法務省の書式だから何よりそれをつかえばいい。住民票、戸籍謄本を取り寄せた。死んで間もなく母の生まれたときからの戸籍謄本は取得していた。戸籍には印鑑証明のような期限がないらしい。それを使えばいいことがわかった。そしてそれを持って都税事務所で土地建物の評価証明書を取得した。課税証明の金額を見ながら書式を作成した。それでいいのか法務局の電話相談に確認した。そこでいくつか修正した。別に難しいことではない。これでいいのだと確信して、作成した書式と添付書類を持って法務局へ行った。書類は綴じずに相談コーナーへ行った。前もそうだったが実に親切に対応してくれる。相談員の方が綴じてくれ、指摘された印もれのところを印を押し、登録免許税の印紙を貼って提出した。

何かあるかと思っていたが、抵当権抹消と同じで何もなかった。法務局に取りに行ったら、登記完了していた。識別情報という書面をもらった。これが全てである。

司法書士の気分で書類を作成した。こんなに簡単なことだったのか。かなり得した気分だ。もちろん資産家の複雑な話だと面倒なこともあるであろう。しかし、司法書士とはいい商売だと思った。ちょっとのことで一筆につき数万円の報酬が受け取れる。そんなに手間だとは思えない。これなら自分にも司法書士はできる業務かとおもったが、試験は通らないだろうなあ。定年後も商売できそうだから挑戦してみるか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明治村 ライト帝国ホテル 名古屋旅行2

2009-08-09 15:14:56 | 家族
3日目は明治村へ行った。初めてである。旅行に行く前に妻に明治村の話をしたら却下された。残念であった。しかし、妻の行きたいところを2日間で行ったので、行ってもよいといわれた。憧れの建築家フランクロイドライト設計による「帝国ホテル」に出会えると思うと2日目の夜うれしくなった。

名古屋駅から名鉄で約30分で犬山駅に着く。そこから20分田園地帯の中バスに乗っていくと「明治村」はある。「明治村」では、明治時代に建てられた全国各地の由緒ある建物を60棟ほど移築復元している。まずは全体を一通り見ることが必要と、村内バスに乗る。その終点は「帝国ホテル」である。
バスで全体像をつかむ。非常に広い敷地なので、建物がゆったりと配置してある。まわりの樹木も適切に配置され、見る方向も考えられているせいか、それぞれの建物が非常に美しい。そう感じているうちに「帝国ホテル」に着く。

12年前シカゴのオークパークでフランクロイドライトの自邸と住宅街を見学した。プレイリースタイルといわれるその住宅のたたずまいは美しい。家の中に入ると、細かい造作にライトのこだわりを感じた。特にステンドグラスのデザインが印象に残った。彼の作品集はその後意識してみてきた。残念ながら明治村に来る機会はなかった。

「帝国ホテル」の前に立った。それだけで感動した。長年の願望が成就したうれしさになんともいえない気持ちになった。外観はレンガタイル貼りに大谷石を組み合わせる。大谷石は細かい彫刻がしてある。凝っている。西海岸のライト作品を特集した洋雑誌を持っている。そこで見た石の使い方に似ている。

近づいていった。細かいところに凝っているのがよくわかる。玄関の中から中に入る。そうするとまた素晴らしい空間があった。実際にホテルのロビーの様相を呈していた。レンガタイルと大谷石を中心とした意匠が外部から内部へとつながっている。3階まで吹き抜けている。窓ガラスを見た。いかにもライトらしい美しいステンドが細工されている。これをみてまたしびれた。家具、調度品、小物もよく考えられて配置されている。二階に素敵なカフェがあった。寄りたかったが時間がないのでやめた。他にたくさん見なければならないものがあるので。。。でもここだけで3時間くらいいても時間はもつであろう。

他の家も本当によかった。教会の中の造作とステンドグラス、漆喰壁の高天井、西郷邸のダイニングは素晴らしかった。ザビエル教会、8角形の屋根の監獄、北里研究所、昔の三重県庁など我々に与えられた3時間半ではとても見切れない。ここをきっちり見るには最低5~6時間、普通であれば2日間必要だと思った。行き方もわかったので、もう一度行ってみたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

名古屋旅行 

2009-08-09 13:26:23 | 家族
6日から2泊3日で家族で名古屋に行った。別に親戚がいるわけでなく、普通に遊びに行った。愛知県は今住んでいる埼玉県と同じ人口700万である。共通点はそれだけである。名古屋は中部圏の中心であり、海に面している歴史ある大都会。食文化も独特である。楽しめた。

新幹線で6日の朝向かった。偶然だが、新幹線のホームでみのもんたを見かけた。番組を終えてすぐだと思う。不機嫌な顔をしていた。
ホテルに荷物を預け山本屋の「味噌煮込みうどん」を食べた。初めて食べたのは大学4年のとき、それまで存在すら知らなかった。店はにぎわっていた。大多数がなべふたに味噌煮込みをのせ食べていた。固い麺が味噌煮込みの中に入っている。大盛にしなかったが、お腹はふくれた。娘がシンプルな「きしめん」を頼んでいた。少しもらったが、麺が美しく、おいしかった。

その後向かったのは、「徳川園」という「徳川美術館」が併設されている庭園である。昔からの徳川家の庭園があった場所を平成に入ってから造りかえた庭園だ。水場の見せ所がよく、非常にきれいに整備されている。池に色とりどりの鯉がたくさんいた。これが餌をやると大勢押し寄せてくる。その光景がおもしろかった。「徳川美術館」はむしろ博物館。戦国時代の合戦の絵が印象的、でも若干退屈気味であった。

その後「有松」という江戸時代後期の町並みがそのまま残っている場所へ行った。駅を降りると日本瓦が葺いている古い家が数多く見える。旧東海道に面して古い日本家屋が並んでいる。格子がきれいな建物が多く、情緒を感じた。絞りを除いてこれといった名物がなく、町おこしが中途半端な印象。しかも旧道を通る車が多く、ゆっくりと見れなかったのが残念。

ホテルのある名古屋駅周辺に戻り、今度は「矢場とん」という味噌カツ屋にはいった。ここもお客でにぎわっていた。鉄板味噌カツを頼んだ。ロースでなくヒレを選択。鉄板の上にキャベツが乗っかっていて、その上に揚げたヒレかつがのっている。これはおいしい。味噌のいやみが鉄板で薄れている。ヒレ肉の肉質もまあまあだ。トッピングのキャベツが100円、量がある。これをつまんで食べる。満足して部屋に帰って寝る。

二日目はゆっくり起きて、名古屋港水族館へ行った。「海なし県」埼玉にいる我々にとっては港は普段見慣れない存在。地下鉄を降りると、港らしい光景で、岸壁には南極観測船「ふじ」があった。遠くに高速道路の橋が見えた。さぞかしこの橋を通るのは快適であろう。水族館に入って「イルカショー」を見た。水族館系にはよくあるショーだが、イルカの上に乗ってサーフィンをしたり、人間がかなり絡んでいるのが特徴。途中でイルカに水をかけられてびしょびしょになった。あとは初めて見た白イルカ「ベルーガ」、3万匹のいわしが餌をめがけて動き回るトルネードショーは迫力あった。数ある水族館のなかではレベルは高いと思う。
徳川御三家を象徴する「名古屋城」へ行った。市役所前駅を降りると「市役所」「県庁」がある。城のすぐそばにあることを意識してか、両方とも素敵な建築物である。城内に入り、「天守閣」の展望台に行った。四方を見回すと非常に眺めがいい。駅周辺、栄周辺いずれもよく見える。名古屋も超高層の建物がずいぶんと増えた。その後天守閣の各階で興味深くいろんな歴史展示物を見た。そこで初めて知ったのは、江戸時代はじめの築城以来、戦争空爆にて焼失するまで残っていたという事実だ。戦争で歴史上の重要な建物を失うのは非常に悲しいことと感じた。

その後昔からの名古屋の繁華街栄に行った。ここに初めて行ったのは35年ほど前のこと。地下街がずいぶんとにぎやかなところだと思った。3年ほど前に行ったとき、名古屋駅前と人の流れが分散して、歩いている人が減った印象を受けた。今回も同様だが、新しい施設ができ変わっている印象を受けた。そこでひつまぶしを食べた。多目のご飯の上に切り刻んでいるうなぎがのっている。横にはご飯茶碗、ねぎとわさびの皿、お茶漬け用だしがある。一杯目はそのままうなぎを食べ、2杯目はねぎをのせて、3杯目はお茶漬けにして食べる。いろんな食べ方ができる楽しみがひつまぶしにはある。おいしかった。

3日目は続きで。。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新盆

2009-07-16 05:52:42 | 家族
昨日は会社休んで、実家で新盆のお客さんの対応をした。

妹もよく要領をわかっていないので、近所のおばさんに教えてもらって、仏壇を整えた。提灯は葬儀屋がくれたもので様足した。
こうしてしばらくたってもいろんなおばさんたちが訪ねてくれるのはありがたい。
母も喜んでいるであろう。

ここ何回か家に行くとノミにかまれた。季節がそういう季節なのであろう。猫も飼っている。虫刺されのお世話になることも多く、昨日は駆除をしようと、ネットの記事を見て、キッチンハイターを用意して水に混ぜ、雑巾で拭いたり、庭先にばら撒いたりした。庭の立水栓を使うのは本当久しぶりだ。
思いのほか昨日は大丈夫だったみたいだ。夏の間はしっかりやろう。

上半期もあと2ヶ月とちょっと、ここからは仕事に本腰を入れよう。そのために何をするか、実家で考えていた。やることが次から次に浮かんできた。まさにマインドアップだ。ここで実行に移せれば。
「アメリカ」のベストアルバムを聞きながら、ブログ書いている。最高だ。
特に「シスターゴールデンヘア」は今の心に響く。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

父一周忌

2009-07-10 06:02:57 | 家族
父が死んで昨日でちょうど一年たった。
会社休みを取って、妹と高輪の寺に行った。家のお供えも父の好きな中華を中心に買った。寺で住職と相談して二人一緒に一周忌をやることにした。

前の日曜日に娘と妻と一緒に寺にいった。続けてになるが、来週はお盆なのでまた行かねばなるまい。娘と妻が一緒のとき、高輪白金から地下鉄で神田神保町までいった。日曜日なので古本屋街は休みの店が多かった。このあたりはカレー屋が多く、お目やての店もあったが、娘がナンのあるランチを指差し、その店に入った。明治大学のそばである。あとはぶらぶら御茶ノ水方面を歩いた。この界隈を歩くのは昔から好きである。美術部に所属している娘に関心があるかと思い、画材屋にいくつか入った。昔は「レモン」がいくつもあった気がする。今は一つしかない。逆にディスクユニオンは増えた気がする。

昨日妹と一緒に墓にいった帰りに、生まれた五反田に寄った。そこでもカレーを食べた。古くからある坂本味噌店の隣である。それなりにおいしい。どうも父はカレーを食べたかったのであろうか?前にも書いたが、父とはインド料理屋へぼくが小さいころからよく行ったものだった。銀座や六本木によく行った。五反田は「京浜ベーカリー」という洋食屋があった。これもよく行った。でももうない。そんなことを感じながら帰った。帰りは池袋で本を買って、赤羽で父の好きな中華をつまみに飲んで帰った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

娘の中間テスト2

2009-05-29 06:12:00 | 家族
昨日中学2年の娘の中間テストの成績表が返ってきた。
中間テストなので国数英社理である。
平均95点以上の点数なので順番上がると思ったら学年4番になっていた。
妻は「たいへんなことになった。」と言っていた。

中学1年の中間テストが学年160人中50番くらいだったので、ずいぶんとよくなった。
やはり塾行かないのは正解!家庭学習が一番だと思う。
それから無駄なノート作成とかの作業で時間をつぶさないことに尽きる。
問題集をひたすら解きまくる作戦が一番のようである。

やる気になったのか、昨日も何も言わなくても勉強を始めている。
思えば自分が娘と同じくらいのときは、科目によっての好き嫌いが激しかった。
ここまでムラなくやれなかった。
でもコーチのような存在って大事だと思う。最後ついて問題集を一緒にやった。
それがよかったのかな?自画自賛したくなる。気恥ずかしいが、たまにはいいかも

こういうことしていると余計な飲み会は全部パスになるし、いい傾向だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

娘の中間テスト

2009-05-19 05:48:52 | 家族
ここしばらく中学2年の娘の中間テスト勉強に付き合っていた。
塾行くよりは、自宅で勉強した方が定期テストであれば、成績が上がると思うので、今でも塾に入っていない。その方が親子のふれあいができるので、我々は良いと思っている。
おかげで飲みにも行かずまじめな生活だ。

社会は地理と江戸の歴史、理科は電気の初歩と地学という内容。数学の範囲は一年の復習と2年の計算式のみで簡単。英語もまだ初歩。いずれにせよ、社会を除いては学校の進むのが遅い。行事も多く、授業数が少ないのであろう。
テスト勉強は、ひたすら問題数を解くしかないといったところだ。ただ、英語の文法の基本が今ひとつ理解できていないのかと心配。

娘は週休二日制の第一期というのを昨日初めて知った。休みが多く、逆に自宅での勉強時間はたくさん取れる気がする。学校からたくさん課題が与えられてまじめに提出している。高校はともかく、中学時代は準拠問題集もこんなにはなかった。同じころ、自分がここまで勉強したかどうか?

そうしているうちに今日は試験。がんばってほしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母の日記

2009-01-21 08:47:15 | 家族
昨日は20年以上前の顧客からの相談があり、大森へ車で行った。
担当に任せるのが本当はいいが、学校の大先輩ということもありむしろ遊び半分と言う感じだ。
首都高速はすいていた。さいたまから大森までほとんどノンストップであった。
正月とその後は一般の人の車も多く渋滞していたが、やっぱり不景気なのか商用車の利用が減っていると思う。鈴が森で降りて第一京浜を走って向かったが、高速のいわゆるウォーターフロントエリアの高層ビル群に比べると、昔からの変化はさほど大きくない。

商談を終えて、品川の家に向かった。

今日は泊まりなので、本をたくさん持ってきていた。それを読む前に母の新婚当時の日記をなんとなく見てみたい気になった。母がなくなった後見つけたもので、一通り読んでいる。読み出したら止まらなくなった。

当時五反田の駅のすぐそばにいた。家は事業をしており、新婚の父と母、父方の祖父祖母、住み込みで働いていた使用人ですんでいた。家で働く人がそのほかに3人いた。
結婚式の様子、新婚旅行の様子、新婚生活の不安、商売とそれにかかわるわが家族、元の職場の先輩とその彼氏?の話、この先輩ある小説のモデルになったくらいの人だからなかなかやることが大胆
初めて母のふるさとの静岡に帰ったときのこと。昔の友達の動静などなど

読み出すときりがなかった。
でも本当は新婚生活を楽しもうとして、最初の子供はおろそうと思っていたことなど新事実がわかった。そうするとこの僕は存在しない。
祖父祖母に懐妊の話が分かって父がふくれた話は傑作だけど、「おじいちゃんおばあちゃん」には本当に感謝

でもこれって小説になるなあ。。映画にすると「三丁目の夕日」と同じころだから十分いけるよな。家の近くには都電も走っていたし

ゆっくり作ってみよう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母死す

2008-11-25 19:17:23 | 家族
しばらくブログに投稿できなかった。
実は20日より母が危篤になって病院に泊り込んだ。でも残念ながら23日亡くなった。

今年父も母もいなくなり今度は喪主になった。
日中、弔問客も多く落ち着かない。仕事は20日の午後から何もしていない。

まったく気力がおきないので、映画も見ないし、ブログもお預け
葬儀終わってから再度やりたい。
母のそばで2日ねた。今日で3日目母の新婚時代の日記や私を生む前の日記が出てきた。読むと涙が出て仕方ない。母が昔楽しく遊んだ友達たちが弔問にこられるとつらい。涙が出てくる。母さんがん闘病2年間よくがんばった。念願かなってお父さんを先に見送れてよかったね。
でもいまだに生きている気がして仕方がない。悲しい
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

見舞いと会議

2008-11-08 22:56:20 | 家族
今日は東京の本部で会議の日だ。
早めに行って母の見舞いをした。

いったん絶食となったが、また水のような食事を取るようになった。
少し落ち込んだこともあったが、食事をとってもいいとなってからは気持ちも落ちついたようだ。入院する前からそうだったが、わがままが激しくなった。
これをたべたい。あれを食べたい。というがけちを必ずつける。
近所の人に頼んでせっかく買ったもらった氷砂糖もほとんど口にしない。高級なものでないといやだというのである。もともと田舎育ちで好き嫌いなんてない人だったが、どうしたのであろうか?

妹が急にきれい好きになった。実家の掃除をまったくせずに、猫もいて汚かったが、妙に掃除をするようになった。いい傾向だが不思議な気がする。
家にはガスやら、電気料金やら保険の請求書がたくさん来ていて面倒だが支払わねばならない。余分な心配するので面倒だ。

会議に出た。
今期の事業計画の進捗はなかなかきつい。
ずれ込みが多くしんどそう。
いつもだったら会議のメンバーと一緒に飲むのだが、今日は母の病気を理由に欠席した。
一週間以上飲んでいない。もっと体の調子が良くてもいいのだが、看病疲れなのであろうか?元気が出ない。

家に帰って「プリティリーグ」をみた。ほのぼのしていて良かった。これはまた明日。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母調子悪し

2008-11-04 23:16:30 | 家族
母は2日夜から食事制限が出た。

3日には鼻から酸素を注入していたが、今日は酸素マスクをつけていると妹が行っていた。明日は朝から病院に行こう。
こちらも胃が痛む。調子悪い。
仕事もやらねばならない。一つ一つ片付けていかねばなるまい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする