映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

赤ひげ  黒澤明

2009-07-25 21:04:42 | 映画(日本 黒澤明)
三船敏郎最後の黒沢作品である。長回しのカットが多く、究極の演技を見出そうとしている。江戸時代の小石川養生所を舞台に、ベテラン医師の赤ひげこと三船に、幕府エリート医志望の若者加山雄三が絡む。演技のすさまじさは黒澤作品屈指である。

江戸時代、小石川養生所にて医者をつとめる赤ひげこと三船敏郎のもとに、長崎で医術の勉強をして、江戸に戻ったばかりの若い医者加山雄三が新任で働くようになる。幕府のお抱え医を目指す加山は当初小石川での勤めを嫌がり、診療をしようとしない。そんな彼の元に狂人と化している香川京子が現れる。香川は富豪の商人の娘である。療養所の隅に親に家を建ててもらって住んでいた。美しい香川を見て、加山は小さいころからの話を聴こうとする。しかし、香川は加山を押し倒し、強い力でかんざしを加山の喉下に向ける。危うく三船が現れ、加山は助かる。事件の後徐々に加山は診療を手伝うようになるが、貧乏患者にはそれぞれに悲しい事情があった。。。。。

この欄でも紹介したが、香川京子さんの今年の日経新聞「私の履歴書」は実に面白かった。その中で香川京子さんがあの美しい顔を狂気の表情に変えている写真が出ていた。新任医師の加山と狂女香川の2人のやり取りはすさまじい長回しである。香川さんに関していえば、溝口健二監督の「近松物語」の名演がある。この作品の狂女の演技は「近松」と同じくらいのレベルだと思う。今月の日経「私の履歴書」に興味深い人生を語っている加山雄三に関していえば、俳優としての最高傑作かもしれないと私は思う。クレジットトップは格で三船敏郎だが、実質主演ともとれる加山雄三の出番は最後まで多い。人間的に成長していく姿をじっくりと描いていく。あまり存在感がない黒澤作品「椿三十郎」と違い、実際の彼の人生でもこの映画の影響は大きかったようだ。

黒澤監督映画では「熟達者と未熟者」の対比が語られることが多い。「野良犬」では志村喬のベテラン刑事に対する新米三船敏郎、「七人の侍」では剣の達人宮口精二に対する若侍木村功を対照的にもってくる。「酔いどれ天使」では町医者志村喬の所に付きまとう遊び人を演じた三船がここでは熟達者だ。この作品で黒澤が描く医師三船は完璧な人格を持った医者ではない。金持ちからはボッタクリ的多額の診療代を受け取り、貧乏人の治療費にあてる。気分は遠山の金さんのようなのかもしれない。ここでの三船敏郎は落ち着いている。いかにも「熟達者」らしいセリフをボソッとしゃべっている。

また、ここでは脇役陣をほめたい。二木てるみ、左ト全、杉村春子はいずれも実にうまい。今でも「渡る世間は鬼ばかり」に登場している野村昭子も賄いの女中役で出ていて、一時期まではホームドラマの常連であった七尾玲子さんたちと一昔前の女中役をうまく演じている。
究極の演技を求めようとした黒澤監督だが、若干凡長気味の感じもある。もう少し短くてもよかったのではなかろうか?そこだけが不満である。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生きものの記録  黒澤明

2009-06-18 21:21:41 | 映画(日本 黒澤明)

昭和30年の黒沢明監督作品。原子爆弾から水素爆弾にパワーアップし、実験が繰り返された世相を反映して、水爆被爆の恐怖症の老人を描く。三船をはじめ、志村喬、千秋実、藤原釜足といった黒澤組が中心で、昭和30年前後の前近代的家内工業の雰囲気もよく表わしている。

いきなり家庭裁判所がでてくる。調停員を演じるのは志村喬である。内容は水爆被爆を恐れ、ブラジルへ渡ろうとする三船敏郎演じる鋳物工場の経営者がいる。その行動がおかしいと準禁治産者の申し立てを三船の息子たちがおこなっている場面である。ブラジルであれば、水爆の恐怖から逃れられると、ブラジルの農場主東野英治郎と土地を交換をしようとしている。もちろん息子たちは大反対。三船の気持ちに志村喬はむしろ三船に同情するが。。。

トロリーバスと都電が走る都内の風景は懐かしい。映画「キューポラのある街」で鋳物工場が舞台となり、同じような工場の場面がでてくる。ここでは住所が品川区東大崎の設定だ。自分の生まれた五反田のそばである。今は大崎駅付近は工場が減って、マンションが増えて大きく変わった。
主人公三船の設定が、妻や子供たちのほかに妾が二人、死んだ妾の子供までいて、面倒を見なければならない人たちがごまんといる。こういう設定はこの当時はまだまだあったと思う。何せ貧富の差が激しい時代である。女が男を頼りに生きていかねばならない時代だったからだ。溝口健二監督はこういうスタイルを描くのが得意だった。あとは、三船の奥さん役がいかにも明治の女を演じているのが印象的。たしか「わが青春に悔いなし」でも同じような役をやったおばさんだ。黒澤映画では人気がない方だが、わりと世相を良くつかんでいる気がする。

私がこの映画にひかれるのは、三船の設定が風貌含めて私の祖父にそっくりであることで妙な親近感があるからだ。そういう映画があってもいいであろう。うちの祖父は明治生まれで戦争に行っていない。本当に運が良かったと思う。きっと三船演じる主人公も同様であろう。戦争に行かず自営の社長をやっていたがんこ親父はなんか共通したところがある気がする。あらためてそう思った。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蜘蛛巣城  黒澤明

2009-06-11 05:47:54 | 映画(日本 黒澤明)

シェークスピア「マクベス」を題材にした黒澤明監督の時代劇。主君に忠実に仕える領主三船敏郎があるきっかけで主君を殺害し、自ら主君に成り代わろうとする話。能を取り入れたり日本の伝統芸能の匂いを戦国の争いの中にちりばめる傑作。三船敏郎、山田五十鈴両者の円熟の演技がすばらしい。

時は戦国時代、三船敏郎の主君は反対勢力の鎮圧に苦慮していた。そこを助けたのが、三船と同等の領主千秋実の両者である。鎮圧のあと、森の中で「物の怪」老婆の天の声を聞く。それによれば、三船はやがて主君の城である蜘蛛巣城を得ることができると。その話を三船が妻の山田五十鈴に語ると、山田は「この話が主君にばれると、主君はあなたを討とうとするはずだ。」と言う。忠実な武将である三船は戸惑う。猟の途中に三船のところに立ち寄った主君が泊まる際に、山田の指示もあり、主君を殺害する。そして、それを主君の家来の叛乱とまわりにみなさせるが。。。。

この映画のポイントは、三船と山田のやりとりである。山田はむしろ巫女のような予言をして三船を主君殺害に差し向ける。十分間合いをとる。途中長まわしの無言劇がつづく。そこに絡まる能の音楽。二人の演技、美術、音楽とも完璧である。黒澤明の力量が演技指導だけではないことを示す場面が目立つ。その後、亡霊に惑わされる三船と山田の演技もすさまじい。お化け映画じみているところもあるが、すべてが完璧なのでB級スリラーとは感じさせない。
改めて黒澤の手腕と二人が日本映画界屈指の俳優であることを再認識させる傑作だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

素晴らしき日曜日  中北千枝子

2009-04-11 21:29:02 | 映画(日本 黒澤明)
中北千枝子といってわからなくても「ニッセイのおばちゃん」の自転車に乗ったCMのおばさんといえばなんとなくわかる人も多いかもしれない。おばさんの顔は誰でもブラウン管で見たものだ。
成瀬巳喜男作品では彼が死ぬまでずっと付き合い続けた。「稲妻」「めし」「浮雲」「流れる」「娘妻母」などなど。彼女や加東大介が画面に登場すると待ってましたと言いたくなる雰囲気がある。成瀬が死んだ後、映画にほとんど出なくなって「ニッセイのおばちゃん」になりきった。「娘妻母」の原節子の友人のセールスレディ役が後の彼女の運命を変えた気がする。

脇役中心の彼女が主演しているのが黒澤明の「素晴らしき日曜日」である。
戦後昭和22年まだ焼け跡が残る東京で若い二人の一日を描いた作品だ。
顔がまだふっくらしている。21才くらいの作品なので声は同じだけど、「ニッセイのおばちゃん」とはダブらない。そののち昭和25年すぎの作品ではもっとやせてのちの顔とダブってくる。

お金のない二人が35円をもって一日ぶらぶらする。
今であればいくらであろうか?100倍の3500円といえばそうかもしれないが、もう少し少ない気もする。昭和25年の日経平均を100として現在が9000円と考えると、22年から25年まで多少のインフレがあったとしてもイメージ3000円くらいなのであろうか?結婚したいのだけれども住まいがない。動物園へ行ったり、旧友を訪ねてキャバレーに行ったりする。
何より傑作なのは東京公会堂に「未完成交響曲」を見に行く場面だ。A券25円、B券10円の切符の価格、二人には25円2枚を買うお金はなく、持ち金で買えるのは10円2枚である。並んでいたところ二人の前のアンちゃんが10円券を買えるだけ売ってくれと言ってまとめ買いをするので券が売り切れてしまって二人はコンサートに入れない。買ったアンちゃんがすぐさま10円の券を15円でダフ屋のように売り出すという場面である。
他にも戦後間もないことを示すセリフや場面がたくさん出てくる。

黒澤映画としては傑作の部類にはならないかもしれない。セットや美術も稚拙な感じがする。二人が演じる演劇的なタッチは物足りなさを感じるが、「貧しくても心は豊か」ということを物語は語っていく。戦後間もない時なのに、なぜか楽天的なのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わが青春に悔なし  原節子

2009-04-08 21:06:21 | 映画(日本 黒澤明)
黒澤明の初期の作品、終戦翌年21年公開である。
原節子が男子学生と写っているポスター写真を見て、さわやかな青春ものを想像していた。そのためか見る機会がなかった。最近原節子さんの上品さに惹かれることが多く、この作品も見てみたくなった。
想像を超えるすさまじい原節子の汚れ演技ぶりに正直驚いた。

題材は京大滝川事件とゾルゲスパイ事件である。
題材をそこから得ているが、まったくのフィクションである注釈がいきなり出ている。

昭和8年、京大の教授大河内伝次郎のもとに学ぶ7人のグループがいる。教授の娘は美しい原節子
7人の中でも特に彼女に思いを寄せる二人の男性がいる。教授は政府批判の自由主義的論調に対して、文部大臣から更迭されてしまう。そのため言論の自由を求めて学内の紛争が起こる。二人の男性のうち藤田進は急進的な思想を持ち、当局に拘置されてしまう。もう一人は育ててくれた母親を思い、検事になる道を歩む。原節子は激しい言動の藤田のほうに惹かれるが、拘置されてしまったため恋は実らなかった。
5年後検事になった友に助けられ、執行猶予を与えられた藤田は軍部にかかわる仕事に携わるとのことで教授と原節子の前に現れる。思想転向した藤田を見て原節子は落胆する。そして、自宅を離れて東京で暮らすことを選ぶ。ところが上京後政治問題を研究所を開いている藤田に出会う。結局は二人は同棲し、実質結婚生活をするようになる。
ところがある日帰りを待っている原節子の前に現れたのは特高警察であった。。。

原節子は、育ちのいい上流のお嬢さまを演じさせたら天下一品である。
小津安二郎は娼婦を演じるよりも、良家のしつけのいいお嬢さんを演じるほうが
はるかに難しく、原節子ほどそれらしく演じられる女性はいないと言ったそうである。
まさに同感である。

最初の男子学生とのピクニックシーンで原節子の顔アップが出てくる。
非常に美しい。小津安二郎や成瀬巳喜男の映画では出てこないアップである。
しかしこのあと次から次に出てくる原の汚れたシーンがすさまじい。
特高にとらわれたシーンはまだ序の口で、彼の父母の故郷に行って、隣組の村八分にあいながら杉村春子と農作業に携わるシーンには恐ろしいほどの凄みを感じる。
ここではセリフも少なく、カメラワークも執拗に原節子を追いかける。
そののち黒澤作品を何度もとる中井朝一の撮影がすばらしい。

ちがった一面を見せる原節子を見るだけでもこの作品は価値がある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする