映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「こんにちは、私のお母さん」

2022-01-10 17:39:08 | 映画(中国映画)
映画「こんにちは、私のお母さん」を映画館で観てきました。


中国の喜劇俳優ジアリンによる自身の体験をもとにした脚本を監督して自演した作品だ。母と2人乗りの自転車に乗っているときに交通事故に遭い、重体の母のそばで泣いていたら気がつくと20年前にタイムスリップして自分が生まれる前の母に出会う話だ。母と交わす交情でお涙頂戴の世界である。

期待して映画館に向かったが、もう一歩かなあ。ジアリン演じる主人公が母親に出会う1981年の中国は鄧小平により市場原理を取り入れた経済体制となって間もない時期だ。ひと時代前にTVで見た中国の映像がよみがえる。太っていてコミカルなジアリンは表情豊かで決して悪くないし、若き日の母親役チャン・シャオフェイはひと時代前の三田佳子を思わせる美貌で、存在感がある。だけどちょっとなあ。


明るく元気な高校生ジア・シャオリン(ジア・リン)と優しい母リ・ホワンインは大の仲良し。ジアの大学合格祝賀会を終え、二人乗りした自転車で家に帰る途中、交通事故に巻き込まれてしまう。病院で意識のない母を見てジアは泣き続け、そして気がつくと…20年前の1981年にタイムスリップしていた!

独身の若かりし母(チャン・シャオフェイ)と〝再会〟したジアは、最愛の母に苦労ばかりかけてきたことを心から悔やみ、今こそ親孝行するチャンスだと奮起。自分が生まれなくなっても構わない。母の夢を叶え、幸せな人生を築いてもらうことが、娘としてできる「贈り物」なのだ!だが、やがてジアは“ある真実”に気づく……。(作品情報より)

映画でもカラーTVが一般家庭に普及していないというセリフもある。まだ文化大革命体制の貧しい世界から脱却できていない。いわゆる公営工場での集団労働、大きなスローガン看板が掲げられる社会主義中国の原風景が映る。当時の中国人民のとっぽい服装は90年代に入っても大きくかわっていなかった。香港に90年代初めに行ったとき、大陸人と香港人とはそのどんくささで見分けがすぐついた。1981年ならなおさらだ。


でも、そんな昔を懐かしむ中年以上の中国人たちには受けるだろう。中国ではずいぶんとヒットしたようだ。習近平主席も格差是正で「共同富裕」のスローガンをあげる。まさか、この頃に戻れとは思っていないとは思うけど。


ただ、自分の理解度が弱いからかもしれないが、途中で現実と虚実の境目がぐちゃぐちゃにになり、訳がわからなくなる。人間関係のつながりは見ていて消化不良になってしまうような世界だ。ここ最近、中国の裏社会を描く作品に傑作が目立ったが、これは中国当局が推奨する人民映画みたいな感覚を得てしまう。だからのれないのかな?
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映画「少年の君」 チョウ・ドンユイ

2021-07-21 05:01:32 | 映画(中国映画)
映画「少年の君」を映画館で観てきました。


オリンピックの開幕を前にして、開会式の音楽担当に関する過去のいじめ経験がマスコミにクローズアップされている。「少年の君」は中国の高校におけるいじめが題材になっている。同時に中国の受験生模様も描かれる。本を読んで厳しい受験生事情は知ってはいたが、こうやって映像で見るのは初めてだ。香港の名優エリック・ツァンの息子デレク・ツァンの監督作品である。

同級生からいじめにあっている受験を前にした進学校の高校生が、ひょんなきっかけで裏社会に足を突っ込むチンピラ少年としりあう。自分を守ってもらうように頼むが事態が悪化してしまう顛末である。現代中国の受験事情を描くと同時に、裏社会につながる黒い部分にもスポットを当てているので、単純な青春ものとは違うテイストがある。ノーヘルで2人乗りバイクで仲良く街を疾走する映像は素敵だ。ただ甘酸っぱい恋愛ではない。


ストーリーの行き先には目が離せない面白さはある。ただ、韓国クライムサスペンスでも感じるんだけど、こんな女子高校生が暗い夜道を歩くのかなあという素朴な疑問だ。ちょっと出来過ぎの気もするけど、現代中国を知るにはいい作品だ。

2011年の中国、高校生のチェン・ニェン(チョウ・ドンユイ)は、進学校で名門大学を目指して勉強に励んでいる。「全国統一大学入試(=高考)」が近づいているある日、同級生の少女がクラスメイトからのいじめを苦に、飛び降り自殺で命を絶った。

校庭で死体に寄り添っていたのをみて、チェンはいじめグループの次の標的となってしまう。チェンは母親が出稼ぎ中で、1人住まいだった。下校途中、1人の少年シャオベイ(イー・ヤンチェンシー)がリンチをくらっているのを見て通報する。急場を救ったことをきっかけに親しくなる。シャオペイはチンピラグループの一員だった。


その後も、チェンへのいじめは止まらず、我慢した末に警察に連絡をする。それを受けていじめグループは停学にはなるが、まったく反省の余地がなく、仕返ししてくる。そこでチェンはショオペイの掘っ立て小屋の棲家に逃げ込む。ショオペイはいじめから救うためにボディガードを買って出るのであるが。。。

⒈家庭に恵まれない女の子チェン
コンクリートの公営アパートと思しきところに住んでいる。シングルマザーの母親は出稼ぎと称して娘を1人置いて化粧品の販売に携わっている。客から肌が荒れたというクレームを受けているようだ。(この映像を見ていると、日本における中国人の化粧品爆買いの意味がなんとなくわかる)借金取りが自宅に押し寄せている。金を返せという張り紙がアパートに貼ってあり、それを目ざとく見つけたいじめグループがSNSで撒き散らす


世間をだましだまし生き抜いてきたであろう母親がいたので、なんとか金がかかりそうな進学校に通っていたのであろう。それでも、大学に入れば、今より良い水準の生活ができるからと、懸命に勉強している健気な女子高校生だ。

自殺したいじめられっ子からは「助け」を求められたが、結局何もできなかった。その思いで、死体に近寄っただけだ。故人と親しいのかと思われて、警察に事情徴収を受けたが、何もしゃべっていない。それでも、いじめグループは何かチクったのではと思い、次の標的にされる。気の毒だ。

⒉中国進学校事情
映画によると、中国における大学入試共通テストには全国で923万人受けているという。(日本は48万人、中国は約20倍近くだ)ここで映る進学校は共学であるが、学校内の熱気がちがう。このイメージは、日本で言えば名門中学を目指す塾で「合格!」に向けてのシュプレヒコールを叫んでいるかの如くだ。むしろ、日本のレベルの高い進学校の生徒はもっと冷めているし自由だ。そういえば、この間日本でいちばんの女子高で自殺があったと報道されていた。

生徒のパフォーマンスにはいくつかあれ!?と思うシーンはある。それぞれの生徒の机の上にテキスト、教科書?らしきものが乱雑に積まれている映像が印象的だった。試験の不出来で教室の席順もかわる。みんながガツガツ勉強しているイメージである。

でも、受験を控えている進学校の生徒にいじめにうつつを抜かすヒマってあるのかしら?という疑問は残る。話が出来過ぎというのはその部分である。


⒊全国統一大学入試(=高考)
いじめを受けたりするが、チェンは共通テストを受験する。そこには作文がある。課題に対して、先生がヤマを張るなんて言葉があるが、記述式である。日本の新共通テストでは、採点に難ありとマスコミに非難され記述式は中止になった。

1300年もの間科挙という官僚登用試験のあった中国には作文というのは欠かせないものなのであろうか?アジアの大学ランキングでは常に中国は上位にランクされる。ますます日本と中国及び香港、シンガポールとの学力レベル差が大きくなるのではないかと感じる。

⒋学歴と能力
自分が敬意を払う社会学者である本田由紀東大教授「教育は何を評価してきたのか」によれば、

努力:努力する人が恵まれる。能力:知的能力や技能のある人が報われる。教育:給与を決めるとき教育や研修を受けた年数の長さ、日本では能力、努力、教育の順となっている。(本田「教育は何を評価してきたのか」p41)日本以外の国(特に欧米先進国)では教育歴が給与に反映されるべきだとする。(同 p42)日本では学歴は能力を反映しないという見方が強い。(同 p47)

この日本の考え方に反するつもりはない。諸外国において大学を出るという意味が日本における戦前の旧制帝国大学を出るくらいの意味を持っているのかもしれない。

上海市の正社員の給与昇給率は14%以上だ。20%以上もある。初任給が日本企業より少なかったとしても30歳になる頃には,日本の給料を追い越している場合も少なくない。(中島恵「中国人のお金の使い道 」p37)アリババファーウェイといった中国を代表する有名IT企業であれば初任給は手取りで2万元約300,000円だった。入社3年目で3.6万元約540,000円にアップしている。(同 p40)

上記のような記述からも日中の違いが良くわかる。いずれにしてもこれらの給料もらう人が大卒なのは間違いない。

⒋パクリという説については
そもそもこの手の話は似通っているものだ。演歌の節回しがどれも似通っているのと同じであろう。東野圭吾の作品からとったというパクリ説もある。良いとこどりはあっても、パクリではない。韓国映画で連想すると、高校生がむごい目に合う母なる復讐や不良と子供の友情を描いたアジョシなんて映画を思い浮かぶ。中国映画というより、陰湿な韓国映画で良く描かれたパターンなのかもしれない。まあ、何かしらかぶるものだ。


この映画は重慶でロケされたという。坂道と階段が多い。いずれも映画と相性が良い。何処なのかなと考えていた。猥雑なダウンタウンから高層ビルが立ち並ぶ現代的な中国に急激に変わりつつあるその姿を見るだけでも価値があるんじゃなかろうか?
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映画「春江水暖」

2021-03-03 19:39:44 | 映画(中国映画)
映画「春江水暖」を映画館で観てきました。

中国現代劇の傑作である。ゆったりしたムードを満喫できた。


裏社会にもつながる現代中国を描いた作品では、「帰れない二人」「罪の手ざわり」のジャ・ジャンクー監督や「鵞鳥湖の夜」や「薄氷の殺人」のディアオ・イーナン監督の作品はいずれもハズレがない。サスペンスタッチで楽しめる。

両監督の作品と違って、映画「春江水暖」には末梢神経を刺激するようなバイオレンスシーンはない。優雅に流れる富春江に沿った風光明媚な風景を前面に映し出し、快適な気分で映画を鑑賞できた。今回グー・シャオガン監督は新人監督と聞いてこの完成度に驚く。


現代中国の都市開発に絡む立ち退き問題や中国人の母親が娘に理想の花婿を押し付けようとする中国結婚事情などはつい先日読んだ中島恵「中国人のお金の使い道」で読んだ話と共通している点が多い。

杭州市、富陽。大河、富春江が流れる。しかし今、富陽地区は再開発の只中にある。顧<グー>家の家長である母の誕生日の祝宴の夜。老いた母のもとに4人の兄弟や親戚たちが集う。その祝宴の最中に、母が脳卒中で倒れてしまう。


認知症が進み、介護が必要なった母。「黄金大飯店」という店を経営する長男、漁師を生業とする次男、男手ひとつでダウン症の息子を育て、闇社会に足を踏み入れる三男、独身生活を気ままに楽しむ四男。恋と結婚に直面する孫たち。変わりゆく世界に生きる親子三代の物語。(作品情報より)


⒈現代中国と黒社会
おばあちゃんの誕生日パーティが行われている場面からスタートする。いかにも幸せそうだ。ところが、おばあちゃんが倒れてからその4人の息子と嫁や孫たちの物語が始まる。

金を返すとか返さないとかの話が出てくる。ダウン症の男の子を抱えた男やもめの三男の借金がたまっているようだ。三男がいったん姿を消そうとして、長男がかばい、経営する中華料理店に黒社会系の男たちに乗り込まれる。いったん三男が消えた後でまたこの町に帰ってくる。ここで一気に金回りが良くなるが、どうしてなんだろう。


あとは、日本では見たことのないような博打のシーンが出てきて、黒社会を取り扱うジャ・ジャンクー監督などの匂いを少しだけ感じさせる。どうも中国の人には借金体質があるようだ。

⒉立ち退きは一儲け
中国で立ち退きと言えばおいしい話である。立ち退き=自分にもチャンスが巡ってきたとほくそ笑む。(中島恵「中国人のお金の使い道」p31)

上方の女芸人風に見える長男の奥さんが無理して家作を手に入れた結果、そこに開発話があって立ち退きの収用費用で一儲けしたという自慢話をする。家が持てない人にアンタ下手ねとばかりに話すシーンもある。しかも、家のない娘の恋人との結婚には猛反対だ。中国では適齢期女性より男性の人口が3000万人多く男女比がアンバランス。男性はマンションを持っていないと結婚してもらえない。(同上 p66)それなので、むしろ女側も強気だ。清の時代をはじめとして歴史的にも中国では独身男性が多くなる傾向がある。

あとは、古い団地の解体のシーンが多い。次男が自宅があった建物を壊しているのを見てたたずむシーンもある。現代中国の縮図と思しきシーンだ。

⒊驚きの長回し
これには驚いた。家族の長男の娘と彼氏のデートシーンである。富春江の川岸で、自分は川を泳ぐので、君は歩いていってと彼氏がいい泳ぎはじめる。カメラはおそらく船上からずっと追う。泳ぎ終わって川岸を2人で延々と歩く。セリフは続く。一つミスしただけでゲームセットである。これもすごい!


周囲にはエキストラと思しき、川で泳ぐ人や犬を連れた人なども大勢映る。それらがあっての映像コンテである。一筆書きのようなずっと連続する映像は時おり見るが、編集がされているのは間違いない。ここでは一つのカメラで長い間ずっと映し続けるのだ。圧巻とはこのことだ。

⒊富春江と美しい映像ショット
後漢が終わるころに中国の支配をめぐって争った魏、蜀、呉国の一つ呉の孫権が舞台になる富陽の出身だと映画で何度も語られる。近代になって架けられた橋や高層ビルも借景になり、古くからの建物とあわせて美しい姿を見せる。夜景もきれいだ。そこでいくつもの美しいショットをこれでもかというくらい見せてくれる。


そのバックに映る長男の娘が清楚で美しい。これが清々しい。
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映画「フェアウェル」オークワフィナ

2020-10-07 22:54:15 | 映画(中国映画)
映画「フェアウェル」を映画館で観てきました。


映画「フェアウェル」は比較的評価も高く、主演の中国系アメリカ人オークワフィナゴールデングローブ賞主演女優賞を受賞している。余命短いと宣告受けた中国に住む祖母の元に、帰国する家族が祖母に病気が深刻だとわからないように右往左往する話である。

期待して見に行ったが、完全外された。たまにはこういうこともあるのであろう。2019年の最高傑作とまでいう人がいると目にして、なんで評価が高いのか理解できなかった。オークワフィナが特別な演技をしているようにも思えない。不治の病気を告知するかしないかという題材はたまに見るが、ストーリーの展開にサプライズも感激も涙も何もない。通常こういうのはブログアップしないが、たまには追ってみる。

6歳の時に中国からアメリカに移住して25年になるビリー(オークワフィナ)は、父ハイヤン(ツィ・マーガン)と母ルー(ダイアン・リー)から祖母ナイナイ(チャオ・シュウチェン)が肺がんで余命3ヶ月と宣告されると聞く。父母は病のことを本人に悟られないように、ビリーのいとこの結婚式を口実に中国長春へ帰郷する。ビリーはすぐしゃべってしまうとニューヨークに残されたが、いたたまれなくなり追いかけて中国に向かう。


ビリーは真実を伝えるべきだと集まった親類に訴えると、中国では不治の病は告げずに見送るべきだと親戚中から反対される。病状はまったく楽観できないのにナイナイは元気に結婚式の準備を仕切っている。うまくいかない人生に悩んでいたビリーは、逆にナイナイから生きる力を受け取っていく。そして結婚式を迎えるのであるが。。。

1.2人のいやな女ビリーと祖母ナイナイ
ビリーはNYで親元を離れて一人暮らしをしている。雰囲気は「魔法使いサリー」のよしこちゃんみたい。幼いときに両親と中国から移民で米国に来た。グッゲンハイム美術館の学術員に応募したが、不合格通知が来ている。自立心が高いのはいいが、家賃は滞納して家主から文句を言われている。父親からお金援助してあげるか?といわれても大丈夫と突っ張る。素直さに欠ける。

金がないくせにクレジットカードで中国に渡航する。しかも、長春への渡航便ってそうはないから旅費は高いんじゃないかな。たぶん払えない気がするんだけど。ブラックリスト行きか。これってルル・ワン監督自らを描いたモノなんだろうけど、いやな女だ。

祖母ナイナイの自室には人民服を着た姿での夫とのツーショットの写真がある。あの文化大革命をよく乗り越えてきたものだ。長春は旧満州の新京であったが、そのころからいたわけではないだろう。長男は日本に、次男がニューヨークと2人とも外国へ行ってしまった。主人を天国に見送り、1人で暮らしている。太極拳を毎朝気合いを入れてやっている。

強烈な仕切り屋だ。孫の結婚式の料理や記念写真にまで口を出し、ロブスターかカニかで式場の担当者と渡り合う。出しゃばり女だ。孫が結婚するのはアイコという日本人で中国語がわからないと思って陰口をたたく。いやな女だ。風邪をこじらせたと病院へ行っているが、付き添いの妹には医師は余命3ヶ月といっている。咳がはげしい。自分も上司を2人肺がんで亡くしたが、死ぬ前は咳が出ていたなあ。


いやな女が2人いるだけで感情流入がしずらくなる。
でも、逆にナイナイの息子2人はまともだ。2人とも性格がいい。女流監督にありがちだが、女のいやなところをこれでもかとばかりに表現する。まさにこの映画そうだよね。逆に父親にはやさしい想い出しかないせいか、それが映像化される。皮肉だね。


2.中国の発展と日本の左翼系文化大革命絶賛人
いろんな中国映画を観てきて、極端な田舎じゃなければなにかしら街に特徴があってどこか想像できる。でもずっとこの中国のまちどこなのか?と思っていた。ようやくわかったのが、結婚式のシーンで、長春の名前が出てくる。まともな日本人ならすぐさま満州国の首都新京だとわかるであろう。日本は戦前旧満州に近代国家を作る名目で格調ある建造物を建ててきた。それは映っていないし、超高層の建物が建て並ぶ近代都市なので驚いた。生活水準も高そうだ。


中国は景気がいいというセリフもでているし、ホテルでビリーがある部屋を一瞥すると、商売女らしい美女を横に侍らせて麻雀をやっているシーンが出てくる。しかも、ビリーのいとこが結婚するのがアイコという日本人なのはビックリだ。でも日本に対するいやな表現はまったくない。

米中の対立はちょっと米国がやりすぎという印象を自由貿易主義者の自分は持つ。ある意味中国がものすごいスピードで発展するのが怖いのだ。よくぞここまで眠れる獅子が目を覚ましたのかと思う。中国自体は文化大革命で30年以上発展が遅れた。日本の知識人には文化大革命を支持した人が多い。

A新聞の連中もその片棒をかつぐ。文化大革命に批判的だった東京外語大の中嶋嶺雄のようなまともな中国研究者がいたと思えば、早大教授安藤彦太郎や新島淳良のように学園紛争を支持してどうにも手のつけられない文革信者の連中もいるし、小島麗逸のように自己批判して転向した人もいる。この現代中国人の充実した生活をみてどう捉えるのであろうか?これでも農村からの革命と言うのであろうか?日本の左翼系知識人および学生運動にかまけていたクズ連中は本当に困ったものだ。

最後のワンシーンはよくわからない。これってシャレ?どう受け取ればいいのかしら?
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映画「鵞鳥湖の夜」 グイ・ルンメイ&ディアオ・イーナン

2020-09-26 20:00:33 | 映画(中国映画)
映画「鵞鳥湖の夜」を映画館で観てきました。


「鵞鳥湖の夜」は「薄氷の殺人」のディアオ・イーナン監督の新作である。主人公グイ・ルンメイリャオ・ファンが再度登場する。これはすぐさまいくしかない。「薄氷の殺人」は旧満洲ハルビンを舞台にしたミステリーで、夜の中国のダーティーなムードは素晴らしく、巧みな映画作りに魅せられた。

前作ほどまでは望めるかと思ったら、むしろこの映画の方がいい。往年の吉田栄作に似たフー・ゴーが加わる。単純な話だけど、スリルたっぷりで楽しまさせてくれるし、世間一般では報道されない中国式黒社会や売春などの現代中国のダーティな面がクローズアップされる。バイク窃盗団の縄張り争いなんて、倫理観ある社会の国での出来事とは思えない。傑作だと思うし、好きなタイプの映画だ。

2012年7月19日
中国南部。じっとりと雨が降りしきる夜、警察に追われているバイク窃盗団の幹部チョウ・ザーノン(フー・ゴー)が、郊外の駅の近くで妻のヤン・シュージュン(レジーナ・ワン)の到着を待っていた。しかし胸に深い傷を負っているチョウの前に現れたのは、赤いブラウスをまとった見知らぬ女だった。


彼女はリゾート地である鵞鳥湖の娼婦リウ・アイアイ(グイ・ルンメイ)。なぜシュージュンの代わりに、美しくも謎めいたアイアイがここにやってきたのか。しばし用心深く互いの真意を探り合ったのち、チョウは重い口を開き、自分の人生が一変した2日前の出来事を語り始めた。

7月17日
夜、刑務所から出所して間もないチョウは、自らが所属するバイク窃盗団の技術講習会に顔を出した。ところが会場のホテルで指南役のマーが、数十人もの構成員に担当区域を割り振っている最中、思わぬ揉め事が発生。若く血気盛んな猫目・猫耳の兄弟が、古株のチョウがリーダーを務めるグループに因縁をつけ、チョウの手下の金髪男が猫耳に発砲してしまったのだ。


仲裁に入ったマーの提案でチョウと猫目・猫耳の両グループは、制限時間内に何台のバイクを盗めるかを競う勝負を行うことになった。しかしその真っ最中、猫目が卑劣なトラップを仕掛けて金髪男を殺害し、チョウの胸にも銃弾をお見舞いする。からくも猫目の追撃を交わしたチョウだったが、バイクでの逃走中、視界不良の路上で誤って警官を射殺してしまう。

7月18日
警察は総力を挙げ、警官殺しの容疑者チョウを全国に指名手配し、30万元の報奨金をもうけて一般市民からの通報を募った。最新の捜査情報によれば、動物病院で手当を受けたのちに姿を眩ましたチョウは、鵞鳥湖の周辺に潜伏しているらしい。再開発から取り残された町や無人の森が広がっているこの一帯の捜索を担当するのは、凄腕のリウ隊長(リャオ・ファン)率いる精鋭チームだった。


この日、鵞鳥湖の畔で観光客相手の娼婦をしているアイアイは、“水浴嬢”と呼ばれる彼女たちの元締めであるホア(チー・タオ)から、ある依頼を受ける。それは逃亡中のチョウが会いたがっている彼の妻シュージュンを捜し出すことだった。
(作品情報より引用)

⒈雨降る夜の世界
現代中国のダーティーな部分を題材にした映画に傑作が多い。ジャ・ジャンクー監督帰れない二人(記事)罪の手ざわり(記事)が代表的な作品だが、迫りくる嵐(記事)もよかった。「迫りくる嵐」でも雨が効果的に使われていた。この映画で主人公2人がスタイリッシュに出会う時に強い雨が降っていたし、警察官を撃ち殺す場面でも強い雨の中を主人公はバイクを飛ばす。レベルの高い韓国クライムサスペンス映画で犯罪を犯す場面に雨のシーンが多いのとすべてが通じている気がする。

そういう雨が降る中での中国の町独特の薄暗いムードと浮かび上がるように光る多彩な色のネオンサインがこの映画のムードを高めている。撮影のドン・ジンソンは「薄氷の殺人」と同じ、美術のリウ・チアンは「迫りくる嵐」と知り、妙に納得する。

⒉グイルンメイと売春婦
台湾映画で純情そのものであったグイ・ルンメイももはや清純派でいく年齢でもない。「薄氷の殺人」で一皮むけたあと、本作品では売春婦だ。ベリーショートの髪で赤いワンピースに身を固め、顔の表情はいかにも中国人という冷淡そのものの表情で登場する。渋い。

湖にいる「水浴嬢」と称する。お金で買った男と、湖の中で抱き合いながらいたす。確かに海で抱き合って交尾の態勢に入っても周囲から見てもわからない。恥ずかしながら若い頃、自分も海でそういう経験はある。


⒊単純にいかないストーリー
キーとなるストーリーにフラッシュバックを何度も挿入する構成である。前回薄氷の殺人では、説明が少なく理解不能となる場面もあった。それだけに緊張感をもって映像を追ったが、たった3日間の出来事なので捜査活動をする警察官同士の会話で流れは理解できた。前回のようなことはなかった。それでも、ディアオ・イーナン監督のセリフに頼らず映像で見せる基本はかわらない。これはこれでいいと思う。

ヤクザ映画がどちらが味方か敵かよくわからない展開になるのと同様に、この映画も頭を混乱させられる場面はある。登場人物自体がどっちが味方かがわからないなんて言っている。単純ではない。ここでという場面で裏切りもある。こちらもフェイントをくらう。

そんなストーリーのバックで流れる音響効果もいい。映る風景自体が60年代前半の路地が多い日本の猥雑な町そのもので、バックに流れる映画音楽も武満徹を連想させるものだ。実にいい感じ。実際にある60年代の日本のサスペンス映画を洗練させたという感じをもった。


4.印象深いシーン
マジックミラーのように連なる鏡の中で主人公2人が彷徨うシーンがある。とっさにオーソン・ウェルズ「上海から来た女」のサンフランシスコの遊園地のマジックミラーに映るオーソン・ウェルズとリタ・ヘイワースを思い浮かべた。独自の世界をディアオイーナン監督はここでも繰り広げている。

町では70年代後半の「ラスプーチン」や「ジンギスカン」なんて新宿のディスコで踊られていたディスコミュージックに合わせて、隊列を組んでステップダンスを踊っている。最近の中国映画を観ると、こういう場面によく出くわす。時代は30年以上ずれていると思うけど、みんな楽しそうに踊っている。一種盆踊りのように思えてならない。中国ではやりなんだろうか?
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映画「チィファの手紙」ジョウ・シュン&岩井俊二&ダン・アンシー

2020-09-13 05:53:09 | 映画(中国映画)
映画「チィファの手紙」を映画館で観てきました。


岩井俊二監督作品ラストレターは今年公開された中でも好きな作品だ。そのラストレターとほぼ同じストーリーを中国で岩井俊二監督が撮った作品「チィファの手紙」が公開されると聞き早々に見に行く。実は中国版の方が先に制作されたらしい。プロデュースにはこれも自分の好きな香港映画ラブソングの監督であるピーターチャンが加わる。どんな感じに仕上がるのか見る前から興味津々だった。

ラストレターが夏休みの出来事であるのに対して、「チィファの手紙」が冬の中国が舞台と対照的な設定がいくつかある。それでも、ストーリーと場面はほぼ同じなので目で追いやすい。岩井俊二自ら音楽担当のクレジットに名を連ねる澄み切ったピアノが基調の音楽に合わせて流れる映像は美しく快適な時間を過ごせた。

チィナンの葬儀が終わった後で、チィナンの娘のムームー(ダン・アンシー)は中学の同窓会の通知が母の手元に届いていたことをチィナンの妹ユエン・チィファ(ジョウ・シュン)に伝えて渡す。チィファは同窓会に出席して姉の死を告げるつもりが、本人に間違えられてしまいそのまま席に着く。そこには、その昔憧れていたイン・チャン(チン・ハオ)が出席していた。

思いもよらずスピーチを依頼されたチィファは早々に席を離れるが、彼女をイン・チャンが追いかける。チィファはここでも姉チィナンの代わりできたとはいえなかった。イン・チャンからこのあと一緒にどうですかと聞かれたが、交換先をスマホで交換して別れる。「あの小説読んだ?」と聞かれたが、チィファは意味がわからなかった。


帰宅後、イン・チャンが「ずっと好きだった」というメッセージを送ったのをチィファの夫が見つけて憤慨する。チィファのスマホは壊されてしまう。仕方なくチィファは、チャンに住所を明かさないまま手紙を送る。手紙を受領したイン・チャンは感激して返信する。

住所がわからなかったので元の住所に送る。宛名が死んだチィナン宛てであったので、娘のムームーと冬休みで来ていたチィファの娘サーラン(チャン・ツィフォン)が封をあけて手紙を読む。そして、2人がイン・チャンに向けて返信するのだ。


30年前にさかのぼる。北京からイン・チャンが家族で転校してきた。インチャンの妹とチィファ(チャン・ツィフォン一人二役)が同級で仲良かったので、妹が病気で休んでチィファが訪ねてきたときにはじめてインチャンと出会う。その後、インチャンの妹の病気が長引き、改めてチィファが訪ねてきたとき、たまたま外で姉のチィナン(ダン・アンシー一人二役)が自転車で通りかかる。

チィナンに一目惚れしたイン・チャンはラブレターを書き、チィファを通じて姉に渡してくれと頼む。何度も書いたのにもかかわらず反応がないのでどうしたのかと思っていた。生徒会の会合でイン・チャンとチィナンが会ったときに改めて確かめると、妹のチィファがイン・チャンのことを好きになったので手紙を渡していないのがわかったのであるが。。。

こうして現代と30年前が並行して流れるのはラストレターと同じである。

1.現代の中国ヘの変貌
こうして現代中国の場面が出てくると、少し前の中国映画や地方を舞台にした作品では映っていない現代風住居とインテリアが急激に洗練されたことに驚く。街並みもきれいに整った。システムキッチンも廻り縁のある部屋も少し前はこんな小綺麗でなかった。チィナンの父母も住む家が平屋で、岩井俊二監督中山美穂主演の名作「love letter」で中山美穂が住む家によく似ていることを思い出した。あの映画も冬の小樽が舞台だった。

2.中国版出演者
チィファを演じたジョウ・シュン は中国四大女優のひとりとまで言われる存在だ。個人的には永作博美に似ている気がした。ここでは大きな抑揚はなく中国の俳優らしく淡々と演じる。ラストレターでは福山雅治に対応する小説家をチン・ハオが演じる。松任谷正隆を散切り頭にしたような雰囲気の俳優だ。でも、賃料の高い上海にいることも含め、労働せずに文筆活動という設定自体が毛沢東がもっとも嫌悪するタイプで文化大革命を経た中国社会ではありえない存在ではなかろうか?と感じる。


それにしてもかわいいのは若き日のチィナンとチィナンの娘の一人二役を演じたダン・アンシーだ。この清楚さは新垣結衣を連想する。中国の女優というと、ゴンリーとかチャン・ツィイーのように気が強そうで、打算的に見える。それとは違う。広瀬すずもかわいいけど、チィナンの存在はこの作品が上に見える。


3.中山美穂と豊川悦司
ラストレター」のとき、もっとも衝撃的だったシーンは中山美穂と豊川悦司の2人が出たときだ。これには背筋に電流が走った。セリフと設定は若干違うが、同じようなシーンがある。残念ながらlove letterという前哨戦の名作があるからわれわれを驚かせたというハンデがあるわけど、これも日本版に軍配が上がる


4.30年前のチィナンのスピーチ
卒業式の答辞を依頼され、美人で優等生のチィナンが指名される。その添削をインチャンが頼まれる。手紙の文面が素敵だったからだ。チィナンが一生懸命考えてつくったそのスピーチがいい。当然、岩井俊二の思いが入っているわけだ。


われわれには無限の可能性がある。この場所で等しく輝いていたわれわれが違う人生を歩んでもまた巡り会おうというようなことを言っていたと思う。これを聞いて魯迅の「故郷」を思い出した。われわれの時も中学三年生の国語の時間で習ったけど、今も教科書にはあるらしい。40年以上前の授業だったけど、つい昨日のように思い起こせる。

自分の時は私立中学志向に移行し始める時期だった。中卒も若干いたし、結果的に高校中退もいた。勉強できるやつも含めてレベルは上から下まで公立中学で一緒に過ごしていた。この作品をあらゆる日本の中学3年生が習うのはこのスピーチにあるようなことを感じさせる意味があると思う。あれ?「ラストレター」のときはどうだっけと思いながら感激していた。
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ドキュメンタリー映画「一人っ子の国」

2020-07-01 22:28:12 | 映画(中国映画)
ドキュメンタリー映画「一人っ子の国」は中国系女性監督による中国の一人っ子政策の実態に迫るドキュメンタリーである。Amazon prime で無料で見れる。


1979年から2015年にかけて、中国では「一人っ子政策」なる計画生育政策がとられた。それにより、中絶手術が頻繁になされたり、生まれたての赤ちゃんが捨てられたり、海外へ養子として売買されることが起きた。

自らの出産を機に、米国に住む中国系女性監督ナンフー・ワンが故郷である中国江西省王村へ向かった。そして、その村の村長やお産婆さんなどに取材する。国家政策に従うため不妊手術や中絶を余儀なくされた女性たちは多い。その村のお産婆さんの証言では5万件以上あったという。

しかし、村の誰もが「仕方なかった」と捉えている。共産党への恨みもない。しかも、男子優先で1985年に生まれたナンフーには1990年に生まれた弟がいる。もし、女の子として生まれていたらこの世に生きてはいないかもしれないと弟は語る。


捨てられた赤ちゃんも多かったようだ。映像では無残にもゴミのように捨てられた赤ちゃんの写真も映し出す。外にすてられた赤ちゃんを売買していたブローカーがいること、1992年に始まった国際養子制度で海外へ向かった子供たちが大勢いること、それには役人の汚職があったことも語られる。双子姉妹の片割れが米国に渡り、ネット上でつながるシーンもある。

⒈中国経済の遅れと一人っ子政策のスタート
1960年代半ばから始まる文化大革命により、中国経済は30年以上遅れたと言われる。ブルジョワと責められ、失意の中で亡くなった劉少奇元主席をはじめとして、毛沢東思想に従う紅衛兵たちにより糾弾され政府関係者も数多く失脚した。

一度ならず二度も失脚した鄧小平が1976年の毛沢東の死後復権を果たす。権力を握ると資本主義経済原理を取り入れ、現在に至る経済成長の基盤をつくった。それ自体がスタートするのは1977年から79年にかけてのことである。当然文化大革命による経済発展の中断で中国の国民はみんな貧しかった。経済復興が始まるのと一人っ子政策のスタートはある意味一致するのである。


このまま、人口の増加が続いていると2000年には多くの国民が餓死するという瀬戸際だったのだ。現地の中国人に取材すると、このままだと人食いが始まったり餓死が多発したはずだと誰も仕方なかったという。1970年代後半の経済状態を考慮すると、確かに仕方ないと言えるのではないか。しかし、その後の中国の経済成長を考慮すると、一人っ子政策は2000年前後には終了していても良かったのかもしれないと感じる。

⒉1950年代における日本の中絶
日本では、戦後のベビーブームで昭和20年代前半すなわち1949年までは1年に250万人を超える赤ちゃんが生まれた。昨年2019年の出生数が86万人だったことを思うとものすごい数だ。戦後まもなくは食料事情も悪く、生活に困窮する人たちが多い中での「貧乏人の子沢山」である。

やがて、出生抑制がされるようになり、1949年に経済的理由による人工中絶が認められるようになる。1950年に中絶率10%だったのが、1954年には何と50%にまで上昇する。1955年に116万件、1960年に107万件の人工中絶があったというデータもある。(男女共同参画局HPより)
1955年の出生数が173万人、1960年の出生数が160万人(人口動態調査HPより)ということから見ても多くの赤ちゃんが生まれずにいたのだ。自分と同世代は本当はもっとたくさんいたのだ。


一人っ子政策というのはなかったけど、昭和20年代後半から30年代にかけての日本もたいして変わらなかったのかもしれない。
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映画「罪の手ざわり」 ジャ・ジャンクー

2020-02-14 19:32:52 | 映画(中国映画)
映画「罪の手ざわり」は2014年公開の中国映画だ。


昨年観た作品の中では、ジャ・ジャンクー監督の「帰れない二人」は年を代表する傑作である。スケール感がある。自分のブログで昔の作品をチェックすると、「罪の手ざわり」が下書きのままになっていることに気づく。 ジャ・ジャンクー監督 作品の常連チャオ・タオがナイフを振り回す流血シーンが印象的で凄みを感じた。ところが、4つの物語をどうまとめて書くか頭が混乱している形跡がある。もう一度再見してみると、現代中国の縮図になっている作品だ。改めてブログを清書してみる。

ダーハイは山西省・烏金山に暮らす炭鉱夫。彼は、村の共同所有だった炭鉱の利益が、同級生の実業家・ジャオによって独占され、村長はその口止めに賄賂をもらっているのではないかと疑い、大きな怒りを抱いている。
「お前を訴えてやる」とジャオに伝えたダーハイは、ジャオの手下たちによって暴行され、大けがを負う。街の広場で演じられていた古典演劇「水滸伝」の主人公、林冲の「憤怒により、剣を抜き……」という言葉に自らの思いを重ねるダーハイ。帰宅したダーハイは猟銃を持って、役人たちのもとへと向かうが。。。(作品情報より)


重慶に妻と子を残し出稼ぎのため村を出たチョウが、正月と母親の誕生祝いにあわせて帰省した。「三男が帰ってきた!」という村人の声とともにチョウが帰ってくると、チョウの妻と幼い息子は複雑な表情で彼を迎える。
「送金を受け取ったわ。13万人民元。最後のは山西からだった」「武漢で稼いで、山西から送ったんだ」
出稼ぎとはいえ、各地から大金を振り込んでくる夫を怪しむ妻は、そっと夫のデイパックを開き、銃の弾倉を見つけてしまう。さらにそれぞれ行き先の違う切符を発見した妻は、「広州に行くの? それとも宜昌? 南寧? この村にいたらいいじゃない」とつぶやく。彼女は夫が何の仕事をして大金を送ってくるのか、ただの出稼ぎではないことに気づいていた。翌日、身支度を済ませると、チョウは街へ向かい、バッグを預けた後、金持ちそうな女を追い銃を向ける。(作品情報より)


夜行バスで湖北省・宜昌(イーチャン)に到着した男、ヨウリャンがカフェへ向かうと、恋人のシャオユーが待っていた。二人はもう何年もの付き合いになるが、ヨウリャンには妻がいる。「奥さんをとるなら、私と別れて。お互いに考えて決めましょう」


話し終えて再び別れると、シャオユーは勤め先の風俗サウナに戻る。彼女はここで受付係をして働いていた。
ある日シャオユーが勤務を終えて、勤め先の未使用ルームで洗濯をしていると、二人の男が「マッサージしろ」と部屋に入ってくる。自分は娼婦ではない、と断るシャオユーに男たちは執拗に迫るが。。。(作品情報より)

シャオユーの恋人、ヨウリャンが工場長を務める広東省の縫製工場で働く青年シャオホイは、勤務中に別部署のスタッフに話しかけた時、スタッフはうっかり機械に手をはさみ大怪我をしてしまう。スタッフが休んでいるときの給料はお前が払えと言われたシャオホイは逃げ出すように仕事を辞めてしまう。彼が向かったのは、東莞(トングァン)。より高給な仕事に就くために、香港や台湾からの客を相手にしたナイトクラブ「中華娯楽城」で働くことにした。この店でシャオホイは、東莞に向かう列車の中で偶然乗り合わせたしっかり者のホステス、リェンロンと出会う。


彼女と休憩時間に話をしたり、休日一緒に出かけたりして親交を深めるうちに、リェンロンに恋をするシャオホイ。ついに彼女に思いを告げるが、彼女には誰にも告げていない秘密があった


1.印象深いシーン1(オンナの逆襲)
不倫をして略奪愛に燃えるシャオユーが勤めているのはサウナだ。受付と雑務をしている。サウナには虎視眈々とオンナを抱きに来ている男たちが来る。普通に指名すればいいものを、サウナの中で雑務をしているところを客に見染められる。素人がいいと。お金はいくら出してもいいという顧客2人に対して徹底的に拒否する。

そのうちに言うことを聞かないので、1人の男がシャオユーを引っ叩く。一回ならず何度も引っ叩く。これでもかと。その時、シャオユーはナイフを暴力振るう相手に向けて切りつける。血が噴き出す。初めて見たときこのシーンには本当に驚いた。今回も同じだ。


不倫をしている2人、女性が買われるサウナ、切りつけるオンナ
恐ろしさを感じる。

2.印象深いシーン2(中国版風俗で働く女)
最初見たときも4話が気になった。いわゆる中国式風俗営業が垣間見れたからである。繊維工場で人にけがさせて、その分働けと言われて飛び出した青年が、東莞市(トングァン)の夜總会で働き始める。そこでは若き美女たちが金持ちのオヤジたち相手にカラダのお付き合いをする。夜總会でお客への顔見せで、買われる美女連があでやかな服装を披露する姿などが映る。中国映画では意外と見たことない。

自分はマカオでサウナと夜總会は経験している。まさに男性天国だ。映画に映る夜總会の女の子はまだ若くてかわいい。化粧を落とした姿は芦田愛菜にそっくりである。そんな女の子に青年は恋する。ここを逃げだそうと。でも彼女には3才の子供がいるのだ。生活をしなければならない。よくある恋の話である。

東莞(トングァン)という街をここではじめて知った。あやしいネオンサインが娯楽天国マカオを連想させる。場所は香港、マカオから深圳を隔てて北側に位置して830万人も人口がいるそうだが、性都とも言われる売春天国だという。へー!こんなところがあったのか!でもここへの交通手段は知らず、観光目的の日本人にはなじみが少ないかもしれない。ここでのきわどさは現代中国を象徴する何かを感じる。

3. 節操のない暴力
第1話と第2話を見返しても、説明が少ない。解説にもっともらしいことが書いてあるが、よくわからない。中国映画の傑作は映像で何かを感じさせようとする傾向があり、比較的説明が少ない。気がつくと暴力を振るっている。第2話の主人公は山賊のようなチンピラ兄ちゃんに金を出せと脅かされ、所持している拳銃でチンピラ3人を撃つ。いきなりのこのシーンで度肝を抜かれる。
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映画「帰れない二人」ジャ・ジャンク―

2019-09-17 05:44:09 | 映画(中国映画)
映画「帰れない二人」を映画館で観てきました。


ジャ・ジャンクー監督の新作である。いつものようにチャオ・タオが主演、長回しで映し出す主演2人のやりとりが素晴らしく「罪の手ざわり」、「山河ノスタルジアよりも自分にはよく見える。薄氷の殺人で元刑事にもかかわらず事件の真犯人を追う役で好演だったリャオファオはジャンクー作品常連のチャオ・タオとの息もあっている。傑作だと思う。

2001年山西省大同、裏社会を取り仕切るビン(リャオファオ)とチャオ(チャオタオ)は麻雀屋などの娯楽場を経営している。周囲では抗争が絶えず、ビンも襲撃されることもあった。チャオは炭鉱の集落で育った。チャオの父親はそのまま住み続けていたが、石炭価格の暴落で炭鉱は閉鎖して働く人たちは遠く新疆に移らざるを得なかった。チャオは父親のために住処を用意しようとしていた。

そんな時、ビンとチャオが乗る車をバイクに乗った大勢のチンピラが取り囲んだ。運転手とビンが車を降りてチンピラに対抗したが、相手の人数は多くコテンパンにやられていた。そこで、車の中にいたチャオは以前にビンから預かっていた銃を取り出し、威嚇発砲してその場は収束した。しかし、拳銃を正規でないルートで手に入れることは違法である。チャオは本当の持ち主であるビンをかばいそのまま収監された。収容所では雪の降る寒い施設で冷や飯を食わざるを得なかった。


5年後刑務所を出所したチャオは長江の客船に乗り、途中置き引きにあったりたいへんな目にあいながらビンのもとへ向かった。ビンは携帯電話に出なかった。三峡ダム建設予定地である奉節にいるビンがお世話になっているはずの元友人リンを訪ねた。ビンの行方は教えてもらえなかった。ビンは事件から1年で出所していた。そこで、以前会ったことのあるリンの妹に会うと、実は自分が付き合っているので別れてくれと言われる。チャオは実際に会って話を聞かないと言い再度ビンを探す。そして、やっとの思いでビンと会うのであるが。。。


先日映画「ドッグ・マンを観た。主人公はいつもいじめられている暴れん坊をかばって収監される。出所してもかばった男は何もしてくれない。それどころかひどい目にあい、復讐する。そういったストーリーだ。やっとの思いで刑務所生活を終え、かばった男に会いに行くが、すでに別の女とできているという。しかも、別れてくれと。そうか「ドッグ・マン」と同じような裏切りが主題なのかと映画を観ながら思う。

しかし、そうはならない。列車に乗ったとき別の男と知り合い、その男とくっつくのかと思ったらそうはならない。それどころか、もう一度再会の場面が出てくるのだ。この長期間にわたる腐れ縁というべき恋人関係は成瀬巳喜男監督の「浮雲」ピーターチャン監督「ラブソングと近い匂いを持つ。双曲線のように近づき離れる紆余屈折がある恋である。

チャオの威嚇射撃のシーンも迫力があるし、奉節での二人の別れの長まわしシーンも味がある。これほど見どころ満載なのも珍しい。
それに加えて小さい逸話がいくつもある映画である。それぞれに味がある。


1. 渡世の酒
裏社会の顔であるビンが友人たちと酒を飲みかわすシーンがある。これって白酒であろうか?ボトルをかき集めて洗面器のような容器に入れる。それを一緒になってそれを飲み干すのだ。山西省も寒いエリアである。中国では北に行くほど、強い酒を飲む。自分の親友も上海から北に500キロ行った場所へ単身で行き、みんなで白酒を飲み干し急性アルコール中毒になり亡くなった。とっさにそんなことを思い出した。

2.YMCA
ビンとチャオが町の顔役が経営するダンスホールまがいのディスコにいく。そこでかかっているのがなんとヴィレッジ・ピープルの「YMCA」だ。日本流に言うと「ヤングマン」だ。みんな乗りに乗りまくって踊っているが、この時代設定は2001年だ。日本では1980年代に流行ったこの曲も、中国ではようやく近代化された2000年代になって流行ったのであろうか。しかも、ここでチャチャチャを踊る正統派ソシアルダンスの服装を着た男女が出てくる。さっそうと踊るこの曲も1980年代の曲だ。町の顔役は結局殺される。その時、ダンスホールでペアで踊った男女が葬式の場面で追悼で踊りまくるシーンがでてくるのがご愛嬌だ。



3.あなたが妊娠させた女の姉だ。

チャオが出所したあと、置き引きにあって無一文になる。その時、レストランで家族そろって楽しく会食をしている席を見つけて主人らしい男に言う。私は「あなたが妊娠させた女の姉だ」、最初は何を言っているのかと思う。でもそれをもう一回同じように別の男にやるのだ。そうすると、別の男は申し訳そうもない顔をして、周りに家族がいるので、さくっと大金を出す。これで元気になるものを食わせてあげよと。


これって面白い。中国は一人っ子政策だとは言え、例外もあるのであろう。


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映画「山河ノスタルジア」 ジャ・ジャンクー

2017-01-09 06:43:17 | 映画(中国映画)
映画「山河ノスタルジア」は2016年日本公開の中国映画


ジャ・シャンク―監督の作品はとりあえず見ているが、世間の評価ほど好きというわけではない。前作「罪の手ざわり」が現代中国の暗部に踏み込んでいる分興味を持ったが、ちょうど頭の回転が悪い時期でブログにアップできていない。今回も気がつくとDVDスル―だけど、前作同様重層的な映画である。

小説にするなら、かなり枚数を割かなければならないものを2時間強にまとめるとなると、セリフもかなり省略しなければならない。観客に類推してもらわねばならないことも多い。いくつかの中国映画をみてもこういうことが多い。とはいうものの映像で状況を示すというわけではない。見ようによってはむずかしく感じる人もいるのではないか。

1999年、山西省・汾陽(フェンヤン)。小学校教師のタオ(チャオ・タオ)は、炭鉱で働くリャンズー(リャン・ジンドン)と実業家のジンシェン(チャン・イー)の、二人の幼なじみから想いを寄せられていた。


ある日、リャンズーの勤める炭坑を買収したジンシェンが、リャンズーに迫る。「タオと距離をおいてほしい」と。リャンズーは答えない。結果、タオは裕福なジンシェンを選ぶ。タオは、リャンズーに結婚式の招待状を届けるが、リャンズーは、静かに汾陽を去る。やがてタオは息子・ダラーを授かる。

2014年。河北省。リャンズーは、炭坑での重労働で体を壊す。妻子ともども、15年ぶりに、リャンズーは汾陽に戻ってくる。タオはジンシェンと離婚し、一人汾陽で暮らしていた。タオとリャンズーが再会する。リャンズーの病はかなり進行していた。
ある日突然、タオの父親が死ぬ。タオは離れて暮らす上海にいるダラーを葬儀に出席するために呼び寄せる。国際学校に通うダラーは、タオを「マミー」と呼ぶが、タオは違和感を隠せない。

2025年、オーストラリア。19歳のダラー(ドン・ズージェン)は長い海外生活で中国語が話せなくなっていた。父親と確執がうまれ、中国語教師ミア(シルヴィア・チャン)との出会いを機に、かすかに記憶する母親の面影を探しはじめる―。


ペット・ショップ・ボーイズの「ゴー・ウエスト」を主役のタオがみんなと一緒になって踊るシーンからスタートする。時代が違うのか、自分にとって「ゴー・ウエスト」ヴィレッジ・ピープルの曲のイメージしかない。まじに映画の終りまでそう思っていた。それが最後の最後まで使われる。何か意味があるのであろうか?わからない。

95年の香港返還のあたりでは、まだまだ香港あたりで見る大陸人は本当にドンくさかった。その名残が残る山西省の生活といった感じだけど、ジャ・シャンク―にとっても想い出深い曲なんだろうか?


1.印象に残ったシーン1

山西省・汾陽でタオは2人の幼なじみと親しい。むしろ炭鉱で働くリャンズ―に好意を寄せている匂いもある。でも結局リャンズ―の勤務先である炭鉱を買収してしまうジンシェンと結婚する。ジンシェンとの結婚式の招待状をタオはリャンズ―に渡す。元々三人は親しいからというわけだろうが、普通はどう考えても行かないでしょう。この場面は複雑な感じを持つ。


その後10年以上たち、別の地で炭鉱夫として働くリャンズ―の体調が思わしくない。美しい妻を得て、子宝にも恵まれたリャンズ―は故郷に帰る。昔住んだ家は荒れ果てたまま残っている。なぜか、タオにもらった招待状が残されている。魯迅の「故郷」を読むような心境になる。入院しようにも金がない。その金は誰かに借りねば調達できない。リャンズ―の妻はタオに借りに行く。タオは快諾して貸す。

ドライな中国人をいつも見ている自分からすると、この設定は意外である。タオの心の奥底に悪いことしたなあという思いがあったのだろう。観客にその思いを想像させるシーンである。

2.印象に残ったシーン2
結局タオは離婚し、男の子の親権は夫になる。タオは故郷にいるが、生活の向きは悪くない。多額の慰謝料をもらったのであろう。99年の場面ではタオはいつも同じ服を着ているが、ここではサンローランの高級バッグを持っている。そんなタオの父が亡くなり、葬儀にタオの息子が飛行機で来る。上海の国際学校へ行っているので英語を話す。母親のことをマミーといい、中国語で話さずにタオに怒られる。でも幾日かの滞在を経て、上海に帰る。


上海への飛行機の切符は父親が購入していたが、タオは拒否して列車で連れて帰ろうとする。中国の列車は時間が不規則だし、時間がかかる。何でこんなにゆっくりなの?と息子は不思議がるが、あなたとずっと一緒にいたいからよと母親が言う。そしていつでも帰っていいからと家の鍵を渡す。この思いはジーンとくる。ジャ・ジャンクー自身が経験した思いがあるらしい。

3.印象に残ったシーン3
大きくなったダラーは、英語しか話せない。中国語を学ぶため学校に通い。中国人教師と親しくなる。
この中国人教師はシルヴィア・チャンである。その昔美人だった彼女も63歳といい年だ。もうババアといってもいい雰囲気だ。でもダラーは好意を寄せ、ダラーと中国人教師がベットで一夜を過ごすシーンが出てくる。でも、ちょっとこれはやりすぎじゃない。


普通、25歳くらいまでの男はいくら上でも30歳前後くらいまでの女しか自分の対象として見ないでしょう。それこそAVでよく見る母子相姦やババアが大学生を誘惑するそんなシーンに見えてしまう。これをやるんだったら、最低でもチャオ・タオよりちょっと上の年齢の女を出演させたらいいのでは?気持ち悪い。

山河ノスタルジア
中国人にも情があったのかと思える作品
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映画「薄氷の殺人」グイ・ルンメイ(桂綸鎂)

2015-01-20 20:45:14 | 映画(中国映画)
映画「薄氷の殺人」を映画館で見てきました。


予告編を見て、冬景色の中国が妙に印象に残り公開されたら行こうと思っていました。しかも、昨年のベルリン映画祭で金熊賞(作品賞)と主演男優賞を受賞している。この映画祭では「小さいおうち」で黒木華が主演女優賞となり日本でも話題になった。しかも、今回のアカデミー賞でノミネートされまくっている「6才のぼくが大人になるまで」が監督賞で「グランドブタペストホテル」が審査員特別賞ということで、両作品を抑えての作品賞受賞というのもすごい。期待して見に行きました。

しかし、始まってからストーリーの展開がよくわからない。余分な説明を省いているせいか、話の主旨を理解するのに時間がかかる。会話でストーリーをなかなか把握できない。それでも、途中から冬景色の中国のある都市を映しだしたあたりから映像美も感じられてくる。徐々にサスペンスの色彩が強くなり、おもしろくなる。
夫が殺人事件で殺された被害者の未亡人の周辺の動きがおかしいのを元刑事が執拗に追う話である。ヒロインとなる若き未亡人役のグイ・ルンメイがかわいい。『藍色夏恋』から12年、もう30代に突入したが、きつい女が多い中国人らしからぬ優しい雰囲気にこちらはノックダウンだ。彼女のスケーティング姿が素敵だった。


(1999年夏)
中国の華北地方の6都市にまたがる15ヵ所の石炭工場で、バラバラに切断された男の死体のパーツが相次いで発見された。なぜか頭部の所在は不明の怪事件だった。
捜査に駆り出された刑事ジャン(リャオ・ファン)は、妻から離婚話を突きつけられて上の空の状態だったが、彼が訪れた工場で血まみれの洋服と身分証明書が見つかり、被害者はリアン・ジージュンと判明。さらに聞き込みの結果、トラック運転手のリウ兄弟が有力な容疑者として浮上する。
すかさずジャンを含む刑事4人は美容室に踏み込み、激しく抵抗するリウ兄弟を拘束。ところが思わぬ銃撃戦が勃発し、兄弟とふたりの刑事が死亡。ジャンも銃弾を浴びて病院送りになった。


(2004年冬)
妻に捨てられ、ケガのせいで警察を辞したジャンは、しがない警備員として生計を立てていた。


酒浸りの日々を送る彼は、元同僚のワン(ユー・アイレイ)と偶然再会し、聞き捨てならない情報を耳にする。5年前の異様なバラバラ殺人に似たふたつの事件が発生したというのだ。しかも奇妙なことに、殺されたふたりの男はスケート靴を履いた足を切断されており、どちらも5年前の被害者リアンの若き未亡人ウー・ジージェン(グイ・ルンメイ)と親密な関係にあった。これは単なる偶然なのか、それともウーは男を破滅に導く悪女なのか。そしてジャンもまた、はからずも“疑惑の女”に心を奪われていく……。 (作品情報より)


元刑事のジャンが未亡人ウ―に近づいていく。
2人が一緒にスケートへ行く。スケートが不得手なジャンもたどたどしく滑る。ウィンナーワルツが流れる中、ウ―がコースを外れて滑っていく。それを手持ちカメラが追う。同時にジャンも追っていく。一体どこに行くのか?ジャンのあとは元同僚の刑事ワンも追っているのだ。
緊迫する場面だ。中国の映画でここまで凍りつく様な寒さを感じさせるものは少ない。そういう緊張させる場面がいくつか続いていく。


1.中国の寒々しい光景
まわりのネオンがさみしげだ。中国へ行ったことある人で、観光コースからちょっと離れて裏さみしい場所を夜1人歩いたことがある人ならば、独特の薄気味悪い情感がわかるかもしれない。ここではそのネオンを効果的に使っている。赤のネオン、鉄橋の黄色いネオンいずれも映画のムードにあっている。建っている建物が古い。たぶん戦前の満州国の一角なのかとも思ったが、ロケ地はハルビンという説もある。伊藤博文安重根に暗殺された場所だ。ハルビンというと波風が日本では立ちそうなので、あえて架空の都市としているのかもしれない。

2.観覧車に一緒に乗る二人
最終場面、ジャンとウ―が観覧車に乗る。このシーンを見て、オーソンウェルズ「第三の男」を連想した。この映画における「謎の男」の使い方はまさにあの映画を意識しているといえる。しかも、謎の男が強い!ちょっとビックリさせるようなパフォーマンスが用意されている。あとは夜総会のネオンだ。いかにも日本のパチンコ屋のネオンを倍くらい派手にしたような中国の夜総会らしいネオンをこの映画のキーポイントにしている。ネオンの使い方がムチャクチャうまい。



3.題名
原題は「白日焰火」である。「白昼の花火」の意味だ。それって何なの?という感じだ。英題が「black coal thin ice」である。これから薄氷という言葉がでたのかと最初思ったが、実は「白昼の花火」というのはとんでもないキーワードだった。でも、この映画の最後への展開には「いったい何?」とビックリさせられた。まさに花火が町の中で破裂しまくる奇妙な終わり方はちょっとどうかな?

この監督なかなかやりそうだ。
久々に「第三の男」を見てみたくなった。

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映画「ションヤンの酒家」 タオ・ホン

2014-11-25 20:13:53 | 映画(中国映画)
映画「ションヤンの酒家」は2002年製作2004年日本公開の中国映画だ。


経済成長が進む重慶の町で、主人公が経営する酒家が地上げの波にのまれていく姿を描いている。公開された時に見た。持田香織に似た美形の中国人女優タオ・ホンが印象的であった。彼女を映しだす構図はライティングのセンスもよく美しい。

10年以上前、大陸の中国映画はちょっとドンくさい映画が多かった。その中では比較的なじめた方だった。ストーリーの核は覚えていたが、ディテイルはすっかり忘れていた。こうしてみると主人公が持つ当時の中国人らしからぬ色気に魅了される。

都市開発の波が打ち寄せる中国・重慶の街中で、かろうじて現状を保ち続ける昔ながらの屋台街。その一軒を構えるバツイチの女性ションヤン(タオ・ホン)の酒家は、名物“鴨の首”を売りに毎夜のごとく繁盛していた。


店では明るいションヤンだが、家族のことで色々な悩みを抱えていた。母は彼女の幼い頃に亡くなり、父は京劇女優と恋仲になった末に家を出た。さらに兄夫婦は家庭崩壊の危機にあり、母代わりとなって育てた弟は薬物中毒で更生施設に入っている。そんなションヤンは、いつしか常連客の男と惹かれ合っていく(作品情報より)

1.重慶の町
この映画のいいところは、重慶の町の全容をじっくり映し出し、出演者たちを上手に溶け込ませているところだ。中華民国時代は、日本軍の南京占領で蒋介石が首都を重慶に移していた。名作映画「慕情」で主人公のジェニファージョーンズ演じるスーイン医師の故郷が重慶で帰郷するシーンがあった記憶がある。


主人公の酒家のまわりは、昭和でいえば20年代から30年代にかけての風貌の屋台が連なる飲み屋街だ。外に出しているテーブルで食べ物をつまみながら一杯やる。その猥雑な感じがいい。
立ち並ぶ高層ビルを借景にした裏路地の風景に風情があり、長江の上をロープウェイが悠々と走るシーンも趣がある。


重慶市自体はこの映画が撮影された2002年のあとで急激に伸びた。改革前の重慶を映す貴重な映像だ。共産党の大幹部薄 熙来氏が大連から異動して、彼の改革が成功したのだ。しかし、権力闘争に負けて失脚。今や無期懲役で上層部が失脚する以外彼の生きる道はない。

2.地上げ屋と土地取引
毎日のように、飲みに来る1人の男がいる。風貌はいかにも大陸男性のどんくさい風貌でかっこよくはないが、さすがに主人公も情が移っていく。父も兄弟いずれもいい加減で、主人公のみがしっかりしている設定だ。気が滅入っている中で常連の男に惹かれるのも無理はない。しかも、彼は主人公と同じバツイチだ。


こうして2人は会うようになるが、この常連客が自分の酒家がある屋台街を立ち退かそうとしている地上げ屋だというのがわかる。ここからが映画のミソなので詳しく触れないが、不動産取引のためにじんわり接触するやり方は日本も中国も同じだ。

この主人公は父親の建物を贈与してもらっている。日本だと親子間の所有権移転はとてつもない贈与税を支払うのですが、中国はどうなっているのか?この贈与のせいで兄嫁と取っ組み合いの大ゲンカするシーンがご愛嬌だ。

3.女性店員と福原愛
主人公の酒家で働く女の子アメイがいる。けなげな子だけど、思い余って手を切ってしまう。その女の子はのちに幸せになるのであるが、この子が卓球の福原愛に瓜二つでビックリ。彼女が中国でも人気があるという話を聞いたことがある。この映画をみて妙に納得
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映画「無言歌」

2013-01-06 19:36:38 | 映画(中国映画)
映画「無言歌」は2011年の中国映画だ。
国家当局ではまだタブーとなっている出来事ゆえ、中国国内では上映禁止処分になった作品だ。

キネマ旬報2011年のベスト4に入っている。なかなか見るチャンスがなかった。ようやくdvd化された。毛沢東主席主導の「大躍進政策」後の飢饉の時期に右派の思想家が政治犯の収容所に入れられた。その面々の日常を描く。一般市民でさえも飢えをしのぐのが精いっぱいだったと言われる。そんな時期収容所環境がいいわけがない。飢えに苦しむ囚人たちの話だ。
長まわし中心でその収容生活を描くが、変化に乏しく、あまり楽しい映画ではなかった。

1960年の時代設定だ。共産主義の思想対立が続いている中、革命思想に反発する右派の思想家たちがいた。チベットにかかるゴビ砂漠のあたりで、視界に入る場所は一面の荒野という場所に、政治犯の収容所がある。その中では満足な食料も与えれず、苦役に励んでいた。
目的となる農園作りは一向に進まない。収容所の看守たちも、健康状態が皆悪くなることに困っていた。その中に2人の囚人がいた。一人は非常に健康状態が悪く、もう先がないと悟っていた。しかし、もうすぐたつと自分の妻が訪ねてくる可能性がある。亡くなっても自分の死体はそのままにしないで早めに埋葬するよう頼んでいた。そして彼は死にいたる。そんな時上海から一人の女性が訪ねてくるのであるが。。。。

戦後しばらくは戦前の否定として、左翼思想が日本を覆った時期がある。日本は台湾に移った蒋介石総統への恩義もあり、中華民国を承認していた。テレビ放送も中国本土を「中共」と表示していた覚えがある。中国本土の情報は香港経由でわずかに入るだけで、今とは想像もつかないくらい何も情報がなかった。日本の知識人と言われる人たちは共産党およびマルクス経済学、計画経済を崇拝し、資本主義より素晴らしいシステムがあると信じ切っていた。計画経済によって、共産諸国は大きく発展していると想像していたわけである。
ところが、実態はまったくそうではなかった。ソビエトの計画にならい、毛沢東主導で「大躍進」計画が実施された。ところが、技術的な基盤がないために、全くうまくいかなかった。農村は飢饉の状態で数千万人の死者が出たと言われる。1959年あたりにはその実態を政府当局も把握して、若干の軌道修正が図られていたわけであるが、右寄りと言われる政治犯はチベットのゴビ砂漠の近くの収容所にいたわけである。

時代背景はそんなところであろう。
収容所の中は最悪の食糧事情である。一般の人たちに行きわたらないのに食糧が来るわけがない。次から次へと人が死んでいく。別に拷問で死ぬわけではない。つらい話だ。そこへ一人の妻がやってくる。そして自らの夫の死を知り、このへき地で嘆き悲しむという設定だ。
映画自体は凡長な感じで、囚人たちは大変だとは思うが、別に胸にジーンとくるわけでない。

この映画では改めて、共産主義を選択した国の破滅への道をうまく象徴している気がする。
逆の立場で考える。アメリカは戦後マッカーシズムで共産主義者が粛清された時期があった。映画界からも著名な監督や脚本家が追放された。しかし、彼らはこのような収容所に入ったわけではない。
共産主義者として告発を受けた人々を実質的に救ったのは市場経済である。政府から放り出されても、市場で職を見つけることができた。もしも雇用主が政府しかなかったら、告発された人々は路頭に迷うしかなかった。あるいはこの映画のような監禁を受けたであろう。彼らは中小企業、小売業、農業などで職を得た。しかも匿名ながら映画界で生き延びた人物もいる。市場の中で恩赦を受けている。
市場原理主義とののしり、市場経済に疑問を投げかける人にはこういう悲しい事実があることを、このあとの文化大革命に関する映画とあわせて見せつける必要がある。
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上海家族

2009-10-28 21:32:05 | 映画(中国映画)
原題は「shanghai woman」である。上海のある母子の物語。女性監督らしい視点で上海の家族を映し出す。

夫婦と15歳の娘のある家族。旦那が女をつくって2年、別れられずにいることが耐えられずに、小学校の教員である妻は娘と一緒に家を出る。主人公の実家に帰るが、その母は出もどりの娘をあまり歓迎していない。また、弟夫婦もいて窮屈であった。彼女は妻に死なれた李さんという男性と知り合い、子連れ同士で結婚する。性格のよい李さんに引かれたからだが、結婚してみるとけちな男性であることがわかる。。。。。

何てことない話だ。ただ、現代の中国の一般家庭生活のホームドラマは少ないので、興味深く見れた。一般の上海人たちがどういうところで生活して、どういうことを考えているのかがよくわかる。タッチは女性監督らしい仕上げ方だ。男たちがみんなだらしないいやな男に仕上げすぎたのはちょっとやりすぎの気もした。
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あの子を探して  チャンイーモウ

2009-01-27 18:42:21 | 映画(中国映画)
素人を使わせるとうまいチャンイーモウ監督の傑作

中国僻地の小学校の先生が母親の看病のため一ヶ月学校を離れるので、村長が代用教員として主人公の13歳の女のこを連れてくる。村には金もなく、報酬の50元も後払い。
ほとんど何も教えられない彼女は生徒たちをうまく扱えず、28人の生徒たちは教室の中を走り回る。
村を先生が離れるときに、生徒が一人もいなくならなければ10元払うよという約束だったため、主人公は生徒の離脱に神経を払う。
しかし、足の速い女の子が一人町に連れて行かれることになる。必死に阻止しようとするが、女の子は町に行く。
その後一番の腕白坊主が家の借金の埋め合わせに町に働きに行かされる。
彼が町に行ったのを知った先生は、彼を連れ戻そうと試みるが、町に向かうバス代すらない。
生徒たちにも手伝ってもらってレンガ運びで15元稼ぐが、バス代は片道20.5元これでは往復の運賃に足りない。
バスの無銭乗車で向かうが、結局ばれて降ろされて歩くことに、途中で運良くトラクターが来て町にいく。
しかし、町に着いて彼の行き先に向かうと、彼は途中で脱走したことがわかる。
何もわからない町の中で必死に彼女は探そうとするが。。。。

チャンイーモウ監督「初恋のきた路」でも僻地の学校が舞台であった。
あの時は、村に来た新任教師をチャンツィイー扮する村の娘が恋する話であった。
チャンイーモウの生い立ちは教職と何か関連があったのであろうか?
それにしても日本では考えられない13歳の代用教員である。
明治の日本でもここまでの代用教員はいなかったであろう。

中国には都会と農村に強烈な格差があると聞いているが
大きく経済発展を遂げた現在でもこれに近いこともあるのであろうか?
いまだに義務教育の途中で生活のために学校を辞めざるを得ない子供たちが
いっぱいいるらしい。大変だ。

主人公は中国人のいやらしさもあるが、農村育ちのたくましさがある。
非常にけなげだ。テレビ局の前で教え子を探してもらうためにずっと待ち続けるシーンは素敵だ。

チャンイーモウらしい色彩の美しさはこの映画では出てこない。
でも現在の日本には考えられないような素敵で素朴なな人と人とのふれあいがある。
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