「愛の勝利を ムッソリーニを愛した女」を週末劇場で見てきました。
噂は聞いていましたが、凄い映画です。迫力に圧倒されました。今年の№1かもしれません。
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ベニート・ムッソリーニは御存じ戦前日本が日独伊三国同盟を組んだイタリアの独裁者だ。ファシズムという言葉を生んだイタリアの独裁者として、“統師(ドゥーチェ)”と呼ばれた。その彼には、イーダという、全人生を彼にささげた一人の女性の存在があった。その二人の関係を一人の社会主義活動者としてムッソリーニが活躍していたころから追っていく。政治色はあっても、はかない恋の物語だ。映像コンテ、音楽、美術いずれも完ぺきだ。
20世紀前半のイタリア、若きムッソリーニことフィリッポ・ティーミは熱心な社会主義者だった。ローマ教皇の腸で国王の首をしめろなんて凄いこと言っている。その彼とイーダことジョヴァンナ・メッツォジョルノが恋に落ちる。オーストリアをめぐって参戦論が国内を二分した第一次世界大戦をはさみ、政治活動に励むムッソリーニ。イーダは全財産を売却して彼の理想の実現のために提供する。その資金援助をもとに新たな日刊紙「ポポロ・ディタリア(Popolo d'Italia)」を発刊。さらに、独自の政治組織を摸索する。
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しかし、彼には本妻がいた。イーダは、やがてムッソリーニの子供を産む。彼は認知はするが、本妻は別れようとはしない。自分が彼の妻であり、息子がムッソリーニの長男であることを懸命に主張する。そんな中イタリア国内でムッソリーニの支持率が急上昇していく。国王とも手を結ぶ。その過程で、日蔭の立場からの逆転が難しくなるばかりでなく、彼女は精神に異常をきたしているようにみなされるが。。。。。
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ニュース映画を映像の中に入れ込むが、不自然さはない。むしろ全盛期のムッソリーニの演説を映像に織り込ませて迫力を増幅する。ムッソリーニとその子の一人二役を演じるフィリッポ・ティーミの演説の迫力はすばらしい。ニュース映像を徹底的に研究しつくした結果生まれた演技であろう。その彼に惹かれるイーダことジョヴァンナ・メッツォジョルノの情熱的な恋の表現も熱い!ひたすら熱い!
二人の情熱的な接吻に圧倒させられる。彼女が実に美しい。
その情熱的な愛だけが見せどころではない。時代考証的にこんなことがあったのかと思わせるところがある。戦意高揚のためのニュース映画を劇場で流す場面が出てくる。プロパガンダ映画だ。当時の日本であれば、弁士が高揚する口調で観客を興奮のるつぼに押し込もうとするのであろう。ここでは映像を流しながら、ピアニストが強烈なメロディを鍵盤からはじき出す。この演奏には興奮した。凄い迫力だ。ナチスが利用したワーグナーを思い起こす。しかもこの場面が再三出てくる。
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それにしても言いたいことがありすぎて言い尽くせない。
一番興奮したのはその映像コンテだ。イーダが収容された場所にある檻のような柵によじ登るシーン。外に雪が降り続く中、柵をよじ登る女主人公、このアングルが抜群にすばらしい。雨と雪の使い方が実にうまい。映像美の極致である。それを見るだけでも価値があると思う。
若干最終の締めが史実に基づくだけに少し弱いかもしれない。でもそのカメラワークと演技は凄かった。劇場で見てよかった。
噂は聞いていましたが、凄い映画です。迫力に圧倒されました。今年の№1かもしれません。
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ベニート・ムッソリーニは御存じ戦前日本が日独伊三国同盟を組んだイタリアの独裁者だ。ファシズムという言葉を生んだイタリアの独裁者として、“統師(ドゥーチェ)”と呼ばれた。その彼には、イーダという、全人生を彼にささげた一人の女性の存在があった。その二人の関係を一人の社会主義活動者としてムッソリーニが活躍していたころから追っていく。政治色はあっても、はかない恋の物語だ。映像コンテ、音楽、美術いずれも完ぺきだ。
20世紀前半のイタリア、若きムッソリーニことフィリッポ・ティーミは熱心な社会主義者だった。ローマ教皇の腸で国王の首をしめろなんて凄いこと言っている。その彼とイーダことジョヴァンナ・メッツォジョルノが恋に落ちる。オーストリアをめぐって参戦論が国内を二分した第一次世界大戦をはさみ、政治活動に励むムッソリーニ。イーダは全財産を売却して彼の理想の実現のために提供する。その資金援助をもとに新たな日刊紙「ポポロ・ディタリア(Popolo d'Italia)」を発刊。さらに、独自の政治組織を摸索する。
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しかし、彼には本妻がいた。イーダは、やがてムッソリーニの子供を産む。彼は認知はするが、本妻は別れようとはしない。自分が彼の妻であり、息子がムッソリーニの長男であることを懸命に主張する。そんな中イタリア国内でムッソリーニの支持率が急上昇していく。国王とも手を結ぶ。その過程で、日蔭の立場からの逆転が難しくなるばかりでなく、彼女は精神に異常をきたしているようにみなされるが。。。。。
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ニュース映画を映像の中に入れ込むが、不自然さはない。むしろ全盛期のムッソリーニの演説を映像に織り込ませて迫力を増幅する。ムッソリーニとその子の一人二役を演じるフィリッポ・ティーミの演説の迫力はすばらしい。ニュース映像を徹底的に研究しつくした結果生まれた演技であろう。その彼に惹かれるイーダことジョヴァンナ・メッツォジョルノの情熱的な恋の表現も熱い!ひたすら熱い!
二人の情熱的な接吻に圧倒させられる。彼女が実に美しい。
その情熱的な愛だけが見せどころではない。時代考証的にこんなことがあったのかと思わせるところがある。戦意高揚のためのニュース映画を劇場で流す場面が出てくる。プロパガンダ映画だ。当時の日本であれば、弁士が高揚する口調で観客を興奮のるつぼに押し込もうとするのであろう。ここでは映像を流しながら、ピアニストが強烈なメロディを鍵盤からはじき出す。この演奏には興奮した。凄い迫力だ。ナチスが利用したワーグナーを思い起こす。しかもこの場面が再三出てくる。
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それにしても言いたいことがありすぎて言い尽くせない。
一番興奮したのはその映像コンテだ。イーダが収容された場所にある檻のような柵によじ登るシーン。外に雪が降り続く中、柵をよじ登る女主人公、このアングルが抜群にすばらしい。雨と雪の使い方が実にうまい。映像美の極致である。それを見るだけでも価値があると思う。
若干最終の締めが史実に基づくだけに少し弱いかもしれない。でもそのカメラワークと演技は凄かった。劇場で見てよかった。