映画「ヒミズ」は「冷たい熱帯魚」で人々をあっと言わせた園子温監督の新作だ。
腐りきった両親に育てられた中学3年生の主人公が絡まる人間模様を映し出す。
いつもながらきわどい映像と激しい演技でハートにどっしりくる。
園子温監督の作品は最近の日本映画ではその重量感でずば抜けている作品だと考える。
主人公住田祐一(染谷将太)は中学3年生だ。川沿いで貸しボート屋を経営する母(渡辺真紀子)と一緒に住んでいる。
ボート屋の周りには東北の大震災で家を失った人たちがテントで暮らしていた。中学のクラスでは主人公は異質であった。道徳的な話をする教師に反発していた。
彼のパフォーマンスを見て同級生の茶沢景子(二階堂ふみ)が住田に強い好意を示していた。しかし、住田は無視するばかりだった。それでも彼女はひたすら追いかけていた。
あるとき家を飛び出していた父親(光石研)が帰ってきた。母さんはいないかと、息子を見るや否や暴力を振るうばかりだ。父親に「おまえなんかとっくにこの世からいなくなったほうがよかったんだ」といわれるが、息子は殴られながらその言葉に耐えるしかない。
母には付き合っている男性がいた。いつの間にか一緒に飛び出してしまう。ボート小屋には主人公しかいなくなった。
そんな時、ボート屋にヤクザまがいの金融業者(でんでん)が取り立てに来る。父親が借りていた600万円の回収だ。事情を知らない主人公に詰め寄るのを見て、そばのテントの住人である夜野さん(渡辺哲)が一言口をはさむとコテンパンにやられた。お前らが返せといわれた。
夜野さんは最近知り合ったばかりのスリの達人(窪塚洋介)に仕事をもらいに行く。スリの達人からは1000万以上儲かる話があると言われていたのであった。夜野さんはお世話になった主人公のためにその仕事を請けることを決意してするの達人と現場に向かう。金のありかに向かうと、そこには死体があった。その直後にヤクザまがいの男が入ってくるのであったが。。。。
園子温監督の作品の暴力表現はかなりきわどい。予告編を見たときに少年たちが暴力を振るいあう姿を見てドキッとしたものだ。日本映画の場合暴力の演技を本気でやっている感じがしない。彼の作品は別だ。韓国映画同様本気度の高い暴力表現だ。ドキドキする。俳優たちが懸命に監督のきつい演技指導についていっているのがよくわかる。
今回は街中の無差別殺人を起こす人たちの姿も写し出す。不審者を表現する。
いくつかの暴力的なシーンで泥まみれになるのを見てフランス映画の名作「恐怖の報酬」を連想した。あの映画の終盤で主人公イブモンタンと相棒が油まみれになるシーンがある。映画史上でもこれほどすさまじいシーンはない。この映画でも泥んこまみれになるシーンからは同じような衝撃を感じた。今回はこれまでの彼の作品と異なりセックスシーンは少ない。それを補うかの如くの暴力描写の強調だ。
あとは主人公と同級生の女の子の好演が印象に残る。2人とも親からお前なんか生まれない方が良かったといわれる少年少女だ。親の言葉を聞くとむかついてくる。幼児虐待をするような親たちを想像する。そんなハチャメチャな親の虐待から懸命に自力で逃げていこうとする若者を見事に演じた。「冷たい熱帯魚」で狂気の世界を演じた俳優たちがここではおとなしい。あの作品でのでんでん、吹越満、黒澤あすかの演技はまさに狂気の世界を彷徨っている感じだった。ここでも強い個性をみせるが地味にサブに回る。
二階堂ふみが印象的だ。
世話好きで、男性の面倒を見たがるようなタイプの女の子って割と昔は学校に多かった気がする。
最近世の中から減ったんじゃないかなあ?おせっかいで見ようによってはうっとうしい印象すら与える女の子だ。おまえなんか消えろといわれながらも好きな男にしぶとく喰いつく。そういう女の子をうまく演じたものだ。住田語録とばかりに、主人公が学校で語る「普通、最高!」などの名言?を紙に書き自室に貼り付けているシーンには笑えた。おせっかいが強くて嫌な部分も多かったが、女の執念とばかりに付きまとう姿にはむしろ怖くなるくらいの衝撃すら感じた。
いきなり被災地の映像が映し出される。いいのかなあ?と思いながらみていた。
今回音楽の基調は2つのクラッシック音楽がベースになる。崇高なイメージをもつ2つの曲をうまく映像に結びつけた。音楽はイメージの強化につながる。モーツァルトの「レクイエム」とバーバーの「弦楽のためのアダージョ」いずれも映画が持つどんよりとしたムードを強調していた。
ただ、個人的な感想で言うと、ラストに向かっての展開は若干意外だった。主人公の笑いが急にうまれたのが妙に不自然に感じられた。でもこれはあんまり語らないでおこう。
腐りきった両親に育てられた中学3年生の主人公が絡まる人間模様を映し出す。
いつもながらきわどい映像と激しい演技でハートにどっしりくる。
園子温監督の作品は最近の日本映画ではその重量感でずば抜けている作品だと考える。
主人公住田祐一(染谷将太)は中学3年生だ。川沿いで貸しボート屋を経営する母(渡辺真紀子)と一緒に住んでいる。
ボート屋の周りには東北の大震災で家を失った人たちがテントで暮らしていた。中学のクラスでは主人公は異質であった。道徳的な話をする教師に反発していた。
彼のパフォーマンスを見て同級生の茶沢景子(二階堂ふみ)が住田に強い好意を示していた。しかし、住田は無視するばかりだった。それでも彼女はひたすら追いかけていた。
あるとき家を飛び出していた父親(光石研)が帰ってきた。母さんはいないかと、息子を見るや否や暴力を振るうばかりだ。父親に「おまえなんかとっくにこの世からいなくなったほうがよかったんだ」といわれるが、息子は殴られながらその言葉に耐えるしかない。
母には付き合っている男性がいた。いつの間にか一緒に飛び出してしまう。ボート小屋には主人公しかいなくなった。
そんな時、ボート屋にヤクザまがいの金融業者(でんでん)が取り立てに来る。父親が借りていた600万円の回収だ。事情を知らない主人公に詰め寄るのを見て、そばのテントの住人である夜野さん(渡辺哲)が一言口をはさむとコテンパンにやられた。お前らが返せといわれた。
夜野さんは最近知り合ったばかりのスリの達人(窪塚洋介)に仕事をもらいに行く。スリの達人からは1000万以上儲かる話があると言われていたのであった。夜野さんはお世話になった主人公のためにその仕事を請けることを決意してするの達人と現場に向かう。金のありかに向かうと、そこには死体があった。その直後にヤクザまがいの男が入ってくるのであったが。。。。
園子温監督の作品の暴力表現はかなりきわどい。予告編を見たときに少年たちが暴力を振るいあう姿を見てドキッとしたものだ。日本映画の場合暴力の演技を本気でやっている感じがしない。彼の作品は別だ。韓国映画同様本気度の高い暴力表現だ。ドキドキする。俳優たちが懸命に監督のきつい演技指導についていっているのがよくわかる。
今回は街中の無差別殺人を起こす人たちの姿も写し出す。不審者を表現する。
いくつかの暴力的なシーンで泥まみれになるのを見てフランス映画の名作「恐怖の報酬」を連想した。あの映画の終盤で主人公イブモンタンと相棒が油まみれになるシーンがある。映画史上でもこれほどすさまじいシーンはない。この映画でも泥んこまみれになるシーンからは同じような衝撃を感じた。今回はこれまでの彼の作品と異なりセックスシーンは少ない。それを補うかの如くの暴力描写の強調だ。
あとは主人公と同級生の女の子の好演が印象に残る。2人とも親からお前なんか生まれない方が良かったといわれる少年少女だ。親の言葉を聞くとむかついてくる。幼児虐待をするような親たちを想像する。そんなハチャメチャな親の虐待から懸命に自力で逃げていこうとする若者を見事に演じた。「冷たい熱帯魚」で狂気の世界を演じた俳優たちがここではおとなしい。あの作品でのでんでん、吹越満、黒澤あすかの演技はまさに狂気の世界を彷徨っている感じだった。ここでも強い個性をみせるが地味にサブに回る。
二階堂ふみが印象的だ。
世話好きで、男性の面倒を見たがるようなタイプの女の子って割と昔は学校に多かった気がする。
最近世の中から減ったんじゃないかなあ?おせっかいで見ようによってはうっとうしい印象すら与える女の子だ。おまえなんか消えろといわれながらも好きな男にしぶとく喰いつく。そういう女の子をうまく演じたものだ。住田語録とばかりに、主人公が学校で語る「普通、最高!」などの名言?を紙に書き自室に貼り付けているシーンには笑えた。おせっかいが強くて嫌な部分も多かったが、女の執念とばかりに付きまとう姿にはむしろ怖くなるくらいの衝撃すら感じた。
いきなり被災地の映像が映し出される。いいのかなあ?と思いながらみていた。
今回音楽の基調は2つのクラッシック音楽がベースになる。崇高なイメージをもつ2つの曲をうまく映像に結びつけた。音楽はイメージの強化につながる。モーツァルトの「レクイエム」とバーバーの「弦楽のためのアダージョ」いずれも映画が持つどんよりとしたムードを強調していた。
ただ、個人的な感想で言うと、ラストに向かっての展開は若干意外だった。主人公の笑いが急にうまれたのが妙に不自然に感じられた。でもこれはあんまり語らないでおこう。