映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「嘆きのピエタ」 キムギドク

2013-06-19 14:33:18 | 映画(韓国映画)
映画「嘆きのピエタ」を渋谷文化村で見てきました。
今のところ首都圏ではここしかやっていない。
平日なのに久しぶりに最前列まで満席の満員御礼に出くわした。

久々のキムギドク作品だったが、予想を上回る傑作だ。映画ファン誰もが年間ベスト5に入れそうな傑作に出くわした印象だ。映画を見ている最中もこの先どういう展開になるのだろうと、ドキドキしていた。結末をみてドッキリしたが、この映画の真相は映画館を出てしばらくして気がついた。

そうか!そういうことなのか!
自分自身鈍いせいもあるが、完全にキムギドクの世界に覚睡させられていたのだ。「ある事実」に気づかなかった。あまりの奥の深さに帰る途中で背筋がぞくっとした。残念ながら今の日本でここまでの映画を撮れる監督はいない。さすがだ。

30歳まで親の顔も知らず、生きてきた男イ・ガンド(イ・ジョンジン)が主人公だ。裏の世界で生きる取り立て屋だ。不況に困窮する町工場の工場主に金を貸し、法外な利息を加えて請求する。金が回収できなければ、債務者に町工場の機械を使って重傷を負わせる。片手をもぎ取ったりするのは日常茶飯事だ。生き殺しの状態で障害者になってもらえる保険金を受け取らせ奪い取る。殺すと保険金受け取りがややこしいので殺さない。血も涙もない借金取立て屋である。

そんなガンドの前に、彼を捨てた母だと名乗る謎の女(チョ・ミンス)が現れる。ガンドは信じず、彼女を邪険に追い払う。女は執拗にガンドの後を追い、アパートのドア前に生きたウナギを置いていく。ウナギの首には、「チャン・ミソン」という名前と携帯電話番号が記された、1枚のカードが括り付けられていた。躊躇しつつも、ガンドが女に電話をすると、子守唄が聴こえてくる。ドアを開けると、そこに、涙を浮かべながら歌う女が佇んでいた。

「母親の証拠を出せ」と詰め寄るガンドの、残酷な仕打ちに耐え、彼から離れようとしないミソン。捨てたことをしきりに謝罪し、無償の愛を注いでくれるミソンを、ガンドは徐々に母親として受け入れていく。そしていつしかミソンは、ガンドにとってかけがえのない存在となっていた。

ガンドが取り立て屋から足を洗おうとした矢先、ミソンが突如姿を消す。母の身を案じるガンドに一本の電話がかかってくる。母の悲鳴と激しい物音だったが。。。

日本では利息制限法の改正と最高裁の判例があったあたりから、裏金融の流れが少し変わってきた。極悪な取り立てと規定以上の利息の設定をしていると、公安当局から厳しく取り締まれる。同じく韓国映画「息もできない」で主人公は過酷な取り立てをしていた。韓国ではそういう法律がないのか?あっても緩いのか?ただでさえも暴力的な韓国人たちが今でもこの映画のような取り立てをしているのは容易に想像できる。そういう社会問題があるのが、この題材の映画がつくられる前提であろう。
自由主義経済論者の自分としては、利息の上限を設定することで、むしろ借りたいのに借りれない人が増える気がしていた。そうする方が逆に闇金融がますます盛んになる気もする。この映画をみると少し考えてしまう。今の法改正で以前よりも日本で悪徳業者が減っているのは明らかである。今の日本が韓国に比較するとまともに見える。

いきなりむごい映像が映る。借金払えずに自殺する男の映像だ。その後も主人公は金を回収するためには手段を選ばない。町工場の一角で目を覆うようなシーンが続く。
キムギドクがテーマで選ぶのはいつも少し裏筋だ。「悪徳男にはめられたお嬢様」「援助交際」「整形美人の復讐」「ロリコン偏愛」そういう中今度のテーマは単に「悪徳金融業者のむごい取り立て」というだけにはとどまらない。

題名にある「ピエタ」とは、バチカンのサンピエトロ大聖堂にある十字架から降ろされたイエス・キリストを胸に抱く、聖母マリア像のこと。慈悲深き母の愛の象徴である。ここでも母親の愛がテーマとなのだ。

当然母親である女主人公の愛であるが、途中から大きくストーリーが動く。
いきなり母親を名乗られても信用できるわけがない。それでも、息子に対して母性を強くみせたり、骨折している債務者に対して息子と同じように痛みつけたりする。息子は徐々に母親に甘えるようになる。今までは非常に厳しく債務者に接していたのが、父子の交情を感じて無理やり障害者にさせない。
そのことですっかり騙されてしまった。「ある事実」に気づかなかった。

映画の中では「ある事実」をはっきりセリフに出すわけではない。自分は女主人公が息子を更生させるために、狂言を演じているのでだと思っていた。債務者の復讐を受けているがごとく、裏で何かが壊れるような物音を発して息子に電話して、復讐を受けているようなふりをするのである。そうやって普通の人間が持つような感情をもってもらおうとしているのだと思っていた。

「ある事実」に気づかなかった。
完全に幻惑させられていた。普通に鑑賞する人で途中で気がついた人もいるだろう。自分は気づかなかった。映画が終わって30分くらいして初めてこの映画が「究極の復讐」を示すことに改めて気付いた。
実に奥が深い。

今年に入って旧作を含めちょうど映画鑑賞100本になったが、この半年では「ゼロダークサーティ」かこの作品のどっちをトップにしようかと迷う凄い作品だ。キムギドク健在だ。

(参考作品)
嘆きのピエタ
キムギドク監督の傑作(参考記事)
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映画「ニ流小説家 シリアリスト」 上川隆也&武田真治

2013-06-19 05:22:08 | 映画(日本 2013年以降主演男性)
映画「ニ流小説家 シリアリスト」を劇場で見た。
デビッド・ゴードンによる「二流小説家」は「このミステリーがすごい! 2012年版 海外編1位」をはじめ、日本の主要ミステリーランキングで“史上初の3冠”を達成した。その映画化である。原作は未読、なんとなく面白そうな題名の響きにつられて見に行った。

赤羽一兵(上川隆也)は売れない小説家だ。フリーランスのゴーストライターとしてジャンルによってペンネームを使い分けている。男性なのに母親(賀来千賀子)の旧姓と若い時の写真を使って作品を発表することもあった。泣かず飛ばずで編集者からはエロ系の小説を書くように依頼されていた。

ある日、彼のもとに12年前に連続殺人事件をおこした死刑囚の呉井大悟(武田真治)から「告白本を書いて欲しい」という執筆依頼が舞い込む。自称写真家の呉井は、モデルとして集めた女性たちを殺し、首を切断して写真を撮った「シリアル・フォト・キラー」と呼ばれる男だ。

本当に呉井からの依頼なのか疑問に思い、彼の弁護士(高橋恵子)に確認した。間違いないようだ。弁護士は彼の無実を訴えており、死刑執行までは出版しない条件で面会を許される。この話を知った被害者遺族会は出版しないように赤羽に迫る。赤羽は告白本を書けば世間の話題になって周りを見返すことができる。そんな欲望に駆られていた。

実際に会ってみると、呉井の強烈な個性に驚く。

狂喜に迫る語り口に赤羽もやり込められた。彼にファンレターを送ってくる3人の女と彼とのポルノ小説を書いてくれたら、まだ誰にも話したことのない事件の真相を話してもいいと言う。指定された女性に順に会いインタビューした。最初は30歳の独身OL、次はひきこもりの10代の女の子だった。いずれも呉井に熱烈なラブレターを送っていた。そして赤羽はポルノ小説を書き上げていく。3人目のAV女優の家では相手にいきなり脱がれてあわてて飛び出したが、冷静になりもう一度話を聞こうと戻った赤羽の目に飛び込んできたのは、惨殺された無惨な遺体だった。

死体の状態は12年前に呉井が犯した事件と同じ首なし死体だった。続いて他の2人も同じように殺されるのだ。刑務所にいる呉井に今回の事件の犯行は不可能である。12年前の事件も呉井以外の何者かの犯行なのか。。。

映像のトーンをあえて薄暗くしている。白黒映画は撮影の仕方で濃淡が出てくる。ここではそうもなっていない。薄暗いせいか赤がくっきり浮かび上がる。死体が遺棄されている場所には赤い花びらが散らばっている。そういう薄暗い映像に、川井憲次の音楽がよくあう。不安を掻き立てるのだ。

ストーリーは飽きさせない。映画「リアル」のように途中眠くならない。しかも、武田真治のパフォーマンスが強烈である。うす暗いせいか、最初は武田真治の顔が嵐の松本君に似て見えた。強烈なパフォーマンスを見せつけた時、殺人事件が3つ連続で起きる。12年前事件を起こした同じ手口だし、その有力犯人は塀の中にいる。おっと別犯人がいるなと思わせる。誰かな?

ネタばれ気味だが、この映画を見ている途中で、ある人間が絶対に何かからんでいるな?と思わせてくる。身寄りのない容疑者呉井の幼いころを映すシーンが出てくる。売春婦の母親について全国を回っているシーンだ。その時彼女の母親の顔を見せない。赤いスカーフを印象的にする。この母親は息子と別れ別れになった後死んだという。横溝正史映画が真犯人を最初正面から映さないのと一緒だ。

ある大女優が演じる役柄に説明が加わる。それ自体から臭いにおいがプンプンする。途中別の人間が怪しいと思わせる部分をあえていくつかつくるが、どう考えてもある大女優があやしい。まんざらそれは外れていなかった。展開が読みやすく脚本と映像ができている印象だ。

一つの結論を導き出した後、事件はそれだけでなくもう一度山をつくるというのは、よくできたミステリー小説の手口だ。この映画もその定石に基づく。でももう一つの山がさほど衝撃的な映像とできていなかったので満点をあげられない。いずれにせよ楽しめた。

ここでの武田真治の演技はよかった。似たような変質者を藤原君が「藁の楯」で演じたが、どう比較しても武田真治に軍配が上がる。上川隆也も武田につられたという印象だ。彼も悪くない。

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