映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「三度目の殺人」福山雅治&役所広司

2017-09-18 19:34:48 | 映画(日本 2015年以降主演男性)
映画「三度目の殺人」を映画館で観てきました。


是枝裕和監督の新作は殺人犯人役の役所広司とその弁護を務める福山雅治のコンビだという。ミステリータッチのようだ。福山雅治の作品は「SCOOP」も観た。自分的には好きな作品である。是枝監督とのコンビは「そして父になる」以来である。

いきなり役所広司の殺人シーンが流れ、逮捕され福山雅治が弁護するシーンが出てくるので犯行は間違いないので、減刑に向けての話かと連想する。しかし、次から次へと新事実が出てきて役所広司と被害者家族との関係が暴露されわけがわからなくなる。映画としては上質なサスペンスだけれど、ちょっとエンディングに向けてはよくわからない?

観ているものに何かを考えさせる映画のであろうか?ちょっと消化不良のまま見終わる。

容疑者の三隅(役所広司)が以前勤めていた食品加工会社の社長を殺し、遺体に火をつけた容疑で逮捕される。三隅は、30年前にも強盗殺人の前科があった。今回有罪なら死刑は確実だ。弁護士の重盛(福山雅治)は、同僚の摂津(吉田鋼太郎)から殺人事件の弁護をひき継ぐ。腕利きの弁護士重盛は無期懲役に持ち込もうと三隅と面談を始める。


そんなおり、三隅は週刊誌に、社長の奥さんの美津江(斉藤由貴)に頼まれて保険金目当てで社長を殺したと告白した。重盛は美津江にそそのかされ殺人を犯したという方向性で、助手の川島(満島真之介)と三隅の身辺を調べ始める。すると、三隅の家に、脚の不自由な娘が出入りしていたとの話を三隅の大家から聞く。それは社長と美津江の娘・咲江(広瀬すず)だった。被害者の娘と容疑者の接点を探ると新しい事実が浮かび上がってくるのであるが。。。


演技的には申し分ない。不倫問題で世間を騒がせている斉藤由貴も彼女らしい演技でいい。ラストに向けての刑務所の面会室での役所広司福山雅治とのやり取りは緊迫感がある。これはさすが千両役者という感じである。しかし、その後の展開がよくわからない。妄想か?真実か?よくわからない殺害現場のシーンがいくつも出るので、観ている我々を混乱させる。


考えてみれば、夜の暗い河原に被害者である元社長が行くのも不自然だし、被害者の娘広瀬すずと被疑者役所広司との関係も変だ。そういう方向なの?と思っているとあっけない裁判結果になる。自分の感度が悪いのか?うーんわからない?三度目の殺人というのに殺人は2回しかない。もう一人誰か殺したという話もない。結局この題名が示す殺しの相手は。。。ということなのか!

そして父になる
是枝監督と福山雅治とのコンビ(参考記事


海街diary
是枝監督と広瀬すずのコンビ(参考記事
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フランス映画「たかが世界の終わり」 

2017-09-18 06:57:50 | 映画(フランス映画 )
映画「たかが世界の終わりJuste la fin du monde」は2017年日本公開のカナダ制作フランス映画


ヴァンサン・カッセル、マリオン・コティアール、ギャスパー・ウリエル、レア・セドゥと現代フランス映画を代表する主演級を集めてできた作品で、グザヴィエ・ドラン監督がメガホンをとる。カンヌ映画祭グランプリに輝く作品である。

1995年、38歳の若さで亡くなったフランスの劇作家ジャン=リュック・ラガルスの戯曲に「まさに世界の終わり」がある。これをグザヴィエ・ドラン監督が映画にした。長きにわたる日々を描いているわけではない。死を告げるために久々に実家に帰った主人公が、実家にいる母、兄、兄嫁、妹の4人と過ごす1日を描いているのだ。死に至る前の自らの帰郷体験が基調にあったのかもしれない。


ここで繰り広げられるのは、フランスを代表する国際俳優たちで繰り広げられる演技合戦だ。久々帰郷した主人公がそれぞれの肉親および兄嫁と会話を交わす。それ自体は日常ありがちな会話に聞こえる。けっして、非現実的ではない。ただ、長年のお互いの思いがうまく通じ合えないところがある。しかも、少し卑屈な生き方をしている人もいる。久々出会って本来はもっと楽しく会話をしたいところがそうならないもどかしさが我々には伝わる。


「もうすぐ死ぬ」と家族に伝えるために、12年ぶりに帰郷する人気作家のルイ(ギャスパー・ウリエル)。母のマルティーヌ(ナタリー・バイ)は息子の好きだった料理を用意し、幼い頃に別れた兄を覚えていない妹のシュザンヌ(レア・セドゥ)は慣れないオシャレをして待っていた。浮足立つ二人と違って、素っ気なく迎える兄のアントワーヌ(ヴァンサン・カッセル)、彼の妻のカトリーヌ(マリオン・コティアール)はルイとは初対面だ。


オードブルにメインと、まるでルイが何かを告白するのを恐れるかのように、ひたすら続く意味のない会話。戸惑いながらも、デザートの頃には打ち明けようと決意するルイ。だが、過熱していく兄の激しい言葉が頂点に達した時、それぞれが隠していた思わぬ感情がほとばしる――――。(作品情報より)

帰郷したルイはナイーブだ。口数は少ない。その一方で4人はよくしゃべる。兄嫁が自分の子供の名づけかたなど話す。それを兄がそんな話ルイに話をしても楽しくないだろうとチャチャを入れる。お互いが話すことそれぞれをお互い気に入らない。すぐさま家族げんかになってしまう。母親は仲よくしてほしいと望むがそうならない。でもこんな感じ、日本でもよくあることなのかもしれない。久々の再会で最初はよそゆきの会話をしていても、しばらくしてお互いのいやがることに触れて混乱する。ぜんぜん非日常でない会話が続く。


グザヴィエ・ドラン監督はまだ28歳なのに若くしてすばらしいキャリアを積んでいる。その成果はすばらしいということもあるせいか、フランスを代表する俳優5人が集まった。これもすごいことである。
彼はカンヌ国際映画祭での受賞スピーチで述べる。「登場する人物は意地悪く、時に毒を吐きますが、何よりみな心に傷を負った人たちです。彼らは我々の周りにいる人たち、母や兄弟、姉妹たちの多くがそうであるように、恐怖を感じ、自信を失い、愛されていると確信できないで生きています。そんな登場人物たちの感情を描き出すことを、僕は目指しました」と。


何でこんなこと言うの?というようなヴァンサン・カッセルの癇癪とその癇癪に真っ向から対抗するレア・セドゥのあばずれぶりが印象的だけど、それぞれの俳優の演技合戦に優越はない。その実力を引き出した天才監督グザヴィエ・ドランの将来を期待したい。

たかが世界の終わり
現代フランス映画を代表する俳優の演技合戦
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