映画とライフデザイン

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映画「恋文」森雅之&久我美子&田中絹代

2021-03-24 18:27:49 | 映画(日本 昭和34年以前)
映画「恋文」を名画座で観てきました。

映画「恋文」は昭和28年の田中絹代初監督の新東宝映画である。名画座の森雅之特集の作品では「恋文」も注目していた。
渋谷の109ビルを東急本店に向かって行った途中に、恋文横丁と看板が書かれているエリアがあった。109のビルとくじら屋を過ぎると、薬局があった。今や、都市開発で整理されヤマダ電機が入ったビルが建ちわからなくなった。その恋文横丁あたりが舞台になる映画であれば、観るしかない。


丹羽文雄の原作「恋人」を木下恵介が脚色した作品で田中絹代がメガホンを持つ。確信はないが、このエリアを恋文横丁と呼ぶようになったのも、丹羽の小説とこの映画の影響ではないか。

復員後5年たって細々と翻訳で生計を立てていた男が、本国に帰還した米軍兵に想いを寄せた女たちの英文手紙を代筆するようになる。すると、男が好きだった女性が米軍兵の手紙を書くために来て狼狽するという話である。朝鮮戦争終了が昭和28年、サンフランシスコ条約後も米軍兵は相当数日本にいたのであろう。

ここでは、昭和28年の渋谷が映される。舞台の中心は109ビルの裏手にあった雑然とした三角州地帯である。地形は今も昔も同じだ。当時のハチ公前広場や電車乗り場が次々と映る。渋谷の原風景を見るだけでも価値がある。田中絹代が監督するだけあって、ご祝儀の意味を持つのか出演者は豪華である。月丘夢路や三原葉子、日生のおばさん中北千枝子などがパンパンを演じるとともに田中絹代監督自ら中年のパンパンになり切る。凄い貫禄だ。


やる気を失った復員兵と夫を失い米軍兵に身を任せていた過去を持つ女を中心にドラマを組み立てる。この恋物語という設定自体が昭和20年代の世相を象徴している気がする。

礼吉(森雅之)は兵学校を出たエリート士官であった。戦後復員してからは弟洋と一緒に同居して翻訳料で細々と暮らしている。弟は古本をブローカーのように動かし、一儲けしている。その礼吉が渋谷のハチ公前でばったり旧友の山路(宇野重吉)に会った。山路は渋谷駅西口の三角地帯の一角で、パンパンから依頼を受けて米軍兵に英語で恋文を書く代書屋をやっていた。


定職につかず弟に世話になっていた礼吉は、英語力を活かして山路と一緒にパンパンたちの代理で手紙を書くようになる。そんなある時、礼吉が店の控え室で休んでいると、仕切りを隔てて聞こえてきた山路が接客している女の声に聞き覚えがあった。最愛の女性道子(久我美子)の声ではないかと、店から帰った後で懸命に渋谷駅付近を追う。道子は結婚していたが、死に別れたと聞いていた。やっとの思いで会えて再会を喜ぶ。しかし、他の米軍兵相手の娼婦たちと同じように落ちぶれてしまったのかと落胆して、山路が道子を責めるのであるが。。。

⒈昭和28年の渋谷
自分が生まれる前の渋谷である。ここ数年渋谷駅周辺の地域開発が進んで新しいビルが数多く建った。映画が始まりいきなりタクシーから下車している弟がいる場所は、坂の上からガードが見えるので宮益坂付近に思える。スクランブル交差点のすぐ横の三千里薬局は映像でその看板を見せる。よく頑張っているね。


父に連れられ渋谷に行くようになった昭和40年代前半西武百貨店のところには映画館があった。センター街には夜でも黒いサングラスをした男たちがいて子供心に怖かった。今の109ビル横に長らく残っていたくじら屋には父とよく行った。あとはロシア料理のサモワールはもう少し先にあったが、大人になっても行った。

実家の家業に絡んで、祖父がこの辺りの仕事をやったと50年以上前に父が言っていた言葉が今だに脳裏に強く残る。祖父が亡くなって52年経つ。何でここが恋文横丁となっているのか??、少年時代から謎だったがようやくこの歳になって謎が解けた。

映画ではすずらん横丁ということで出ている。いろいろ調べると、映画の後に名前が変わっているようだ。恋文横丁でGoogle検索すると興味深いサイトがいくつもあり、参考になった。

⒉本のブローカーの弟
弟は兄の食い扶持を探して、翻訳の仕事を持ってくるが、元々は「せどり」というべき古本のブローカーである。香川京子が店の看板娘の古書店から本を仕入れて他に転売して利鞘を稼いでいる。米軍兵と付き合っているパンパンたちは、手にしたvogueなどの洋雑誌を香川京子の店へ持ち込んで換金している。それを弟が買い取って、洋風文化に関心ある紳士に売り込むのだ。しかも、弟はメイン通りの店玄関横に陣とっている。


中古品というのは、値段は自由に付けられ貴重品であれば高値で売れる。今でも同じだ。メルカリやアマゾンマーケットプライスの前近代的なビジネスの姿を映し出していて興味深い。

⒊現代との意識の差
昭和20年代の映画には、生活するために自らを売らざるを得なかった女たちの姿を映すものが多い。先日観た我が生涯のかゞやける日でも山口淑子が銀座の女給を演じていたし、田中絹代が演じた溝口健二監督「夜の女たち小津安二郎監督「風の中の牝鶏」もその手の作品だ。


ここでは落ちぶれた久我美子森雅之がなじる場面がある。2人がいるのはたぶん明治神宮の鳥居付近の映像だと思う。人気はない。人を非難する権利はないのに何でこんなに怒るのかと思ってしまう。でも、昭和20年代にはこういうシーン多いんだよな。男女差別の話は最近至る所で言われるけど、戦前をひきづる頃に比較すると、マシになった方だと思うけどね。

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