映画「スリー・ビルボード」を映画館で観てきました。
これはすばらしい!傑作である。
1月の第2週にインフルエンザB型にかかってしまい、この1月は悶々とした生活を送ってしまった。まだ咳が止まらない。なんと映画館で一本も観ていない月というのは何十年ぶりだろう。そろそろと思ったところで、ホームグラウンドの映画館で大好きなフランシス・マクドーマンドの新作が上映していることに気づく。久々に映画を観たという実感にあふれた作品に出合う喜びを感じる。
レイプに会い娘を殺された母親が、警察の捜査が進まないことに腹を立て、さびれた道路に看板を立てる。町中に波紋を起こす。そして、母親、警察の署長、担当警察官の3人を中心にストーリーが進んでいく。こうなるかな?と連想するとそうならないで別の展開へ進む。善人と悪人の境目があいまいで脚本家が次から次へと我々を肩透かしにかける。意外性は常に厚みをつくる。そして意外性でそれぞれの登場人物が際立つ効果が生まれ、映像に感情流入してしまう。実にすばらしい映画だ。
アメリカはミズーリ州の田舎町エビング。さびれた道路に立ち並ぶ、忘れ去られた3枚の広告看板に、ある日突然メッセージが現れる。──それは、7カ月前に娘を殺されたミルドレッド・ヘイズ(フランシス・マクドーマンド)が、一向に進展しない捜査に腹を立て、エビング広告社のレッド・ウェルビー(ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)と1年間の契約を交わして出した広告だった。自宅で妻と二人の幼い娘と、夕食を囲んでいたウィロビー(ウディ・ハレルソン)は、看板を見つけたディクソン巡査(サム・ロックウェル)から報せを受ける。
一方、ミルドレッドは追い打ちをかけるように、TVのニュース番組の取材に犯罪を放置している責任は署長にあると答える。努力はしていると自負するウィロビーは一人でミルドレッドを訪ね、捜査状況を丁寧に説明するが、ミルドレッドはにべもなくはねつける。
町の人々の多くは、人情味あふれるウィロビーを敬愛していた。広告に憤慨した彼らはミルドレッドを翻意させようとするが、かえって彼女から手ひどい逆襲を受けるのだった。(作品情報より)
1.フランシス・マクドーマンド
コーエン兄弟作品の常連であり、「ファーゴ」でアカデミー賞主演女優賞を受賞している。ジョエルコーエンの妻である。個人的には「あの頃ペニーレインで」で演じた主人公の母親役の演技が脳裏に焼き付く。ロッカーに同行する主人公に身を案じる少しヒステリックな母親の感情描写が絶妙にうまかった。この映画ではあの時の母親のキャラクターがかぶってくる。
娘殺しの捜査が進まないことへの腹立ちで母親が起こす行動はこんなものかもしれない。でも、やり玉に挙がった警察の署長も悪人ではない。周りも同情して、聖職者を送ったり、歯医者に意地悪させたりする。でもこのお母さんたくましい。そんなことは意にもとらない。それは「ファーゴ」にも通じるたくましさだ。ここでの演技でアカデミー賞2度目の主演女優賞をもらったと聞いても誰も全く不思議に思わないだろう。
2.アメリカの田舎町
アメリカの田舎町が舞台なので、こんなことってあるの?!と思わせることが多々ある。
まずは暴力描写が多いということ。最近の日本ではちょっとした教員の体罰でも大げさに報道されるが、ここでは民間人同士の殴り合いが日常茶飯事に出てくる。傷害でで訴えるなんて言葉は、田舎のアメリカでは存在しないものなのか?
フランシス・マクドーマンド演じる母親が警察に深夜電話しても誰もでない。留守番もいない。そんなことあるかしら?しかも、マクドーマンドはもっと悪いことをするが、犯人が特定されない。今の日本では至る所に防犯カメラがあって、一部始終をとらえるけど、アメリカってどうなんだろう。途中まで、この題材1980年代くらいかと思っていたら、ネットで検索なんて言葉もあるので、そうじゃなさそう。そのほかにも同じようなことがいくつかある。だからと言ってこの映画が陳腐なものに感じられてしまうことはないのであるが。。。
この映画をすばらしいものとしているのは、フランシス・マクドーマンドのうまさだが、それ以上に敵役となる警官、警察署長、元夫そしてその若き恋人の描き方のうまさであろう。ウディ・ハレルソンのうまさが光るし、ストーリーが進むにつれて敵役たちのキャラクターに変化が生じる。あれ!こうなるの?と思ってしまう動きがある。その変化の過程に思わず心を動かされた。そして、真犯人は誰か?という期待感をわれわれに抱かせる。そこでも逆転を与え、意外な手打ちでわれわれに想像力のテストをする。
最後の余韻も素敵だな
これはすばらしい!傑作である。
1月の第2週にインフルエンザB型にかかってしまい、この1月は悶々とした生活を送ってしまった。まだ咳が止まらない。なんと映画館で一本も観ていない月というのは何十年ぶりだろう。そろそろと思ったところで、ホームグラウンドの映画館で大好きなフランシス・マクドーマンドの新作が上映していることに気づく。久々に映画を観たという実感にあふれた作品に出合う喜びを感じる。
レイプに会い娘を殺された母親が、警察の捜査が進まないことに腹を立て、さびれた道路に看板を立てる。町中に波紋を起こす。そして、母親、警察の署長、担当警察官の3人を中心にストーリーが進んでいく。こうなるかな?と連想するとそうならないで別の展開へ進む。善人と悪人の境目があいまいで脚本家が次から次へと我々を肩透かしにかける。意外性は常に厚みをつくる。そして意外性でそれぞれの登場人物が際立つ効果が生まれ、映像に感情流入してしまう。実にすばらしい映画だ。
アメリカはミズーリ州の田舎町エビング。さびれた道路に立ち並ぶ、忘れ去られた3枚の広告看板に、ある日突然メッセージが現れる。──それは、7カ月前に娘を殺されたミルドレッド・ヘイズ(フランシス・マクドーマンド)が、一向に進展しない捜査に腹を立て、エビング広告社のレッド・ウェルビー(ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)と1年間の契約を交わして出した広告だった。自宅で妻と二人の幼い娘と、夕食を囲んでいたウィロビー(ウディ・ハレルソン)は、看板を見つけたディクソン巡査(サム・ロックウェル)から報せを受ける。
一方、ミルドレッドは追い打ちをかけるように、TVのニュース番組の取材に犯罪を放置している責任は署長にあると答える。努力はしていると自負するウィロビーは一人でミルドレッドを訪ね、捜査状況を丁寧に説明するが、ミルドレッドはにべもなくはねつける。
町の人々の多くは、人情味あふれるウィロビーを敬愛していた。広告に憤慨した彼らはミルドレッドを翻意させようとするが、かえって彼女から手ひどい逆襲を受けるのだった。(作品情報より)
1.フランシス・マクドーマンド
コーエン兄弟作品の常連であり、「ファーゴ」でアカデミー賞主演女優賞を受賞している。ジョエルコーエンの妻である。個人的には「あの頃ペニーレインで」で演じた主人公の母親役の演技が脳裏に焼き付く。ロッカーに同行する主人公に身を案じる少しヒステリックな母親の感情描写が絶妙にうまかった。この映画ではあの時の母親のキャラクターがかぶってくる。
娘殺しの捜査が進まないことへの腹立ちで母親が起こす行動はこんなものかもしれない。でも、やり玉に挙がった警察の署長も悪人ではない。周りも同情して、聖職者を送ったり、歯医者に意地悪させたりする。でもこのお母さんたくましい。そんなことは意にもとらない。それは「ファーゴ」にも通じるたくましさだ。ここでの演技でアカデミー賞2度目の主演女優賞をもらったと聞いても誰も全く不思議に思わないだろう。
2.アメリカの田舎町
アメリカの田舎町が舞台なので、こんなことってあるの?!と思わせることが多々ある。
まずは暴力描写が多いということ。最近の日本ではちょっとした教員の体罰でも大げさに報道されるが、ここでは民間人同士の殴り合いが日常茶飯事に出てくる。傷害でで訴えるなんて言葉は、田舎のアメリカでは存在しないものなのか?
フランシス・マクドーマンド演じる母親が警察に深夜電話しても誰もでない。留守番もいない。そんなことあるかしら?しかも、マクドーマンドはもっと悪いことをするが、犯人が特定されない。今の日本では至る所に防犯カメラがあって、一部始終をとらえるけど、アメリカってどうなんだろう。途中まで、この題材1980年代くらいかと思っていたら、ネットで検索なんて言葉もあるので、そうじゃなさそう。そのほかにも同じようなことがいくつかある。だからと言ってこの映画が陳腐なものに感じられてしまうことはないのであるが。。。
この映画をすばらしいものとしているのは、フランシス・マクドーマンドのうまさだが、それ以上に敵役となる警官、警察署長、元夫そしてその若き恋人の描き方のうまさであろう。ウディ・ハレルソンのうまさが光るし、ストーリーが進むにつれて敵役たちのキャラクターに変化が生じる。あれ!こうなるの?と思ってしまう動きがある。その変化の過程に思わず心を動かされた。そして、真犯人は誰か?という期待感をわれわれに抱かせる。そこでも逆転を与え、意外な手打ちでわれわれに想像力のテストをする。
最後の余韻も素敵だな